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「家具にも感情があることを、私はつい最近知った。家具も笑うのである。喜ぶのである。そう気づいたのは、我が家の隣に、もう一軒家を建て、そこに使い古しの家具を異動させたことによる」と「日経」夕刊コラム<あすへの話題>――。筆者は作詞家<阿木耀子>!
彼女の登場は今春の1月4日(土)から…。テレビで初めて観た時から<一目惚れ>!以後、<憧れ>の存在となり、かなりの歳月が流れた。素晴らしい<姿態>と再会したいと願うが、なぜかお目にかかれない。昔の記憶のまま、まだ若く、20代後半のイメージ…。
だが「日経」コラムで再会。「ウィキペディア」を調べて仰天!彼女、1945年生まれ。つまり、もう<古希>に近い。だがビックリしたのが、彼女、意外と火山の近くにいた。ナント、彼女は横浜・反町(東横線)の火山の実家に近い<捜真>女学校の生徒だったのだ。
火山が反町に引っ越したのは<14歳>!以後50歳まで36年も住んでいたが、彼女ナント!<捜真>女学校に「小学校入学から高校卒業まで」<12年間>通学。火山「23歳から36歳」の<青年>時代、ほぼ毎朝、駅前で「すれ違って」いた可能性が極めて大きい――。
阿木耀子は<捜真>卒業の18歳から「英会話」と思い立ったらしい。コラムで知った。火山は16歳から「英会話」に目覚め毎朝、NHKラジオ講座で聴き始めた。それどころか高1の16歳から「ドイツ語」!さらに高2の17歳で「フランス語」もラジオ講座で学んだ。しかも<初恋>の成就を賭けた火山、「遊び半分」の阿木耀子とは違って<必死>!命懸けの研鑽!血も涙も賭けていた。恋には破れたが、英独仏は相当<身>に着けた。特にドイツ語は大学時代の火山に貴重な<体験>を与えた。ドイツ文化研究会<代表>となった。
さて<憧れ>の阿木耀子――。「捜真女学校の小・中・高を卒業後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学、軽音楽クラブに入部…。1971年12月、宇崎竜童と結婚。宇崎のために書いた『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は1975年の大ヒット曲になった。その後も宇崎が作曲、阿木が作詞するコンビで多数のヒット曲を世に出す。特に山口百恵の全盛期から引退までのヒット曲の多くは、このコンビによるものである」――。
「今年こそ、と期するものがある。もう一度英会話を。長年のテーマだ。日常会話に支障を来たさない程度でいいと思いつつ、半世紀が経つ。教材、英会話学校とかなりお金もつぎ込んだ。しかしこの年齢になっても、その思いは果たせずにいる」と「日経」コラム<学びの心>(1月4日)は始まっていた。やっぱり<阿木耀子>、素敵だ。ホレボレ…。
彼女の英会話。「<半世紀>前に始めたというから<18歳>!<乙女>の頃からの<夢>…。
火山は26歳の昭和38年…。米ソ間はソ連のスプートニクに始まる<宇宙船>開発を競っていたが、10月、アメリカのケネディ大統領がダラスで暗殺。世界に衝撃が走った。一方、日本は池田勇人首相「国民所得倍増計画」発表から3年目…。翌・昭和39年10月は「東京国際オリンピック」「東海道新幹線開通」と日本は<高度成長>へ大きく前進する――。
昭和38年の芸能界…。森昌子「せんせい」が大ヒット――。「からたち日記」(島倉千代子)、「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、「わたしの彼は左利き」(浅丘めぐみ)、「有楽町で逢いましょう」(フランク永井)、「潮来傘」(橋幸夫)、「星のフラメンコ」(西郷輝彦)が前項の歌謡ファンを湧かせた。そして<半世紀>――。阿木耀子は何歳になったのか…。
「この世は<想い>で」――。阿木耀子「日経」コラム(4月19日)…。「我が家の隣に、もう一軒家を建て、使い古しの家具を移動させた」――。「こちらの棟には主人のスタジオを設置したが、居住空間はない。住むわけではないので、なるべくローコストの家造りを目指した。しかし結果的にはかなりの予算オーバーになり、新しい家具を購入する余裕はほとんどなくなった。買い替えを諦め、今まで使っていた物でやりくりすることにした。塗装の剥げた事務所の机や椅子だって、まだまだ現役で活躍してもらわなくては困る。
スタッフ全員で磨くことにした。最近の家庭用洗剤のパワーは凄い。それでゴシゴシ拭くと、面白いほど汚れが落ちる。見る見るうちにロッカーや書類入れが輝き出す。買った当時の色艶が蘇る」――。火山、思わず笑った。<阿木耀子>!意外と<世話女房>!<所帯>じみている…。「塗装の剥げた机や椅子も<現役>で活躍してもらわなくては困る…。ゴシゴシ拭くと、ロッカーや書類入れが輝き出す。買った当時の色艶が蘇る…」――。
「季節が移り、桜が<葉桜>に変わった。まさに<花>の命は短くて…。いかがお過ごしですか」――。火山が盛んに使った季節の挨拶…。3月30日、火山は<喜寿>を迎えた。<定年>から17年…。「自分を<年寄り>と思ったことはない。<生涯青春>…」。公民館の読書会!<司会>役で堀辰雄「風立ちぬ」を読んだ。中2から<63年>ぶりの再会――。
「新しいスペースに古い備品。しかし、手をかけられ磨かれた物達は、明るいLEDの照明の下でも堂々としている。これを見て私は、彼らが喜んでいると感じた。そして、捨てずにいてくれて、有難うと語りかけてくる気がした。物ですらそうなのだ。ましてや人間。
先日、ある雑誌で認知症になった親を捨てる勇気を持とう。そうでないと一家共倒れになる、といった主旨の記事を読んだ。親が子供を育てる時は理屈抜きの愛情だったはずだ。
この世は<想い>で成り立っている。想いは血の通わない物とにだって、通じ合う。<捨てる勇気>と書かれた1行が、余りに悲しい」と阿木耀子はコラムを結ぶ――。まさに<世話女房>!そこでお立合い!伴侶から<ポイ>されない<自信>がおありでしょうか。
(平成26年4月20日)
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