|
「夏バテには、生卵だ。コップに2〜3個割り入れかき混ぜず、調味料も入れず丸のみだ。その日一日力尽きないし、食欲がなくてもつるりと飲み込んでしまえばいい。そこまで言うと勘のいいかたは『映画ロッキーの影響か』とわかる。その通り、数年前、風邪をこじらせ倒れた時演奏会を休めずキツかった。もうろうとする意識の中でロッキーのワンシーンが頭に浮かんだ。「これだ!! 』。思い立ち、迷わず即実行した。まずは1個から試した」と「日経」コラム<あすへの話題>(8月16日)は始まる――。ウーン、火山、仰天!
「千住真理子(せんじゅ・まりこ、1962年4月3日…)は日本のヴァイオリニスト。ジャパン・アーツ所属。レコードレーベルは、EMIミュージック・ジャパン。慶應義塾大学文学部哲学科卒。A型」とインターネット情報。1962年生まれ!えっ、51歳――。
「愛器は1716年製ストラディヴァリウス。『デュランティ』の愛称で知られる。ストラディヴァリが製作してすぐにローマ教皇クレメンス14世に献上され、その後フランスのデュランティ家に約200年間所蔵されていた。次いでこの楽器はスイスの富豪の手に渡ったが、その約80年後の2002年にその富豪が演奏家のみを対象に売りに出した為、千住家が数億円で購入した。約300年間誰にも弾かれずに眠っていた幻の名器とされている」――。
「この300年は『城に隠され、演奏家“が”弾くことはなかった』と2011年NHKの番組『イタリア特集』…」――。火山、この愛器を彼女が入手した直後、この名機と彼女をコンサートのカブリツキから眺めた。ドキドキした。以来の大ファンだ。何しろ滅多に見かけないほどの“美貌”――。一目惚れ!長兄<千住博>は日本画家。次兄<明>は作曲家…。
「母の生前『気持ち悪い』と嫌がる母を横に座らせ『異常があったら背中叩(たた)いて』と言い含め、飲んだ。意外と容易(たやす)く飲めたのを皮切りに、3個4個と増やした。かなりバテている時には1日6つ飲んだこともあったが流石(さすが)にお腹を壊した。当時得意気にそんな話をコラムに書いたら、心ある読者の方から『いくらなんでも無茶苦茶です。体に悪いから今すぐおよしなさい』と注意されたので、素直に数を減らした。今は休卵日も作っている」――。人は見かけによらないというが、あの“淑女”が!ナント。
「時間のある時には、丸のみでなく卵ご飯にする。美味(おい)しい生卵をしっかり味わえる。ほかほかのご飯をやや多めに盛って卵2つ、更に納豆も加えてかき混ぜ、海苔(のり)で包みながら食べるのが私流だ。喉ごし良く、栄養もあり、満腹感も得られて食事時間も短縮できる」――。<丸のみ>!あの“優雅”で“上品”な美しい女性(ひと)がなんと!ストラディヴァリウスの華麗の音色のウラに“生卵”とは…。しかも<丸のみ>!
<夢>が壊れた…。とは言わない。いや逆だ。あの“絢爛豪華”を支える体力、エネルギーには、やはり“超絶”がある。それが支えている――。凄い!
「演奏会で地方へ行く時は現地で調達する。地元自慢の様々な美味しい卵に巡り合える機会にもなる。こんなにもそれぞれの卵に味の違いがあるのかとつくづく驚く。日本人が昔から生で食す習慣があるからか、日本の卵は安心して生のまま頂ける。こんなに新鮮で美味しい卵は、日本ならではでないか」――。これがコラムの<結び>!ブラーヴァ!
「ブラーヴァ!」――。お立合いは、ご存じだろうか。コンサートでよく聞くのは「ブラヴォー!」の掛け声。上野の東京文化会館、池袋の東京芸術劇場、川崎のミューザ川崎シンフォニーホール…。演奏に感動した“大向こう”が叫ぶ。「大向こう」とは「芝居小屋の三階正面席、またそこに坐る客を指す<隠語>」――。いわゆる「“通”の客が通う席」または「“通”の客」――。火山には「天井桟敷」というイメージ。“ブラヴォー”はお馴染みだが、“ブラーヴァ”とは何か。実は「ブラヴォーの“女性形”」。女性演奏家への賛辞――。
火山もまた“自称”「通の客」!だから女性演奏家には必ず“ブラーヴァ”と叫ぶ。無知な連中は“ブラヴォー”としか言えない。内心、そう思って得意なのだ。えっ、さもしい?なんとでも言え。火山は“ブラーヴァ”で行く。実は“複数形”もある。“ブラーヴィ”!
オーケストラやデュオ(奏者2人)、トリオ(奏者3人)には“正式”には“ブラーヴィ”!
さて千住真理子…。「11歳から江藤俊哉に師事。小学校低学年まではほとんど練習をせず、コンクールに出ることもなかったが、1972年、第26回全日本学生音楽コンクール東京大会小学生の部で第2位を受賞。翌1973年、同コンクール東京大会、全国大会小学生の部で第1位を受賞した。1975年、NHK交響楽団と共演し、12歳でプロデビュー。1977年、15歳の時、第46回日本音楽コンクールを最年少で優勝した。1979年、17歳の時、第26回パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞した(第4位)」と「ウィキペディア」――。
「音大へは進学せず、慶應義塾大学文学部哲学科に進む。20歳の時には『天才少女』と呼ばれてきたストレスなどからヴァイオリンから離れ、全く楽器に触れることもなかったが、2年後にはプロへの道を志した」と続く。いずれにしても素晴らしい。火山、ベタ惚れ。
「波乱に満ちた母の人生の幕が下りた。回復して日常生活に戻りたい、という夢に向けて本人は希望を捨てなかった。痛み止めを飲むと頭がボンヤリして好きな執筆の仕事が出来ないと考えた母は、最期まで薬を拒んだ」――。千住真理子が最初の「日経」コラムを、こう始めている。母はエッセイスト、教育評論家の<千住文子>――。このコラムには病名が書かれていなかった。意識的に伏せたのだろう。
(平成25年8月19日)
|