火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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「国会での『レジ打ち』論争を知っていますか。安倍首相と大塚民進党代表の論戦は、働き方改革が労働強化につながりかねない現実を浮き彫りにしました。今月1日の参院予算委員会。民進党の大塚耕平代表が安倍晋三首相にこんな質問をしました──。大塚『スーパーのレジ係が二倍速で仕事したら、スーパーとしての労働生産性はどうなりますか。上がると思いますか』。安倍「生産性は上がるというふうに考えます』」と「東京」社説(3月22日)。

「大塚『総理、これは一緒になって考えてもらいたいのですが、この場合、レジが倍速になってもスーパーの売り上げは増えないんですよ』──。ちょっと意外とも思える答えの理由を大塚代表は、実質賃金の伸び悩みを踏まえて次のように説明しました。『国民の購買力が伸びていない。客の購買力が増えなければスーパーの売り上げも増えないんです。こういう認識を共有していただかないと、労働生産性の議論はかみ合わない』(「東京」社説)──。

「この論争はインターネットなどでも話題になる。『普通はそう考えるよ』(安倍首相)──。(『安倍さんはこんなことも知らないで、生産性向上、裁量労働制の拡大を言ってるのか』大塚)。大塚『レジ係が腱鞘炎になってしまう。生産性向上どころか明らかな労働強化』…。低迷する経済を成長させるには労働生産性を向上させるしかない。働く人一人あたりが生み出す成果を増やす。政府も経済界も『生産性向上』をくりかえしています」(東京)──。

「でもこの生産性、なかなかの<曲者>です。安倍首相が図らずも答えたように、機械のごとく短時間に速く働けば売り上げも利益も増える…という誤解が、労働強化につながりかねないからです」(東京)──。「生産性の向上とは何でしょう。戦後経済が成長へ立ち上がろうとしていた1955年。経済計画を担当する経済企画庁、住宅難解消のための日本住宅公団が発足した年です。乗用車のトヨペット・クラウンが登場しました」(東京)──。

「6月、当時の経営者の団体、日本経営者連盟が『生産性運動に対するわれわれの考え方』を公表します。経営者、労働組合、政府が一体となって生産性運動に取り組もうという呼びかけです。その一節『生産性の向上と労働強化』に、こんなくだりがあります。『生産性の向上が必ず労働強化を伴わざるを得ないとするのは明らかな誤解である』。『余計な疲労や危険、無理な労働負担を少しでも軽減し…少ない労力、快適な労働でより大きな労働成果を挙げることを目的とするものである』」(東京)…。「生産性と労働強化」が小見出し──。

「事実、生産性と訳されている英語の<productivity>を辞書で引くと『より少ない労力と投入物で、より多くの価値を生み出すこと』とあります。たとえて言えば、できるだけ楽に仕事をして成果を出すこと。労働強化とは正反対の考え方。政府の働き方改革が行き詰まっています。裁量労働制の拡大をめぐる労働時間の<杜撰>データはもちろんですが、『生産性向上』が労働強化につながるのではないかと労働側は警戒しているのです。重要データの杜撰さの背後に、働く現場への無関心、鈍感、冷たさを感じ取っているのです」(東京)…。

「法案削除などの拙速と迷走。それでも政府や経済界が、裁量労働制の拡大や『残業代ゼロ』と批判される高度プロフェッショナル制度の導入を急ぐのはなぜでしょうか。危機感と焦りの色が見えます。米欧に追いつき追い越せで成功した日本的経営が下り坂に入って20年。家電や半導体は新興国に追い越され、自動車産業も人工知能(AI)による技術革新の大波にのみ込まれようとしています。何とか生産性を上げなければ…という焦りと危機感です。

でも『無駄をなくせ』『スピードを上げろ』『神業のようにレジを打て』では生産性は上がらず、多くの価値も生まれない。危機を乗り越えることはできません。55年の呼びかけに戻ります。生産性を上げるとは少ない労力、快適な労働でより大きな労働成果を挙げること。レジ打ち論争が明らかにしたように、実質賃金を引き上げ、税制などによる所得再分配を進め多くの人の購買力、消費を底上げすることでしょう。働き方改革は拙速では実を結ばない。首相も経営者も肝に銘じてほしいものです」(東京)…。「拙速は実を結ばない」──。

1957年、慶大経済2年の火山、同一労働同一賃金から生産性向上を研究…。1987年、中堅電機<研修>部長として「企業は<自己実現>の場。人生は一人一人が<主役>」提唱──。

「『現代における最悪の病は誰からも求められず、見捨てられているという感情』と言ったのはマザー・テレサ。この病を音楽の力で癒やそうとした人がいる。先日、78歳で逝った南米ベネズエラのホセ・アントニオ・アブレウさん。▼ベネズエラでは多くの子どもたちが貧しい地区で暮らし、誰からも期待されず自らも何の希望も持てぬまま非行に走っていた。そんな子どもたちのためオーケストラをつくった」と東京コラム「筆洗」(3月29日)…。

「▼無料で誰でも学べる『エル・システマ』という音楽教育の仕組みを国中に広め、とにかく子どもに楽器を持たせ、合奏させた。▼下手でもいい。ちょっと弾けるようになった子が、できない子を教える。音楽が響き出せば、たとえ拙くとも子どもたちはそこに自分が必要とされる場所を見いだす。そういう試みだ。▼そうして生まれた音は世界を驚かせた」(筆洗)。

「心の底から音楽を楽しみ、生きがいを見いだした子どもらが奏でる新鮮な調べは、超一流の音楽家たちをも魅了、そのオケ『シモン・ボリバル交響楽団』は、欧米で最も切符が取りにくいオケの一つとなった。▼20世紀を代表する名指揮者フルトベングラーは『感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ』語ったそうだが、アブレウさんは、人と人とを音楽でつなぐことで、感動の調べを世界に響かせたのだ」(筆洗)──。
(平成30年3月29日)

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パリはヨーロッパ中の関心を集める<芸術の都>―――。7歳のモーツアルトは15年前、ここパリで<神童>と持て囃された。仕事を得たいモーツアルトの期待は大きかった。ドイツ最高のオーケストラを持つマンハイムで就職口を発見できなかったモーツアルト。父レオポルドの強い勧め、愛するアロイジアと後ろ髪を引かれる思いで別れてやってきた。

だが10年ぶりに訪れたパリは22歳になった<青年>モーツアルトに冷たかった。頼りにしてきた友人のグリム男爵も打って変わってよそよそしかった。やっと紹介してくれたある伯爵の邸宅では、暖房もない狭い部屋に1時間も待たされ、やっと依頼された演奏を始めようとしたら、クラヴィア(ピアノの前身)はボロボロ。音が出ないキーがいくつもあるという有様。

モーツアルトが用意したのはパリの貴族の好みにあうはずの高雅な曲、「J.Cフィッシャーのメヌエットによるクラヴィアのための12の変奏曲」ハ長調(K179)だった。だが演奏を始めても依頼主の伯爵夫人は絵のデッサンに夢中で見向きもしない。他の貴族も同じ。絵筆を手放そうとしない。

「全般に、パリはずいぶん変わりました。15年前のような礼儀正しさをフランス人はもうとっくになくしてしまったのです。今ではほとんど粗野といっていいくらいで、その傲慢さも実に鼻持ちなりません」―――。父に出したモーツアルトの手紙の一節だ。

3月29日のBS「毎日モーツアルト」に登場した老芸術家が言っていた。「60歳を過ぎてから、突然モーツアルトが好きになりました」。火山と同じだ。そして紹介されたのが「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」ホ短調(K304)。「ちょっともの悲しいところが心にしみる。どんなに失意で打ちひしがれていても、聴く人にモーツアルトは喜びを与えてくれる」―――。

「<ピアノ>とヴァイオリンのためのソナタ」とあるが、当時、現在のピアノは進化のプロセスにあり、実際はクラヴィアと呼ばれていた。モーツアルトはパリ滞在中に7曲、同じ「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」を作曲している。紹介された<ホ短調>は唯一<短調>の曲。長調が圧倒的に多いモーツアルトには<稀有>の短調だ。

解説によると、この<ホ短調>は貴族好みの高雅な世界を離れ、新しい曲想を持つという。この後に来るベートーヴェンやロマン派を支える市民社会。新興のブルジョワ向きの音楽の胎動があるのかも知れない。
実は「自由、平等、博愛」を謳う<フランス革命>が<10年後>に迫っていた。誰も知らない。予想もしていない。しかし、貴族が支配するパリは<退廃>していた。貴族没落の予兆かもしれない。

22歳のモーツアルトに更なる不幸が襲う。愛する母マリアが病に倒れる。仕事で郷里ザルツブルグを離れられない父レオポルドに代わってモーツアルトに付き添い、身辺の世話に当たってくれた母。長い旅の疲れと慣れぬ異郷の暮らしに疲れ果てていた。「私は野菜スープは飲めない。固いレバーも口に合わない」―――母は夫に手紙で打ち明けた。一日中外出、仕事探しに夢中のモーツアルトは気づかない。

母は一日中、牢獄のような狭い部屋に閉じ込められ、床に伏していた。ザルツブルグを出る時、用意した旅費も尽き果てようとしていた。母は薬も飲まず、孤独の中で死を迎えつつあった。

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「森友学園を巡る公文書改ざん問題で安倍政権が揺らぐ中、自民党大会が開かれた。安倍首相が挨拶の冒頭、『行政全般の最終的な責任は首相である私にある。改めて国民に深くお詫びする』と謝罪、全容解明と再発防止を誓ったのは当然だろう。一方、首相は同じ挨拶で『いよいよ結党以来の課題である憲法改正に取り組む時が来た』と改憲への意欲を改めて強調した。与野党を超え、政治が今、最優先すべきは改憲ではない。森友問題が失墜させた政治と行政への信頼を立て直す。そこにこそ力を尽くすべきだ」と「朝日」社説(3月26日)。

「国民の財産である国有地が、8億円もの<異例>の値引きで売却されたのはなぜなのか。一連の経緯を示す公文書がなぜ、どのように改ざんされたのか。<背景>も含め、十分な解明がなければ国民の<納得>は得られまい。問われているのは佐川宣寿・前国税庁長官だけではない。財務省だけでもない。発足から5年余の安倍政権のあり方そのものを省みる必要がある。政権が国政選挙に大勝し続けてきたのは事実だ。だがそこで得た『1強』の数の力を<適正>に使ってきたとは言えない」(朝日)…。そう。火山も同感!驕り、緩みの連続。

「まず思い浮かぶのは、歴代内閣が憲法上認めなかった集団的自衛権の行使を、一内閣の閣議決定で容認したことだ。憲法に基づく野党の臨時国会召集要求を放置したままの衆院解散も、忘れるわけにはいかない。国民の『知る権利』に背く公文書のずさんな扱いは、財務省のみならず、加計問題での文部科学省の『総理のご意向』文書や防衛省のPKO日報を巡っても繰り返された。憲法や法律など様々な<ルール>を軽んじる。従う<官僚>は取り立てる一方で、ひとたび<敵>とみなせば徹底的にたたく」(朝日)…。官僚も暴走──。

「<忖度>という言葉に象徴される政官関係の<歪み>は『1強』の<驕り>や<緩み>と無縁ではない。党大会で首相が改憲に意欲を示した9条への自衛隊明記など4項目は、そもそも改正の必要がないなど説得力を欠く。党大会まで取り繕った自衛隊明記案、党内にも<異論>がある。連立の公明党を含め多くの政党も前のめりの改憲には否定的。「何より改憲は国民多数の賛成がなければ成立しない。大事なのは国会議員の数ではなく、幅広い国民の<合意>。改憲を急ぐのか。信頼回復を優先するのか。<岐路>に立っている」(朝日)…。

「自民党大会。国民の<信>をどう取り戻すか」と「読売」社説(3月26日)──。「失われた国民の信頼を取り戻して、政策を遂行する環境を整えることができるか。安倍首相は正念場を迎えている。自民党の定期党大会が開かれた。首相は演説の冒頭、財務省の決裁文書書き換え問題について『責任を痛感している』と陳謝した。『全容を解明し、組織を立て直す』とも強調した。内閣支持率が急落、近年にない<危機感>が漂う大会となった」──。

「学校法人『森友学園』への国有地売却問題。財務省の書き換え発覚後も政府全体の対応が後手に回り傷口を広げた。佐川宣寿・前財務省理財局長の証人喚問を通じ、真相を究明、国民の理解を得る努力を尽くすべきだ。長期政権ゆえの緩みや驕りが生じていることは否めない。国民の飽きも伺える。来賓の公明党の山口代表は『国民の声に謙虚に耳をそばだて、課題解決に取り組む時だ』と注文した。首相は緊張感を持って政権運営にあたる必要がある。

「大切なのは直面する政策課題に真摯に取り組み、一つ一つ結果を出していくことだ。今国会に提出予定の働き方改革関連法案は、長時間労働の是正や『同一労働同一賃金』の推進などが柱となる。仕事の多様化に即しており、雇用環境の改善にも資する。首相は意義を丁寧に説明、成立を期さねばならない。北朝鮮に核・ミサイルを放棄させるため首相は4月中旬、訪米する。トランプ大統領と米朝首脳会談への対処方針をすり合わせることが肝要である。

「党大会では『憲法改正案を示し、実現を目指す』とする運動方針を採択した。自衛隊明記など4項目を中心に各党と建設的な議論を重ねるとしている。自民党は今後、都道府県連などが主催して憲法の研修会を開く。世論を喚起するための地道な取り組みが欠かせない。首相が連続3選を目指すとみられる9月の自民党総裁選が注目されている。石破茂・元幹事長が立候補に意欲、野田総務相も出馬模索。岸田政調会長も派内に主戦論がある」(読売)…。

「2019年の統一地方選、参院選に向け、誰が『選挙の顔』にふさわしいかも意識されよう。財政再建と経済成長をいかに両立させるか、超高齢社会を見据えて社会保障制度をどう持続させるか、政策を競うことが重要」と「読売」社説──。だが次を忘れぬよう。国有地売却をめぐり衆参両院の予算委員会が財務省の理財局長だった佐川宣寿氏を証人喚問した。佐川氏は決裁文書の改ざんについて首相官邸の指示を否定しつつ、詳しい経緯の証言は拒んだ。国有地の格安での売却や文書改ざんに誰がどう関わったのかはなお分からない。

他の関係者の国会招致などを通じて、事実をさらに解明していく必要がある。佐川氏は決裁文書の改ざんについて『本件は個別案件。財務省の官房部局、ましてや首相官邸などからの指示はない。理財局の中で対応した』と語った。一方、改ざんの理由や誰の判断だったのかには『刑事訴追を受ける恐れがある。答弁を差し控える』と繰り返した。国有地の8億円強の値引きは『不動産鑑定にかけて法令に基づいて行った』。適切だったと改めて主張した。

安倍晋三首相の昭恵夫人が小学校設立を応援していると学園側が説明していたことと取引の関係は『首相や首相夫人の影響があったとは考えていない』と断言した。森友問題の核心は学園側の希望に沿った土地取引の背景に、政治の圧力や官僚の忖度があったかどうかだ。首相は昨年2月の衆院予算委員会で『私や妻が関係していたということになれば、私は間違いなく首相も国会議員も辞める』と強調」(日経。3月26日)…。驕り、緩みはないか。
(平成30年3月29日)

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「古典落語の人情噺『芝浜』の舞台は東京・JR田町駅周辺だ。大酒飲みでうだつのあがらぬ魚の行商人が大金の入った革財布を拾う海岸は、今の山手線の線路のあたり。漁師の網干し場のすぐ隣には、薩摩藩の江戸上屋敷があった。落とし主は藩の関係者だろうか。▼東京大学史料編纂所が所蔵する『摩藩上屋敷図』を眺めると、そんな空想が浮かぶ。第一京浜と桜田通りに挟まれた東西約800メートル、南北約300メートルの広大な敷地。雄藩にふさわしく庭園の池には橋が架かり、能舞台もあった」と「日経」コラム<春秋>(1月19日)。

「駅に程近いNEC本社ビルの植え込みに置かれた<薩摩>屋敷跡の石碑が、往時をしのばせる。▼幕府側が藩邸を焼き払ったのは、旧暦慶応3年12月25日。新暦では150年前の今日の出来事だ。薩摩藩が幕政への不満を募らす浪士を集め、江戸市中で略奪や放火などのゲリラ活動を指図した黒幕とみて、庄内藩などに武力の行使を命じた。通説によると<幕府>側を<挑発>し朝敵として討つための<西郷隆盛>の<計略>だった」(春秋)──。

「▼これが鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争の導火線になる。『芝浜』では、行商人の女房が拾った財布を役所に届ける。が、持ち主は名乗り出なかった。薩摩藩邸に出入りしていた浪士たちは幕府と取引のある商人の金蔵を襲った。財布は浪士のものだったのか……。空事にふけりつつ幕末維新ゆかりの地の歴史散歩を楽しんだ」(春秋)──。何を隠そう。火山は<慶応>ボーイ。今を去るジャスト60年前の1958年(昭和33年)4月から「慶大・経済」卒業(1960年3月)まで火山、JR「田町」駅に通学、この<薩摩屋敷>跡と付きあった。

マルクス「資本論」Aゼミに所属。卒論は「資本主義経済とプロレタリア革命」──。おりしも「60年安保」で盛り上がる「時代の波」の中、学生運動に心が動き、サークル「平和の会」委員長として「国会」でもにも、よく出かけていた。東大生<樺美智子>の死は、火山の卒業後、すぐ起こった。その時、火山は9000人規模の「中堅電機」(国際企業)人事部に所属。「60年安保」にも絡む<労働争議>に明け暮れる<労組>と対決、会社側の<勤労>課員として<奮闘>していた。「労働運動に生涯を捧げたい」が<夢>だったのに──。

今年「NHK大河ドラマ」は「西郷どん」──。文政⒑年(1827年)、薩摩の下鍛冶屋町で西郷隆盛は生まれた。西郷は幼名を小吉といった。小吉の顔は幼い頃から人を惹きつけて離さない。美男子というのではなかったが、太い眉の下の目は大きく、黒目がちである。瞳はきらきらとしていて、無邪気にこの目で見つめられると、たいていの大人は息を呑む。無口で、じっと相手の目を見てその言葉を聞こうとする。そんな小吉は母から、弟や妹を大切にし、力の弱い者は強い者が守っていかなければならないと、常日頃から教えられていた。

7月18日、下鍛冶屋町の20人ほどの少年達は早朝に集合し、吉野原を目指して歩き始めた。心岳寺参りである。ここにまつられている歳久公は、薩摩の人達の崇拝の的だ。歳久公は島津貴久公の三男で、義久公、義弘公の弟となる。兄達とは違って、歳久公は常に反骨精神を持った人物だった。豊臣秀吉に降伏した義久公とは違い、歳久公は最後まで抵抗を見せた。そんな薩摩での人気が高い武将、歳久公の祥月命日になると、多くの郷中で心岳寺参りを行うのである。吉野山から竜ケ水にかけては非情に険しい山道となる。

9歳の小吉にとってはつらい道のりだ。しかし、幼い者達を励ますように登る。『もうじき平な道に出る。そげんしたら寺はすぐそこじゃ』。そうしてようやく参道にたどり着いた時、少年達は数騎の馬が駆けてくる音を聞いた。皆は一斉に道に膝をつき、頭を垂れる。馬の乗る様な身分の高い武士には、礼を尽くさなくてはならない。近づいてきた馬がぴたりと止まった。『この者たちは』。馬に乗った男がもう一人の者に尋ねている。『は、今日は歳久公のご命日ゆえ、心岳寺に参詣する郷中の者たちでございもす』。

『そうか、歳久さまのご命日であったか・・・』。男の声は、ほんのかすかに薩摩訛りはあるものの、少年たちには耳慣れない江戸の言葉である。『面を上げよ!』。見えない糸に操られる様に小吉は顔を上げた。山中にも関わらず足袋の白いことが、この男が特別の者だという事を示していた。そして小吉はのけぞる様にして、その男の顔を見た。そのとたん、体に衝撃が走った。これほど凛々しく美しい男を見た事が無かった。気品ある顔立ちであった。『どこの郷中だ。構わぬ、答えよ』。『下鍛冶屋町でございもす・・・』

『幼い者たちもいるのに心岳寺参詣とは殊勝な心がけだ。頼もしく思うぞ』。少年たちは、斉彬に平伏した。そして、土煙を上げながら馬は走り去った。『斉彬さまじゃ・・・』。少年たちは、次々と声をあげる。斉彬は27歳であるが、早くも名君の呼び声が高い。将軍、家斉に可愛がられ、その一字をもらって『斉彬(なりあきら)』と改名した事は薩摩の人間なら誰でも知っている。夢心地というのは、この様な事をいうのだろう。

どの様にして家に帰ったのか小吉は、よく憶えていない。家に帰った小吉は、今日の出来事を、母の満佐と祖父の龍右衛門に話した。気が緩んだのか、わっと泣き出してしまった。母の満佐はそれを見て、小吉を叱りつけた。『これ、小吉どん、泣くのは男として一番みっともなかこっじゃ。いつまで泣いちょっとですか!』。満佐はきっと睨んだ。しかし、祖父の龍右衛門は、小吉が話しやすいように優しい目で小吉を見た。

そして、今日の話を龍右衛門に聞かせた。そこで祖父の龍右衛門から、一生懸命剣を習い学問に励めば、斉彬さまのお側に行く事も出来るかもしれぬ。と聞いたのである。それを聞いた小吉の顔は、パっと輝き、黒く光る大きな瞳をうるませていた。
(平成30年3月29日)

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