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「運は天に任せるしかありません。覚悟しました」。ここまで言い切ると大津皇子の迷いは去った。「決戦するしかありません」――。
恐れていたことがついにやってきた。大伯皇女は戦慄した。「弟は死ぬことさえ恐れていない」。そう気づくと痛ましさが胸を突いた。「もし、母宮大田皇女が生きていてくれたら、弟は今、誰憚ることなく<天皇>だった」。才能と人望に恵まれ、母宮は第一の后だった。だが母宮は二人が幼い日に世を去った。それが運命を狂わせ、第二の后だった叔母宮を<持統女帝>にまで押し上げた。でももし大津皇子が<凡庸>ならこんな悲劇は避けられた。
だがたった一人の弟を、みすみす先方の<謀略>のワナに落し込むことは堪えられない。大伯皇女は静かに口を切った。「汝(なれ)の姉としても切ないことでございます。でも<兵を挙げる>というのは思いとどまるべきでありましょう。亡き父天武天皇もひとたび疎外され、髪を剃り、法衣をまとって吉野に隠遁されました。何もかも捨てたことが、運を呼びました。汝も<出家>することをお勧めします」――。
「都に近い所よりは、遠い飛騨に身を引くか、いっそ信濃の山奥…。世を捨て、政治に関わりさえ持たなければ、いつかは皇子のことが理解される日がまいりましょう。それほどまでの覚悟と知れれば、持統天皇も草壁皇太子も、打ち滅ぼそうとはなさりますまい。み仏の道を修めれば、おのれの心も清らかになり、仏法の真理も会得されましょう。汝には詩歌の才も、漢文の造詣もあります。有能な汝です。むごいこととは思いますが、一生を大切になさってください。尊いいのち。若い汝です。時を待つことです」――。
大伯皇女はここまで言うと目をつぶった。胸がつまった。この世の中にただ二人の姉弟だった。幼い日に母宮を失い、今また父帝も世を去った。姉弟、離れ離れに生きるのはいたしかたない。でもいのちを引き裂くような運命からだけは逃れてほしい。
このままなら弟宮は軍を挙げる。<謀反の徒>という、いまわしい汚名は必定だった。しかも常識的には勝てない。先方は準備万端。だから謀略を仕掛けてきた。またたとえ勝利を得るたとしても、女帝を囲む警護の一団、その加護のもとに立身出世してきたものどもは<既得権益>を手放さない。必ずや血なまぐさい事件に発展する。最悪の場合は<処刑>という断罪も――。
そこまで思いが及ぶと大伯皇女は女らしい情をこめて、念を押すように話し始めた。「もう一度、静かに考えてみることです。忍ぶことによって生きられる。身をひそめていれば、おのれの志を遂げる日もあるやも知れませぬ。それだけの才も力もお持ちです。父帝もそれを願っておられるのではありますまいか」――。情勢の変わる日もあろう。そこに望みを託したい。大伯皇女は必死に大津皇子の決意を変えたいと哀願した。冷えの透ってきた部屋、大伯皇女の嗚咽が響いた。大津にも熱い涙が込み上げてきた。感極まった。姉宮の優しさが身にしみたのだ。
その年は寒さが早くやってきた。凋落の季節。かさかさと枯れ葉をならす風音が聞えた。大津皇子はその端麗な顔を上げた。そこには甦った精気があった。「大伯皇女の仰せのとおり、わが身は出家いたしましょう。それがわが身のため、また世の平穏につながると気づきました。兵を集める計画は捨てます。決心が決まった今、一刻も早く、都に戻り、天皇に願い出て剃髪、法衣を着て、遠いみ寺に篭もりまする…」。
世を捨てても生きねばならないわが運命。若さにあふれる大津の青春は持とうとしていた。夜を徹して語り合っても他に道はなかった。「よく決意してくれました。姉宮も祈りましょう」――。出家を決めた二人に暁がきた。またいつ逢えるか分からない二人。大伯皇女は朝食の支度をして大津をもてなした。
吾が背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に吾が 立ち濡れし
二人で行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり越えなむ
「ではお別れいたします」。大津皇子は葦毛の馬にまたがると軽く一礼した。大伯皇女は再び目頭を抑えた。露にぬれた草が冷え冷えと秋草の匂いを運んできた。弟宮と二人で行ってもうら寂しい。そんな秋山の道なのに、君はどのような思いで越えていかれるのでありましょうか――。大津を送った後、書き留めた大伯皇女の歌。それは時代を越え、今も読むことできる。だが二人が生きて再会する日は、もはや残されていなかった。
それどころか僅か4日後、弟宮の大津皇子は、この世にはいなかったのだ。大伯皇女はまだそれを知らない。姉宮は身を正して、伊勢祭神に向かって敬虔な祈りを捧げた。
<悲劇の「大津皇子」15>は連載。同名の<書庫>に過去ログがあります。
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