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♪契りきなかたみに袖をしぼりつつ末(すゑ)の松山波越さじとは(清原元輔)♪――。中学時代の火山、<恋の成就>を願って<狂気>の如く「百人一首」に打ち込んでいた。「得意札」をカッコヨク奪い、恋しい彼女のハートを動かしたい。
“末の松山波越さじとは”――。何となく気になる<歌詞>だが、意味はよく分からない。だが<口調>は面白可笑しい。だから印象に強く残る。だが「『想定外』諭す杉、松、鮑」という「日経」コラム<風見鶏>(7月3日)を読んで、ビックリ仰天。
「福島県第一原子力発電所から北へ50キロ弱の福島県相馬市。海から5キロも入った山すそが黒木諏訪神社の杜(もり)だ。『1611年の慶長津波では本殿まで波が押し寄せ、姥杉の巨木に縄で小船をつないだというのです』。歴代宮司が教訓を残そうと引き継いできた伝承に従えば遡上高は20〜30メートル。船をつないだのは参道下の鳥居脇のイチョウという別説を採るにしろ、東日本大震災津波到達点を大きく越す」…。凄い!だがこれ、まだ序の口。相馬から北に50キロ。「想定外」と口走る現代の識者を諭す歌枕の丘がある。
「宮城県の史跡の町、多賀城」――。「『契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは』。百人一首で有名な歌は意訳すれば小高い丘をなす末の松山を越すことがないように2人の思いも永遠、となる」とコラム。だがビックリは、これからだ。
「869年の貞観津波では多賀城の数千戸が壊滅した。松山の下の宝国寺住職、加藤秀幸氏は『古来、津波は何度も来たが、末の松山は越えない』との言い伝えを紹介する。果たして今回の震災でも津波は松山を越えず、寺の本堂前でぴたり止まった。檀家の犠牲者はそれでも30人。伝承を思い起こした住人は余震の際、寺に逃げ一夜を過ごした」――。
そう、宝国寺の本堂の向こうまでは、津波は来ない。だからそこへ避難した。凄い。
火山の長女は、仙台市宮城野区岩切に、新婚家庭を営んでいたが、今回被災。いまだの我が家で避難生活。ダンナは現地にいて復旧に励んでいるが、実は地震が来た時、多賀城市に出かけていた。住居の岩切から多賀城は目と鼻の先、新婚夫婦はよく一緒に多賀城へ買い物に出る。今回もいつも寄るコンビニに、もし立ち寄っていたら、津波に浚われていた。
現にダンナはそこへ寄ろうとしたが、虫の知らせか見送った。これが命を救った。
さて“末の松山波越さじとは”だが、作者は清原元輔(908〜990)――。貞観津波(869年)の39年後に生まれている。「枕草紙」の作者・清少納言(生没年不詳)の父親、というから火山、これにもビックリ仰天。父の清原が少納言だったから「清少納言」と呼ばれた。いわば俗称が歴史に残った。才女はトクだ。彼女の祖父は「清原深養父(きよはらのふかやぶ)。平安中期に活躍した大歌人「梨壺(なしつぼ)の五人」の一人として有名。この五人が「万葉集」を現在の20巻本の形に整え、訓点打ち作業を行なった。
“契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは”を<現代語訳>すると、「お約束したではありませんか。お互いに泣き、涙を流し、その涙で濡れた着物の袖を絞りながら、『末の松山を<津波>でさえもが越すことがあり得ない』ように、お互いに決して心変わりはしないと――。それなのに、なぜあなたは私を捨てたのか。恨めしや」――。
この「現代語訳」は火山の作ったもの。間違ってはいないが、いささか<名訳>が過ぎる。
「女心と秋の空」――。ガラッとすぐ心変わりしやすいものの代表が「秋の空」!中学時代、ヴェルディの歌劇「リゴレット」の有名なアリア「女心の歌」を、畏友ミッチンと引き合いに出し、同期の女の子たちのウワサをしたものでした。別に「契った」ワケでもないのに、衣の袖を涙で濡らしていたのですから、火山も純情でした。でもいつまでもジメジメ失った恋を思い続ける男なんて<バカ>――。そんなこと「百も承知」ではなかったバカ男の典型が火山。本当にバカでした。でもお蔭で「中学卒業50年」で再会しました。
火山は「幹事代表」――。「青春、師、初恋との再会…。今日確かめる50年の歩み…。一人一人が<主役>だった」がコンセプトの50年記念」50年記念」「中学卒業の<同期会>――。これが「気まま会」誕生の発端…。だが、それはそれ…。
<末の松山>の近くに「学舎を構える東北学院大工学部の河野幸夫教授も『想定外』を叱る。海底調査などから『歌われた波は貞観津波で、激震により仙台湾に浮かぶ大根島が沈んだ』と指摘する。島を守る神社、大根明神も遺跡は底に眠り、七ヶ浜町の漁民の信仰を集めてきた。その神事、鮑(あわび)祭りが1日、崩壊した吉田花渕港の7キロ沖の海上であり、船から鮑をささげた」(風見鶏)――。
「島が丸ごと沈むほどの恐怖の記憶は歌や神事に埋め込まれた。伝承は土地に長く住む皆が知る知識だ。なのに国、電力会社、地震・原子力の専門家は現地事情を顧みなかった。同じことがまた起きないか。政府の復興構想会議による先の提言の前文の冒頭に『破壊は前触れもなくやってきた』とある。宮城県幹部は『東北人は強い違和感を持つ。まだ想定外と言いたいのか』と渋い顔だ」(風見鶏)――。火山も<憤激>に堪えない。
風鈴坊さんが贈ってくれた「吉村昭『三陸沖大津波』文春文庫」にだって、明治29年(1897)、昭和8年(1934)の大惨事が語られている。「1000年に一度」など<大嘘>なのだ。まして衆院議員で京大・原子力工学科出身の吉井英幸氏は、数年前から2度、国会で東電や保安院に「津波」や「非常用電源」について質問している。<想定外>など<大嘘>なのだ。
(平成23年7月5日)
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末の松山とは信夫郡 湖山寺(古山寺今は廃寺)山号になっています。鳥和田(トワダ、アイヌ語)湖だった頃、陸奧国府の国司の一人として来た清原元輔が読んだ歌とされています。陸奧守は源氏で元輔の娘清少納言は一時、この源氏の妻だった。陸奧国府は信夫郡に在った。
2013/5/30(木) 午後 4:16 [ 犬連れ ]
<犬連れ>さん、ようこそ!貴重な情報、有難うございます。
歴史に名を残す<先人>が<後世>の安泰を願って貴重な<教訓>を残している。本当に嬉しいことです。この日本に、いや地球上に生まれてよかったと思います。
2013/5/30(木) 午後 5:52 [ kom*_19*7 ]