火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

クラシック音楽

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「モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトの都に、音楽の英雄が生まれた。ヨハン・シュトラウスである。ウィーンは音楽の都と言われるが、19世紀後半にウィーンの人々あるいはハプスブルグ帝国の人々に一番愛された音楽は、ヨハン・シュトラウスのワルツであった」(倉田稔「ハプスブルグ・オーストリア・ウィーン」成文社・32頁)――。

十数年前、50代前半の火山、初めての海外旅行でウィーンを見た。憧れの都。家内を口説いて真っ先に駆けつけたのが「美しく青きドナウ」。地図を手に、確か地下鉄に乗った。ウィーンが大好きになった。家内も同じ。結局、その後もあわせ、ウィーンは3回旅した。なぜ、ウィーンは素晴らしいのか。恥ずかしいが、その理由を知らなかった。だが数年前、女子美のキャンパスにある本屋で、10%引きの得点に浮かれ、酒の酔いに身を任せて、ウッカリ買った本で、ウィーンの歴史を知り、仰天した。

倉田稔「ハプスブルグ歴史物語」(NHKブックス)――。「ハプスブルグ帝国は、始祖ルドルフ一世から最後のカール一世まで、六百数十年続いたヨーロッパ最大の帝国であり、一時は世界帝国であった。近代では中欧の大帝国であり、ハプスブルグの家長は神聖ローマ帝国の皇帝であった。だから、ヨーロッパで最も由緒のある王朝であった」(3頁)。著者の倉田稔。火山のゼミ後輩。マルクス経済学教授が、なぜハプスブルグ王朝か――。ビックリ!だが彼、ヒルファーディング「金融資本論」研究がウィーン留学の動機だった。

火山が「クラシック大好き、ウィーン大好き」と知って、小樽から贈ってくれたのが、標記「ハプスブルグ・オーストリア・ウィーン」。「ワルツの調べに乗ってウィーン人は踊り続けた。このダンスは、オーストリア史始まって以来初めて、公衆の前で異性に触れるものだった。ワルツはウィーン生活の歓喜の象徴であった。またダンスに対するウィーン人の情熱は病的なほどであった。ワルツとダンスにうつつを抜かしたのは、一方で、過酷な日常生活の現実から逃れる必要があったからでもある」(32頁)――。

ヨハン・シュトラウスは二人いる。父(1804〜1849)と息子の二世(1825~1899)。「美しく青きドナウ」は二世の作品。ウィーンの人々は「美しく青きドナウ」をこよなく愛した。

ドナウの静かな流れを思わせる序奏は、挨拶(グリュース・コット)代わりに使われた。
だが「美しく青き…」は1867年、オーストリア=ハンガリー軍がサドヴァでプロイセン軍に敗れた直後の作品。ハプスブルグ王朝はドイツ諸国への覇権を失い、二流国へ没落する。
日本は明治維新。「鳥羽伏見の戦い」の頃という。歴史の偶然は面白い。1848年はウィーン革命。若き二世は革命曲を書き、バンドを率い、一時宮廷に嫌われた。これも笑える。
(平成22年6月6日)

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