火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

東欧旅行

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東欧2日目は麗しの都ドレスデン。現地ガイドはフンボルト大・日本語科卒のユニークな方と添乗員さんの事前案内。バスは美しい公園に留まった。気持ちが良い。紹介されたガイドのトーマスさんはナルホド、手八丁口八丁のやり手オバサンだった。

後ろからゾロゾロ付いて行くのが嫌いな火山。ガイドさんと肩を並べ先頭を切った。途中、散歩道のベンチに初老の男性が可愛い小犬とチョコンと座っていた。通り抜けようとした途端、この犬、猛然と火山に飛び掛ってきた。驚いた。

「ごめんなさい。大丈夫ですか」とトーマスさん。心配してくれた。とっさに火山<Kein Problem>と言った。カイン・プロブレーム…<ご心配なく>というドイツ語。英語ならノー・プロブレム(問題ありません)――。トーマスさん、複雑な表情を見せた。一行の最初に声をかけた日本人が流暢な(?)ドイツ語をしゃべった。ギョッというところか。でもすぐ大笑いした。火山も笑った。

ツヴィンガー宮殿は素晴らしかった。<アウグスト強王>と言われたフリードリッヒ・アウグスト1(2)世が建てた。無類の女好きで子どもを354人生ませたという精力絶倫の王様。国中から美女を漁り、夜毎にベッドを堪能した。トーマスさん、口を極めて罵った。彼の心臓を納めた小箱は居城に隣接する旧宮廷教会の地下に今も安置されているが、美女が通りすぎるたびに静かに<鼓動>するという。

さて火山、実はこの東欧旅行に備え、出発前2週間断酒、ついでに人間ドック並の健康診断を受けた。勢力絶倫のアウグスト一世とは偉い違いだ。そこで帰国2日目の午後、主治医を訪ねて<断酒減量>の結果を聞いた。去年は「理想的です」と言われた。これを願っての受診だった。で、今回は――。

「体重、最高です。今のまま維持してください。血圧も最高、何の心配もありません。血液検査、すべて問題ありません。血管は動脈硬化の予兆もありません。糖尿病も心配ありません。カイン・プロブレーム。

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<麗しの東欧紀行>の第6日はウィーン。この日も早朝に目覚めた。ホテルが有名なベルヴェデーレ宮殿の近くにあることは知っていた。明るくなった5時40分、ホテルを出た。ウィーンの治安が良いこと、確かめるまでもない。
地図を頼りに歩き始めた。驚いたことにホテルの前をトラム(市電)が走っている。少し歩いたら有名なSバーン(近郊電車)の駅もあった。さっそく地下駅に降りて行った。切符の自動販売機も見つけた。駅ビルのレストランで女店員二人が椅子に腰掛け、タバコをふかしている。たぶん6時開店を前に一服しているのだ。

市電通りを地図を手に歩く。早朝というのに警備員がいかめしく立っている邸宅があった。
誰か重要人物が住んでいる。少し不安で早足になる。街路樹は既に落葉が始まっていた。市電が何台も通る。幼い日の横浜を思い出し、ホッとする。
間もなく宮殿を発見。門が開いていたので中に入った。広大な庭園が目前に開けた。凄い。過去二度来ているベルヴェデーレ(美しい眺め)宮殿。サヴォイ公オイゲンの夏の離宮だ。オイゲンはハプスブルグ家3代の皇帝に仕え、オスマン・トルコに追いつめられたオーストリアを救った名将。バロック様式の壮麗な宮殿は1723年に完成。今はオーストリア・ギャラリーとなり、有名なクリムトの「接吻」を所蔵している。庭園を散歩していたら、女性が一人、ジョギングしてきた。何となく笑える。緊張が解け、ホッとしたのだ。

午前中はバスで市内観光。往年の名画「会議は踊る」の舞台となったシェーンブルン宮殿を観光。有名なマリア・テレジア一家の肖像画やら欧州一の美女と騒がれたエリザベート妃(フランツ・ヨーゼフ一世皇后)の部屋も見た。昼食は中華。ベトナム風の焼きそばがおいしかった。昼食後は待望の自由行動。国立オペラ座の前で解散となった。
シュテファン大聖堂へ向かう家内と娘と分かれ、火山はカールスプラッツ駅から地下鉄に乗り、一路ベートーヴェン詣でに出かけた。32歳のベートーヴェンが難聴の進行に絶望、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた家を見る。「ベートーヴェンの散歩道」も歩きたい。火山、過去2回もチャンスを逃した。今度こそ<3度目の正直>だ。
家内と娘はルーベンス、レンブラント、ベラスケス、ラファエロなどの傑作、ブリューゲルの世界最大のコレクションを持つ美術史美術館を見たいというので別行動。

地下鉄の終点がハイリゲンシュタット。降りて駅前をウロウロしたが、ベートーヴェンの<ベ>の字もない。有名な「ベートーヴェンの散歩道」は消えたのか。もう一度地図を見た。別行動の悲しさ。分かりやすい日本語の地図も案内書も家内と娘に渡し、火山はホテルにあった現地地図。ドイツ語だから火山には歯が立たない。でも必死に眺めた。分かった。最寄り駅はもう一つ先の<NUSSDORF>。今度はSバーン(近郊電車)に乗り換えだ。幸い「1日乗車券」だから乗り降り自由。降りて駅前で<Zahnradbahnstr.>を探す。ここにも市街電車が走っていた。<Zahnradbahn>…辞書がないのでよく分からない。でも鉄道と関係の名前。これに違いない。

電車道を歩いて行ったら、あった。<Beethovengang>。「ベートーヴェンの散歩道」だ。木陰を探して歩くと、やがて小川の瀬音。道の左側が<せせらぎ>だ。途端に「田園」第二楽章「小川のほとりの情景」が頭に流れ始めた。ベートーヴェンも198年前、この瀬音を聴いた。同じ年に「運命」も完成。火山、早くも気分はベートーヴェンだ。
ひたすら歩いた。地図によると<Beethoven-Ruhe>という場所がある。<Ruhe>とは「静寂、休息、平和」という意味。かなり疲れた頃、ベートーヴェン像の立つ木陰とベンチが見えた。近づくと老人夫婦が数組、腰かけてベートーヴェンを見上げている。一言も話さない。皆、黙って休憩。火山、思わず笑った。<静寂>だ。

今度は「遺書の家」を探す。小川に沿って<Eroicag>という道まで戻る。「エロイカ通り」という意味だろう。<Beethovenhaus>という案内が見えた。<Haus>は家だ。
トボトボ疲れた足を引きずっていたら「日本人の方ですか」と声。見上げると若い男女二人。「はい」と答えたら「ベートーヴェンの家を探しています。地図をお持ちでしたら教えてください」「あ、私も行くところです。すぐこの先の道を右折すればよいはず」「私たち、今そこを通ってきました。なかったのです」「えっ、そんなはずはない。ホラ…」。
彼、キビキビした好青年。素敵な女性は妻だろう。彼、案内書を見直した。番地は<Probusgasse6>。3人で歩くうちに彼が叫んだ。<これだ。来た以上、絶対見て帰りたかった>。

何と工事中。標識は出ていない。入口を入ると彼、また叫んだ。<こんなとこにしまってあった>。目印の<旗>が隠してあった。これでは分からない。火山の地図と彼の所番地が合体して発見。どちらが欠けても絶対発見できなかった。偶然とは恐ろしい。
記念館にはベートーヴェンが愛用したシュトライヒャー製の古いピアノが展示されていた。火山が目を留めたのは素敵な麗人の肖像画。<Josephine Graefin Deym,geb von Brunsvik>…ベートーヴェンの<永遠の恋人>と騒がれる一人だ。ハート型の赤いシールを貼った彼女署名入りの封筒が展示されていた。ベートーヴェンは震えて読んだに違いない。若夫婦が記帳したので、火山も謹んで記帳。でもこれが<今生の別れ>だ。二度と来られない。

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<麗しの東欧紀行>8日目はブダペスト。市内観光で午前中、ハンガリー建国の父とあがめられる初代国王イシュトヴァーンを祭る大聖堂、威風堂々たるルネッサンス様式の王宮、ゴシック様式のマーチャーシュ教会、ドナウ川越しにペスト地区を見下ろす<漁夫の砦>を見た。王宮のある丘が<ブダ>地区。川向こうの平原部は<ペスト>地区。本来は歴史も文化も異なる二つが合体して<ブダペスト>になった。

ペスト地区はかつてトルコに侵略された。13世紀半ばロマネスク様式で建てられたイシュトヴァーン教会、後にゴシック様式に改築されたが、トルコに支配された時はモスクになり、フレスコ画を塗り込められる。キリスト教とイスラム教が同居する不思議な建築だ。王宮がある丘のブダ地区は占領されたことがない。<漁夫の砦>はトルコと戦った勇敢な<漁夫>たちの誇り。ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊があり、ここから眺めるドナウ川はまさに絶景。

ブダとペストを<初めて>結んだのがドナウ川の<くさり橋>―――ブダペストのシンボル。建設されたのは1839年から1849年。橋のたもとにライオンの像があった。<苦難>を重ねた<歴史>の重みを感じた。昼食でハンガリー名物のパプリカをふんだんに使ったチキン料理を食べた後、待望の自由行動。

この日は年に一度のフェスティバル。裸の美女を満載したフロート(山車)が次々と見える。ガイドが「今日は泥酔する市民が続出する。悪い連中に厳重注意」と言っていたが、ワインをラッパ飲みする若者がゾロゾロ。凄い。家内や娘からヨーロッパでは<立ち飲み>厳禁といわれ続けた。だが今日は<解禁>。シメタ。―――だが悲しい。お金がない。昨日、現地通貨フォリントに両替したが、見込み違い。所持金が大幅に減った。しかも別行動の家内と娘に多めに渡してしまった。

紙幣は国立オペラ劇場の見学ツアー用。硬貨を確かめ缶ビールを探した。屋台が一杯出ている。でも値段がない。怖い。ボラれたら嫌。結局、飲めない。オペラ劇場を発見。ホッ。この先にリスト記念館があるはず。あった。400フォリント(約200円)。リストの使ったピアノがいろいろ陳列され、リストの<手>の模型が飾ってある。火山とくらべた。大きい。もっとも後で家内と話したら、家内は自分の方が大きいと思ったという。そんなはずはない。だが我が家内、気分だけは<大物>だ。

オペラ劇場の見学ツアーは3時から。大通りをフロートが次々と通る。大音響、乱舞する裸の美女。若者が手を振る。火山、日本から持参したオペラ・グラスを取り出した。何を見たか…。

3時、見学ツアーが始まった。皆、チケットを手にしているが、火山はない。係員に聞いた。<Where can I get the ticket?>―――。劇場に入った。オペラ歌手みたいな女性が数名、旗を持って立っていた。彼女らが案内してくれるのか。ドキドキ。案内は<英語><ドイツ語><イタリア語><ロシア語><スペイン語><マジャール(現地)語>とあるが、日本語はない。英語に並んだ。

劇場を建てたのはフランツ・ヨーゼフ一世。有名な<エリザベト>はヨーゼフ一世の皇妃。ハプスブルグ王家は当時、オーストリア・ハンガリー二重王国を支配していた。一流のオペラ、バレエが上演されるというが、1873年から11年かけて建設された。ネオルネッサンス様式で内部は大理石や金メッキ細工、フレスコ画に溢れ、豪華絢爛。ヨーロッパでも有数の劇場。あのマーラーも音楽監督だった。

最初に「エリザベト皇妃の間」を観た。彼女が弾いたピアノが置かれていた。19世紀末、ドイツ・バイエルン王家の出身。男の子顔負けのお転婆娘としてのびのびと育ったエリザベト。ハイネの詩を愛してやまない繊細で多感な女性だった。欧州一の美貌を歌われた彼女、名門ハプスブルグ帝国の皇太子フランツ・ヨーゼフに見初められ、皇太子妃に迎えられる。だがウィーンの宮廷はエリザベトにとって居心地の良い場所ではなかった。

古いしきたりに従うことを厳しく求める皇太后ゾフィー。宮廷の人々は若い皇妃エリザベトの自由を奪い、皇妃の枠にムリヤリはめ込もうとする。男子出産への大きな期待も彼女の重圧となる。息苦しく耐え難い生活。

彼女は<休養>を理由にブタペストの王宮で日常を過ごしたという。オペラを愛した彼女。この劇場によく足を運んだ。特等席がロイヤルボックス。ガイドの話では皇帝夫妻が座ったのはただ一度。開場式。エリザベトは皇妃でも一人ではロイヤルボックスを使えない。彼女が愛用した<シシ・ボックス>があった。シシとはエリザベトの愛称。ハンガリー国民は彼女の大ファン。凄い人気だったという。シシ・ボックスはステージの左上にあった。ここに立った彼女をブダペストの観衆は絶賛したという。

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<麗しの東欧紀行10日間>に行ってきた。家内と長女の3人。ツアー一行は25名に女性添乗員。ベルリン2泊、プラハ(チェコ)、ウィーン(オーストリア)、ブタペスト(ハンガリー)も各2泊、往復の機中泊も2泊で10日間。昨年8月20日(土)から29日(月)までの思い出です。

嬉しいことに<オーストリア航空>――スチュワーデスはもちろんドイツ語だ。搭乗前、添乗員が言った。「飛行機の中は気圧が地上とは異なります。くれぐれも飲み過ぎにご注意ください。飲み物のサービスもなかなか来ません。これは意地悪ではなく…」。火山、とっさに決意した。<最初から2杯もらおう>――。

Koennten Sie mir bitte noch ein Glas Rotwein geben?(もう一杯、赤ワインをいただくわけにいきませんか)――。何回も練習をした。何しろ1年がかりで勉強した。水平飛行に移って間もなく、ドリンクサービスが始まった。オーストリア女性が来た。よし…<Koennten Sie mir bitte noch ein Glas…>。彼女、あでやかに笑った。大きく頷き、もう一杯。なみなみ注いだグラスが来た。なお一言。「あなたのドイツ語、素晴らしい…」。褒められた…。

やがて食事が来た。またもや<一杯>おねだり…。次に追加ドリンクのサービスが来た。頼む人は滅多にいない。でも火山、頑張った。また<一杯>。合計<4杯>――大満足。

往路は大成功。問題は帰路だ。なんと全日空とオーストリア航空の<共同運航便>だ。日本人スチュワーデスがサービスに来た。ドイツ語を使えない。仕方なく<一杯>だけで我慢。だが次に食事を運んできたのはオーストリア女性。シメタ。火山<2杯>もらってしまった。<Koennten Sie…>――実はこれ<接続法第2=非現実話法>という大変丁寧な<言い方>だ。<もしお差支えなければ、お願いできませんか…>という意味。彼女も大いに笑った。

だが<4杯目>は日本人スチュワーデス。火山、目をつぶって言った。<Koennten Sie…>。彼女、黙って<もう一杯>くれた。同行していた長女が言った。<酔っ払って、日本人かどうかも分からないなんて…>。家内が言った。<そうじゃないの。恥ずかしくって日本語じゃ言えないのよ…>――。ご明察。さすが<長年連れ添った女房だ>…。火山、恥ずかしかった。でもしっかり飲んだ。大満足。同行のツアー仲間で断然<目立って>しまった。

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<麗しの東欧紀行>8日目はブダペスト。市内観光で午前中、ハンガリー建国の父とあがめられる初代国王イシュトヴァーンを祭る大聖堂、威風堂々たるルネッサンス様式の王宮、ゴシック様式のマーチャーシュ教会、ドナウ川越しにペスト地区を見下ろす<漁夫の砦>を見た。王宮のある丘が<ブダ>地区。川向こうの平原部は<ペスト>地区。本来は歴史も文化も異なる二つが合体して<ブダペスト>になった。

ペスト地区はかつてトルコに侵略された。13世紀半ばロマネスク様式で建てられたイシュトヴァーン教会、後にゴシック様式に改築されたが、トルコに支配された時はモスクになり、フレスコ画を塗り込められる。キリスト教とイスラム教が同居する不思議な建築だ。王宮がある丘のブダ地区は占領されたことがない。<漁夫の砦>はトルコと戦った勇敢な<漁夫>たちの誇り。ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊があり、ここから眺めるドナウ川はまさに絶景。

ブダとペストを<初めて>結んだのがドナウ川の<くさり橋>―――ブダペストのシンボル。建設されたのは1839年から1849年。橋のたもとにライオンの像があった。<苦難>を重ねた<歴史>の重みを感じた。昼食でハンガリー名物のパプリカをふんだんに使ったチキン料理を食べた後、待望の自由行動。

この日は年に一度のフェスティバル。裸の美女を満載したフロート(山車)が次々と見える。ガイドが「今日は泥酔する市民が続出する。悪い連中に厳重注意」と言っていたが、ワインをラッパ飲みする若者がゾロゾロ。凄い。家内や娘からヨーロッパでは<立ち飲み>厳禁といわれ続けた。だが今日は<解禁>。シメタ。―――だが悲しい。お金がない。昨日、現地通貨フォリントに両替したが、見込み違い。所持金が大幅に減った。しかも別行動の家内と娘に多めに渡してしまった。

紙幣は国立オペラ劇場の見学ツアー用。硬貨を確かめ缶ビールを探した。屋台が一杯出ている。でも値段がない。怖い。ボラれたら嫌。結局、飲めない。オペラ劇場を発見。ホッ。この先にリスト記念館があるはず。あった。400フォリント(約200円)。リストの使ったピアノがいろいろ陳列され、リストの<手>の模型が飾ってある。火山とくらべた。大きい。もっとも後で家内と話したら、家内は自分の方が大きいと思ったという。そんなはずはない。だが我が家内、気分だけは<大物>だ。

オペラ劇場の見学ツアーは3時から。大通りをフロートが次々と通る。大音響、乱舞する裸の美女。若者が手を振る。火山、日本から持参したオペラ・グラスを取り出した。何を見たか…。

3時、見学ツアーが始まった。皆、チケットを手にしているが、火山はない。係員に聞いた。<Where can I get the ticket?>―――。劇場に入った。オペラ歌手みたいな女性が数名、旗を持って立っていた。彼女らが案内してくれるのか。ドキドキ。案内は<英語><ドイツ語><イタリア語><ロシア語><スペイン語><マジャール(現地)語>とあるが、日本語はない。英語に並んだ。

劇場を建てたのはフランツ・ヨーゼフ一世。有名な<エリザベト>はヨーゼフ一世の皇妃。ハプスブルグ王家は当時、オーストリア・ハンガリー二重王国を支配していた。一流のオペラ、バレエが上演されるというが、1873年から11年かけて建設された。ネオルネッサンス様式で内部は大理石や金メッキ細工、フレスコ画に溢れ、豪華絢爛。ヨーロッパでも有数の劇場。あのマーラーも音楽監督だった。

最初に「エリザベト皇妃の間」を観た。彼女が弾いたピアノが置かれていた。19世紀末、ドイツ・バイエルン王家の出身。男の子顔負けのお転婆娘としてのびのびと育ったエリザベト。ハイネの詩を愛してやまない繊細で多感な女性だった。欧州一の美貌を歌われた彼女、名門ハプスブルグ帝国の皇太子フランツ・ヨーゼフに見初められ、皇太子妃に迎えられる。だがウィーンの宮廷はエリザベトにとって居心地の良い場所ではなかった。

古いしきたりに従うことを厳しく求める皇太后ゾフィー。宮廷の人々は若い皇妃エリザベトの自由を奪い、皇妃の枠にムリヤリはめ込もうとする。男子出産への大きな期待も彼女の重圧となる。息苦しく耐え難い生活。

彼女は<休養>を理由にブタペストの王宮で日常を過ごしたという。オペラを愛した彼女。この劇場によく足を運んだ。特等席がロイヤルボックス。ガイドの話では皇帝夫妻が座ったのはただ一度。開場式。エリザベトは皇妃でも一人ではロイヤルボックスを使えない。彼女が愛用した<シシ・ボックス>があった。シシとはエリザベトの愛称。ハンガリー国民は彼女の大ファン。凄い人気だったという。シシ・ボックスはステージの左上にあった。ここに立った彼女をブダペストの観衆は絶賛したという。

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