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甘く美しく…。ロマンチックな映画を観た。アメリカ・ハリウッドの古風なモノクロ。シネマスコープでは、ない。銀幕はリスト(1811〜1886)の「ピアノ協奏曲」で、始まる。オケをバックに華麗なカデンツァ。“天才”と評判のクララ・ヴィーク(1819〜1896)嬢。ハプスブルグ朝はヨーゼフ2世の時代。満場の絶賛で“アンコール”。付き添いの父フリードリヒ・ヴィークは「ラ・カンパネラ」を弾けというが、クララは「トロイメライ」を弾く。御前演奏には恋人で作曲者のロベルト・シューマン(1810〜1856)も来ている。
厳父フリードリヒは、二人の交際を許そうとしない。でもクララの心は、決まっていた。皇帝の許可をもらって「トロイメライ」を弾く。会場は再び“絶賛”…。「曲も素晴らしい。誰の作品か」と話題になる。もちろん、シューマン。選曲はクララの愛のメッセージだ。父は怒り狂う。「裁判」で結婚の可否を争う。判決は父に有利と見られていた。裁判長が判決を言い渡そうとした時、立ち上がったのがフランツ・リスト。「問題はロベルトの才能。でも私が保証する」――。人気絶頂、著名な大ピアニストの証言…。法廷は拍手の嵐――。
「史実」を元に、しかし、よくできた「創作」…。時は流れて、1853年9月30日。シューマン邸に、ヨハネス・ブラームス(1833〜1897)20歳が訪ねてくる。シューマンを限りなく尊敬するブラームス。作曲の指導を乞う。この時、シューマン43歳、クララ34歳。だが青年ブラームスはクララに一目惚れ。視線が釘付け。運命の出会い。
ある日、ブラームスが家を出るという。家政婦のベルタが仰天。子供たちの世話を誰がするのか。自分は早朝から深夜まで働き、足が腫れて腫れが引かない。クララも驚く。ずっと一緒に暮らしてきた。何が原因か。子供たちが何か失礼をしたのか。悪いことは改める。
ブラームスは黙して語らない。だが必死に引き止めるクララ。意を決して、ブラームスが告白する。初めてお会いした時から、苦しみ続けてきた。師への尊敬と、恋の板挟み…。今度はクララが沈黙。夫シューマンの元へ行くが、涙が止まらない。何があったのか――。
「ヨハネスが出ていく」…。「ついに、その時がきたのか。心配ない。彼なら一人でやっていける。彼は耐えられなくなったのだ」。「でもなぜ…」。「君を愛してしまった。私も気づいていた。誰もが皆、知っている…」。「えっ」と思わず絶句。自分だけが知らなかった…。
だがこれ、史実とは異なる。内気なブラームスは生涯独身。自分の気持ちを言えない。
「もし、ある人間の芸術を季節にたとえることが許されるならば、彼の音楽は、さしずめ暗く長い冬を目前にした美しい秋の一瞬と言えないだろうか。どんなに哀しみをたたえていようと、決して春の香りは失わないのがモーツアルトとすれば、ブラームスは、どんなに喜びに満ちたものであっても、秋の翳(かげ)りを帯びている。『秋のソナタ』。これ以上に(彼に)象徴的な言葉があるだろうか」(三宅幸夫「ブラームス」新潮文庫・9頁)。
火山が野毛の名曲喫茶「ショパン」で繰り返し聴いたブラームスは「交響曲」第四番ホ短調。1884年から5年にかけての作品。50代前半、「秋のソナタ」と言えるかも――。
「ブラームスの音楽は彼のもって生まれた性格もまた作品に大きな影響を投げかけている。彼に関する記録や証言を総合して明らかになるのは、彼が極端なまでに『引っ込み思案』であったことだ。付き合う相手からすれば、まったく打ち解けない人間と言うことになろうか」(同・11頁)――。実は、シューマン未亡人・クララの証言も残されている。
「1880年5月、(クララの家で)ブラームス47歳の誕生日を祝う集まりが催された。クララもピアノに向かって、彼の作品『ラプソディ』(作品79)を弾いたのだが、その晩のブラームスはむっつり黙りこくったままだった。翌朝、クララになぜでしょうと尋ねられたカルベック(注:ブラームスの伝記を後に書く)は、気になさらない方がいいですよ。ああした気分は、じきにひとりで直ってしまうものですからと、慰めた。
しかしクララは『そうでしょう。殿方は皆、そのようにお考えなのです。けれど可哀そうな女性は、それで気を悪くし、心を傷つけられるのですよ』と言い、涙を浮かべた。『こんなに長く親しい関係にありながら、ヨハネスが自分の心を動かすものについて一度も語ってくれないなんて、あなたには信じられます? 私にとっては未だに謎です。いえ、彼をまったく見知らぬ人間と言いたいくらいです。25年前に初めてお会いした時と同じように』。若きブラームスが激しい愛情を捧げたシューマン夫人」(同・14頁)――。
ブラームスが「生涯を通じて最も長く、最も近しい関係にあったクララが、こう語っている以上、他はおして知るべしであろう。ただブラームスは、こうした相手の反応に気付かないほど鈍感だったわけではない」(同)――。これがブラームス。「秋のソナタ」なのだ。
精神を病み、入院したシューマン。訪ねてきたクララに「君のために新しい曲を作った。聴いてほしい」…。そう言って演奏したのが、ナント「トロイメライ」…。ヨーゼフ2世の御前でアンコールに応えた、あの曲。愛する夫の死後、クララが晩年までヨーロッパを巡り、シューマンの名曲を紹介する。「謝肉祭」(作品9)。「献呈」(作品25「ミルテの花」の第1曲。リスト編曲)など…。映画「愛の調べ」(Song of Love)の最後に70歳のクララ(キャサリーン・ヘップバーン)が“アンコール”で弾くのが「トロイメライ」…。
15分の休憩を挟んで、「伊藤恵(東京芸大教授)ピアノ・リサイタル」――。「アラベスケ」(作品18)などに続き、アンコールはなんと!「トロイメライ」だった。
(平成24年11月11日)
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