火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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「カルビー会長兼CEOの松本晃氏について詳しく知っている訳ではない。だが同氏が(3月)19日の日本経済新聞夕刊1面に書いた『あすへの話題〜100+30=100』という記事を読むと『この人は大丈夫なのかな?こんな経営者の下で働く従業員は大変なのでは…』とは思ってしまう。まず『100+30=100』というタイトルに関する説明がおかしい。記事の前半部分は以下のようになっている」と「インターネット評論家」氏は、始める――。

「小学校のテストでこの答えはもちろん×(バツ)だ。しかし、ダイバーシティの世界では○(マル)だ。例えば、ある会社で今、管理職の女性はゼロ。それではダメだと管理職に占める女性の比率を30%にしたい。だが、会社が成長しないなら管理職の数だけを増やすわけにはいかない。総数の100人を維持したまま、女性の比率を30%にするということは、男性管理職を30人減らして70人にしないと計算が合わない」(カルビー松本会長)――。

「こんな計算なら小学生でもわかる。しかし、現実の社会ではわかっていてもやらない。故に女性の登用は特に日本では進まない。少しは進んでいるが『遅々として進んでいる』。これではグローバル競争に勝ちようがない。日本を除く世界各国のスピードは速い。相撲のような何百年の歴史がある国技でも横綱が10人に増えたことはない。いくらかの増減はあっても幕内力士の数は基本的に定員制。野球のスターティング・メンバーが15人になったという話も聞いたことがない。サッカーは11人がフィールドの定員」(松本晃会長)――。

「『100+30=100』という答えは『小学校のテスト』では『×』で『ダイバーシティの世界』では『〇』だと松本氏は言う。×は分かる。問題は〇の方だ。『総数の100人を維持したまま、女性の比率を30%にするということは、男性管理職を30人減らして70人にしないと計算が合わない』と言うのだから、現在の管理職100人のうち30人を外して新たに女性管理職30人を加えることになる。この場合の計算式は『100−30+30=100』だ。『100+30=100』は『ダイバーシティの世界』でも×だと思えるが」と<評論家>氏――。

「相撲、野球、サッカーの話もあまり意味がない。『野球のスターティング・メンバー』の人数が決まっているからと言って、企業の管理職の数が固定されるわけではない。野球で言えば『スターティング・メンバー』は9人で変わらなくても、管理職に当たる監督・コーチの人数は決まっていない。記事の例えの使い方は不適切だ」と<評論家>氏…。ナ、ナヌッ!ちょっと、待った!悪いが火山、この評論家氏の<杓子定規>!到底<賛成>できない…。アホか!実は火山、「日経」ファン!半世紀を超える愛読者。松本晃氏も名経営者だ――。

カルビーの松本晃会長が大事にしているのは「日本的経営」の維持。ズバリいえば「首切り」は避けたい、ということ。女性管理職は創りたい。でも大多数の企業は、売り上げ、付加価値を簡単には拡大できない。でも従業員は<厚遇>したい。その<葛藤>が記事に匂う。その「人情の機微」が理解できないから。『100+30=100』…。つまり「女性管理職」を創出できない<悩み>に共感できない…。哀れ、というより、アホか――。カルビーはもちろん「女性」優遇だろう。で、アホに、戻ろう。

「せっかくのなので、記事を最後まで見ていこう。「一方、日本企業の多くはこんな当たり前のことをなかなか実行しない。従って、女性の登用は進まない。抵抗勢力は金・地位・権力の既得権を、上司にゴマをするなどして何が何でも死守する」(カルビー松本会長)――。

「結果、企業も組織も男性社会の心地よさを守り変革しない。私は過去18年間多くの管理職の男性から嫌われることを覚悟して力づくでムキになって特に女性を登用してきた。ダイバーシティはトップマネジメントがコミットして力づくでやらないと強い抵抗勢力に負けてしまう。日本は遅々として進んでいる。遅いことは牛でもやりますヨ!」(松本晃会長)…。

「明治6年(1873年)に渋沢栄一が中心になって設立した『抄紙(しょうし)会社』は日本で最も早く生まれた会社の一つだ。製紙の分野でいま国内最大手の王子ホールディングスの源流にあたる。その船出は多難だった。政府が自ら紙の製造を始め、仕事をとられたからだ。▼当時の大蔵省が渋沢らの会社の敷地の一部を買い上げて『抄紙局』を設け、工場を建設した。紙幣用の紙をつくるためだったが、次第に業容が拡大、一般の印刷物に使う紙の生産も開始。これが抄紙会社には痛手となった」と「日経」コラム<春秋>(4月3日)。

「その社名も『抄紙局と混同する』と政府から変更を迫られ、やむなく『製紙会社』に改称した。▼官の専横をほうふつとさせる。こうした民業の圧迫はおよそ140年たった現在もなくなっていない。商工組合中央金庫は組織ぐるみの不正融資をして地方銀行などの取引先を奪っていた。ゆうちょ銀行の預入限度額を撤廃する案も同行への政府の関与が強く残っていることを考えれば、公正な競争を妨げるおそれがある」(春秋)…。

「▼民間はどう乗り越えるか。渋沢は政府に紙の販売中止を求める一方、先端技術の導入に力を入れた。使い古しの布や藁(わら)に代わって木材から紙をつくる技術を日本でも実用化。企業の成長基盤を固めた。いま金融の分野ではIT(情報技術)を駆使したフィンテックが注目されている。企業自身が努力する余地も多分にある」(春秋)――。

渋沢栄一には「日本資本主義の<父>」との異称がある。明治150年の本年(2018年)…。改めて渋沢栄一は偉大と思う。だが火山、法政大教授(元内閣官房内閣審議官)水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社)。「株式会社の終焉」(ディスカバー)を読んでいる。
(平成30年4月3日)

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「『寺内貫太郎一家』などの演出家、久世光彦さんは5歳にして難しい漢字を読むことができた。読むどころか漱石の『虞美人草』を丸暗記していた。<紅を弥生に包む昼酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬき)んずる紫の濃き…>。『5歳の童子がこれを滔々(とうとう)と諳(そらん)じてみせれば、客はやんやの喝采である。父は満悦である』。5歳とは、驚く。▼本と新聞で覚えたらしい。『新聞の字について親に訊ねれば、みんな教えてくれた』」と「東京」コラム<筆洗>(4月2日)…。でも、その大臣は新聞をお読みにならない――。

「どんな字だって読んでくれたし、その意味や用例『まで教えてくれた』。▼その効用をもって新聞を宣伝したいわけではない。ただ、その大臣にも新聞を読む習慣を身に付けていただきたい一心から引用した。もちろん<麻生太郎>財務相である。▼『森友の方がTPPより重大と考えているのが日本の新聞のレベル』。先週の国会答弁で的外れな新聞批判を展開、大恥をかいた。財務省は森友を巡る文書改ざんを行った当事者である。その最高責任者が反省どころか報道に責任を転嫁するとは呆れるばかりである」と「筆洗」は<皮肉る>――。

「▼しかも、まともに新聞を読まないで報道批判をしているらしい。今からでも遅くない。新聞で『反省』『責任』『言語道断』の正しい意味ぐらいはぜひとも理解していただきたい。▼そんなに手厳しいことを書いても大丈夫かって。心配はないと思う。どう勧めても、その大臣は新聞をお読みにはならない」(筆洗)――。「言語道断」「責任」「反省」…。引用の<漢字>にも「筆洗」氏の<積年>の<積念>が感じとれる。ウーン――。

「20歳が人生で最も美しい時とは言わせない。ポール・ニザン『アデン、アラビア』の有名な書き出しは、こう続く。『この世界の中で自分の場所を知るのはキツイものだ』(小野正嗣訳)。何者でもない自分が社会で何をなせるのか。若い希望は不安と表裏一体だ。▼大学生だった山下弘子さんが肝臓がんと診断されたのは19歳の時だ。病巣は大きく余命半年と告げられる」と「日経」コラム<春秋>(4月2日)…。<余命半年>とは、ムゴい――。

「その夜は泣きながら眠ったものの、翌朝には落ち込む両親らに明るく『おはよう』と挨拶した。家族の雰囲気を自分が変えなきゃ。そう考えたからだと、手記『人生の目覚まし時計が鳴ったとき』で振り返る。▼以来5年半、<再発>と<手術>を繰り返しつつ<海外>を旅し、<富士山>にも登り、昨年<結婚>。その軌跡を講演やネットで広く伝え続け、先月25日に<25年>の生涯を閉じた。生前に一度だけお会いしたことがあるが、周りの皆を明るくさせる<笑顔>が心に残った」(春秋)…。凄い!これぞ<一期一会>の人生態度――。

「前向きな姿に励まされたからと<面識>のない<がん>経験者も<通夜>に訪れたという。▼今日、社会人として巣立つ若者が大勢いる。不安や惑いも大きいだろう。学生時代が一番楽しかったなあ。そう嘆く大人になるか、自らの手と足で自分の場所をしっかり築き上げるか。『人生は短くても長くても一度きり。泣いても笑っても一度きり。<一瞬>たりとも後悔なく生きたい』。山下さんの著書の一節を贈りたい」とコラム<春秋>は結ぶ――。

「企業は<自己実現>の場。人生は一人一人が<主役>」…。これは1987年(昭和62年)2月、7000人規模の中堅電機(国際企業)国内営業に新設のマーケティング推進本部<初代>研修部長に抜擢された火山が掲げたモットー。キーワードは「自己実現」「主役」――。

1960年(昭和35年)3月1日、同期大卒新人に1ヵ月先駆け出勤した火山、<ガリ切り>の特技を見込まれ、会社側<チラシ>作戦のため、労務担当「社長室長」の原稿を午後から<ガリ切り>、夕方から徹夜で<謄写>印刷。翌朝、門前で出勤してくる従業員(労組員)にチラシ配布の繰り返しが任務となった。なぜか――。当時のわが社、実は「臨時工の首切りに端を発した<100日闘争>」の渦中にあった。「電機労連」史上に残る<大争議>…。<労組>はデモやスト、職場集会とともに、ビラ、チラシ闘争にも全力投球していた――。

新入社員の火山に与えられた「参考書」は、日経連(現経団連)発行の「社内報の作り方」だった。冒頭に紹介されていたのは「PR(Public Relations)」だった。「<事実>をありのままに伝え、相手の<好意>を引き出すこと」という趣旨の解説だったと記憶する。中学時代、「青い目をした異人さんみたいな美少女の同級生に初恋、彼女の関心を引くために火山は『同級会報』(タブロイド版・2頁)を、謄写印刷で発行、文学少女の彼女にも<寄稿>をお願い、交際始めのチャンスを創り出そうとした。これはまさに「PR」そのものだろう。

彼女から借りた「岩波文庫」の「若きヴェルテルの悩み」や夏目漱石の「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「こころ」などは、小学生の頃から「講談」を読むだけ。「猿飛佐助」「太閤記」「宮本武蔵」の世界しか知らなかった火山に革命的衝撃を与えた。もはや完全に「恋の虜」。14歳の火山、もう「明けても暮れても」彼女のことだけを考え、身を焦がす少年に変えた。彼女は文芸部。火山も即加入。恋は実らなかったが、そこには新しい「出逢い」があった。

中2の火山を捉えたもう一つが「卓球」。中学には「体育館」(講堂)がある。そこに卓球台があった。卓球部の生徒が日々、練習に励む。その姿を観た中学生の火山、スポーツにも目覚め、卓球部のある生徒と意気投合、彼を相手に、放課後、毎日練習をするようになった。

彼のサーブはモーレツ!並大抵では受けられない。火山、死に者狂い。少しずつ上達した。ラリーの応酬。それは次第に長く強くなった。何しろ放課後、連日の猛特訓。火山は思い切り鍛えられた。足腰も手足も心臓も相当の鍛錬。これが火山の今、<半寿>につながる。
(平成30年4月3日)

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