|
「最近、正月の舎利講をはじめ寺で執り行う諸行事にお越し下さる方が増え、大変混み合う。外国から来られる方も増えた。しかし、年間を通じた参拝者総計は以前に比べ確実に減っている。参拝者数のピークは50〜60年前、私と同世代の人達が修学旅行で奈良や京都を訪れてくれた頃だろう。少子化が進み、修学旅行の行き先が多様化、団体で子供たちが参詣してくれる姿は、徐々に減っている。代わりに家族で参詣していただくことが増えている。こうした傾向、私は良いことではないかと考えている」と「日経」コラム(1月27日)――。
「というのも、修学旅行で本寺を訪れてくれた子供たちから、御礼のはがきや手紙をよく頂戴するのだが、それには東大寺の大仏と春日大社の鹿と当寺の夢殿の絵が同居して描かれ、どこがどこやら分からなくなっているものが散見されるからだ。せっかく奈良を訪ねてくれても、スケジュールに追われ、社寺を幾つも駆け足で見て回っているからだろう。一つ一つの印象が薄れ、混乱してしまっているのではないかと、心配している」(日経)…。
「奈良に来られるのなら、ある程度の予備知識を持って来ていただいた方がよい。その方が歴史や宗教や古(いにしえ)の人々の思いが、より深く体感できるのではないだろうか。とはいえ『お参りに行くのですが、前もって何を勉強していけばよいですか』と改まって尋ねられると『何もせず、空っぽで来てもらえばいいですよ』と答えることがある。まっさらな状態で何かを感じていただくことも、貴重な体験と思うのだ。様々に、ゆっくりと、奈良を楽しんでいただきたい」と「日経」コラム<あすへの話題>は結ぶ。
家にあらば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こや)せる この旅人あはれ(巻3−415)
木俣修「万葉集」(NHKブックス)に紹介されている<聖徳太子>の作といわれる歌。「日本書紀」の推古天皇11年12月庚午朔に内容の類似した太子作といわれる長歌がある。歌の意味は「家にいれば妹(妻)の手を枕にしているであろうのに。草を枕に伏し倒れているこの旅人は、なんとも哀れである」というもの。慈悲深い太子らしいというのだ。
火山は仰天した。まさか「万葉集」に聖徳太子の歌が載っているとは思わなかったからだ。
「ブルータスよ、お前もか」とはシーザーがローマ元老院で刺客の凶刃に倒れた時、刺客の中に盟友ブルータスがいるのを発見、叫んだ有名な言葉。信じていたのに――。
昨年1月、日比谷公会堂の<平城京フォーラム>で大山誠一「<聖徳太子>の誕生」(吉川弘文館)を買って読んだ。以来、「聖徳太子は実在しない」と信じている。大山誠一は東大大学院卒の文学博士。古代史の専門家。地道な資料操作を積み重ねた結果、辿り着いた結論。火山も完全に説得された。今も火山ブログに「聖徳太子は実在しない」を連載中。
<厩戸王>という蘇我系の王族は実在する。厩戸王が推古9年(601年)、斑鳩宮を造って居所としたこと。近くに<若草伽藍>との遺跡が残る斑鳩寺(法隆寺)を建立したのは事実。考古学的にも確認されている。ただ厩戸王という王族が「日本書紀」に記述がある<聖徳太子>かとなると話が違う。「憲法17条」「冠位12階」を制定、「三経義疏」を著わしたとされる<聖徳太子>は実在しない。藤原不比等が「日本書紀」の中で<伝説>を創作したもの。
もっとも木俣修も「伝承歌であって、太子の実作とはにわかに決められない」という立場。太子の慈悲深さに感動した当時の人々が「太子の歌として伝えたのであろう」としている。そこで前回ご紹介した中西進「中西進と歩く万葉の大和路」(ウェッジ)。中西は「聖徳太子は実在」という立場。もっとも「憲法17条」から「太子の言葉を探すのは難しい」という。ずいぶん苦しい。「17条」は太子の時代から「日本書紀」が完成した720年(養老4年)まで、長い時間をかけて出来上がったと書いているから、限りなく怪しい。
だが<厩戸王>が<法隆寺>を建てたのは事実。中西進は妻と女性雑誌の女性編集長を伴った<大和路>散策で最初に法隆寺を訪れる。<五重塔>で面白いエピソードを紹介する。この五重塔は現存する<日本最古>の五重塔なのだが、最近、塔の<心柱>を巡って<大騒ぎ>が起きた。<心柱>とは五重塔の最下層から天辺の<相輪>に至るまで、その<中心>を貫く<一本の柱>。法隆寺の心柱は長さが<32m>に及ぶ。
ところが驚くべし。今から50年前<解体修理>が行われた時、心柱の下端が腐食、ダメになっていることが分かった。ナント<心柱>が地面から数メートル上の辺りまで腐り落ち、宙に浮いた状態だった。日本最古の五重塔は、。そんな状態だったのに倒れずにいた。「ダルマ落とし」で一番下が外れていたのに、上は何事もなかったように<崩れず>にいた――。
もちろん解体修理では、落ちて<空洞>になった部分に、別の木材を入れて<補強>した。<騒動>はその後に起った。もとの心柱から約10センチを<標本>として切り取り、ずっと保管してきた。その標本を<年輪年代法>で、今回、調査した。ナント、伐採されたのは<594年>と測定された。関係者は仰天!法隆寺を厩戸王が<創建>したのは<609年>。だが<670年>に落雷で消失!現存の五重塔はその後<再建>されたというのが<定説>。
現・法隆寺の東南から古い「伽藍」跡が発見された。有名な「若草伽藍」…。「厩戸王」が創建したが、消失。再建されたのが、現・法隆寺と考えられてきた。だが測定で<100年>前に伐採された木材と判明。法隆寺の「再建・非再建」論議が<再燃>しそうという。火山、昨春「金婚旅行」で家内と法隆寺を訪ねた…。法隆寺を巡るロマンは尽きそうにない――。
(平成29年3月4日)
|