火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

山本五十六

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田原総一朗の「サンデープロジェクト」に東条英機元首相の孫娘・東条由布子さんが出演したことがあった。「太平洋戦争は自衛のための正義の戦い。東京裁判は戦勝国が一方的に敗者を裁いた。国際法上も根拠がなく、米国の政府要人の中にもあの裁判は誤りだったという見解がある。敗戦責任はあるかもしれないが、歴史の流れを一人の力で変えることはできない。祖父は尊敬できる立派な人だった」と言った。

「敗戦後、遺族は白い目で蔑まれ、英機の長男は職も追われた…」とも。田原総一朗はじめ誰もコメントらしい発言はせず、同情論がチラホラ。そんな感じだった。その後、この長男が三菱重工で日本初の旅客機<YS−11>を完成させる中心人物として大活躍したとNHKの「プロジェクトX」で見て、なんとも言いようのない感慨を覚えた。

だが火山、昔から山本五十六が好きで伝記をいろいろ読んだ。関連で米内光政、井上成美、高木惣吉など海軍首脳の伝記も…。昭和40年代、中央公論社から出た「日本の歴史」(全26巻)も通読していたので、田原総一朗以下、黙っていたのが奇異でならない。最近、読んだ堺屋太一「団塊の世代<黄金の10年>が始まる」(文藝春秋)の中に、適切な文章を発見した。火山は堺屋太一の本は「団塊の世代」「知価革命」などいろいろ読んだ。近著「中国大活用」(NTT出版)も読んだ。彼には確かな<歴史眼>がある。いつも思う。

「世界史的に見ると、第二次世界大戦は英米など自由主義市場経済の先発工業国と、日独など官僚主導統制経済で追いつこうとした後発工業国との戦いでした。先発工業国は比較生産費説など自分たちに有利な経済理論で世界体制を作り、広大な植民地勢力圏を押さえていました。これに対して後発工業国は官僚統制と軍事力強化で新たな植民地勢力圏を作ろうとしました。『日本はアジア諸国の解放自立のために英米と戦った』というのは、主観的にはともかく客観的には認められないでしょう」(174頁)という。まったく同感。

学生時代、マルクス経済学で「帝国主義論」など「資本の論理」を勉強した火山。明治維新史で日本に「ブルジョワ民主主義」が存在したか、日本資本主義論争も研究した。その火山から見ても堺屋太一の指摘は正しい。

「戦争に敗れた日本は専ら『物量で負けた』と考え、物量の差を無視して戦争に突入した軍部が悪いと考えました。ここで『軍部』というのは『軍人精神と戦争政策の体現者』という抽象的な存在です。このため個々の軍人の伝記や個人史を書けば、誰もが『温情ある人間』として賞賛されてしまいます。靖国神社の問題で『A級戦犯に罪なし』とする人々の論理は、たぶんそんなものでしょう」(174頁)。これも鋭い指摘です。

堺屋太一が凄いのはこの次。「抽象的軍部を否定、軍人精神と武人の文化を追放したことで『あの戦争は清算した』と考え」るのは間違いと断ずる。「太平洋戦争のもう一つの体制、官僚主導は効率を上げるのに有効と認め、戦後も継続してきました。いやむしろ戦後こそ強まります。中国や韓国が『日本は傲慢で戦争の反省がない』というのは、この点を指してのこと」と書く。火山がいう<40年体制>のこと。官僚主導の<国家総動員>体制。昭和15年(1940年)の第二次近衛内閣で完成した仕組みです。

<40年体制>を詳しく論じる紙数はない。ただ田中角栄の「列島改造」に始まるバラマキ政策は<40年体制>(官僚主導)を拡大再生産したものです。「特定郵便局長の会」に代表される<集金><集票>システムは<巨大な利権>となって<経世会>に受け継がれた。大前研一のいう<政官業><鉄のトライアングル>です。これが<バブル崩壊>と<空白の10年>を生み<郵貯崩壊><年金破綻><財政破綻>の根本原因となった。

今日の官僚の<傲慢>と<腐敗>は目に余る。小泉首相の<官から民へ><中央から地方へ>はこの<官僚主導>を<解体>せんとするもの。その小泉首相が<靖国>で躓いているのは<歴史の皮肉>。なんとも情けない。

山本五十六の評伝「海燃ゆ」(工藤美代子・講談社)を火山、1年半前に出版と同時に読んだ。工藤美代子が「悲劇の外交官、ハーバート・ノーマン」(岩波書店)を書いていると知って驚いた。ハーバート・ノーマンは米国では珍しい「明治維新史」と「マルクス経済学」の研究者。良心的な外交官だ。ノーマンを理解できる作家ならと思った。一読、深い感銘を受けた。参考文献も多数、よく勉強している。

山本五十六は大正末期、米国に留学、石油事情を調査研究した。いかに大鑑巨砲で軍備を強化しても石油が切れたら万事休す。骨身にしみて知っていた。今後の戦争は大鑑巨砲ではなく航空機が制することも見抜いていた。日独伊三国同盟の無謀も洞察、命がけで反対した。天皇も同じ意見だった。
そんな山本五十六を通じ<太平洋戦争と戦争犯罪>について深く考えてみたい。そう希望しています。どうかよろしくご愛読ください。伏してお願い申し上げます。
(平成18年1月12日)

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その人の話は、幼い頃から繰り返し聞かされてきた」と始まる。この<その人>が山本五十六。聞かせたのは著者の母。「何しろ海軍さんですもの。そりゃあスマートだったわよ。とにかくねぇ、あの人がいる限り、きっと日本をなんとかしてもらえるって、そんなふうに思っていたの。東条じゃダメよ。陸軍がダメだって、なんとなく日本人は知っていたわよ…」――。

この書き出しに火山は震えた。工藤美代子「海燃ゆ」(新潮社)だ。凄い。
同じような話を母から火山も聞かされた。戦前、川崎の六郷に住んでいた時だ。五十六戦死のニュースは母にもショックだったらしい。

さて「海燃ゆ」。「戦艦大和の悲劇」に引用した。裏表紙の扉を見て少し感激した。日経の書評が切り張りしてあった。昨年8月29日の記事。「様々な横顔と家庭への信頼」と見出しがある。買ったのは9月1日――。関東大震災で亡くなった母方の祖父の命日だ。

評伝はノンフィクション。だから「史実」にどれだけ肉薄するか。伝えられる様々な風聞や記録から、どのような<実像>を描きあげるか。これが大切。いくら面白くても<虚像>では困る。巻末をみると参考文献が3頁にわたってびっしり、あった。

著者の工藤美代子は1950年(昭和25年)生まれ。朝日新聞社から出版した「工藤写真館の昭和」で講談社ノンフィション賞を受賞。「ラフカディオ・ハーンの生涯」「悲劇の外交官ハーバード・ノーマン」の著書がある。ノーマンの本は火山、学生時代に読んだ。明治維新史。つまり、相当信頼できる書き手と見た。

今回、必要があって読み直し、著者の取材と解釈の正確さに驚いている。実は火山、海軍軍人の評伝は五十六はじめいろいろ読んだ。だが惜しい。数年前ほとんど処分してしまった。今にすれば痛恨の極み。大切な資料だったのだ。

山本五十六が霞ヶ浦海軍航空隊に着任したのは「関東大震災」の翌年。大正13年の初冬。震災の時はロンドンにいた。在留邦人が色を失った時、五十六は一人悠然としていて「日本経済はかえって良くなるから今のうちに株を買っておきなさい」と実業家たちに勧めたという。凄い<卓見>だ。

五十六が霞ヶ浦海軍航空隊副長兼教頭に着任した時から20年、五十六の身近に仕えた三和義勇が「山本元帥の思い出」という手記を残した。部下に慕われた五十六の人柄が伝わってくると工藤美代子。

その三和が上司から新進の山本大佐の当番(副長付甲板士官)に推薦され、憤然とした。五十六が航空隊出身ではなかったからだ。ヨソモノ、新米…そんな気分。<真っ平御免>と怒り狂って五十六のところへ「ノコノコ出かけた」。いざ何か言おうとしたが、気迫に打たれて言葉も出ない。

五十六が口火を切った。「隊の現状を見たところ軍紀風紀に遺憾な点が少なくない。具体的には毎日のように絶えない遅刻者、脱営者を皆無にしたい。『君ばかりにやらせるのではない。自分もやるから君も補佐するように』との言葉。三和は思わず『懸命に努力いたします』と答えてしまった」という。

「三和はなんとなく『こりゃ偉い人だぞ』という気がして、自分で満足して」しまった。
「そのつもりで見ていると、五十六の敬礼が極めて正しいことに気づいた。『士官に対しても兵隊に対しても山本大佐の答礼は少しも区別なく、シャンと指を伸ばして教範そのままのようにせられる』のである。確かに五十六の敬礼が美しかったのは有名で、やがてそれは戦時下の青年たちの憧れともなった。三和は『これは只人ではない』との思いを強くする」(112頁)。

「五十六が最も力を入れた教育の一つに『作文』があった。『どうも飛行機屋は喋らせれば相当のことをいうが、書かせればなっていない。あれじゃいかん。思うことが書けないようでは将来困りものだ』と冗談のように言って、ことあるたびに『そりゃよい。すぐ書いて出せ』とか『君の意見として進達するから書け』と言った」という。面白い。火山も賛成だ。

本日からの連載。工藤美代子さんの「海燃ゆ」(新潮社)をベースに独自の調査、見解を加えお届けします。今の時代に通じるヒントを満載の決意です。

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真珠湾攻撃の日、旗艦長門の作戦室は凄まじい緊張感。五十六は大机の折り椅子に深々と腰かけ、半眼を閉じ、彫像のように動かない。

「『ト』連送です。飛行機突撃下命です」と叫び、通信士が駆け込んできた。五十六は口を結び、大きく頷いた。間もなく「奇襲成功」の電報。ハワイ空襲の戦果が2時間、刻々と届いた。戦艦2隻沈没、4隻大破、巡洋艦4隻大破など目覚しい。しかし、空母の在泊はない。無傷。司令部に一抹の物足りなさが残った。

間もなく空母サラトガの搭乗機が着陸するというアメリカ側の電報を受信。空母4隻も帰港中と予想された。作戦参謀が「南雲(忠一・第一航空艦隊司令長官)部隊は今一回攻撃を再考したらいいんだがな」と航空参謀に話しかけた。「南雲は真っ直ぐ帰るよ」と五十六。近くにいた参謀の藤井茂はハッとしたと手記を残している。

五十六は開戦前、自分が第一航空艦隊司令長官として出陣するつもりだったが、叶わなかった。五十六と南雲の間には溝があったと工藤美代子(「海燃ゆ」)は書く。
海軍の至宝と言われた堀悌吉は海軍兵学校同期でトップの大親友。五十六と同じく航空第一主義、対米戦争回避だったが、五十六のロンドン会議中に失脚。裏工作をしたのは南雲との噂。五十六が知らないはずがない(「海燃ゆ」332頁)。

長官付の近江兵治郎は「山本五十六と参謀たち」で「南雲の水雷屋が…」と五十六が言ったのを耳にしたと書いている。「『水雷屋』とは水雷科出身という意味だが、五十六の言葉に蔑視が込められていたのだろう。五十六は南雲を信用していなかった」(332頁)。

だからサラトガを攻撃せず、真っ直ぐ帰ってくると言った。後に南雲はなぜ空母を攻撃しなかったのか、工廠や貯油タンクも見逃したのかと論議となった。もし貯油タンクや海軍工廠など基地施設を破壊していたらアメリカの反攻は半年遅れたろうという。「それが南雲の指揮官としての限界だった」(「海燃ゆ」)。

五十六の戦死後、連合艦隊司令長官になった古賀峯一に当てた五十六の手紙が残っている。真珠湾攻撃直後の昭和17年1月2日付。古賀は海軍兵学校の2期後輩。連合艦隊司令長官に就任後の首脳部会議で「既に3分の勝ち目もない」と発言した。五十六と同じ現実主義者だ。五十六も率直に心情を吐露している。

「アメリカはそろそろ本格的な対日作戦にとりかかる覚悟のようだから、日本国内の軽薄きわまりない騒ぎは外聞が悪い」(真珠湾の勝利に浮かれている時ではない)。「ハワイ攻撃は成功してもたいしたことないし、失敗すれば大変といっていた中央に随分不愉快な思いをさせられたが、今ではその人たちが『最得意』で勝敗が決したように言っている。『世間の空騒ぎ以上に部内幹部の技量識見等に寂寞を感ぜしめらるる』と述べている」(345頁)。

三国同盟が日米戦争を招く。開戦となれば華々しく戦えるのは半年か一年と断言した五十六。「日本にとっての不幸は、これほど未来を透視する能力を備えた人間を政界のトップに据えられなかった点である」(346頁)。卓越した識見、統率力を持つ五十六を戦場の最高責任者にしたために緒戦に大勝利。日本の首脳部は慢心してしまう。情勢は五十六の望まない方向に進む。五十六はどんどん<虚無的>になっていくと工藤美代子は書いている。

昭和17年6月5日、歴史を分けたミッドウェーの海戦。日本軍の暗号はアメリカ軍にすべて解読されていた。日本の作戦を熟知していたアメリカ。これが勝敗を決した。
「5分の差で敗北」と言われる。空母・赤城からあと5分で攻撃機が出撃しようとした瞬間、アメリカの急降下爆撃機が突っ込んできて爆弾を投下、赤城は誘爆で炎上、機能を全く失ってしまう。加賀も蒼龍も同じ運命。この海戦で日本は虎の子の空母4隻を失う。

南雲の致命的な判断ミス。アメリカ空母が現われたとの情報に、空母・飛龍の山口多聞少将は「現装備ノママ攻撃隊直チニ発進セシムルヲ至当ト認ム」と意見具申。南雲は却下してしまう。山口案は確かに非常手段。だがこれを受けなかったためアメリカの先制攻撃を許す。ミッドウェーの大敗。日本は以後、立ち直れず、敗戦へ転げ落ちて行く。

ミッドウェー海戦が話題になると、必ず南雲中将と山口少将の能力差が問題にされる。「もしも真珠湾攻撃やミッドウェー海戦で山口多聞少将が指揮を執っていたら、日本は負けなかったという人さえいる」(「海燃ゆ」384頁)。「南雲は五十六に対して泣いて非を詫びたという。南雲は自決しようとしたのを周囲に押し留められ、何とか大和まで帰り着いた。五十六の口から南雲をなじるような言葉は一切出なかった」(388頁)。

昭和18年4月18日、前線視察に出た山本五十六の一式陸上攻撃機はブーゲンビル島上空で待ち伏せていたアメリカP38機6機の襲撃で撃墜。午前7時30分、戦死。暗号が解読されていた。59歳。

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昭和15年1月16日、米内光政が総理大臣に任命された。昭和天皇の強い意向があったという。天皇は三国同盟に反対。阿部信行内閣が総辞職した時、後任には陸軍の畑俊六大将が有望視されていた。だが天皇は陸軍の独走を危惧した。五十六は米内の総理就任を複雑な気持ちで受け止めたと工藤美代子は「海燃ゆ」に書く。軍令部総長の伏見宮が辞任した場合、後任は米内と願っていた。米内が軍令部総長なら軽々に対米戦を始める心配はない。総理就任のため米内は現役を退いた。海軍の中には惜しむ声が多く、五十六も同じだった。だが米内が総理である限り三国同盟はない。期待があった。事実、在任中は凍結された。

昭和15年2月17日、海軍省の勅任参事官に送った五十六の手紙。「あんな同盟を作って有頂天になった連中がいざという時、自主的にどこまで頑張り得るか問題と存じ候」。五十六には三国同盟は<あんな同盟>だった。この予言も的中する。<いざという時>…日本は「無条件降伏」の時を誤った。<原爆>も<ソ連参戦>も本来回避できた。<沖縄決戦>も不要だった。全部、陸軍の<本土決戦>論の間違い。兵力も弾薬もないのに<空騒ぎ>。<自主的>判断はできなかった。だから<聖断>…。

陸軍の米内倒閣は露骨になった。畑俊六陸軍大臣が米内に辞表を提出。陸軍は後任の推薦を拒否した。<軍部大臣現役制>が復活されていたため、米内は陸軍大臣を自分では選べない。総辞職せざるを得なかった。こうして陸軍は日本を牛耳っていく。昭和15年7月22日、第二次近衛内閣の成立。2ヵ月後に三国同盟が成立。五十六は当局に意見書を提出していた。「日米戦争は世界の一大凶事にして帝国は聖戦数年の後更に強敵を新たに得ることは誠に国家の危機なり。日米両国相傷つきたる後にソ連または独国進出して世界制覇を画す場合、何国がよく之を防御し得るや」―――卓見だ。

近衛内閣の海軍大臣となった及川古志郎が9月に海軍首脳会議を開いた。三国同盟に賛成を求めるため。五十六は立ち上がり、及川に質問をした。「昨年8月まで私が次官を務めておった時の政府の物動計画は、その8割まで英米圏の資材で賄うことになっておりました。しかるに三国同盟の成立した今日では、英米よりの資材は必然的に入らぬ筈でありますが、不足を補うためどのような計画変更をやられたか」―――及川は質問に答えず、一同に賛成を求めただけ。五十六は連合艦隊司令長官だ。戦争が始まったら全責任を負って指揮しなければならない。

昭和15年9月の時点で「日米戦争の可能性について深く心を痛めている人物の一人に昭和天皇がいた」(「海燃ゆ」)。9月16日、参内した近衛首相に天皇は聞いた。「アメリカに対して、もう打つ手がないというならば致し方あるまい。しかしながら、万一アメリカと事を構える場合には海軍はどうだろうか。海軍大学の図上作戦ではいつも対米戦争は負けるのが常であると聞いたが、大丈夫であろうか」。天皇の心配は率直だ。日本が敗戦国となった時「近衛も自分と運命を共にしてくれるか」と尋ねたともある。近衛は「誠心誠意ご奉公…」と答えたが、敗戦を前に近衛は内閣を投げ出し、戦後には服毒自殺を遂げる。

昭和15年11月15日、五十六は大将に昇進した。9月27日にはドイツ、イタリアとの三国同盟が調印された。五十六と日本の運命は決まった。ヨーロッパをほぼ手中におさめたドイツが、イギリスを占領するのも間近と見られ、ドイツと手を結ぶのが有利と日本人の多くが計算していた。五十六は違う。アメリカが猛反発。日本は米英と戦う日が来ると思っていた。昭和15年12月10日、嶋田繁太郎(大将)に出した手紙に苛立ちが出ている。「日独伊同盟前後の事情その後の物動計画などを見るに現政府のやり方すべて前後不順なり。今更米国の経済圧迫に驚き憤慨困難するなど小学生が刹那主義にてうかうか行動するにも似たり」(「海燃ゆ」307頁)。―――至言だ。

「あの戦争は<自衛>の戦い。<侵略>戦争ではない」という議論が<横行>している。とんでもない詭弁。火山、怒りを禁じ得ない。

「こんなこと(経済圧迫)はとっくに前からわかっていたという五十六の筆致。こうした事態を招いたのは近衛首相の優柔不断…」(307頁)―――今日では衆目が一致。当時は指摘する人間は少なかった。しかし、五十六の近衛評が残っている。「近衛公がぜひ会いたいとの由なりしも再三辞退せしが余りしつこき故大臣の諒解を得て2時間ばかり面会せしが随分人を馬鹿にしたる口吻にて現役の大臣と次官とに不平を言はれたり(中略)。近衛公や松岡外相等に信頼して海軍が足を地から離すことは危険千万にて誠に、陛下に対し奉り申訳なき…」(307頁)。日本の将来を鋭く見据えていた天皇と五十六。だが既に洋上にあった五十六は政治的には無力。せめて海軍大臣か次官であってくれたなら…。工藤美代子は書いている。
(平成17年8月14日)

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2・26事件の直前、ロンドン条約は決裂。無条約時代に突入した。日本は巨大戦艦「大和」「武蔵」の建造に邁進する。五十六は必死に反対したが、大艦巨砲主義の<艦隊派>に押し切られた。それでも五十六の提唱で新型高速空母「翔鶴」「瑞鶴」の建造は決まった。

五十六の「航空第一」主義の構想を仮想敵国のアメリカ、イギリスが、当時どう見ていたか面白い記録がある。ジョン・ポッターの「太平洋の提督」。

「ある日、五十六の航空第一主義を苦々しく思う将官の一人が質問した。『戦艦なしでどうして敵の戦艦を沈められるのか』『雷撃機でやれます。一匹の大蛇もアリの大群に食い殺されるのです』。五十六の正しさは、後に真珠湾攻撃で証明される。だが当時は誰にも理解されなかった。それでも『アリの大群』を製造する計画は着実に実行に移していた」。

「五十六は太平洋を制圧しようとすれば、南洋信託領を基地とする長距離飛行が必要と考えた。そこで誕
生したのが二千ポンドの爆弾または魚雷を積んで、八千マイル(1万キロ)を飛ぶ97式飛行艇だった。その存在が世界に知られるのは昭和13年。実際の戦闘にこの飛行艇が使用されたからである。九州を飛び立った20機の96式陸上攻撃機が上海を空襲、無着陸で基地に帰って来た。まさに画期的な出来事であり、西欧諸国の海軍は驚愕した」(「海燃ゆ」256頁)。

「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)も同じ頃に製造された。『この戦闘機は世界航空史上に特記すべき傑作。太平洋戦争においては、2年間にわたって完全に太平洋の空を支配した』とポッターは書く」(「海燃ゆ」)。この頃、五十六は「遺書」を書いた。戦死後、親友の堀悌吉(中将)を通じ遺族に見せられた。
―――「悠久なるかな皇国。思わざるべからず君国百年の計。一身の栄辱生死、あに論ずる閑あらんや」とはその一節だ。

「五十六は生命を賭しても三国同盟を阻止したかった。『君国百年の計』とはまさに至言だ」「ドイツやイタリアと手を結べば、やがてアメリカ、イギリス、ソ連を敵にまわす日が来る。そうなれば日本帝国の明日はない。実際、五十六の予言は的中した」(「海燃ゆ」271頁)。

「人間山本五十六」の著者・反町栄一は旧制長岡中学と海軍兵学校で五十六の後輩だ。「その日、反町栄一は新潟の古志郡にある竹沢村の学校で講演をした。昭和14年8月30日のことである。講演が終わり、夕刻となって反町は山の頂上にある旧家に案内され、手打ちそばをふるまわれていた。そこへ『講師さんへ急報だ』と村の役人が飛び込んできた。『海軍次官山本五十六閣下が連合艦隊司令長官に任ぜられた』という知らせだった。その場に列席していた村長をはじめ一同、思わず万歳三唱をした」(「海燃ゆ」273頁)。

五十六は反町を信頼していた。次官の頃、彼に国家の重大機密を語っている。「日中戦争は一日も早く解決しなければいけない。このままいくと日中両国が共倒れになってしまう。残されている手段は、頭山満に飛行機で重慶に行ってもらい、蒋介石と直接会って、誠意をもって話し合えば、日中の平和が訪れるのではないか。今、その努力をしている」(工藤美代子「海燃ゆ」279頁)。五十六の努力は実を結ばなかった。

五十六が連合艦隊司令長官に任命されたのは自然の成行ではないと工藤美代子は書く。五十六は三国同盟に反対。米内も同じなのだが、五十六は突出していた。陸軍と海軍の壮絶な対立となった。陸軍の中には「敵は海軍なり」と公言する者もいて一触即発。海軍の有志がトラックに鉄板を張り、装甲車にして陸戦隊を乗せ、護衛に出ようとした。

「米内光政は昭和14年7月20日の閣議で『最近世間では海軍が弱いとかけしからんとかいうようなことを言い、自分と次官に辞職を強要する書類まで突きつける者がいる。これは陰でそうしたことをさせている者があるからであり、その事実を自分は知っている。どうかここに列席される各位においても十分ご反省願いたい』と述べた」(「海燃ゆ」)。

昭和14年8月、平沼騏一郎内閣は総辞職をした。三国同盟で態度をはっきりさせない日本。ヒトラーは<業を煮やし>「独ソ不可侵条約」を結ぶ。三国同盟はソ連の脅威に日独伊が手を結んで対抗しようというもの。平沼は「欧州の天地に複雑怪奇なる新情勢を生じた」と有名な言葉を吐いて総辞職。

政変直後、天皇は侍従武官の平田昇中将に「平田、さきほど米内が来たから、よくお礼を言っておいたよ」と言ったという。三国同盟を生命を賭して阻止した米内への天皇の感謝。

天皇は当時<聖上>。臣下にお礼など前代未聞。だがその米内・山本が辞任する日が来る。何があったか想像に難くない。五十六は次官の留任を望んだが、米内は<暗殺の噂>を理由に「今回は<海軍大臣>には推薦しないで連合艦隊司令長官にした。しばらくは安全な海上暮らしをするさ…」(283頁)と述べたという。五十六は言葉を返せなかった。この米内の配慮が正しかったかどうか。実はこの人事、歴史的には重大な岐路だった。

「山本五十六」は連載。工藤美代子さんの「海燃ゆ」(新潮社)をベースに毎日、独自の調査、見解を加えお届けします。今の時代に通じるヒントを満載する決意です。ぜひご愛読ください。

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