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「4月1日 消費税スタート。6月24日 美空ひばり死去。11月9日 ベルリンの壁崩壊。12月29日 日経平均株価過去<最高>」――。<昭和>が終わり、29年前の今日、<平成>が始まった。その1989年の出来事である。いずれも新しい時代への移行期を象徴している。平成は天皇陛下の退位により、来年4月末で30年余の歴史に幕を下ろすことになった。平成とはどんな時代だったのか。次にどうつなげていけばいいのか。今年はそれを考える年になる」と「毎日」社説(1月8日)…。ナルホド!この毎日・社説。見事――。
「1989年12月29日、日経平均株価が算出開始以来の最高値 (終値 38,915.87円) を記録しました。バブル絶頂期の平成元年1989年は筆者には思い出深い年です。年の初めは京都支店に勤務していました。そして1月、昭和天皇が崩御され、元号が昭和から平成に変わる日、会社の仲間達と日本海で松葉ガニを食べていました。歌舞音曲は自粛せよと前時代的なお触れが出ている中、飲めや歌えとはいかず、ただでさえ口数が少なくなるカニを食べるシーンでは黙々と食べ飲んでいた記憶があります」と「インターネット」…。えっ、面白い!
「この年の9月に11年間の営業畑に別れを告げ、本社人事部に異動しました。6年振りの東京でした。時はバブル絶頂期、冬のボーナスは満額回答と実に景気の良い時代でした。そして、暮れも押し詰まった東京証券取引所の大納会で、上がりに上がり続けた日経平均株価が最高値をつけたのです。しかし、年が明けた後にバブルが崩壊し、株価も猛烈な勢いで下落しました」…。当時、火山52歳。マーケティング推進本部<初代>研修部長。美女軍団ブルーベレーを従え、東奔西走!1997年(平成9年)定年まで<黄金の10年>渦中――。
「毎日新聞は昭和天皇の<大喪>の礼からひと月後の89年3月、世論調査を実施している。それによると<新元号>が『明るい』『わかりやすい』と答えた人は共に75%を占めた。戦後、日本は奇跡的な復興と<高度経済>成長を遂げた。一方、敗戦の傷を抱え、昭和には戦争による『暗』のイメージが残る。国民が『平成』にプラスの印象を抱いたのは新しい時代へリセットする期待からだった。しかし、現実は期待通りにはいかなかった」(毎日)…。
「米国の社会学者、エズラ・ボーゲルがベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書いたのは79年のこと。終身雇用、年功序列など日本型経営を高く評価した。こうした日本の『成功体験』がバブル崩壊で色あせ、国としての自信を失っていく。その後は『失われた20年』と呼ばれる低迷期。少子高齢化が一層進んで社会保障制度が揺らいだ。消費税を上げても現状に追いつかない。東西冷戦後、グローバル化の波は世界に及んだ」(毎日)…。
「企業は生き残りのため非正規雇用労働者を大幅に増やし、格差が広がって昭和の『1億総中流』社会は崩れた。右肩上がりの経済成長と国民の一体感を背景にした美空ひばりのような国民的大スターが、もはや現れる時代ではないだろう。この時期、政治は安定しなかった。<短命>内閣が多く、平成期の首相は竹下登首相から安倍晋三首相まで17人に上る。政治が重要な課題に有効な対策を打てないまま時間を費やしてしまった。『明るい』イメージでスタートを切った平成にはやがて<閉塞感>や<喪失感>が漂うようになる」(毎日)…。
「2005年の映画『ALWAYS三丁目の夕日』がヒットしたように『古き良き昭和』への憧憬が募るのも、この時代状況が背景にある。そこに『日本を取り戻す』というキャッチコピーで支持を集めたのが安倍首相だった。日本がかつての自信を喪失したことの裏返しとも言える。天皇陛下も激動の時代だった昭和と向き合ってこられた。即位後、戦没者の慰霊の旅に熱心に取り組み、広島、長崎、沖縄、海外などをたびたび訪問したことに表れている」(毎日)――。そうか「ALWAYS三丁目の夕日」…。火山も夢中で見たが、あれから12年とは。
陛下は憲法を尊重、新しい象徴天皇像の模索を続けた。自身の墓である陵の規模を縮小してご喪儀も簡略化する意向を示したり、外出時の警備を簡素に変えたりした。前例に捉われない『平成流』である。陛下が最も心を砕いたのは国民とともにあることだった。とりわけ震災などの被災地の人々に寄り添うことを大切にした。その役割が加齢のため十分に果たせなくなったと陛下が<退位>を考えたのは自然な流れ」(毎日)…。そうか、火山も80歳!
「だが退位を巡り、復古主義的な安倍政権と宮内庁側との間で意見が食い違い、あつれきが生じた。それは昭和との向き合い方が異なるからではなかったか。平成は国民にとっても昭和の価値観を超えて、新しい社会のあり方を模索する時代であった。阪神大震災(1995)では多くの人々が現地に駆けつけ、『ボランティア元年』といわれた。東日本大震災(2011)でも全国からボランティアが集まった。NPOなどの非営利団体で活動する人が飛躍的に増え、これまで行政に頼ってきたような社会問題に積極的に関わるようになった」(毎日)…。
「<女性>の社会進出が進んで男性の<育児>が当たり前になり、かつてエコノミックアニマルといわれた<働き方>も変わってきた。<平成>という時代を<定義>することはまだ難しい。しかし、<昭和>からの流れで平成を振り返る時、次の時代につながるヒントが見えてくるのではないか」(毎日)――。火山にとっての「平成」は「50歳、<黄金>の10年」から<一転>「年金」生活…。だが火山、「定年」から20年。1分1秒もヒマと思ったことはない…。今朝も<幸せ>を噛み締めながら、ワープロを打っている――。
家内と出会ったのは1960年(昭和35年)6月。有楽町<数寄屋橋>だった。「あ、オードリー・ヘップバーン」…。女子寮生225名をバス6台で「都内観光」。火山がガイドのバスから彼女、下車した。<見初め>ただけ。「君の名は」と聞けなかったが、「赤い糸」は――。
(平成30年1月10日)
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