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「長崎県の諫早湾干拓事業を巡る問題は混迷の度を増すばかりだ。もはや司法判断による解決は困難ではないか。長崎地裁が湾内に設けられた堤防排水門の開門差し止めを国に命じる仮処分を決定した。『開門すれば、農業や漁業が被害を受ける蓋然性が高い』と判断し、開門調査に反対する干拓地の営農者らの訴えを認めた。2010年12月の福岡高裁判決と正反対の結論である」(「読売」社説。11月14日)――。唖然!バカ裁判官の非常識!
「裁判官は提出された証拠だけに基づき、訴訟当事者のみの利害を判断するため、訴訟に絡まない関係者の利害は考慮されない。この問題のように営農者や漁業者の利害が複雑に交錯し、複数の訴訟が係争中のケースでは、示された証拠によって相反する結論が導かれることもある。結果として司法判断によって解決が遠のく。諫早湾問題は司法決着よりも、政治による解決が望ましいと言える」と「読売」社説は続く。「限られた証拠」だけで「当事者の利害」だけを考える。だから非常識な<判断>が生まれるというのだ。唖然!
「<営農者ら>が差し止めを求めた<仮処分>申請について、長崎地裁は12日、<差し止め>を認める決定をした」と「日経」社説(11月13日)。「解決が遠のいた諫早湾開門」が見出し――。戦後早々、コメ増産を目的に計画された<干拓事業>。コメの<減反政策>の開始で事業目的を<畑地の造成>と<防災>に移し、1997年に潮受け堤防は閉め切られた。干拓地では現在、約40の企業や個人が営農している」と<社説>は続く。
「当時の民主党政権が上告を断念して確定した福岡高裁判決は今年の12月20日までの開門を命じている。しかし、地元住民や営農者らの抗議活動で農林水産省は開門に伴う農業被害を抑える準備工事にすら着手できていない。今回の長崎地裁決定は開門調査について『公共性や公益性は高くない』と指摘している。高裁の確定判決を尊重するのが筋とはいえ、開門に踏み切るのは一段と困難になったと言わざるを得ない」と「日経」社説は続く。
「異なる司法判断が出た最大のポイントは開門による農漁業への影響の評価。5年間の開門調査を国に命じた高裁判決は開門時の農業被害を『限定的』としたのに対し、今回の地裁決定は農漁業の被害は『甚大』と重視した。井田宏裁判長は決定理由で『開門すれば淡水の調整池が塩水化し、干拓地の農業用水の水源を喪失する』『湾内のアサリやカキの養殖などに相当大きな被害が発生する』と指摘。事前対策工事による被害防止は『実現の可能性が高くないか、効果がない』と退けた」――。「日経」解説記事は<指摘>する。
何ともバカバカしい<判断>!<営農者ら>の「言い分を<100%>認め、<丸呑み>した。
「諫早湾の干拓事業は『止まらない公共事業』の代名詞とされてきた。当初は食料増産が目的だったが、国が減反政策に転換しても防災や水資源確保などに名目を変えて継続された。政府は事業継続を優先するあまり、漁業者や営農者への影響を過小評価していたのではないか。利害関係者の理解を得ることがいかに大切か。諫早湾干拓事業の大きな教訓である」と「読売」(11月14日)は<解説>する。火山ももの見解を<100%>と支持する。
「1950年代初頭に長崎県知事の西岡竹次郎が、長崎県の平地を広げることと当時の食糧難を解決するために、諫早湾干拓事業を発案したのがきっかけ。干拓事業は広大な干拓地が得られるとともに、農地の冠水被害(塩害)が防がれ農業用水も確保するのが目的――。1989年より『国営諫早湾干拓事業』の工事が行われ、諫早湾奥に潮受け堤防が建設された。1997年4月14日に潮受け堤防の水門が閉じられた」と「インターネット情報」――。
「干拓の工事前に漁業補償として、総額279.2億円が支払われ、各漁協の漁業権は消滅(潮受堤防内八漁協)又は一部放棄・制限された。潮受け堤防の締め切りから約10年後の2007年11月20日に完工式が行われた。翌12月22日午後5時、潮受け堤防の上に全長8.5kmの諫早湾干拓堤防道路が開通した。水門閉鎖により潮受け堤防内側の調整池は有明海から分離され<淡水化>された。調整池は農業用水源として使用された」と続く。だが…。
「潮受け堤防の<水門閉鎖>により、深刻な<漁業被害>が報じられた。主な被害は二枚貝タイラギの死滅、海苔の色落ちなど…。<自然保護団体>や<各漁業協同組合>が反対運動を行った」――。「漁業」に最適の<海水>を「農業用」に<淡水化>した。<深刻>な漁業被害が出るのは最初から分かっていたはず。「漁業補償として、総額<279.2億円>が支払われ、各漁協の<漁業権>は消滅(潮受堤防内8漁協)又は一部放棄・制限された」とある。1漁協あたり<24.9億円>!少なすぎるように思うが、どうか。
「<深刻>な漁業被害」――。「原因は干潟の浄化作用が機能しなくなったためとされたが、海苔養殖業者が消毒目的に散布した酸や化学肥料による影響との主張もあり、海苔養殖業者と他の漁業者との紛争が発生。タイラギ貝の大量死は干拓工事開始の翌年1990年からが始まり、1993年から休漁。これら被害から水門を開放、調整池を海水化する運動が高まった」と「読売」――。こんなの最初から分かっていたのではないのか…。
「事態が<膠着>している背景には<長崎県>や<営農者>らの<国>に対する強い<不信感>がある。高裁判決まで、国は一貫して開門による調査の必要性を否定してきたから」と「読売」は続ける――。「<漁業者>が国に即時開門を求めている別の訴訟では、原告側が国と営農者に<和解協議>を繰り返し申し入れている。しかし<営農者>側の姿勢は頑なで<拒否>している。残念なのは福岡高裁が猶予期間として設けたこの3年間、関係者が胸襟を開いて話し合う場すらもてなかった」とある。どこに<政治>があったのか――。
(平成25年11月15日)
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