火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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BSで毎朝の「今からでも間に合う(毎日モーツアルト)」が始まった。1月からの放送。25歳までのモーツアルトの歩みをゴールデンウィークに振り返るという。今年になって突然モーツアルトが好きになった火山、見逃せない。

モーツアルトは250年前の1756年1月27日、アルプスの麓、カソリック大司教が統治する宗教都市ザルツブルグで生を享けた。父親は宮廷楽団でヴァイオリンを弾く音楽家。5歳年上の姉ナンネルが弾くクラヴィーア(ピアノの前身)を脇で見ていたが、3歳の頃から教えたわけでもないのに突然<和音>を弾き始めた。放っておくといつまでもやめようとしない。試しに教えると簡単に覚えてしまう。進歩のスピードは信じられないほど。父レオポルドがびっくりしたのは5歳になったばかりの息子が作曲までしたこと。

ウワサはたちまちザルツブルグ中に広がった。レオポルドは神から与えられた我が子の天才を世間に知らせようと、手始めにバイエルンの首都ミュンヘンに姉弟を連れて出かけた。3週間の旅、選帝侯の前で御前演奏。ヨーロッパ中にウワサが広がる。気を良くしたレオポルド、今度は9月に妻と従僕を連れ、音楽の都ウィーン、花の都パリ、産業革命に沸くロンドンへと足を伸ばす。一家総出の旅暮らしの始まりだ。
<神童>は女帝の膝に跳び乗り、首に抱きついてさんざんキス(毎日モーツアルト・20)
10月の初めにウィーン到着。神童来訪の知らせは既に伝わっていた。貴族たちの招待が続き、1週間後にはシェーンブルン宮殿での午前演奏が実現。皇帝フランツ一世、女帝マリア・テレージアはモーツアルト一家を手厚くもてなした。父レオポルドは臣民としての光栄に身を震わせたが、息子の方は天真爛漫。女帝の膝に跳び乗り、首に抱きついてさんざんキスしたという。

自作の曲で王侯貴族から拍手喝采を博したモーツアルトはたちまち宮廷の寵児となった。初めての交響曲はロンドンへ赴く旅の途中で完成した。「交響曲」第1番変ホ長調(K16)。8歳の時の作品。初の「ソナタ集」も出版された。産業革命で活気のあったロンドン。王侯貴族だけでなく市民も台頭。新しい聴衆が生まれ始めていた。

「短くてコンパクトなシンフォニーだが、9歳というのに驚き。<K22>は凄い。やはり天才は違う。35歳で死ぬ時は<ミサ>を書いている途中だったというが面白い」――。本日のゲストは中西俊博(ヴァイオリニスト)。

シェーンブルン宮殿。火山も大好き。昨年の9月、東欧旅行の途次、3度目の訪問を果たした。<美しい泉>というのがドイツ語<シェーンブルン>。ハプスブルグ家の狩猟の森に建てられた<夏の離宮>。壮大な宮殿、そして広大な庭園が素晴らしい。6歳のモーツアルトが床で滑って転んだ時、助け起こしてくれた美少女がいた。7歳のマリー・アントワネット。少年モーツアルトは「将来、僕のお嫁さんにしてあげる」と約束したという。有名なエピソードだ。

「当時誰が予想しただろうか。この輝かしいスタートを切った神童が、ここウィーンの街で35歳の若さで不遇のうちに世を去り、そしてその2年後には、モーツアルト夫人ならぬルイ16世の后としてのマリー・アントワネットが、フランス革命のパリで断頭台の露と消えることになろうなどとは――」(田辺秀樹「モーツアルト」新潮文庫・27頁)。

――6歳のモーツアルト。その神童振りはヨーロッパ中に轟き渡ったという。
(平成18年5月1日BSで毎朝の「今からでも間に合う(毎日モーツアルト)」が始まった。1月からの放送。25歳までのモーツアルトの歩みをゴールデンウィークに振り返るという。今年になって突然モーツアルトが好きになった火山、見逃せない。

モーツアルトは250年前の1756年1月27日、アルプスの麓、カソリック大司教が統治する宗教都市ザルツブルグで生を享けた。父親は宮廷楽団でヴァイオリンを弾く音楽家。5歳年上の姉ナンネルが弾くクラヴィーア(ピアノの前身)を脇で見ていたが、3歳の頃から教えたわけでもないのに突然<和音>を弾き始めた。放っておくといつまでもやめようとしない。試しに教えると簡単に覚えてしまう。進歩のスピードは信じられないほど。父レオポルドがびっくりしたのは5歳になったばかりの息子が作曲までしたこと。

ウワサはたちまちザルツブルグ中に広がった。レオポルドは神から与えられた我が子の天才を世間に知らせようと、手始めにバイエルンの首都ミュンヘンに姉弟を連れて出かけた。3週間の旅、選帝侯の前で御前演奏。ヨーロッパ中にウワサが広がる。気を良くしたレオポルド、今度は9月に妻と従僕を連れ、音楽の都ウィーン、花の都パリ、産業革命に沸くロンドンへと足を伸ばす。一家総出の旅暮らしの始まりだ。

10月の初めにウィーン到着。神童来訪の知らせは既に伝わっていた。貴族たちの招待が続き、1週間後にはシェーンブルン宮殿での午前演奏が実現。皇帝フランツ一世、女帝マリア・テレージアはモーツアルト一家を手厚くもてなした。父レオポルドは臣民としての光栄に身を震わせたが、息子の方は天真爛漫。女帝の膝に跳び乗り、首に抱きついてさんざんキスしたという。

自作の曲で王侯貴族から拍手喝采を博したモーツアルトはたちまち宮廷の寵児となった。初めての交響曲はロンドンへ赴く旅の途中で完成した。「交響曲」第1番変ホ長調(K16)。8歳の時の作品。初の「ソナタ集」も出版された。産業革命で活気のあったロンドン。王侯貴族だけでなく市民も台頭。新しい聴衆が生まれ始めていた。

「短くてコンパクトなシンフォニーだが、9歳というのに驚き。<K22>は凄い。やはり天才は違う。35歳で死ぬ時は<ミサ>を書いている途中だったというが面白い」――。本日のゲストは中西俊博(ヴァイオリニスト)。

シェーンブルン宮殿。火山も大好き。昨年の9月、東欧旅行の途次、3度目の訪問を果たした。<美しい泉>というのがドイツ語<シェーンブルン>。ハプスブルグ家の狩猟の森に建てられた<夏の離宮>。壮大な宮殿、そして広大な庭園が素晴らしい。6歳のモーツアルトが床で滑って転んだ時、助け起こしてくれた美少女がいた。7歳のマリー・アントワネット。少年モーツアルトは「将来、僕のお嫁さんにしてあげる」と約束したという。有名なエピソードだ。

「当時誰が予想しただろうか。この輝かしいスタートを切った神童が、ここウィーンの街で35歳の若さで不遇のうちに世を去り、そしてその2年後には、モーツアルト夫人ならぬルイ16世の后としてのマリー・アントワネットが、フランス革命のパリで断頭台の露と消えることになろうなどとは――」(田辺秀樹「モーツアルト」新潮文庫・27頁)。

――6歳のモーツアルト。その神童振りはヨーロッパ中に轟き渡ったという。
(平成18年5月1日

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