火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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美人講師とドンパチ!

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「珍しく本質を突いたご質問ですね。素晴らしい」と司会のフエリス大M教授。途端に美人講師が眉を吊り上げ、声を震わせて怒った。「本質を突いているかも知れませんが、私の話を誤解しています。もっと正確に話を聞いてください」――。

江ノ島の「かながわ女性センター」で「メディアをもっと女性の手に」というシンポジウムがあった。基調講演をしたのが竹信三恵子。朝日新聞の元学芸部次長、政府の男女共同参画審議会の委員も務める才媛。現役の記者でもある。

「フリーターが増えたり、収入が少ない若者が増え、新聞を読まない<無読層>が増えている。新聞社も高度成長期を前提とした<世帯>購読料という発想を捨てるべき時期に来ている。でも改革ができない。テレビもそうだが視聴者の喜ぶ番組が増えたり、スポンサーの意向に迎合する放送が増え、報道(ニュースやドキュメント)が減っている。男女共同参画も進まないし、マスコミの危機でもある」という趣旨の基調講演だった。

シンポジウムの終了直前、僅かな時間を割いて「会場の皆さんにもご発言を…」と司会が言った。「あのレベルの低い質問で恐縮ですが、<宅配>って何ですか」。見た目は素敵な女性がクダラナイ質問。貴重な時間を浪費している。カチンときた。思わず手が上がった。

「マスコミの危機というお話。読者やスポンサーの問題というよりジャーナリストの<志>の問題ではないでしょうか。マーケティングという視点で捉えると、ファッションの世界でも自動車、住宅の業界でも<質の高い>新しい需要を生み出す努力をしている。記者クラブに依存して役人の発表をウノミにした<差のない>画一報道、ハッとさせる新しいメッセージ性のない報道、賛否両論を併記するだけの甘い分析と記事。たとえば竹信三恵子さんのさっきのお話ですが…」と具体例を3点指摘した。
司会の教授が大きく頷き、「本質を突いた…」と言った。感動したのだ。だが…

演壇の彼女が怒鳴った。「誤解です。いいですか、私が言ったのは…」。ウソだ。この火山が誤解、それも3点全部を誤解するはずがない。「…いいですか」「いいですかとおっしゃるなら<違う>と申し上げるしかありません。私が最初に指摘したマスコミ自身の<自己改革>の努力についてお答えになっていません。<質の高い>報道を少しずつ増やし、新しい読者層を創出するという問題提起です」。司会の教授がまた大きく頷いた。

司会が他のパネラーに質問を振った。でも残念ながら二人の女性パネラー、マーケティングには無知だった。トンチンカンな答え。竹信三恵子さん、はっと気がついたらしい。
「私もまったく同じ意見です。失礼しました。おっしゃるとおりと思ったものですから、忘れてしまいました。思わずカッとなってしまいました。職場でもよくドンパチをやるのです。ホンネのぶつかり合いは大好き。有難うございました」。君子豹変ではなく<美女>豹変。思わず笑ってしまった。

いつものカブリツキ。彼女は目の前です。「ここは笑うところではありません」と彼女。だがニコッと笑っていた。二人で笑ってしまった。お隣の女性パネラーが言った。「彼女(竹信三恵子)のことはよく知っています。彼女、良く分っています。自分でも<努力>しているのに不十分。だから一番言って欲しくないことを言われてしまった。分ってあげてください」ですと。

江ノ島からロマンスカーに乗った。ワンカップの酔いが回ってきた。窓の外は高級住宅地。何か旅をしている気分だ。青春時代に読んだスタンダールの「恋愛論」を思い出した。確か<雷撃>といったと思う。恋の<成就>は一瞬という。気持ちが通じたと思ったその<瞬間>に<恋>が成就し、終わる。これも<一期一会>だ。

――実はこれ、一昨年10月30日の体験。でも今も生きている懐かしい思い出です。

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5月11日(水)19:00。火山、偶然に見つけた「世界うたもよう」<愛を歌う旅>はゲーテ作詞の「野ばら」。21歳のゲーテはシュトラースブルグの大学に留学。牧師を父に持つ少女と出会った。「少年が<野ばら>を発見した」のだ。「ボクは君を折ってしまう。小さな赤いバラよ」。二人は逢瀬を重ねるが、身分が違う。少女は結婚を熱望したが、少年は去ってしまう。少女は生涯結婚せず、独身のまま世を去る。

世界的な<文豪>となったゲーテは「詩集」に一つの詩を残した。素晴らしい名作。現在<150>を越える作曲家が、これにメロディーをつけた。ベートーヴェンもブラームスも、モーツアルトも。だがゲーテが一番気に入ったのは、シューベルトのもの。同郷のウェルナーのものも好きだったという。モーツアルトやベートーヴェンとも面識があったのに、ゲーテはなぜか、認めなかったという。これは火山の伝聞。

その昔、ドイツ文化研究会に所属、ドイツ語大好き。3学年から卒業まで<代表>を務めた火山、「野ばら」も原語(ドイツ語)で歌った。シューベルトも火山は好き。「未完成交響楽」という映画は何回か観た。ウィーンは3度旅したが、最初の時、宿泊したホテルの対面(トイメン)にあった教会はシューベルトの葬儀が営まれたという因縁ができた。

少女の名前も、似顔絵も残っている。ゲーテが有名になった時、彼女はどんな気持ちであったろうか。ゲーテが生きたのは<1749〜1832>。ゲーテが「若きヴェルテルの悩み」を書いたのは1774年。25歳。ハプスブルグ王朝とプロシャ王国の時代。モーツアルトより7歳の年長。ベートーヴェンは21歳若い。モーツアルトが35歳で死んだ時、ゲーテは42歳。

シューベルトが生まれたのは1797年。ゲーテ48歳、シューベルトが31歳の若さで死んだ時、ゲーテは79歳。あと4年の余命を残していた。ウーン、「野ばら」を折ってしまう男は、やはり強いなあ。

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東横線・桜木町駅が消える日の夜が明けた。今日(平成15年2月1日)の深夜、正確には31日午前零時44分、桜木町発元住吉行きで横浜・桜木町間が廃止になる。いざとなると限りなく淋しい。(これは我が人生の大きな<節目>の思い出話。3年前の日記です)。では……

1997年6月20日は金曜日でした。会社から我が家に電話、家内と桜木町駅の改札口で待ち合わせをしました。思い出の場所でランデブー。なんかトキメキました。
実は1963年11月17日(日)にもランデブーしていたのです。二人だけで初めて会ったのがこの日。3年半後に結婚。33年後のランデブーは「定年」の日でした。

会社で贈られた大きな花束と「記念品に・・・」と会社を描いた額入りの大きな水彩画を抱えていました。後輩の日曜画家から突然渡されてしまったのです。重かったけど、一生懸命この日のために絵筆を取ったといわれては受け取らないわけには行きませんでした。

生涯、ただ一度しかない日。重い荷物を持っても、家内と「みなとみらいでワインで乾杯」と気取りたかった。
入ったのはイタリア人楽士が生演奏を聴かせてくれるイタリアン・レストラン。赤ワインがおいしかったが、気に入ったのがカンツォーネの粋な演奏。ギター、アコーディオンにヴァイオリンというトリオでした。
思い入れたっぷり、テーブルを回ってヴァイオリンのソロが大サービスをしてくれます。酔うほどに興に乗って、思わず「オオ・ソレ・ミオ」をリクエスト。

家内が「およしなさい」と止めるのも聞かず、「ケ・ベラ・コーサ、ナイゥナータ・エ・ソーレ・・・」と歌い始めてしまいました。イタリア人トリオも郷里の言葉を聴いて大喜び。
一段と演奏に気合が入りました。

いつの間にか、周囲はしーんとなり、演奏ばかりが盛り上がる。最後に一段と声を張り上げて、息の続く限り伸ばして歌い、一気に終わり。途端に満座の大拍手。うーん、最高にいい気分でした。
ついぞ、やったこともないチップなども弾んでしまい、ワインも杯を重ねて、みなとみらいの夜は夢のように更けました。

この投稿をと思い始めてから、突然、あの大拍手は熱演したイタリア人トリオに来たものでは、と思い始めてしまいました。酔っ払いによく付き合ってくれましたネ、と。

あの頃はまだ、ノドも舌もよくまわったけれど、最近はカラオケもカラキシだめ。年はとりたくないものです。

さらば、桜木町駅・・・。

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みなとみらいの「昼どきクラシック」に行ってきた。神奈川フィルのコンサートマスターも務
「このステージは低いし、階段で客席に降りられる。親しみが持てますね。演奏者と一体。一番前が特等席かも知れませんね」…。賛成。火山は今日もカブリツキだ。

ヴィニアフスキーの「モスクワの思い出」のヴァイオリン・ソロから始まった。超絶技巧で一気に弾きまくる。ラフマニノフの「ロマンス」「ハンガリー舞曲」と続く。
<特等席>へサービスということで、ここでハープの登場。ハープを弾く女性は全部<美女>に見えてしまう。フルートとの合奏に身を乗り出した。ロッシーニの「アンダンテと変奏」…何でもいいや。ハープなら…。

アンコールはピアソラの「リベルタンゴ」。ハープ、フルート、チェロ、ヴァイオリン、ピアノの五重奏。なかなか素敵。終わりかと思ったら、全員で滝廉太郎の「花」を歌おうという。一人ずつ弾き手を紹介、「花」のメロディを、繰り返し楽器を代えて聴かせてくれた。
火山も思いっきり歌ってきた。

最後が良かった。聴衆が退場する間、最後の一人がホールから消えるまで、ステージでは5人の弾き手が演奏を続けるという―――。延々と「花」の合奏が続く。凄い。

そういえば前回は「シェルブールの雨傘」で送ってくれた。コンサートも競争が厳しい。
尾花輝代允、神フィルだけでなく、京都市響、読売響、札幌響とコンサートマスターを歴任したが、今はフリー。食うためにいろいろ工夫している(?)…。でも偉い。

ランドマークの吹き抜けホールで、ピアノ生演奏を聴いた。ピアノを弾く女性も<美女>に見える(?)。もっとも今日はシラフ。酔ってないと、そうは行かない。
でも30分足らず、しっかり聴いてきた。もっとも、聴いたことのある曲とは思うが、曲名が浮かばない。分ったのは「シェルブールの雨傘」ぐらい。火山も老いた。

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これは、「ネイティブの宣教師に英語の“お説教”を準備する火山の“クソ度胸”!お笑いください」の続きです。火山は明日、ネイティブ宣教師お二人にこれを朗読します。発音はどうか…。ウーン。

Second, we always made a date in the afternoon. Why? She was a member of “Joshiryo” that is a dormitory for girls, and the dormitory had very strict rules. So she never could go home late in the night. We always met only in the afternoon. This is our another “Appear; Interact, and Depart”.Besides, I am seven years older than her. You know, Gary Cooper and Audrey Hepburn in “Love in the afternoon” have very large age deference.

第二に、私たちのデートはいつもアフタヌーン、つまり午後。彼女は女子寮生。規則が厳しくて、深夜の帰宅は許されていなかった。だから私たち、「昼下がりのデート」しかできませんでした。これがもう一つの「出会い、交際、別れ」でした。加えて、私は彼女より7歳も年上。ゲーリー・クーパーとオードリー・ヘップバーンも非常に大きな年齢差がありましたよね。

She was born in AOMORI prefecture in 1944. AOMORI region where she was raised, also is called TSUGARU, the northernmost part of the main island of Japan. It means very exotic and faraway to me.
Anyway she appeared in front of me on June 1960. Exactly to say, I found her in a bus I was in charge of guide to Tokyo sightseeing for 50 girls who are newly employed by our company from faraway TOHHOKU district, in that season.

彼女は青森県に1944年に生まれました。彼女が育った青森地方は津軽と呼ばれ、本州の最北端に位置します。私から見ると僻遠の異民族のような感じ。でもとにかく、彼女は1960年の6月、私の前に現れました。正確に言えば私が東京観光のバスガイドを務めていたバスの中で発見したのです。そのバスには50人ほどの新入社員、その春、僻遠の東北地方から新規採用された女の子たちが乗っていた。

“ Wow, She must be Audrey Hepburn.” I told myself. And I fervently longed to know her real name. But it was impossible. There were so many girls. In front of them, how I was able to make a conversation only with her and ask her name. Only what I could do was, to grieve over my misfortune.

凄い!彼女はオードリー・ヘップバーンに間違いない。私は自分に言い聞かせた。彼女の本名を知りたい。熱烈に思い焦がれました。でもそれは不可能。そこには大勢の女の子がいた。彼女らの前で、彼女とだけ会話を交わす、そして名前を聞く。できっこない。私にできるのは、自分の不運を嘆き悲しむだけでした。

What a coincidence, our encounter or appearance happened on one of the famous bridges in Tokyo called “Sukiyabashi” where Machiko Ujiie and Haruki Atomiya, also famous heroin and hero of very tragic love-story, we all Japanese were engrossed,at that time, happened to meet on this bridge, and be fallen in love each other. And another coincidence, the name of that drama is“I fervently long to know your name”, in Japanese“君の名は?”――。

なんという偶然でしょうか。私たちの出会いが起こったのは東京の数ある橋の中で有名な橋の一つ。数寄屋橋でした。当時、日本人が熱中、時間を割いていた「悲恋物語」のヒロインとヒーロー、氏家真知子と後宮春樹は、その橋で出会い、恋に落ちた。ドラマの題名は「君の名は」…。

Three or four months passed in vain, I had no way to know her name. You know, in that year our company employed about 1,800 newly employees, and she was only one of them.But Lady Luck was smiling on me! One day, one of the headmasters in Tsugaru visited our company to inspect our dormitory for girls, because one of his graduate newly employed by our company on that June.

3,4ヵ月が無為に過ぎた。私には彼女の名前を知る手段がなかった。お分かりでしょう。その年は私たちの会社は新入社員を1800名も採用していた。彼女はその1800名の中の1人だったのです。しかし、運命の女神が私に幸運を運んできた。ある日、津軽から校長先生が1人わが社にやってきた。女子寮を視察したい。理由は彼氏の教え子がその6月に、わが社に採用されていたから。

There were a lot of colleague in our personnel section, but what a coincidence, our receptionist appointed me to guide him, and then wow! that Audrey Hepburn appeared with a broad smile. I could know her name for instance. But three years passed in vain. I didn’t know how to approach her. I was so shy.

人事課には大勢の同僚がいたのですが、なんという偶然でしょう。受付嬢が私を案内役に指名した。そうしたら、凄い!あのオード―リー・ヘップバーンが満面の笑みを浮かべて出てきた。私は即座に彼女の名前を把握した。でも3年が無為に過ぎた。彼女に近づけなかった。内気でした。

Our wedding ceremony was held in 1965 after two year“interaction”. And we celebrated Sapphire Wedding Memory last year. Now I’m 74 years old. Naturally, my departure-time is approaching day by day. I completely have been conscious of it. So,at my 60 years old, I wrote a love-letter to her. You know,“a love- letter at 60 years old”is a famous event presented by Sumitomo trust bank.

私たちの結婚式は、2年の交際を経て、1965年に挙行されました。そして昨年、私たちは結婚45年のサファイア婚を祝いました。私は今、74歳です。自然の摂理で、私が天国へ旅立つ日が、刻々と迫ってきています。私は、それを十分自覚しています。そこで60歳の時、「60歳のラブレター」を彼女に書きました。ご存知でしょう。「60歳のラブレター」とは住友信託銀行が主催した有名なイベント。

The first prize,or grand-prix money was wow, 3 million yen. I thought. OK, Lady Luck was smiling again on me! Why ? I used to be a kind of journalist. I had been in charge of the editor of a magazine for our company-employee. Naturally I thought myself, I must have been very good at writing “love-letter”. I could easily get the first prize.But don’t ask me the results of the judge. Anyway I couldn’t give her 3 million yen. Alas! Alas!

一等賞、グランプリの賞金は300万円。私はシメタと喜んだ。運命の女神が再び幸運を運んできた。私はある意味のジャーナリスト。会社では「社内報」の編集長だった。「ラブレターなど得意中の得意」。一等賞を取るなど簡単だ。そう思った。でも審査結果は聞かないでください。どっちにしても、私は彼女に300万円をプレゼントできませんでした。ああ、悔しい。ああ…。

But after that, I made up my mind. I decided to leave that love-letter to her, my beloved better-half, my Audrey Hepburn. And ask her. Please read it in front of my whole family when the first anniversary of my death come. This is my very departure to her.

でもその後です。私は決心した。このラブレターは彼女に、最愛の伴侶に、私のオードリー・ヘップバーンに預けよう。そして頼み込んでおこう。私の一周忌の席で、家族の全員の前で読み上げてほしい。そしてこれがまさに、私の彼女への「別離」なのです。
(平成23年12月3日)

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