火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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これは約6年の昔(平成23年12月3日)、73歳の火山が<英作>したもの。翌日、東大・赤門近くのカソリック教会でネイティブ宣教師お二人に朗読した。発音はどうか…。ウーン。

Second, we always made a date in the afternoon. Why? She was a member of “Joshiryo” that is a dormitory for girls, and the dormitory had very strict rules. So she never could go home late in the night. We always met only in the afternoon. This is our another “Appear; Interact, and Depart”.Besides, I am seven years older than her. You know, Gary Cooper and Audrey Hepburn in “Love in the afternoon” have very large age deference.

第二に、私たちのデートはいつもアフタヌーン、つまり午後。彼女は女子寮生。規則が厳しく、深夜の帰宅は許されていなかった。だから私たち「昼下がりのデート」しかできませんでした。これがもう一つの「出会い、交際、別れ」でした。加えて私は彼女より7歳も年上。ゲーリー・クーパーとオードリー・ヘップバーンも非常に大きな年齢差がありましたよね。

She was born in AOMORI prefecture in 1944. AOMORI region where she was raised, also is called TSUGARU, the northernmost part of the main island of Japan. It means very exotic and faraway to me.Anyway she appeared in front of me on June 1960. Exactly to say, I found her in a bus I was in charge of guide to Tokyo sightseeing for 50 girls who are newly employed by our company from faraway TOHHOKU district, in that season.

彼女は青森県に1944年に生まれました。彼女が育った青森地方は津軽と呼ばれ、本州の最北端に位置します。私から見ると僻遠の異民族のような感じ。でもとにかく、彼女は1960年の6月、私の前に現れました。正確に言えば私が東京観光のバスガイドを務めていたバスの中で発見したのです。そのバスには50人ほどの新入社員、その春、僻遠の東北地方から新規採用された女の子たちが乗っていた。

“ Wow, She must be Audrey Hepburn.” I told myself. And I fervently longed to know her real name. But it was impossible. There were so many girls. In front of them, how I was able to make a conversation only with her and ask her name. Only what I could do was, to grieve over my misfortune.

凄い!彼女はオードリー・ヘップバーンに間違いない。私は自分に言い聞かせた。彼女の本名を知りたい。熱烈に思い焦がれました。でもそれは不可能。そこには大勢の女の子がいた。彼女らの前で、彼女とだけ会話を交わす、そして名前を聞く。できっこない。私にできるのは、自分の不運を嘆き悲しむだけでした。

What a coincidence, our encounter or appearance happened on one of the famous bridges in Tokyo called “Sukiyabashi” where Machiko Ujiie and Haruki Atomiya, also famous heroin and hero of very tragic love-story, we all Japanese were engrossed,at that time, happened to meet on this bridge, and be fallen in love each other. And another coincidence, the name of that drama is“I fervently long to know your name”, in Japanese“君の名は?”――。

何という偶然――。私たちの出会いが起こったのは東京の数ある橋の中で有名な橋の一つ。数寄屋橋でした。当時、日本人が熱中、時間を割いた「悲恋物語」のヒロインとヒーロー、氏家真知子と後宮春樹は、その橋で出会い、恋に落ちた。ドラマの題名は「君の名は」…。

Three or four months passed in vain, I had no way to know her name. You know, in that year our company employed about 1,800 newly employees, and she was only one of them.But Lady Luck was smiling on me! One day, one of the headmasters in Tsugaru visited our company to inspect our dormitory for girls, because one of his graduate newly employed by our company on that June.

3,4ヵ月が無為に過ぎた。彼女の名前を知る手段がなかった。お分かりでしょう。その年、わが社は新入社員を1800名も採用していた。彼女はその1800名の中の1人。しかし、運命の女神が私に幸運を運んできた。ある日、津軽から校長先生が1人わが社にやってきた。女子寮を視察したい。理由は彼氏の教え子がその6月に、わが社に採用されていたから。

There were a lot of colleague in our personnel section, but what a coincidence, our receptionist appointed me to guide him, and then wow! that Audrey Hepburn appeared with a broad smile. I could know her name for instance. But three years passed in vain. I didn’t know how to approach her. I was so shy.

人事課には大勢の同僚がいたが、何という偶然でしょう。受付嬢が私を案内役に指名した。そうしたら、凄い!あのオード―リー・ヘップバーンが満面の笑みで出てきた。私は即座に彼女の名前を把握した。でも3年が無為に過ぎた。彼女に近づけなかった。内気でした。

Our wedding ceremony was held in 1965 after two year“interaction”. And we celebrated Sapphire Wedding Memory last year. Now I’m 74 years old. Naturally, my departure-time is approaching day by day. I completely have been conscious of it. So,at my 60 years old, I wrote a love-letter to her. You know,“a love- letter at 60 years old”is a famous event presented by Sumitomo trust bank.

私たちの結婚式は、2年の交際を経て、1965年に挙行されました。そして昨年、私たちは結婚45年のサファイア婚を祝いました。私は今、74歳です。自然の摂理で、私が天国へ旅立つ日が、刻々と迫ってきています。私は、それを十分自覚しています。そこで60歳の時、「60歳のラブレター」を彼女に書きました。ご存知でしょう。「60歳のラブレター」とは住友信託銀行が主催した有名なイベント。

The first prize,or grand-prix money was wow, 3 million yen. I thought. OK, Lady Luck was smiling again on me! Why ? I used to be a kind of journalist. I had been in charge of the editor of a magazine for our company-employee. Naturally I thought myself, I must have been very good at writing “love-letter”. I could easily get the first prize.But don’t ask me the results of the judge. Anyway I couldn’t give her 3 million yen. Alas! Alas!

一等賞、グランプリ賞金は300万円。私はシメタと喜んだ。運命の女神が再び幸運を運んできた。私はある意味のジャーナリスト。会社では「社内報」の編集長。「ラブレターなど得意中の得意」。一等賞を取るなど簡単。そう思った。でも審査結果は聞かないでください。どっちにしろ、私は彼女に300万円プレゼントできませんでした。ああ、悔しい。ああ…。

But after that, I made up my mind. I decided to leave that love-letter to her, my beloved better-half, my Audrey Hepburn. And ask her. Please read it in front of my whole family when the first anniversary of my death come. This is my very departure to her.

でもその後です。私は決心した。このラブレターは彼女に、最愛の伴侶に、私のオードリー・ヘップバーンに預けよう。そして頼み込んでおこう。私の一周忌の席で、家族の全員の前で読み上げてほしい。そしてこれがまさに、私の彼女への「別離」なのです。
(平成23年12月3日)                       

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中学二年の夏、グリーグの「ピアノ協奏曲」を聴いてクラシック好きになった。以来好きなのはロマンチックな曲ばかり――。「ショパンでなければ音楽じゃない…」などと<還暦>を遥かに過ぎてもホザいていた。だが<革命>が起こった。<モーツアルト生誕250年>の今年になってモーツアルトが好きになってしまった。まだホヤホヤ…。

去る2月12日(日)は一年前から楽しみにしていた「第3回東京音楽コンクール優勝者コンサート」だった。上野の東京文化会館の大ホール。競演のオケは東京交響楽団。若かりし日、上田仁の指揮で散々聴いた超有名オケ。麦飯の火山、最近は滅多に聴けない。今回は第3回東京音楽コンクール優勝者を祝賀する賛助出演。主催した東京文化会館(音楽監督・大友直人)の特別な計らい。<破格>の安値だ。火山が最初に買ったカブリツキ(最前列中央)はなんと<1500円>だ。ソロを眺める最至近距離。

ところが会員サービス(先行販売)で買ったことをコロっと忘れた。一般発売の初日にまた買った。今度はカブリツキが<2500円>…。それでも安い。東京音楽コンクール優勝なら日本を代表する優秀な若手演奏家のはず。絶対<お買い得>――。昨年12月に買った。2月になって切符を探して仰天。同じコンサートを<なけなし>の小遣いで<2枚>も買っていた。席を見てまた仰天。なんと<指定席>は<隣り同士>…。並んでいたのだ。すぐ決心、家内と行くことにした。ここまでは「<薔薇>の美女ソプラノが<涙>で歌った名アリア(優勝者コンサート)」――にも書いた。

あの日は話題の<日本橋三井タワー>の最上階、展望レストランで赤ワイン(ボトル)とランチを楽しんだ後、上野に移動した。司会はイケメンの朝岡聡。元テレビ朝日の看板アナだ。今も人気抜群。クラシックに造詣が深く、昨年も司会を務めた。中学・高校時代はトランペット、大学ではバロック・アンサンブルのアルトリコーダーを演奏したというキャリアの持ち主だ。

指揮者も凄い。桐朋学園大を卒業後、ベルリン芸大に留学。1986年にニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝、直後に急病で倒れたヘルベルト・フォン・カラヤンに代わって世界のベルリンフィルを指揮、一躍脚光を浴びた。山下一史という。

チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の<花のワルツ>で始まった。祝賀音楽会の幕開けにふさわしい軽快な演奏だ。「優勝者コンクール」。最初は芸大1年生の若い女性ヴァイオリニスト。弦楽部門の優勝。2000年、第54回全日本学生音楽コンクール<中学校の部>全国大会<第一位>という。

チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」を熱演した。大好きな天下の名曲。1878年、結婚に失敗した38歳のチャイコフスキー。傷ついた心を癒しつつスイスで作曲した。祖国の名ヴァイオリニスト、レオポルド・アウアーに楽譜を送ったら「演奏不可能」と突き返された。3年後、別の演奏家に頼んで発表。たが弾きにくいと散々文句を言われた。現在は人気抜群、多くの独奏者が挑戦。難曲だが、数多く演奏される。

第二部は薔薇の美女がオペラ。そしていよいよピアノ部門<優勝>の登場。驚くべし<14歳>の中学生。しかも<審査員大賞>を特別受賞。司会の朝岡聡も声を張り上げた。<14歳の天才モーツアルトです…>――。タキシードに身を包み、小柄な少年が現われた。緊張の面持ち。指揮者とオケに丁重に頭を下げた。

モーツアルト「ピアノ協奏曲」第20番ニ短調(K.466)。プログラムを読んであっと驚いた。「モーツアルトの音楽はある意味では、とても普通の音楽ばかり。古今東西の音楽家の中で、この作曲家ほど達者に西洋音楽の平均率音階と戯れ、自在に扱えた者はいなかった」。そう、ドレミファソという音階がいつも聞える。極めて自然に音楽が流れる。全然、抵抗がない。だから胎教にもよい。

だから火山はモーツアルトをバカにした。どこにも工夫がない。ベートーヴェンとは偉い違い。ベートーヴェンは推敲に推敲を重ね、苦悩に苦悩を重ねて音楽を構築。壮大な<構成美>がある。モーツアルトは<流麗>だが、ただ楽譜を書き殴るだけ。もっとも火山、学生時代から「交響曲40番ト短調」は好きで名曲喫茶でよくリクエストした。ブラームスの4番(交響曲)と一緒。

モーツアルトなんか…。そう思っていた。だが「ピアノ協奏曲ニ短調」はまるで違う。14歳の少年がこんなに<深み>のある演奏ができるのか。全部で600曲以上と言われるモーツアルトの作品で<短調>は<30曲>程度しかない。プログラムで仰天。「よほどの覚悟と明快な狙いがあって取り組んだはず」という。しかもニ短調は<6曲>しかない。いずれも傑作。

モーツアルトが最も得意としたのはオペラと「ピアノ協奏曲」。ピアノ協奏曲の短調は2曲だけ。だから「名曲中の名曲」という。――でも本当に素晴らしかった。「モーツアルトの明暗がすべて注ぎこまれている」「デモーニッシュなアレグロの第一楽章はベートーヴェンの世界までもう一歩…」――。本当にそう。ベートーヴェンが聞えた。ブラヴォー!!火山、5回も絶叫した。でも家内も文句を言わなかった。感動したのだ。

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