火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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「政府の男女共同参画会議が女性活躍のため重点的に取り組むべき事項をまとめた。セクハラ根絶対策の推進が大きな柱。これを受け、政府は6月に『女性活躍加速のための重点方針』を決める。この中でセクハラをこれほど重視するのは今回が初めてとなる。企業などは政府の決定を待たず、対応を急いでほしい。男女雇用機会均等法は、セクハラの防止措置をとる義務を企業に課している。だが取り組みは不十分だ」と「日経」社説(5月27日)…。

「厚生労働省の調査では、セクハラ対策をしていない企業は中小企業を中心に4割を超え、相談窓口がある企業は3割以下。仕組みがあっても、どこまで機能しているか別問題となる。セクハラ被害は女性を深く傷つける。更に追い打ちをかけるのが、職場は守ってくれるのかという不安。働く女性は増えたが、男性中心の意識はなお根強い。『この程度で目くじらを立てるな』と被害を軽視、受け流すことを求めがちだ。結果、独りで抱え込む女性は多い。

男女共同参画会議はセクハラが『重大な人権侵害』であることを改めて指摘した。セクハラを許さないという断固たる姿勢をトップ自ら社内外に示し、中間管理職にも徹底する。被害者のプライバシーを守り、丁寧に対応する。加害者が取引先などの外部であっても組織同士で毅然と対応する。取り組むべきことは多い。心配なのは徒らに女性を仕事の一線から外す方向に走ること。女性を特別扱いするようなやり方では、本質的な解決にはつながらない。変えるべきはセクハラの温床となってきた職場風土や社会の意識の方だ」(日経)…。

「対策が遅れれば、社員の流出や意欲低下はもちろん、企業イメージの悪化や投資家からの信頼を失うことにつながる。セクハラ対策は重要な経営課題であり、多様な人材が力を発揮する職場づくりの大前提となる。『女性の活躍』や『ダイバーシティー経営』を口先だけにしてはならない」(日経)…。「セクハラ」と「パワハラ」…。いずれも「男性中心」の<封建>主義、<閉鎖>社会の根強い<遺制>では、なかろうか。ことによると<宗教改革>にも匹敵する<壮絶>な<戦闘>!抜本的な<革命>が、必要なのかも、知れない――。

「『痴愚神礼讃』(希:Morias enkomion、羅:Stultitiae Laus)はネーデルランド出身のルネサンス人文主義者デジデリウス・エラスムスのラテン語による諷刺文学である。1509年に執筆され、1511年に初版刊行された。訳題は他に『愚神礼賛』、『痴愚礼賛』などがある。痴愚女神モリアー(Moria)の名前はギリシア語で『痴愚』『狂気』を意味する。モア(More)のラテン名モルス(Morus)から連想された。本書はトマス・モアに捧げられている」と「ウィキペディア」…。「痴愚神礼讃」、実は火山の<初心>な<初恋>も絡んでいる――。

「エラスムスは1509年にロンドンを訪れ、親しい友人トマス・モアのもとに滞在。旅行中に着想した諷刺文を僅か1週間程度の短期間で一気に書き上げた。本書は1511年の出版以来、ヨーロッパ各国で翻訳や海賊版が多数出版され、何十もの版を重ね宗教改革における一大ベストセラーとなった。一説には数十万部も刷られたとされ当時、破格のベストセラー。しかし、宮廷人や至尊の教皇をも対象とする過激な諷刺内容から、しばしば教会・聖職者より敵視され発禁処分を受け、問題部分を削除した版も出版された(ウィキペディア)――。

「<言弁>に<火>を二つ書くのよ」…。<小5>の「国語」テスト。「相談」の<談>を書けないでいた火山、後席から優しい女声が聞こえた。<女番長>のアダ名の副級長。<優等生>で級長の火山に「カンニング」のお誘い。「えっ」!火山、わが耳を疑った――。でもそれからナント!<70年>の歳月が過ぎた。でも今も、決して忘れない。なぜか――。

昨年<傘寿>80歳を祝った火山。実は「アルテリーベ」(昔の恋人)の彼女と<月1>のデートを重ねていた。「主人の27回忌を済ませました。思えば長い人生を生きてきました」と彼女からハガキが来た。有名デパート「書道教室」講師の彼女、素晴らしい麗筆。火山、意を決して電話で誘った。彼女が選んだ<逢い引き>場所が「アルテリーベ」という喫茶店。「痴愚神礼賛」は中2からミッションスクールに転校した彼女が、青春の日に<耽溺>したはずの<愛読書>。火山にとっても「♪若き血に燃え〜」ていた日の忘れ得ぬ<書名>――。

「デジデリウス・エラスムス(1466〜1536)は、ネーデルラント出身の人文主義者、カトリック司祭、神学者、哲学者。『ロッテルダムのエラスムス』とも呼ばれる。なお、名前の『エラスムス』は洗礼名でカトリック教会の聖人フォルミアのエラスムス(Erasmus of Formiae)からとられているが、『デジデリウス』は1496年から自分自身で使い始めた名前である。

痴愚の女神モリアーが聴衆を前に大演説会を開き、聖書伝説やギリシア・ローマの古典からの夥しい引用、縦横に繰り出される<警句>とともに人間社会の馬鹿馬鹿しさや繰り広げられる愚行を饒舌に<風刺>する。痴愚女神は軽妙洒脱な語り口で、王侯貴族や聖職者・神学者・文法学者・哲学者ら権威者を徹底的にこき下ろし、人間の営為の根底には<痴愚>の力が働いている。人間は愚かであればこそ幸せなのだ、と自画自賛の長広舌を繰り広げる。

宗教改革の時代を生きたエラスムスは『カトリック教会を批判した人文主義者』と表現されることが多い。だが実際はローマ教皇庁を含めカトリック教会内に知己が多く、生涯を通してカトリック教会に忠実。カトリック教会の諸問題を批判しながらも中道を標榜してプロテスタント側に投じることはなかった。エラスムスは1536年にバーゼルで逝去、もともとカトリック教会のバーゼル司教座聖堂だった教会に埋葬された」(ウィキペディア)――。

あれから1年。<半寿>(81歳)の火山、アルテリーベに<2度>も<失恋>!痴愚――。
(平成30年5月27日)

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「選手は<危険>な<反則>タックルをするしかない、と思い詰め<突進>した。そこまで追い込んだ監督とコーチに、指導者としての資格はない。日本大アメリカンフットボール部の選手が危険な<タックル>をした問題。<内田正人>前監督は『私からの指示ではない』と自らの指示について否定した。<井上奨>コーチは関西学院大の選手を『潰してこい』と言った点は認めたが、『闘志を出してやれという思いだった』と釈明した。相手選手を<負傷>させろ、との意味ではなかったとも強調した」と「読売」社説(5月25日)――。

「国家から企業、お役所、病院まで。今の時代の<組織>に欠かせない<スキル>の一つは<危機管理>能力であろう。それを高等教育にいち早く取り入れ、危機管理学部を<創設>したのが日本大学。エキスパートの育成を目指しているというから、何と<皮肉>な事態であろうか。▼アメリカンフットボールの試合で起きた危険なタックルの問題。肝心の大学当局が管理どころか<火だるま>の状態に陥っている。記者会見の先延ばしは<命取り>。情報の小出しは<火>に油を注ぐ」と「日経」コラム<春秋>(5月23日)――。

「言い逃れに聞こえる弁明は逆効果。危機管理を教えるどの教科書を開いても、こうしたチェック項目が必ず出てくると思うのだが。▼問題のタックルをした側の選手が昨日、記者会見をした。事実を明らかにすることが償いの第一歩だと述べ『相手を潰してこい』という監督、コーチからの指示があったことをハッキリ、自分の口で語った。もちろん、だからといって許されることではないが、20歳になったばかりの若者の苦悩や決意は感じられた。▼このままでは危機管理の教科書に、日大事件が刻まれることになる」(春秋)…。

「『初動では大失敗したけれど、誠意を見せてリカバリーした事例』にかえようと思えばまだ間にあうかもしれない。勇気を振り絞った自校の学生をどう支えていくかという課題も加わった。危険タックルをした宮川泰介選手は前日の記者会見で、前監督とコーチの指示があったことを認めている。大学アメフト界の名門、信頼関係で結ばれるべき選手と指導者の見解が真っ向から対立しているのは、残念な事態だ」と「日経」コラム<春秋>――。

「今月になって、宮川選手は日本代表を辞退するよう内田前監督から言い渡されたという。実戦練習からも外されていた。20歳の若者が精神的に追い詰められたのは想像に難くない。コーチから『潰せ』と言われれば『ケガをさせろ』と捉えるのもムリない。関学大との試合当日、『ここでやらなければ、後がない』とまで思った。反則タックルは許される行為ではないが、宮川選手の心情を推し量れなかった前監督やコーチの責任こそ重い」(読売・社説)。

「宮川選手の記者会見後、状況をキチンと説明せず否定する内容の記者会見を開いた。後手の対応は危機管理能力を著しく欠いている。保身が目的だと批判されても仕方がない。内田前監督と選手の間のコミュニケーションは殆どなかったという。監督が絶対的権限を持ち、意向をコーチを介して選手に伝える。旧態依然とした上意下達の組織と言えよう。内田前監督は日大の常務理事の職を一時停止、謹慎するという。井上コーチは辞任した」(読売)…。

「組織の<体質>を根本から変えない限り、日大アメフト部の復活はあり得ない。日本レスリング協会の強化本部長だった<栄和人>氏による<伊調馨>選手へのパワーハラスメントも認定されたばかり。実績を積んだ指導者ほど<驕り>が生じ、選手の立場を軽んじる<危険性>が高まる。各競技の指導者は我が身を正してもらいたい」と「読売」社説――。

「アメフト問題。選手の<悲鳴>受け止めよ」(「朝日」社説5月25日)――。「将来を嘱望された選手がなぜ悪質なプレーに走ったのか。日大アメフト部の選手が関西学院大学との定期戦で危険なタックル、相手選手にケガを負わせた問題は収束・和解に向かうどころか混迷を深めている。最大の責任は事態を甘く見て不誠実な対応をくり返してきた日大にある。22日に記者会見した選手は監督やコーチの指示を受け、故意の違反行為に及んだと打ち明けた。自らの精神状態を具体的に語り、関学側への謝罪の言葉を連ねた。

一方、1日遅れで会見した前監督とコーチはケガを目的とした指示はしておらず、誤解した選手に問題があると終始。主張がこうも食い違う以上、客観的な解明が必要だ。日大は遅まきながら第三者による調査委員会を設ける。中立公正なメンバーを選任、他の部員からも丁寧に聞き取り、速やかに社会に報告すべきだ。危険プレーに対する見解を求めた関学に対し、日大は当の本人に話を聞くことすらせずに回答していたことも選手が会見してわかった。

こんな無責任が許されるはずがない。会見を通じてハッキリしたこともある。日大アメフト部の時代遅れで<閉鎖的>な指導法。選手と監督が話をすることは滅多になく、指示はコーチが伝える。問題の選手は突然、日本代表チームへの参加を辞退するよう命じられたが、理由は説明されない。選手の発奮を促すためと称し、練習に参加することも許さず、追い込む。近年は国内外に留学、最先端の練習方法やコーチ術、医学知識を習得、科学的な指導に取り組む例が少なくない」と「朝日」…。これらを<組織文化>という。火山の<専攻>――。

「体づくりや技術だけでなく、ストレスをどう制御するかなど、心理面でも専門家と協力して選手を導く動きが広がる。これに比べると日大アメフト部の異様さが際立つ。歪んだコーチングは選手を、そしてチームを不幸にするだけ。『もう大人なのだから自分で善悪を判断すべきだった』と選手に苦言を呈する声もある。だが学生にとって指導者の存在は極めて大きい。だから<責任>も重い。今後の学生スポーツのあり方を考える上でも背景までシッカリ掘りさげた調査を求める」(朝日)…。同感。残念、紙幅が尽きた。<稿>を改めたい。
(平成30年5月27日)

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素晴らしい講演を聞いた。「戦国武将の手紙を読み解く」…。紅葉坂を登った県立図書館。講師の岡田正人、織田信長研究では第一人者らしい。1992年(平成4年)、NHK大河ドラマ「信長」では時代考証を務めたという。火山、もちろんカブリツキ。戦国武将というから<信長>か<信玄>か…と期待していた。岡田氏、大徳寺で信長の妻<帰蝶>の墓を発見したというから相当な<凝り性>だ。講演も熱が入った。

10月27日(木)は<文字・活字文化の日>というが聞いたことがない。岡田氏も知らなかったという。今年、6月に制定されたばかり。<読書週間>の<初日>というのがミソ。<読書>とは<書を読む>…。<書>とは<文書>…。文書には<古文書>と<公文書>の二種類があり、<明治>以前のものを<古文書>、明治以降を<公文書>というそうだ。

<書>とは手紙と文書。豊臣秀吉と徳川家康の手紙は現存するものはどちらも約<6500>。だが織田信長はたった<900>という。武将には代筆役の<右筆>がいた。<自筆>は少ない。極めて貴重。信長の<自筆>は何通残っているか。驚いた。たった<1通>だ。信長は逆臣・明智光秀に殺された。本能寺の変。柴田勝家はじめ多くの忠臣も滅びた。秀吉の大阪城には多くの文書があったはずだが、家康に攻め滅ぼされ、火災で焼失。城内にあったはずの信長の文書も失われた。惜しい話だ。

残された貴重な手紙が紹介された。写真に撮ったコピー。凝り性の講師、実物大に復元して見せてくれた。一通は有名な<秀吉の妻>に与えたもの。秀吉の浮気、女グセの悪さを<おね>が信長に<直訴>した。女の<嫉妬>は恐ろしい。手紙に<日付>がない。いつ書かれたかハッキリしない。でも文面から推定できるという。「おほせ(仰)のことく(如)、こんと(今度)ハこのち(此地)へはしめてこし<越」、しうちゃく(祝着)に候…」――この地とは<安土>、この頃、秀吉は大名に出世、長浜に城を構えた。直後から<女遊び>が始まったらしい。直訴を聞いて信長はどう裁いたか。

「それのみめ(見目)ふり、かたち(容姿)まて、いつそやみまいらせ候折ふしよりハ、十の物廿ほともみあけ(見上)候、藤きちろう(吉郎)、れんれんふそく(不足)のむね申のよし、こん五たうたん(言語道断)くせ(曲)事候か、いつかたをあひたつね(相尋)、それさまほとのハ、又ニたひ、かのはげねすみあひもとめ(求)かたき(難)あひた…」。

「あなたのような美しい女性はいない。前に会った時より倍も綺麗になっている。それなのに不足をいう藤吉郎は言語道断、怪しからん。どこを探したって、あなたのような美しい方に、あのハゲネズミは二度と会えはしない」――。妻の<おね>を褒め上げている。だがここからが信長の凄いところ。紙面の都合で原文は割愛するが、「嫉妬は女性の役だが、あまり焼き過ぎてはいけない。どっしりと構え、言いたいことがあっても言ってはダメ」とやんわりと諭している。その上で「この手紙を藤吉郎にも見せなさい」という気の使いよう。誠に見事です。藤吉郎時代の秀吉、どんな顔をして読んだのでしょう。

あの<冷酷無比>と言われる信長に、女性に対する「人情細やかな気配りがあったのか」と評判の手紙。でも若き日の信長の肉声が聞こえてくるような素晴らしい文章。この時、おねは山ほど見事なお土産を持参した。初めて来るというので信長も<答礼>の品物を用意した。だがもらった物が素晴らし過ぎて自分の方が<見劣り>…。「だから今回は持たせない。次回に改めて贈る」とまで書いている。

おねが帰った直後、右筆を呼び、すぐ口述筆記させた。だから肉声が聞えてきそうな生き生きした手紙。講師はいう。信長はユーモアもあり、純粋な人だった。結んだ盟約を自分の方から裏切ったことは一度もない。武田信玄、上杉謙信、浅井長政、松永久秀…。裏切ったのは全て<相手>方。純粋なだけに深く傷ついたのではないか…という。

信長<自筆>の手紙。ナント、この世に<1通>だけしかない。それも署名も朱印も花押ない。講師はいう。自筆には朱印も花押もしないのが慣例という。なぜ自筆と分かるか。この文書は<感状>…。家来の長岡与一郎の戦場での働きを認め、恩賞を与えると約束した手紙。実はまったく同じ日付、同じ紙質で<添え状>が添付されていた。小姓の堀久太郎秀政のもの。そこに<御自筆之披成御書候>とある。実は長岡与一郎とは細川忠興のこと。細川護煕元首相のご先祖(大大名)。家宝として伝えられてきた。

この自筆、素晴らしい<達筆>――。右筆の比ではない。講師が保証した。火山にもそう見える。そして信長の人柄が分かる。<天下布武>の朱印。稲葉山城を<岐阜>城に改めた理由。<麒麟>の花押。これらは信長が生涯、<師>と仰いだ妙心寺派の高僧<沢彦宗恩>禅師から教えられたもの。

<布武>とは<武力>で<天下統一>――と普通は理解されている。だが本当は<違う>という。<武>を分解すると<戈>と<止>――。つまり<戦争>を無くす。戦争をせずに<平和>をもたらすという意味。若き日の信長にはこの<純粋>さがあった。そして恐らく<生涯>変わらなかった。確かに<残酷>な事件を起こした。だが<非情>は信長が<自分>で求めたものではない。講師は断言した。火山もそう信じる。では<非情>とは何か――。

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「モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトの都に、音楽の英雄が生まれた。ヨハン・シュトラウスである。ウィーンは音楽の都と言われるが、19世紀後半にウィーンの人々あるいはハプスブルグ帝国の人々に一番愛された音楽は、ヨハン・シュトラウスのワルツであった」(倉田稔「ハプスブルグ・オーストリア・ウィーン」成文社・32頁)――。

十数年前、50代前半の火山、初めての海外旅行でウィーンを見た。憧れの都。家内を口説いて真っ先に駆けつけたのが「美しく青きドナウ」。地図を手に、確か地下鉄に乗った。ウィーンが大好きになった。家内も同じ。結局、その後もあわせ、ウィーンは3回旅した。なぜ、ウィーンは素晴らしいのか。恥ずかしいが、その理由を知らなかった。だが数年前、女子美のキャンパスにある本屋で、10%引きの得点に浮かれ、酒の酔いに身を任せて、ウッカリ買った本で、ウィーンの歴史を知り、仰天した。

倉田稔「ハプスブルグ歴史物語」(NHKブックス)――。「ハプスブルグ帝国は、始祖ルドルフ一世から最後のカール一世まで、六百数十年続いたヨーロッパ最大の帝国であり、一時は世界帝国であった。近代では中欧の大帝国であり、ハプスブルグの家長は神聖ローマ帝国の皇帝であった。だから、ヨーロッパで最も由緒のある王朝であった」(3頁)。著者の倉田稔。火山のゼミ後輩。マルクス経済学教授が、なぜハプスブルグ王朝か――。ビックリ!だが彼、ヒルファーディング「金融資本論」研究がウィーン留学の動機だった。

火山が「クラシック大好き、ウィーン大好き」と知って、小樽から贈ってくれたのが、標記「ハプスブルグ・オーストリア・ウィーン」。「ワルツの調べに乗ってウィーン人は踊り続けた。このダンスは、オーストリア史始まって以来初めて、公衆の前で異性に触れるものだった。ワルツはウィーン生活の歓喜の象徴であった。またダンスに対するウィーン人の情熱は病的なほどであった。ワルツとダンスにうつつを抜かしたのは、一方で、過酷な日常生活の現実から逃れる必要があったからでもある」(32頁)――。

ヨハン・シュトラウスは二人いる。父(1804〜1849)と息子の二世(1825~1899)。「美しく青きドナウ」は二世の作品。ウィーンの人々は「美しく青きドナウ」をこよなく愛した。

ドナウの静かな流れを思わせる序奏は、挨拶(グリュース・コット)代わりに使われた。
だが「美しく青き…」は1867年、オーストリア=ハンガリー軍がサドヴァでプロイセン軍に敗れた直後の作品。ハプスブルグ王朝はドイツ諸国への覇権を失い、二流国へ没落する。
日本は明治維新。「鳥羽伏見の戦い」の頃という。歴史の偶然は面白い。1848年はウィーン革命。若き二世は革命曲を書き、バンドを率い、一時宮廷に嫌われた。これも笑える。
(平成22年6月6日)

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