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<麗しの東欧紀行>8日目はブダペスト。市内観光で午前中、ハンガリー建国の父とあがめられる初代国王イシュトヴァーンを祭る大聖堂、威風堂々たるルネッサンス様式の王宮、ゴシック様式のマーチャーシュ教会、ドナウ川越しにペスト地区を見下ろす<漁夫の砦>を見た。王宮のある丘が<ブダ>地区。川向こうの平原部は<ペスト>地区。本来は歴史も文化も異なる二つが合体して<ブダペスト>になった。
ペスト地区はかつてトルコに侵略された。13世紀半ばロマネスク様式で建てられたイシュトヴァーン教会、後にゴシック様式に改築されたが、トルコに支配された時はモスクになり、フレスコ画を塗り込められる。キリスト教とイスラム教が同居する不思議な建築だ。王宮がある丘のブダ地区は占領されたことがない。<漁夫の砦>はトルコと戦った勇敢な<漁夫>たちの誇り。ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊があり、ここから眺めるドナウ川はまさに絶景。
ブダとペストを<初めて>結んだのがドナウ川の<くさり橋>―――ブダペストのシンボル。建設されたのは1839年から1849年。橋のたもとにライオンの像があった。<苦難>を重ねた<歴史>の重みを感じた。昼食でハンガリー名物のパプリカをふんだんに使ったチキン料理を食べた後、待望の自由行動。
この日は年に一度のフェスティバル。裸の美女を満載したフロート(山車)が次々と見える。ガイドが「今日は泥酔する市民が続出する。悪い連中に厳重注意」と言っていたが、ワインをラッパ飲みする若者がゾロゾロ。凄い。家内や娘からヨーロッパでは<立ち飲み>厳禁といわれ続けた。だが今日は<解禁>。シメタ。―――だが悲しい。お金がない。昨日、現地通貨フォリントに両替したが、見込み違い。所持金が大幅に減った。しかも別行動の家内と娘に多めに渡してしまった。
紙幣は国立オペラ劇場の見学ツアー用。硬貨を確かめ缶ビールを探した。屋台が一杯出ている。でも値段がない。怖い。ボラれたら嫌。結局、飲めない。オペラ劇場を発見。ホッ。この先にリスト記念館があるはず。あった。400フォリント(約200円)。リストの使ったピアノがいろいろ陳列され、リストの<手>の模型が飾ってある。火山とくらべた。大きい。もっとも後で家内と話したら、家内は自分の方が大きいと思ったという。そんなはずはない。だが我が家内、気分だけは<大物>だ。
オペラ劇場の見学ツアーは3時から。大通りをフロートが次々と通る。大音響、乱舞する裸の美女。若者が手を振る。火山、日本から持参したオペラ・グラスを取り出した。何を見たか…。
3時、見学ツアーが始まった。皆、チケットを手にしているが、火山はない。係員に聞いた。<Where can I get the ticket?>―――。劇場に入った。オペラ歌手みたいな女性が数名、旗を持って立っていた。彼女らが案内してくれるのか。ドキドキ。案内は<英語><ドイツ語><イタリア語><ロシア語><スペイン語><マジャール(現地)語>とあるが、日本語はない。英語に並んだ。
劇場を建てたのはフランツ・ヨーゼフ一世。有名な<エリザベト>はヨーゼフ一世の皇妃。ハプスブルグ王家は当時、オーストリア・ハンガリー二重王国を支配していた。一流のオペラ、バレエが上演されるというが、1873年から11年かけて建設された。ネオルネッサンス様式で内部は大理石や金メッキ細工、フレスコ画に溢れ、豪華絢爛。ヨーロッパでも有数の劇場。あのマーラーも音楽監督だった。
最初に「エリザベト皇妃の間」を観た。彼女が弾いたピアノが置かれていた。19世紀末、ドイツ・バイエルン王家の出身。男の子顔負けのお転婆娘としてのびのびと育ったエリザベト。ハイネの詩を愛してやまない繊細で多感な女性だった。欧州一の美貌を歌われた彼女、名門ハプスブルグ帝国の皇太子フランツ・ヨーゼフに見初められ、皇太子妃に迎えられる。だがウィーンの宮廷はエリザベトにとって居心地の良い場所ではなかった。
古いしきたりに従うことを厳しく求める皇太后ゾフィー。宮廷の人々は若い皇妃エリザベトの自由を奪い、皇妃の枠にムリヤリはめ込もうとする。男子出産への大きな期待も彼女の重圧となる。息苦しく耐え難い生活。
彼女は<休養>を理由にブタペストの王宮で日常を過ごしたという。オペラを愛した彼女。この劇場によく足を運んだ。特等席がロイヤルボックス。ガイドの話では皇帝夫妻が座ったのはただ一度。開場式。エリザベトは皇妃でも一人ではロイヤルボックスを使えない。彼女が愛用した<シシ・ボックス>があった。シシとはエリザベトの愛称。ハンガリー国民は彼女の大ファン。凄い人気だったという。シシ・ボックスはステージの左上にあった。ここに立った彼女をブダペストの観衆は絶賛したという。
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