火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

万葉の世界

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味間野に 宿れる君が 帰り来む 時の迎へを 何時とか待たむ(狭野茅上娘女<さのちがみのをとめ>巻15−3770)

天平11年(739年)、当時、神祇官(神祭りをつとめる役人)だった中臣宅守(なかとみのやかもり)が女官の狭野茅上郎女と恋に落ちた。二人は今日の上司と部下の関係にあった。恋愛は禁じられていた。勅勘(天皇の怒り)に触れた宅守は越前に流されてしまう。

この事件は、当時人々の関心を集めた。宅守の離京に始まり、その長い道中、また越前に到着してからの歌というように、二人が贈答した歌が語り伝えられ、「万葉集」に<53首>が残されているという。凄い。選者がよほどよかったのだ。大伴家持だろうか。彼も恋愛の名手だったらしいから。

冗談はともかく、味間野は福井県武生市の中に、今もある。当時は越前の国。頭書の一首も宅守が配流地で暮らし始めてから、娘女が贈ったもの。配流の地が味間野。国府とは今の武生(たけふ)で味間野は8キロ東へ行ったところという。

娘女の歌は、いつというあてもないのに、ただひたすら待つ。悲しさに満ちている。その心の空虚さが痛々しい。だから余計、人々の共感を呼んだのであろう。最近は<味間野苑>という公園ができ、二人の恋を賑々しく伝えているという。だが中西進が関心を持ったのは、その公園の隣、味間野神社。<継体>天皇の<宮跡>で継体天皇を祭っていること。

継体天皇は古代史の<謎>を秘めた英雄だ。味間野近くの<三国>から身を起こして大和に入ったと<伝説>にある。謡曲の「花筐(はながたみ)」は継体天皇を主人公にしているが、<照日の前>という女性の思慕を語っている。茅上娘女とは逆に女が味間野に残された。別離の悲しみを主題にしたのは共通。

ところが火山が主張したいのは、これからだ。この継体天皇、仁徳天皇の父・応神天皇から5世の孫とされているが、実は怪しい。天武天皇が編纂させた「日本書紀」によれば「仁徳天皇の子孫は6世紀初頭の武烈天皇で絶え」(直木孝次郎「日本の歴史」第2巻・中央公論社・10頁)この継体天皇が「越前から迎えられた」ことになっている。

この時、「大連(おおむらじ)の大伴金村、物部アラ鹿火(かび)、大臣(おおおみ)の巨勢男人(こせのおひと)らの力によって河内の樟葉(くすは)で即位した」と「日本書紀」。でも直木孝次郎は「事実かどうか疑わしい。おそらく継体天皇は大和の諸豪族に推戴されたのではなく、自分の実力をもって大和に存在した対抗勢力を打ち倒し、約20年の闘争の後ようやく天皇になったものと思われる」(「日本の歴史」10頁)。

何をいいたいか。最近<万世一系>という言葉が<氾濫>している。実は怪しいのだ。直木孝次郎は続ける。

「継体が大和の磐余に都した翌年、九州で筑紫の国造(くにのみやつこ)磐井の乱が起った。新羅と通じ、火の国(熊本県・佐賀県)、豊の国(福岡県と大分県の一部)を根拠としたというから、かなり大きな反乱であったことは事実だろう。磐井はけっきょく敗死するが、もし勝っておれば、継体天皇を大和から追い出してみずから皇統をついだかもしれない。磐井が筑紫で生まれた応神天皇の子孫と称する可能性もあった」。

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