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全長272mもの巨大な前方後円墳。三輪の神の嫁の墓で大市の墓ともいわれ、<箸墓>は通称。三輪山の山頂から真っ直ぐ西へ下ったところが箸中の地。ここの東側には上ツ道(上街道)が通り、西側を新しい道が通っている。三輪山の神・大物主(おおものぬし)はあらゆる事件に関与し、あらゆる土地にその影をとどめているという。三輪山の存在は大きい。
中西進「万葉を旅する」(ウェッジ選書)は「大物主の神と濃厚に関係する王が崇神天皇」と指摘する。「日本書紀」の崇神紀の後半には全国的な国土経営の記事がある。前半のほとんどは大物主の神の祭祀。崇神と呼ばれる王が三輪の神の司祭者、そして<祭政一致>の祭に当たる女が百襲姫(ももそひめ)だった。まさに<卑弥呼>を連想させる。
実は<崇神>と呼ばれる<王>には壮大な神秘が秘められている。その性格を示すのが磯城(しき)の瑞籬宮(みずがきのみや)。大和の6つの御県の1つ。桜井市金屋に瑞々しい青垣で囲まれた宮があったらしい。中西進氏は現在の志貴御県坐(しきのみあがたにいます)神社の境内という。
「万葉を旅する」(中西進)は学問的に厳密を期そうとしているらしく表現が回りくどい。火山は学者ではない。ズバリ大胆に骨子を書く。要するに崇神は御県坐神社に君臨、背後に日向(ひむか)神社と大神(おおみわ)神社を控え、三輪山の祭祀行っていた。日向神社は「古事記」に出てくる神社。「少彦名(すくなひこな)が常世(とこよ)へ去って困却している大国主(おおくにぬし)のところに海上から来た神があり、自分を倭(やまと)の青垣の東の山上に祭れ」(40頁)といったという。
この神は三輪の神、そして東の山とは三輪山。古代の宮は山を背負っていた。常陸(ひたち)の国府は筑波山にあり、越中の国府には二上山、藤原宮には三山がある。神天皇の宮は三輪山と一体、そして<磯城(しき)>を中心に倭(やまと)をとらえることが行われた。そこから<磯城(敷)島(しきしま)の倭>という<美称>が誕生したという。――この話、火山は最高に気に入った。しかも卑弥呼は倭の初代の女王。最近の研究では<邪馬台国>は北九州ではなく畿内、つまり<倭>にあったという学説が有力なのだ。
磯城島(しきしま)の 日本(やまと)の国は 言霊(ことだま)の たすくる国ぞ ま幸(さき)くありこそ(巻13−3254
この歌は「日本全体をさしている」ように思える。だが実は磯城の倭を詠っているのではないか。
さて火山がびっくりしたのはこの後。崇神天皇の<御県坐神社>=<磯城の宮>は大神神社からほぼ一直線に南下する線上にあり、北上すると磐座(いわくら)神社にぶつかる。古代人は<方位線>を認識していたのではないか。ここから導かれた<仮説>がある。卑弥呼の墓との説もある<箸墓>。ここを通るのは北緯34度32分の線。東は伊勢湾上の神島、伊勢斎宮跡を通過、西は馬見古墳群、古市古墳群を経て淡路島の伊勢の森に至る。
水谷慶一氏は「知られざる古代――謎の北緯34度32分線を行く」(NHK出版)で、これを<太陽の道>(サン・ロード)と呼んでいる。三輪山は古代人には重要な山だった。日本にはあちこちに太陽を拝する峠や山頂がある。同じように太陽が通ると信じられる場所もあっても不思議はない。三輪山は太陽の道に存在する。
太陽の道を測量する集団があった。<日置>(ヘキ)部だ。そもそもは<日招き>の意味。冬至など衰微した太陽の力を招き寄せる呪術を行う集団。彼らが太陽の道に居住しているというのは大きなロマン、空想を誘う。
もう一つのロマンがある。ヒキガエルという蛙の存在だ。あの蛙、なぜ<ヒキ>というのか。蛙は総称。となるとヒキが問題。この蛙の別名、実はガマガエル。がま(蟇)は漢音、和音が<ヒキ>なのだ。中西氏はいう。ヒキは<日招き>だと…。蛙は太陽が復活する春に冬眠からさめ地上に姿を現す。これを逆転させる。ヒキが姿を見せたので太陽が復活する。それを<日招き>と考えたのではないか。
ヒキガエルは万葉では谷(たにぐく)として登場する。ところがこの動物を山上憶良は歌う。
天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極み 谷貘の さ渡る極み…(巻5−800)
<さ>をつけて呼ぶのは<聖動物>だからであり、<「さ」渡る極み>とは太陽の限り、即ち<日の没する>所という意味。万葉のロマンは尽きない。
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