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「最近、社会問題にもなっている『切れる高齢者』の増加。マスコミの報道を目にする機会も多いのですが、本当にキレる高齢者の数は増えているのでしょうか?今回のメルマガ『精神科医・西多昌規が明かすメンタルヘルスの深層』では、著者で精神科医の西多昌規さんが、精神科医の目線で詳しく分析。その行動から考えられる『認知症』の可能性についても言及しています」と「まぐまぐ」(1月30日)…。『切れる高齢者』の増加と『認知症』――。
「キレる高齢者は本当に増えているのか」と<小見出し>…。「『切れる高齢者』が増えているという<実感>を持っているのは、私だけではないと思う。ゴミの捨て方が元のトラブルで、包丁を持ちだした殺人未遂など、殺人・傷害事件もよく聞くようになった。更にショッキングなのは、電車に座っていた<子供>を<邪魔>だとばかりに蹴飛ばしたり、ガソリンスタンドでの割り込みを注意されて、腹いせに従業員を自動車で轢こうとしたなど<人間性>を疑うような<レベル>の低い、<不快>な事件も報道された」(まぐまぐ)――。
「凶悪事件とまではいかなくとも、電車や店舗、病院の中などで『切れる高齢者』を実際に目にする機会は、確実に増えている。日本は未曾有の高齢化社会である。人口における高齢者の割合が増えているのだから、高齢の犯罪者、あるいは攻撃的になり周囲に迷惑をかけるものが増えるのも当然だというのが、通常の考えであろう。私の考えでは『切れる高齢者』は、社会環境や心理・神経科学的変化など、いろいろな要因と結びついている。『切れる高齢者』の増加を、単なる<高齢化>のせいだけにするのは早計である」(まぐまぐ)――。
「犯罪白書によれば第二次大戦後に少年犯罪が増加したとあるが、この粗暴な少年たちが現在高齢を迎えているという分析もある。『好々爺』が増える社会が望ましいのだろうが、現代社会はそうはいかない。核家族化は既に確立されているので、老後は実際には1人ないし配偶者と2人での生活である。孫に『おじいちゃん』『おばあちゃん』と癒やされるのも、年に1、2回しかない。運動機能の衰えから、行動範囲も狭まる。社会からの見捨てられ感が高まり、社会に対して攻撃的になったとしても不思議ではない」(まぐまぐ)――。
「更に近年の<ハイテク>化や<個人情報>保護傾向も、ますます高齢者の『見捨てられ感』を強くしているのではないだろうか。まだ高齢者ではない私ですら、数多くのパスワードが覚えられずイライラすることが本当に多い。役所や銀行でも手続きが余りに煩雑過ぎ、かつ本人でなければ何も事が進まない。ネットが使えなければ電話と言うことになるが、たとえばコールセンターにかけても、オペレーターになかなか辿り着けず怒鳴りつけたくなる気持ちもわかる」(まぐまぐ)…。「社会のIT化と孤独」と<小見出し>…。
「まして現役時代に相応の社会的地位で活躍していた人ならば<誇り>が傷つけられるのも無理はない。年齢層によるIT・情報格差は数年前の比ではなく、世の中の流れについていけない高齢者は、既にその段階で社会的な『姥捨て』になっているともいえる。ただ<脳神経>の問題ももちろん忘れてはならない。脳は年齢に従って、大脳皮質の萎縮や脳血管の動脈硬化、酷い場合は脳梗塞などによって<機能>が<衰え>ていくものである。
しかし、現代になって高齢者の脳の衰え方が変わったわけではない。変化しつつある現代の社会環境に対する脳の反応が今は『キレる』という現象なのだろう。年齢を経ると人間の性格はどのように変化するのであろうか。理想的なのは<角>が取れて人間が円くなり、いわゆる『好々爺』となるパターン。あるいは逆に人格者が年齢とともに困った人になっていくこともある。ただ昔から高齢者の性格変化には『性格の先鋭化』と呼ばれる現象がよく見られる。若い頃の性格特性が<高齢>になるにつれ目立ってくる現象だ」(まぐまぐ)――。
「若い頃、気が短かった人がますます短気になってくるのが良い例だろう。もちろん『性格の先鋭化』、全ての高齢者に当てはまるわけではない。ただ『性格変化』が<認知症>のサインであることも少なくない。認知症の症状と言えば、物忘れや日時がわからなくなるなどの症状を思いつくが、そればかりではない。認知症にはアルツハイマー型認知症、脳血管型認知症などあるが、最も『自分の異常性』に気がつかない、あるいは<病識>がないタイプは前頭側頭型認知症。物忘れよりも病識低下が主症状と言ってもよい」(まぐまぐ)――。
「たとえば前頭葉だけが萎縮する前頭側頭型認知症は、頭部MRIなどで前頭葉のはっきりした脳萎縮が確認されれば、診断が可能である。しかし前頭側頭型認知症ではないにせよ、『キレる高齢者』は前頭葉機能が低下していると見なして、私は構わないと思う。一昔前ののんびりした時代ならば耐えられた前頭葉が、慌ただしい現代社会の動きに耐えられず、『キレる』という形で<悲鳴>を上げているのかもしれない」(まぐまぐ)…。
「しかし、ここで考えてほしい。仮に認知症の患者が『自分の異常性』に対する認識、つまり病識を持ち続けたならば、どんなに<辛酸>な<老後>になるだろうか。自分が少しずつ日常生活に必要な機能を失い続け、家族や他人に迷惑をかけていく。それは子供の病気のように回復することは決してなく、自分らしさを失う<恐怖>と<絶望>があるのみである。認知症の人たちは『自分の異常性』に気がつかないことも<余生>を考える上で非常に大切なことではないだろうか」(まぐまぐ)と<精神科医>西多昌規は結ぶ。さてお立合い――。
<結論>を急ごう!問題は<誰>が<いつ><なぜ>と問い、<改革>に手を染めるのか。<放置>してよいのか。だがこれが<終末期>医療の実態…。<病識>のない患者を誰の判断・責任で<治療>するのか。これこそが<高齢者>医療の本質…。<稿>を改めたい――。
(平成30年2月12日)
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