火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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<麗しの東欧紀行>の第6日はウィーン。この日も早朝に目覚めた。ホテルが有名なベルヴェデーレ宮殿の近くにあることは知っていた。明るくなった5時40分、ホテルを出た。ウィーンの治安が良いこと、確かめるまでもない。
地図を頼りに歩き始めた。驚いたことにホテルの前をトラム(市電)が走っている。少し歩いたら有名なSバーン(近郊電車)の駅もあった。さっそく地下駅に降りて行った。切符の自動販売機も見つけた。駅ビルのレストランで女店員二人が椅子に腰掛け、タバコをふかしている。たぶん6時開店を前に一服しているのだ。

市電通りを地図を手に歩く。早朝というのに警備員がいかめしく立っている邸宅があった。
誰か重要人物が住んでいる。少し不安で早足になる。街路樹は既に落葉が始まっていた。市電が何台も通る。幼い日の横浜を思い出し、ホッとする。
間もなく宮殿を発見。門が開いていたので中に入った。広大な庭園が目前に開けた。凄い。過去二度来ているベルヴェデーレ(美しい眺め)宮殿。サヴォイ公オイゲンの夏の離宮だ。オイゲンはハプスブルグ家3代の皇帝に仕え、オスマン・トルコに追いつめられたオーストリアを救った名将。バロック様式の壮麗な宮殿は1723年に完成。今はオーストリア・ギャラリーとなり、有名なクリムトの「接吻」を所蔵している。庭園を散歩していたら、女性が一人、ジョギングしてきた。何となく笑える。緊張が解け、ホッとしたのだ。

午前中はバスで市内観光。往年の名画「会議は踊る」の舞台となったシェーンブルン宮殿を観光。有名なマリア・テレジア一家の肖像画やら欧州一の美女と騒がれたエリザベート妃(フランツ・ヨーゼフ一世皇后)の部屋も見た。昼食は中華。ベトナム風の焼きそばがおいしかった。昼食後は待望の自由行動。国立オペラ座の前で解散となった。
シュテファン大聖堂へ向かう家内と娘と分かれ、火山はカールスプラッツ駅から地下鉄に乗り、一路ベートーヴェン詣でに出かけた。32歳のベートーヴェンが難聴の進行に絶望、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた家を見る。「ベートーヴェンの散歩道」も歩きたい。火山、過去2回もチャンスを逃した。今度こそ<3度目の正直>だ。
家内と娘はルーベンス、レンブラント、ベラスケス、ラファエロなどの傑作、ブリューゲルの世界最大のコレクションを持つ美術史美術館を見たいというので別行動。

地下鉄の終点がハイリゲンシュタット。降りて駅前をウロウロしたが、ベートーヴェンの<ベ>の字もない。有名な「ベートーヴェンの散歩道」は消えたのか。もう一度地図を見た。別行動の悲しさ。分かりやすい日本語の地図も案内書も家内と娘に渡し、火山はホテルにあった現地地図。ドイツ語だから火山には歯が立たない。でも必死に眺めた。分かった。最寄り駅はもう一つ先の<NUSSDORF>。今度はSバーン(近郊電車)に乗り換えだ。幸い「1日乗車券」だから乗り降り自由。降りて駅前で<Zahnradbahnstr.>を探す。ここにも市街電車が走っていた。<Zahnradbahn>…辞書がないのでよく分からない。でも鉄道と関係の名前。これに違いない。

電車道を歩いて行ったら、あった。<Beethovengang>。「ベートーヴェンの散歩道」だ。木陰を探して歩くと、やがて小川の瀬音。道の左側が<せせらぎ>だ。途端に「田園」第二楽章「小川のほとりの情景」が頭に流れ始めた。ベートーヴェンも198年前、この瀬音を聴いた。同じ年に「運命」も完成。火山、早くも気分はベートーヴェンだ。
ひたすら歩いた。地図によると<Beethoven-Ruhe>という場所がある。<Ruhe>とは「静寂、休息、平和」という意味。かなり疲れた頃、ベートーヴェン像の立つ木陰とベンチが見えた。近づくと老人夫婦が数組、腰かけてベートーヴェンを見上げている。一言も話さない。皆、黙って休憩。火山、思わず笑った。<静寂>だ。

今度は「遺書の家」を探す。小川に沿って<Eroicag>という道まで戻る。「エロイカ通り」という意味だろう。<Beethovenhaus>という案内が見えた。<Haus>は家だ。
トボトボ疲れた足を引きずっていたら「日本人の方ですか」と声。見上げると若い男女二人。「はい」と答えたら「ベートーヴェンの家を探しています。地図をお持ちでしたら教えてください」「あ、私も行くところです。すぐこの先の道を右折すればよいはず」「私たち、今そこを通ってきました。なかったのです」「えっ、そんなはずはない。ホラ…」。
彼、キビキビした好青年。素敵な女性は妻だろう。彼、案内書を見直した。番地は<Probusgasse6>。3人で歩くうちに彼が叫んだ。<これだ。来た以上、絶対見て帰りたかった>。

何と工事中。標識は出ていない。入口を入ると彼、また叫んだ。<こんなとこにしまってあった>。目印の<旗>が隠してあった。これでは分からない。火山の地図と彼の所番地が合体して発見。どちらが欠けても絶対発見できなかった。偶然とは恐ろしい。
記念館にはベートーヴェンが愛用したシュトライヒャー製の古いピアノが展示されていた。火山が目を留めたのは素敵な麗人の肖像画。<Josephine Graefin Deym,geb von Brunsvik>…ベートーヴェンの<永遠の恋人>と騒がれる一人だ。ハート型の赤いシールを貼った彼女署名入りの封筒が展示されていた。ベートーヴェンは震えて読んだに違いない。若夫婦が記帳したので、火山も謹んで記帳。でもこれが<今生の別れ>だ。二度と来られない。

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「モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトの都に、音楽の英雄が生まれた。ヨハン・シュトラウスである。ウィーンは音楽の都と言われるが、19世紀後半にウィーンの人々あるいはハプスブルグ帝国の人々に一番愛された音楽は、ヨハン・シュトラウスのワルツであった」(倉田稔「ハプスブルグ・オーストリア・ウィーン」成文社・32頁)――。

十数年前、50代前半の火山、初めての海外旅行でウィーンを見た。憧れの都。家内を口説いて真っ先に駆けつけたのが「美しく青きドナウ」。地図を手に、確か地下鉄に乗った。ウィーンが大好きになった。家内も同じ。結局、その後もあわせ、ウィーンは3回旅した。なぜ、ウィーンは素晴らしいのか。恥ずかしいが、その理由を知らなかった。だが数年前、女子美のキャンパスにある本屋で、10%引きの得点に浮かれ、酒の酔いに身を任せて、ウッカリ買った本で、ウィーンの歴史を知り、仰天した。

倉田稔「ハプスブルグ歴史物語」(NHKブックス)――。「ハプスブルグ帝国は、始祖ルドルフ一世から最後のカール一世まで、六百数十年続いたヨーロッパ最大の帝国であり、一時は世界帝国であった。近代では中欧の大帝国であり、ハプスブルグの家長は神聖ローマ帝国の皇帝であった。だから、ヨーロッパで最も由緒のある王朝であった」(3頁)。著者の倉田稔。火山のゼミ後輩。マルクス経済学教授が、なぜハプスブルグ王朝か――。ビックリ!だが彼、ヒルファーディング「金融資本論」研究がウィーン留学の動機だった。

火山が「クラシック大好き、ウィーン大好き」と知って、小樽から贈ってくれたのが、標記「ハプスブルグ・オーストリア・ウィーン」。「ワルツの調べに乗ってウィーン人は踊り続けた。このダンスは、オーストリア史始まって以来初めて、公衆の前で異性に触れるものだった。ワルツはウィーン生活の歓喜の象徴であった。またダンスに対するウィーン人の情熱は病的なほどであった。ワルツとダンスにうつつを抜かしたのは、一方で、過酷な日常生活の現実から逃れる必要があったからでもある」(32頁)――。

ヨハン・シュトラウスは二人いる。父(1804〜1849)と息子の二世(1825~1899)。「美しく青きドナウ」は二世の作品。ウィーンの人々は「美しく青きドナウ」をこよなく愛した。

ドナウの静かな流れを思わせる序奏は、挨拶(グリュース・コット)代わりに使われた。
だが「美しく青き…」は1867年、オーストリア=ハンガリー軍がサドヴァでプロイセン軍に敗れた直後の作品。ハプスブルグ王朝はドイツ諸国への覇権を失い、二流国へ没落する。
日本は明治維新。「鳥羽伏見の戦い」の頃という。歴史の偶然は面白い。1848年はウィーン革命。若き二世は革命曲を書き、バンドを率い、一時宮廷に嫌われた。これも笑える。
(平成22年6月6日)

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味間野に 宿れる君が 帰り来む 時の迎へを 何時とか待たむ(狭野茅上娘女<さのちがみのをとめ>巻15−3770)

天平11年(739年)、当時、神祇官(神祭りをつとめる役人)だった中臣宅守(なかとみのやかもり)が女官の狭野茅上郎女と恋に落ちた。二人は今日の上司と部下の関係にあった。恋愛は禁じられていた。勅勘(天皇の怒り)に触れた宅守は越前に流されてしまう。

この事件は、当時人々の関心を集めた。宅守の離京に始まり、その長い道中、また越前に到着してからの歌というように、二人が贈答した歌が語り伝えられ、「万葉集」に<53首>が残されているという。凄い。選者がよほどよかったのだ。大伴家持だろうか。彼も恋愛の名手だったらしいから。

冗談はともかく、味間野は福井県武生市の中に、今もある。当時は越前の国。頭書の一首も宅守が配流地で暮らし始めてから、娘女が贈ったもの。配流の地が味間野。国府とは今の武生(たけふ)で味間野は8キロ東へ行ったところという。

娘女の歌は、いつというあてもないのに、ただひたすら待つ。悲しさに満ちている。その心の空虚さが痛々しい。だから余計、人々の共感を呼んだのであろう。最近は<味間野苑>という公園ができ、二人の恋を賑々しく伝えているという。だが中西進が関心を持ったのは、その公園の隣、味間野神社。<継体>天皇の<宮跡>で継体天皇を祭っていること。

継体天皇は古代史の<謎>を秘めた英雄だ。味間野近くの<三国>から身を起こして大和に入ったと<伝説>にある。謡曲の「花筐(はながたみ)」は継体天皇を主人公にしているが、<照日の前>という女性の思慕を語っている。茅上娘女とは逆に女が味間野に残された。別離の悲しみを主題にしたのは共通。

ところが火山が主張したいのは、これからだ。この継体天皇、仁徳天皇の父・応神天皇から5世の孫とされているが、実は怪しい。天武天皇が編纂させた「日本書紀」によれば「仁徳天皇の子孫は6世紀初頭の武烈天皇で絶え」(直木孝次郎「日本の歴史」第2巻・中央公論社・10頁)この継体天皇が「越前から迎えられた」ことになっている。

この時、「大連(おおむらじ)の大伴金村、物部アラ鹿火(かび)、大臣(おおおみ)の巨勢男人(こせのおひと)らの力によって河内の樟葉(くすは)で即位した」と「日本書紀」。でも直木孝次郎は「事実かどうか疑わしい。おそらく継体天皇は大和の諸豪族に推戴されたのではなく、自分の実力をもって大和に存在した対抗勢力を打ち倒し、約20年の闘争の後ようやく天皇になったものと思われる」(「日本の歴史」10頁)。

何をいいたいか。最近<万世一系>という言葉が<氾濫>している。実は怪しいのだ。直木孝次郎は続ける。

「継体が大和の磐余に都した翌年、九州で筑紫の国造(くにのみやつこ)磐井の乱が起った。新羅と通じ、火の国(熊本県・佐賀県)、豊の国(福岡県と大分県の一部)を根拠としたというから、かなり大きな反乱であったことは事実だろう。磐井はけっきょく敗死するが、もし勝っておれば、継体天皇を大和から追い出してみずから皇統をついだかもしれない。磐井が筑紫で生まれた応神天皇の子孫と称する可能性もあった」。

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「諸君、脱帽せよ。天才が現れた」。音楽史にキラリと残るシューマンの言葉。ショパンのP協を聴きながら思い出しました。「ピアノ協奏曲の夕べ」。家内と東京文化会館のカブリツキで昨日、聴いた。何しろラフマニノフ、ショパン、グリーグのP協。それにガーシュインのラプソディ・イン・ブルーというから凄い。しかも招待。夫婦で8000円のロハ。こたえられない。

でも今日のショパン、何か物足りない。綺麗に弾いてはいる。でもちょっと違う。パリのサロンに颯爽と登場した貴公子。圧倒的な技巧で貴婦人の人気を独占した。もっと華麗に激しく弾き、はっと息を飲む、鋭い切れ味もあったはずだ。

ピアノ協奏曲の一番、何歳の時の作品かプログラムで確認した。やっぱりと思った。何と弱冠20歳、祖国ポーランドを離れる2ヶ月前の作曲。ショパンの告別演奏会で初演。自分でピアノを弾いている。

この夜、初恋の人・ソプラノ歌手のコンスタンチア・グラドコフスカが助演している。彼女は白のドレス、頭髪にバラの花を挿し、素晴らしかったとショパンが書き残している。

旅立ちの日、ポーランドの土を一握り持ち出した。そして二度と祖国の土を踏むことなく生涯を終わる。国も恋も捨てての告別。きっと情熱的な演奏をしたはず。ショパンを「ピアノの詩人」という。それはそれで良い。でも優雅に甘美にとだけ決め付けては困る。「諸君、脱帽せよ、天才が現れた」とシューマンがショパンを音楽評論で紹介した時、シューマンは弱冠21歳、ショパンも同じ21歳だった。笑ってしまいたいが、これが歴史を変えた。ポーランドを離れ、パリで活躍を始めた直後の推薦。青春とは素晴らしい。

「諸君、脱帽せよ。天才が現れた」。音楽史にキラリと残るシューマンの言葉。ショパンのP協を聴きながら思い出しました。「ピアノ協奏曲の夕べ」。家内と東京文化会館のカブリツキで昨日、聴いた。何しろラフマニノフ、ショパン、グリーグのP協。それにガーシュインのラプソディ・イン・ブルーというから凄い。しかも招待。夫婦で8000円のロハ。こたえられない。

でも今日のショパン、何か物足りない。綺麗に弾いてはいる。でもちょっと違う。パリのサロンに颯爽と登場した貴公子。圧倒的な技巧で貴婦人の人気を独占した。もっと華麗に激しく弾き、はっと息を飲む、鋭い切れ味もあったはずだ。

ピアノ協奏曲の一番、何歳の時の作品かプログラムで確認した。やっぱりと思った。何と弱冠20歳、祖国ポーランドを離れる2ヶ月前の作曲。ショパンの告別演奏会で初演。自分でピアノを弾いている。

この夜、初恋の人・ソプラノ歌手のコンスタンチア・グラドコフスカが助演している。彼女は白のドレス、頭髪にバラの花を挿し、素晴らしかったとショパンが書き残している。

旅立ちの日、ポーランドの土を一握り持ち出した。そして二度と祖国の土を踏むことなく生涯を終わる。国も恋も捨てての告別。きっと情熱的な演奏をしたはず。ショパンを「ピアノの詩人」という。それはそれで良い。でも優雅に甘美にとだけ決め付けては困る。「諸君、脱帽せよ、天才が現れた」とシューマンがショパンを音楽評論で紹介した時、シューマンは弱冠21歳、ショパンも同じ21歳だった。笑ってしまいたいが、これが歴史を変えた。ポーランドを離れ、パリで活躍を始めた直後の推薦。青春とは素晴らしい。

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みなとみらいの「昼どきクラシック」に行ってきた。神奈川フィルのコンサートマスターも務めた尾花輝代允(おばなきよみつ)の司会。楽しい。だいぶ板についてきた。「このステージは低いし、階段で客席に降りられる。親しみが持てますね。演奏者と一体。一番前が特等席かも知れませんね」…。賛成。火山は今日もカブリツキだ。

ヴィニアフスキーの「モスクワの思い出」のヴァイオリン・ソロから始まった。超絶技巧で一気に弾きまくる。ラフマニノフの「ロマンス」「ハンガリー舞曲」と続く。<特等席>へサービスということで、ここでハープの登場。ハープを弾く女性は全部<美女>に見えてしまう。フルートとの合奏に身を乗り出した。ロッシーニの「アンダンテと変奏」…何でもいいや。ハープなら…。

アンコールはピアソラの「リベルタンゴ」。ハープ、フルート、チェロ、ヴァイオリン、ピアノの五重奏。なかなか素敵。終わりかと思ったら、全員で滝廉太郎の「花」を歌おうという。一人ずつ弾き手を紹介、「花」のメロディを、繰り返し楽器を代えて聴かせてくれた。
火山も思いっきり歌ってきた。

最後が良かった。聴衆が退場する間、最後の一人がホールから消えるまで、ステージでは5人の弾き手が演奏を続けるという―――。延々と「花」の合奏が続く。凄い。

そういえば前回は「シェルブールの雨傘」で送ってくれた。コンサートも競争が厳しい。
尾花輝代允、神フィルだけでなく、京都市響、読売響、札幌響とコンサートマスターを歴任したが、今はフリー。食うためにいろいろ工夫している(?)…。でも偉い。

ランドマークの吹き抜けホールで、ピアノ生演奏を聴いた。ピアノを弾く女性も<美女>に見える(?)。もっとも今日はシラフ。酔ってないと、そうは行かない。でも30分足らず、しっかり聴いてきた。もっとも、聴いたことのある曲とは思うが、曲名が浮かばない。分ったのは「シェルブールの雨傘」ぐらい。火山も老いた。

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