火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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「<恐慌>に見舞われた<昭和>初めは極度の<就職難>の時期だった。学生はいかにして難関を突破するかを必死に考え、就職戦術論が急速に発達したといわれる。その頃つくられた『就職いろは歌』は、戦術集ともいうべきものだ。尾崎盛光著『日本就職史』」が紹介している。▼『一応は断られると知るべし』『論より具体案』『はしっこく、こんきよく』に始まり、めだつのはやはり面接対策だ。『待ってる間も試験』『眼は常に相手の眼へ』などが並ぶ」と「日経」コラム<春秋>(5月17日)…。現役時代・人事マンの火山、刮目――。

「『褒めるのも善し悪し』は、お世辞は控えめにという戒め。『抜目も愛嬌』と、欠点も武器に転じると励ます。多くはいまも、うなずけよう。▼が、現在の就職戦線を作者が見たら、驚くのではないか。一部の企業は人工知能(AI)による<面接>を始めている。スマートフォンなどを通じて<AI>が学生に質問、回答内容と音声や表情のデータをもとに<適性>や<バイタリティー>を判定する。面接官との良好な関係づくりに心を砕く、いろは歌の戦術にとっては強敵」(東京)…。「適性」と「バイタリティー」の判定。ナルホド――。

「▼学生にはAIによる<人格>の評価への<不安>もある。個人データ保護のため欧州連合が来週施行する『一般データ保護規則』では、企業の選考を受ける人がAIだけで評価されない<権利>が明確になる見通しだ。日本でも、人が関わることが採用の<判定>ルールになる可能性がある。相手の心を掴む努力は無駄にはなるまい」とコラム「春秋」――。

「人工知能(AI)による<面接>を一部企業が始めた。欧州連合『一般データ保護規則』では<企業>の選考がAIだけで評価されない<権利>が明確になる見通し」と「日経」。火山、興味津々…。1960年(昭和35年)3月から1997年<平成9年)6月に及ぶ火山の<企業>人生。その過半は<人事>畑。23歳から42歳までは「採用」「配属」「異動」「研修」に関与。50歳から60歳まで「マーケティング研修」「人材育成」「管理職教育」に関与した。

7000人規模の中堅電機(国際企業)の「教育部長」(理事)で定年を迎えたが、自分が採用した多数の大卒。新人から中堅へ能力開発、人材活用に関与。管理職となってからも<個人別>に眺め、把握してきた。研修では「グループ討議」「プレゼン」を多用。「適性」「能力」データも駆使…。<AI>と<人事>管理の関係も火山なりに考察、研鑚も重ねた。<AI>という仕組み(システム、プログラム)も人間の<創案>。コンピュータの<学習能力>も人間の影響を脱し得ない…。火山のモットーは「常識を疑う<哲学>精神」――。

「誰からも好かれる人は、日本語の基礎力が違う――。人間関係は、言葉でよくなり、言葉で壊れる。日本語力の足りない人は、本人も気づかぬうちに誤解され、いつの間にか嫌われていたりする。一方、日本語力が十分な人は、的確に相手の感情を掴んだり、意思を伝えたりできる。だか人間関係が自然によくなるのである。ならば、外見を磨くのと同じ感覚で日本語力を基礎から磨き直すべきではないか、というのが本書の主旨である」(斎藤孝「日本語の技法〜読む・書く・話す・聞く――。4つの力」東洋経済新報社・帯)――。

「作詞家の阿久悠さんが『歌謡曲』について、こんな定義を試みている。『流行歌とも演歌とも違うし、Jポップとも違う。ただし流行歌とも思えるし、演歌とも考えられるし、Jポップ的なところもパーツとしては見つけられる』。つまり『恐ろしくフトコロの広い、大きな器』なのだと(『昭和と歌謡曲と日本人』)▼その定義でいえば、歌謡曲全盛の1970年代にひときわ輝いた、その歌い手は歌謡曲それ自体を体現した存在だったといえるだろう。歌手の西城秀樹さんが亡くなった。63歳」と「東京」コラム<筆洗>(5月18日)――。

「情熱の人の早すぎる旅立ちが寂しい▼阿久さんの言葉を借りて西城さんの歌を考えれば、『アイドルとも思えるし、流行歌とも、ロックとも考えられる』となるのだろう。▼加えて独特な絶唱やときどきかすれる声は、日本人を泣かせる演歌の憂いや哀切までも含んでいた。大きな器であった▼情熱、感激、一途。歌声から連想する言葉を並べれば、自然と高度成長期後半の日本人の熱っぽい顔が浮かんでくる。時代の空気が歌声にマッチしていた。

▼<君が望むなら生命(いのち)をあげてもいい>(『情熱の嵐』)。<若いうちはやりたいことなんでもできるのさ>(『YOUNG MAN』)。今の若い人が聞けば、皮肉な笑いを浮かべるかもしれぬ。熱を失った今の日本において、それらの歌詞は成立しにくいか。それも寂しい」とコラム「筆洗」は結ぶ――。いかがであろうか。これが豊かな「生命」「言葉」の世界…。多くの先人がこの世界で研鑚を重ね、育ててきた。<AI>に何が、できるか。火山、一概に決めつけはしない。でも人類には多様な歴史があり、多彩な遺産がある――。

「日本語を基礎から鍛え直す。コミュニケーションの基本は、意味と感情をやりとりすることだ。親兄弟や夫婦、友人関係などお互いをよく知る間柄であれば、言葉の意味にあまり気を遣う必要はないだろう。感情のベースが出来上がっているから、いい加減な表現をしても意味は通じる。ところがビジネス関係など感情のベースがゼロまたは不完全な間柄では、そうはいかない。感情を補うように、意味の的確な伝達が不可欠だ。これがうまくいかなければ、相互に不信感や不安感を募らせることになる」(斎藤孝・20頁)…。この世界は深遠!

そこで「日本語の基礎」を学び直す。これは「斎藤孝」の<哲学>…。第1が<語彙力>!第2が<要約力>!第3が<感情読解力>…。「人は日本語で人間性の9割を判断する」(斎藤孝・1頁)――。<AI>が<人間>世界を変革できるとすれば<高邁>な<哲学>精神と<知恵>を<自学自習>できる深遠な<能力>が求められる。<稿>を改めたい――。
(平成30年5月18日)

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「<西城秀樹>さんと言えば生前は<新御三家>として<野口五郎>さんや<郷ひろみ>さんとの3人。めちゃくちゃ人気のあるスーパースターでした。私自身はリアルタイムで、その人気ぶりを見ていないのですが、幼い頃によく観ていたアニメのちびまる子ちゃんで、お姉ちゃんの大ファンのスーパースターとしてよく登場していました。エンディング曲で『交差点で100円ひろおった〜よ』のフレーズから始まる彼が歌っていた『走れ正直者』は、今でも口ずさめるほどよく覚えています」と「インターネット」…。火山、刮目――。

「他にも『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』や『傷だらけのローラ』『ギャランドゥ』『ブーメランストリート』なども世代じゃなくても知ってるほど一時代を築いたスーパースター。そんな彼の死因はなんだったのでしょうか?デイリースポーツの報道によると彼は亡くなられる約20日前の4月25日に家族と団らんの時間を過ごしていた時に突然意識を失って倒れてしまった。そしてその後、横浜市内の病院に救急搬送されたものの、意識が回復することなく、5月26日には心停止、最期を迎えられたそうです」(インターネット)――。

「過去の2003年と2011年2度の<脳梗塞>を患ったことも関係しているのでしょうか?2度目の脳梗塞が発症した時、彼は精神的にも打ちのめされ、自殺を考えるほどだったとか。最近はリハビリにも熱心に取り組まれ、子供たちが20歳になるまでは仕事を頑張りたいと、かなり前向きに生きていたとのこと。本当に悔やまれます…。脳梗塞の<原因>は大きくわけると、2つあるらしく、1つは<脳血管>そのものに起こる動脈硬化(脳血栓症)――。

脳の動脈硬化が進んで血管の内部が狭くなり、血液の流れが悪い部分ができていると、ちょっとした血圧の変化などをキッカケに、その部分に<血栓>(血の塊)ができて、血液の流れを完全に塞いでしまいます。もう一つは<脳>でなく<心臓>の出来事によるもので、その大部分は、代表的な<不整脈>である<心房細動>の結果、心臓の中にできた小さな塞栓が血液の流れに乗って脳の血管に運ばれてきて、そこで血流を塞いでしまう(脳塞栓症)という、起こり方です。(出典:日本生活習慣予防協会)」と「インターネット」――。

「西城秀樹さんがどちらのタイプだったのか、ハッキリとした情報はないのですが、もし2つ目の心房細動が原因だったとしたら、心筋梗塞など<心不全>を起こす確率も高いそうです。このような心臓の機能が直接関係している症状では比較的短時間で死に至ることが多いそうなので、意識を失ってから約20日間も病院で治療が続けられたことを考えると、もしかしたら、全然違う病気なのかもしれません。脳血管系の異常で<脳死>状態からの<延命>治療の断念という<家族>の<決断>かもしれません…。凄い!ウーン、参った――。

<西城秀樹>(1955年4月13日〜2018年5月16日)は「歌手、俳優。本名は木本龍雄。広島県広島市出身。アースコーポレーション所属。身長181cm。血液型はAB型。既婚…。広島県広島市、広島駅近郊の東蟹屋町(現:東区 東蟹屋町)に誕生。ジャズギターが趣味だった父親の影響で幼少期から洋楽に馴染み、ジャズスクールに通ってドラムを勉強した。小学3年の時、最初にファンになったのはジェフ・ベックで『おませなガキ』でもあり、同世代には洋楽を聴く者は誰もおらず、音楽の話は兄たちとした」と「ウィキペディア」――。

「小学5年生の時、兄とエレキバンドを結成、小学生ドラマーとして活動した。ベンチャーズ、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、シカゴ、ジャニス・ジョプリンなどの洋楽に影響を受け、1971年のレッド・ツェッペリン広島公演もバンド仲間と観戦。歌謡曲は聴いてなかった。中学以降もバンド活動を続け、米軍岩国基地のライブハウスなどにも出演、1969年の『ウッドストック・フェスティバル』は、そこでテープを録ってもらった物を観た。強い感銘を受け、後のスタジアムライヴにつながったと話している。

岩国基地が近辺にあったため、最新の洋楽の情報は東京より迅速であったとか…。山陽高等学校生徒時代、ジャズ喫茶でバンド出演時、たまたま歌唱していたところをスカウトされる。本来、歌手には興味がなかったが、当時、尾崎紀世彦の『また逢う日まで』がヒットして、歌謡曲が変わり始めた時期と感じ、スカウトを承諾した。父親が頑固で厳格な人であったため芸能界入りを猛反対。その反対を押し切り、家出同然で広島から上京。芸能事務所『芸映』に所属。明大中野高等学校定時制へ転校する」(ウィキペディア)…。以下も同じ――。

「1972年3月25日、ビクター音楽産業よりシングル『恋する季節』で歌手デビュー。キャッチフレーズは『ワイルドな17歳』。片仮名『ヒデキ』が愛称となる。1973年6月25日、『情熱の嵐』がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。一躍トップアイドルとなり、郷ひろみ、野口五郎と共に『新御三家』と呼ばれる。『ちぎれた愛』『愛の十字架』が連続してオリコン週間チャート第1位。絶唱型が『第15回日本レコード大賞』で初の歌唱賞。

1974年、『薔薇の鎖』でマイクスタンド・アクションを披露。『激しい恋』がオリコン年間チャート第8位獲得。『傷だらけのローラ』が『第16回日本レコード大賞』で歌唱賞受賞。これによりポップス歌手として史上初となる2年連続受賞を樹立する。『第25回NHK紅白歌合戦』にも初出場、その後も着実にヒットを飛ばす。ホームドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演、松竹映画『愛と誠』で映画初主演と<俳優>としても活動する――。

告白しよう。西城秀樹は1955年(昭和30年)生まれ。火山は既に18歳。慶応高校3年。
だが81歳の今、「いつ倒れても不思議はない」(心房細動)と主治医の宣告。<心不全><不整脈>で投薬治療中…。西城秀樹を急遽、研究する<出会い>を得た。ト・ホ・ホ――。
(平成30年5月18日)

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「気持ちが明るい時でも、ブルーな厭世気分の時でも、どんな時でも聞ける音楽。モーツアルトの音楽にはムリもウソもない。努力してムリヤリ笑わせようとか…。そういう努力してやるようなことをモーツアルトは自然に作ってしまう。トルコ行進曲はベートーヴェンにもあるが、モーツアルトの方が良い。元気がよい。何回も同じメロディーを繰り返す。それが素晴らしい。ベートーヴェンも悪くはないが、当時流行っていたのでベートーヴェンも作った。でもベートーヴェンは意図が見えてしまう。モーツアルトは唯一と言って良い天才ですね」――。本日のゲストは俳優の江守徹。

本日の一曲は「ピアノソナタ」第11番イ長調(「トルコ行進曲」付)。力強く躍動感に溢れる。トルコの軍隊を髣髴とさせる音楽だ。1783年は17世紀の末、オスマントルコの軍隊にウィーンが包囲され、陥落寸前という危機一髪から奇跡的な勝利を得た<戦勝100年>!記念の年だった。隣国トルコへの関心が高まり、異国情緒が流行していた。モーツアルトは27歳。

敗走するトルコの軍隊が残したコーヒー。ウィーンでは<カフェ文化>が起った。トルコの<三日月>をかたどったパンの<キプファール>。クロワッサンの原型という。パン職人が新しいパンを生み出した。
1783年、<戦勝記念100年>の町にはトルコの異国情緒が溢れていた。モーツアルトは愛するコンスタンツェと<ブルグ館>に暮らしていた。テレビに<ブルグ館>跡が映し出された。「ピアノソナタ」(「トルコ行進曲」付)はそんな雰囲気の中で作曲された。モーツアルトの代表的な作品。「トルコ行進曲」はとりわけ有名だ。

ウィーン北西にある標高425メートルのレオポルトベルグ山。オーストリアからの依頼に応え、救援軍が集結していた。1683年9月12日、総攻撃を前に山頂の教会で<戦勝祈願>のミサが行われ、祈り終って兵士たちはトルコの大群の中に突入、ついにウィーンを陥落の危機から解放した。ウィーンの軍事史博物館。大砲などオスマントルコとの戦いの記念品や戦利品が陳列されている。

モーツアルトは新しいリズムを生かし、トルコ風のモチーフを使った音楽を作った。勇ましく進撃するトルコの軍隊。打楽器に特色のあるトルコの軍楽。モーツアルトの「トルコ行進曲」はシンバルの伴奏がついている。異国情緒を巧みに取り入れた。トルコにリズム、旋律に触れ、モーツアルトはさらに成熟の度を深めて行った。
(平成18年6月5日)

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