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「<官房長官>や自民党<幹事長>などを<歴任>した元自民党衆院議員、野中広務氏が26日午後、京都市内の病院で死去した。92歳だった。2017年11月27日に京都市下京区のホテルで倒れ、病院に救急搬送されていた。京都府園部町(現・南丹市)の町長や京都府副知事を経て、1983年の旧衆院京都2区補欠選挙で自民党から立候補、<57歳>で初当選。衆院議員<7期>務めた。94年の<村山富市>内閣で<自治相>となり、95年<阪神大震災>では<陣頭>指揮を執った」と「日経」(1月26日)…。火山も<雄姿>を記憶――。
「98年の参院選で自民党が惨敗、小渕恵三内閣で<官房長官>に就任すると、旧経世会(竹下派)分裂以来の<宿敵>だった小沢一郎自由党党首に『ひれ伏してでも』と協力を要請。『自自連立』政権、公明党を加えた『自自公連立』政権の樹立に尽力した。森喜朗内閣で<党幹事長>を務めた。2003年に当時の<小泉純一郎>首相の政治手法を批判、<電撃的>に政界を<引退>した」(日経)…。<電撃的>引退!溜まりに溜まった憤懣が爆発か――。
「元衆院議員の野中広務氏が26日、92歳で逝去した。野中氏といえば小渕、森内閣で官房長官や自民党幹事長などを歴任、その情報収集力や剛腕ぶりから“影の総理”“キングメーカー”とまで称された政治家だ。そのため野党や各界からもその死を惜しむ声が寄せられている。しかし肝心の自民党は元重鎮の死にも拘わらず、殆ど誰もコメントを発していない。
普通なら真っ先に弔意を表わす立場であるはずの安倍首相や菅義偉官房長官もなぜか、きちんと公に弔意を表した形跡は全くない。この明らかな無視の理由はやはり、野中氏が後年、安倍首相と安倍政権、自民党主流派にとって、煙たい存在だったからだろう。その<利権>や<恫喝的>な政治手法への批判が絶えなかった野中氏だが、一方で徹底した<護憲>の姿勢を貫き、第二次安倍政権以降は、安倍首相の歴史修正主義や平和主義を脅かす<戦争>政策を<徹底的>に批判してきた」と「リテラ」(1月29日)…。意外!寡聞、恥ずかしい。
「たとえば安倍政権が集団的自衛権容認を閣議決定した2014年、朝日新聞(7月18日)のインタビューで、野中氏は『内閣の解釈で憲法の基本を変えるなんて本末転倒でしょう。絶対にやってはいけない』として、憲法9条堅持と、戦争反対、そして安倍政権がもたらした“害悪”をこう切り捨てている。(『自主憲法制定は自民党の党是。手続きを踏めば憲法改正していいという考えか』と問われ)憲法を常に見直す態度は変えてはならない。ただ全ての条文を同じように扱うべきではない」(リテラ)…。インターネットで偶然の発見――。
「9条があり、武力行使をしてこなかったから、戦後70年近く平和でおれた。9条は変えてはならないと思う』。『戦争がどれだけ深い傷痕を国内外に残したか、もっと謙虚にあの時代を検証してほしい。<戦後レジームからの脱却>いうてね、歴史を消してしまうようなやり方は間違っている。それは国際社会への復帰につながった東京裁判も否定する。だから安倍さんはA級戦犯が祀られている靖国神社に参るんですよ』。『自衛隊は戦争にいかない前提で入隊した人たちが多いから、実際に行けといわれたら辞める人も多いはず。
その次に何が起きるか。国防軍ですよ。いずれ必ず徴兵制がやってくる。安倍首相の姿を見ると死んでも死にきれない』と歴史修正主義を批判。こうした危機感の背景には、1925年生まれの野中氏自身の戦争体験があった。戦争の悲惨さを痛感、その記憶を語り継ぐ重要性を訴えてきた野中氏にとって、先の戦争を肯定、戦前戦中の再現を狙っている安倍首相の姿勢が我慢できなかったのだろう。実際、『時事放談』(TBS)2015年2月15日放送では、安倍首相の施政方針演説について、東条英機の類似性まで指摘していた」(リテラ)…。
「『私にしたら私が中学生の頃、昭和16年に東条英機首相が、大政翼賛会の国会で施政方針演説をやっている、あのラジオ放送を耳にした時の感じと、全くかわらないんじゃないかという心配を、私は感じました』。『(安倍首相は)重要な部分には触れないで、非常に勇ましいような感じで発言をされますと、国民はついそういう発言に十分な理解ができないまま、支持率に結びついたんじゃないかと考えております』」(リテラ)…。これ「正論」だ――。
「また2015年5月24日のやはり『時事放談』に出演した際には、党首討論での安倍首相の発言について『志位さんは過去の戦争のいかに愚かであったかという責任を国民の前でお尋ねになりましたが、安倍総理は具体的に答えようとせず、しかもポツダム宣言すら読んだことのないような』印象だったと批判。『僅かでもあの戦争に参加したことのある経験のある私があの姿を見ておって、死んでも死に切れない気持ち』とまで発言していたのだ。
野中氏はもう一つ、安倍政権の差別問題に対する姿勢にも激しい<怒り>を抱いていた。野中氏が自ら<被差別部落>出身であることを公言、“差別をなくすことが私の政治生命であり使命”とことあるごとに語ってきたのは有名な話。だが安倍政権は全く逆――。『野中のような部落出身者を総理にできない』と発言した麻生…。部落差別発言は会合に出席した複数の議員から野中氏の耳に入り、激怒した野中氏が麻生氏に詰め寄るという事件も起きた。
野中氏の実像を追ったルポ『野中広務 差別と権力』(魚住昭/講談社)によれば事件が起きたのは差別発言から約2年後の2003年9月11日の自民党総務会。野中氏がいきなり立ち上がり、政調会長の麻生氏に怒鳴った。『総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会で野中のような部落出身者を日本の総理にはできない、とおっしゃった。私は3人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんかできようはずがない。私は絶対に許さん」(リテラ)…。
(平成30年2月2日)
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