火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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「日銀の黒田総裁が『物価が上がらない』4つの<理由>を挙げ、次回会合で『日本の物価はなぜ上がらないのか』について議論すると述べました。思うに、日銀の言う需給ギャップの改善は『偽り』で、経済の現場では異なることが起きているのではないでしょうか。(『マンさんの経済あらかると』斎藤満)」(「まぐまぐ」・6月21日)…。

<斎藤満>…。1951年、東京生まれ。グローバル・エコノミスト。一橋大卒後、三和銀行に入行。資金為替部時代ニューヨークへ赴任、シニアエコノミストとしてワシントンの動き、FRB金融政策を探る。その後、三和銀行資金為替部チーフエコノミスト、三和証券調査部長、UFJつばさ証券投資調査部長・チーフエコノミスト、東海東京証券チーフエコノミストを経て2014年6月独立。為替や金利が動く裏で何が起こっているかを分析」――。

「国民はわかってる。日銀が考える『物価が上がらない』原因――。黒田さんの個人的見解は…。日銀の黒田総裁は決定会合後の記者会見で『日本の物価がなぜ上がらないのか、次回会合と展望リポートで議論する』と述べました。日銀はこれまで大規模な金融緩和によるマクロの需給ギャップ改善によって、物価上昇率はいずれ目標の2%に達すると主張してきました。しかし、これが5年経っても実現していないためです。総裁は会見の席上、物価が上がりにくくなっている要因として、個人的な意見として以下の4点を挙げていました。

<原因その1>…。「労働市場の『スラック(需給の緩み)』。失業者以外にも余剰労働力があり、一般に言われるほど労働市場の需給はタイトではない可能性を指摘しました。<原因その2>…。グローバリゼーションで、新興国などとの競争が厳しくなったためとしています。<原因その3>…。技術革新効果を挙げています。今や日本ではネット通販を利用して世界の財・サービスを安く手に入れられるようになったとしています」(まぐまぐ)――。

<原因その4>…。「日本の賃金硬直性です。景気が悪い時に賃金を下げられないので、良い時に上げないという。この他、最近の生産性上昇についても議論がなされると見られます。日銀の『需給ギャップ改善』は、的外れの可能性がある。これらは日銀の分析・議論に任せ、本稿は『需給』についてチェックしてみたい。つまり日銀は『需給ギャップが改善している』と言いますが、経済の現場では異なることが起きているのではないか?ということ――。

「現実を反映していない日本の失業率…。第1は黒田総裁も指摘していた『労働市場の需給』です。失業率が2.5%とか、有効求人倍率が1.59倍といった数字が独り歩きして、人手不足が喧伝され、政府の『骨太』案でも外国人労働力の受け入れを大幅に緩和する方針です。
しかし、その割に賃金が上がらず、労働者の懐は楽になりません」(まぐまぐ)――。

「日本では失業保険を申請するためハローワークに通う『有効求職者』と完全失業者の数がほぼ一致しています。つまりハローワークに失業保険申請している人を『失業者』としていますが、失業保険申請している人以外にも仕事を求めている人は少なくありません。米国では失業者が失業保険受給者の3倍近い。日本でも失業保険受給者以外の失業者を調べれば失業率は今の2.5%から2〜3倍に高まる可能性があります。失業率の調査方法に問題があるため、仕事をしたい人が統計からかなり漏れている可能性があります」(まぐまぐ)――。

物価が上がらない。<需給>の経済原理から自明。だが<人口減>社会へ移行中の日本。これも需要減を生む…。「人口減を直視し新たな自治の姿を探れ」と「日経」社説(7月4日)。 「高齢者人口がピークを迎える2040年頃の経済社会を念頭に人口減少時代でも自治体が行政サービスをしっかり提供できる体制を探る。総務省が設けた有識者からなる研究会が3日、報告書をまとめた。40年頃、日本の人口は毎年100万人近く減少する見通しだ。

地方では小中学校や高校の<廃校>が加速、公共交通や水道事業などの運営も一層厳しくなる。老朽化した社会資本を更新したくても<財源>がなく、<人材>もいない。一方、東京などでは高齢者が急増する。都市部は家族や地域で支え合う力が弱いので、介護人材や施設の不足が更に深刻になる。自治体そのものも1971年から74年生まれの団塊ジュニア世代が40年頃までに退職する。それを補う職員の確保は難しい。研究会はこうした将来像を念頭に『スマート自治体』への転換をまず打ち出した」(日経)――。

「様々な情報システムや事務作業をできるだけ標準化、人工知能(AI)などを使って自動で処理する。現在の半分の職員でも対応できる体制づくりを具体的な目標として掲げた。一つの市町村が全ての仕事を担うフルセット主義からの脱却も求めた。都道府県が市町村の業務を一部代行したり、複数の市町村が連携して圏域単位で取り組んだりすることを提案している。時代に合わせ、自治制度を抜本的に見直すということだろう。研究会がまとめた改革の方向性は理解できるが、自治体間の連携一つとっても、既に様々な仕組みがある。

消防のようにある程度広域化が進んでいる分野もあるが、形骸化している制度も多い。人口が増えている東京圏などは広域で連携する機運すら乏しい。圏域単位で取り組む場合、実効性をどう担保するのかという問題もある。研究会が一例としてあげた都市計画など、複数の市町村で計画を擦り合わせる程度では十分な効果はあがらないだろう」(日経)――。

「今回の報告書を受けて、政府は地方制度調査会を立ち上げ、具体的な法改正の検討に入る。まず必要なのは、全国の自治体が将来の厳しい状況を直視、新たな自治の枠組みを真剣に検討することだ。民間や地域住民の力を最大限に取り込む工夫も欠かせない」(日経)――。
(平成30年7月5日)

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親友がブログに「月末には<都心>に出かけることに決めた」と投稿した。素晴らしい。元サラリーマンとして共感、大いに郷愁を覚える。ガード下の赤ちょうちんなんて羨ましい。でも火山には<屋台のおでん>という贅沢な体験はない。<博多>出張の時、名物の<屋台>を数回楽しんだ程度。

現役時代に通ったのは<立ち飲み屋>。<のれん>をくぐると<お帰りなさい>という嬌声が響く。美人三姉妹がやっている。中央にぐるりとカウンターがあり、真ん中に陣取る女性が酔っ払いのお相手をしてくれる。<ほろ酔い>で入り、<泥酔>寸前まで飲んだり、食べたりが決まりだった。

回りは全部安サラリーマン。美人三姉妹を適当にからかい、勝手な話で気炎を上げている。気楽だ。時々<俺はエリートだ>という顔をしたり、話題にする手合いがいるが、それこそ<おサト>が知れている。2000円も飲もうとしたらグデングデン。こんな<安い>店にエリートが来るわけがない。――火山はいつも一人。黙って飲むだけ。しゃべったことはなかった。でも周囲のオシャベリを聞いたり、酔態をみていると<天国>だった。

定年になり、ぴったり行かなくなった。当たり前。近くを通らないのだから。でも3年前、会社近くの高層ビルでフォーラムがあった。現役時代を思い出しながら参加した火山、帰路、酔った勢いで寄ってみることにした。――<これが最後>と思った。カウンターの彼女と初めて言葉を交わした。美人三姉妹と書いたが、実は全員が70代。シワシワのおばあちゃんばかり。でもカウンターの彼女、気風(きっぷ)がいい。<華>もあるし、人気者だ。

――定年から4年。覚えているはずがない。でも<常連だった>と打ち明け、彼女の仕事っぷりを褒めたら喜んだ。大いに談笑した。周囲が呆れた。でも大散財。懲りた。今の火山、<立ち飲み屋>に行く余裕もない。外語短大に通う<かんのん通り>に一軒見つけた。でも入ったことはない。今後も入らない。定年になってもガード下の<屋台>に行かれる親友がうらやましい。

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BSで毎朝の「今からでも間に合う(毎日モーツアルト)」が始まった。1月からの放送。25歳までのモーツアルトの歩みをゴールデンウィークに振り返るという。今年になって突然モーツアルトが好きになった火山、見逃せない。

モーツアルトは250年前の1756年1月27日、アルプスの麓、カソリック大司教が統治する宗教都市ザルツブルグで生を享けた。父親は宮廷楽団でヴァイオリンを弾く音楽家。5歳年上の姉ナンネルが弾くクラヴィーア(ピアノの前身)を脇で見ていたが、3歳の頃から教えたわけでもないのに突然<和音>を弾き始めた。放っておくといつまでもやめようとしない。試しに教えると簡単に覚えてしまう。進歩のスピードは信じられないほど。父レオポルドがびっくりしたのは5歳になったばかりの息子が作曲までしたこと。

ウワサはたちまちザルツブルグ中に広がった。レオポルドは神から与えられた我が子の天才を世間に知らせようと、手始めにバイエルンの首都ミュンヘンに姉弟を連れて出かけた。3週間の旅、選帝侯の前で御前演奏。ヨーロッパ中にウワサが広がる。気を良くしたレオポルド、今度は9月に妻と従僕を連れ、音楽の都ウィーン、花の都パリ、産業革命に沸くロンドンへと足を伸ばす。一家総出の旅暮らしの始まりだ。
<神童>は女帝の膝に跳び乗り、首に抱きついてさんざんキス(毎日モーツアルト・20)
10月の初めにウィーン到着。神童来訪の知らせは既に伝わっていた。貴族たちの招待が続き、1週間後にはシェーンブルン宮殿での午前演奏が実現。皇帝フランツ一世、女帝マリア・テレージアはモーツアルト一家を手厚くもてなした。父レオポルドは臣民としての光栄に身を震わせたが、息子の方は天真爛漫。女帝の膝に跳び乗り、首に抱きついてさんざんキスしたという。

自作の曲で王侯貴族から拍手喝采を博したモーツアルトはたちまち宮廷の寵児となった。初めての交響曲はロンドンへ赴く旅の途中で完成した。「交響曲」第1番変ホ長調(K16)。8歳の時の作品。初の「ソナタ集」も出版された。産業革命で活気のあったロンドン。王侯貴族だけでなく市民も台頭。新しい聴衆が生まれ始めていた。

「短くてコンパクトなシンフォニーだが、9歳というのに驚き。<K22>は凄い。やはり天才は違う。35歳で死ぬ時は<ミサ>を書いている途中だったというが面白い」――。本日のゲストは中西俊博(ヴァイオリニスト)。

シェーンブルン宮殿。火山も大好き。昨年の9月、東欧旅行の途次、3度目の訪問を果たした。<美しい泉>というのがドイツ語<シェーンブルン>。ハプスブルグ家の狩猟の森に建てられた<夏の離宮>。壮大な宮殿、そして広大な庭園が素晴らしい。6歳のモーツアルトが床で滑って転んだ時、助け起こしてくれた美少女がいた。7歳のマリー・アントワネット。少年モーツアルトは「将来、僕のお嫁さんにしてあげる」と約束したという。有名なエピソードだ。

「当時誰が予想しただろうか。この輝かしいスタートを切った神童が、ここウィーンの街で35歳の若さで不遇のうちに世を去り、そしてその2年後には、モーツアルト夫人ならぬルイ16世の后としてのマリー・アントワネットが、フランス革命のパリで断頭台の露と消えることになろうなどとは――」(田辺秀樹「モーツアルト」新潮文庫・27頁)。

――6歳のモーツアルト。その神童振りはヨーロッパ中に轟き渡ったという。
(平成18年5月1日BSで毎朝の「今からでも間に合う(毎日モーツアルト)」が始まった。1月からの放送。25歳までのモーツアルトの歩みをゴールデンウィークに振り返るという。今年になって突然モーツアルトが好きになった火山、見逃せない。

モーツアルトは250年前の1756年1月27日、アルプスの麓、カソリック大司教が統治する宗教都市ザルツブルグで生を享けた。父親は宮廷楽団でヴァイオリンを弾く音楽家。5歳年上の姉ナンネルが弾くクラヴィーア(ピアノの前身)を脇で見ていたが、3歳の頃から教えたわけでもないのに突然<和音>を弾き始めた。放っておくといつまでもやめようとしない。試しに教えると簡単に覚えてしまう。進歩のスピードは信じられないほど。父レオポルドがびっくりしたのは5歳になったばかりの息子が作曲までしたこと。

ウワサはたちまちザルツブルグ中に広がった。レオポルドは神から与えられた我が子の天才を世間に知らせようと、手始めにバイエルンの首都ミュンヘンに姉弟を連れて出かけた。3週間の旅、選帝侯の前で御前演奏。ヨーロッパ中にウワサが広がる。気を良くしたレオポルド、今度は9月に妻と従僕を連れ、音楽の都ウィーン、花の都パリ、産業革命に沸くロンドンへと足を伸ばす。一家総出の旅暮らしの始まりだ。

10月の初めにウィーン到着。神童来訪の知らせは既に伝わっていた。貴族たちの招待が続き、1週間後にはシェーンブルン宮殿での午前演奏が実現。皇帝フランツ一世、女帝マリア・テレージアはモーツアルト一家を手厚くもてなした。父レオポルドは臣民としての光栄に身を震わせたが、息子の方は天真爛漫。女帝の膝に跳び乗り、首に抱きついてさんざんキスしたという。

自作の曲で王侯貴族から拍手喝采を博したモーツアルトはたちまち宮廷の寵児となった。初めての交響曲はロンドンへ赴く旅の途中で完成した。「交響曲」第1番変ホ長調(K16)。8歳の時の作品。初の「ソナタ集」も出版された。産業革命で活気のあったロンドン。王侯貴族だけでなく市民も台頭。新しい聴衆が生まれ始めていた。

「短くてコンパクトなシンフォニーだが、9歳というのに驚き。<K22>は凄い。やはり天才は違う。35歳で死ぬ時は<ミサ>を書いている途中だったというが面白い」――。本日のゲストは中西俊博(ヴァイオリニスト)。

シェーンブルン宮殿。火山も大好き。昨年の9月、東欧旅行の途次、3度目の訪問を果たした。<美しい泉>というのがドイツ語<シェーンブルン>。ハプスブルグ家の狩猟の森に建てられた<夏の離宮>。壮大な宮殿、そして広大な庭園が素晴らしい。6歳のモーツアルトが床で滑って転んだ時、助け起こしてくれた美少女がいた。7歳のマリー・アントワネット。少年モーツアルトは「将来、僕のお嫁さんにしてあげる」と約束したという。有名なエピソードだ。

「当時誰が予想しただろうか。この輝かしいスタートを切った神童が、ここウィーンの街で35歳の若さで不遇のうちに世を去り、そしてその2年後には、モーツアルト夫人ならぬルイ16世の后としてのマリー・アントワネットが、フランス革命のパリで断頭台の露と消えることになろうなどとは――」(田辺秀樹「モーツアルト」新潮文庫・27頁)。

――6歳のモーツアルト。その神童振りはヨーロッパ中に轟き渡ったという。
(平成18年5月1日

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新宿から山手線に乗った。昼時の車内。意外と空いている。<優先席>(3人掛け)に座った火山、空腹を覚え、オニギリが食べたくなった。田端を過ぎ、隣が空いた。車内はガラガラ。火山、意を決した。家内の心尽くし。よし、パクリ。ウマイ!!そしてとっておき、ペットボトルに入れた<日本酒>もグビリ。ウーン、こたえられない。

「いいですね」――。鈴を振るような綺麗な声。思わず振り向いた。上品な奥様、銀髪とはいえ、素敵な女性だ。服装も見事に決まっている。火山と同じ座席。一つ空いた連結側に座っていた。「えっ…」。火山、息を飲んだ。

「手作りのお握り。おいしそうですね…」――。何て返事をしよう。迷っているうちに電車は「西日暮里」に着いた。くだんの奥様、スラリと立ち上がった。「お先に失礼します…」。火山、途端に気を取り直した。ただの<田舎おやじ>と思われては困る――。「あの、これからコンサート。上野の東京文化会館へ参ります」――。<参ります>!<謙譲語>だって使えるんです。それにコンサートです!!「あら、そうだったのですか。お気をつけて…」――。何か、爽やかな風が吹き抜けた。

「ピアノ協奏曲の午後」――。「題名のない音楽会」にレギュラー出演の日本フィル。指揮は平井哲三郎。江藤俊哉、園田高弘と芸大に学んだ同期生。音楽歴60年という。リスト、グリーグ、プーランク、ベートーヴェンの4つのコンチェルト。素敵な午後でした。

+++ここまで書いて気が変わった。やっぱりあの奥様、火山に注意したのかもしれない。<人前です>――。なんとまあ、古風で奥床しいのでしょう。ホレボレ!

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天皇(すめろき)の 御代栄えむと 東(あずま)なる 陸奥(みちのく)山に 黄金(くがね)花咲く(大伴家持・巻18−4097)

聖武天皇が廬遮那大仏の造立を発願したのは天平15年(743年)、43歳の時。これは途方もない夢だった。大きさもさることながら全身を金色燦然と輝くように塗りこめる。金が不足して当然。東大寺の着工は745年、大仏の鋳造開始は747年。天平21年(749年)2月、聖武天皇を狂喜させる報告が東国の陸奥から届いた。国守の百済王敬福からだった。この時の採鉱法は韓国式。渡来系の国守の斬新な技術が黄金のありかを探り当てた。

場所は宮城県涌谷町。今は黄金迫(こがねばさま)と呼ばれるところ。採掘された場所には黄金山神社と呼ばれる社が残っているという。発見直後から聖地として式内社に列せられたが、「史跡天平産金遺跡」という標識や万葉歌碑をもし見落とせば、何の変哲もない田舎の神社らしい。

しかし、大伴家持の歌が有名であるがゆえ、遠方から「万葉」のゆかりを慕って訪れる学者が跡を絶たない。境内には藤の花があり、満開の時期は紫の花が実に見事という。黄金が発見されたのを喜んだ聖武天皇は大伴氏に先祖代々の功績を称え、詔書を出した。そのことを喜び、天皇を讃美したのがこの歌。

当時、大伴氏は退勢にあり、聖武天皇が頼りに綱だったと中西進「万葉を旅する」(ウエッジ選書)。家持は出金を聖武朝廷繁栄のシンボルとして祝賀した。この一首は長大な長歌に添えられている。大仏完成のメドがつき、狂喜している天皇を見て家持もこのうえなく喜んだ。一族の復興をも果たした喜びの一首とも言う。

聖武天皇は火山が「聖徳太子は実在しない」で繰り返し話題にした不比等の孫。草壁皇子の遺児・文武天皇と不比等の娘・宮子の間に生まれた。幼名は首(おびと)だ。不比等は草壁を天皇に祭り上げたかったが、果たせず、その遺児<軽>皇子に賭けた。だが7歳だった幼児を即位させられない。草壁の母・讃良皇女を擁立する。持統女帝。ようやく成人した軽を文武天皇に祭り上げたが、この時、政治取引で天武天皇の長男で有力な候補者だった高市皇子を太政大臣にした。

肝心の文武天皇はすぐ亡くなり、またもや7歳の幼児が遺った。それが後に聖武天皇となる<首>皇子。だが即位は容易ではなかった。太政大臣・高市皇子の長男・長屋王が実力者として君臨していたからだ。不比等は政治取引で<首>を皇太子にはきたが、長屋王が自分の正妻の姉・氷高内親王を元正女帝に擁立したため、悲願を果たせぬまま世を去る。

不比等の長男・武智麻呂はやり手だった。異母妹の光明子を元正女帝亡き後、ようやく即位した<首>の後宮に送り込み、政権を得る。勢いに乗って光明子と共謀、長屋王を抹殺する。<長屋王の変>だ。この強引な手法は宮廷世界を震撼させた。武智麻呂政権の悲劇は聖武朝になった途端、天変地異と凶作が相次ぎ、疫病が全国に流行、人々が「長屋王<亡霊>の祟り」と考えたことだ。

恐るべきことに天平9年(737年)には藤原房前に始まり、麻呂、武智麻呂、宇合の藤原<4兄弟>が全員、疫病で死没する。残された光明子と聖武天皇には空前の危機が訪れる。二人は<仏教>の興隆で<長屋王の亡霊>を鎮め、人心を安定させようとした。それが全国に造仏、写経を勧め、国分寺を造らせる。東大寺建立、大仏造立はその総仕上げだった。これが聖武天皇の後半生の夢だ。だが聖武天皇は752年(天平勝宝4年)東大寺大仏開眼供養を見ることなく、749年に49歳で世を去る。光明子は孤独によく耐え、760年まで政権を支え、藤原一族繁栄の基礎を固めた。

大伴家持の歌。ただ一首だが、歴史の重みを考えると万葉の世界は実に奥が深い。
(平成18年1月15日)

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