火山の独り言

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「中村紘子のベートーヴェンピアノ協奏曲<全曲>演奏会」!6月3日(日)、午後2時の開演からおよそ4時間40分が過ぎ、最後の<第5番>変ホ長調(作品73<皇帝>)がついに始まった。第1楽章の冒頭はいきなり壮大なカデンツァ。中村紘子の全身がカブリツキに席を占める火山の目の前で躍り、圧倒的迫力のピアノが轟音を響かせた。凄い!!

<皇帝>という愛称は出版社がつけた。「このタイトルは筋金入りの共和主義者であるベートーヴェンにとっては全く意に沿わぬものだったに違いない!」とプログラム。だが<皇帝>にぴったりの壮大な演奏。ピアノの音響板に隠れ、足しか見えない大友直人の両手首が時々はみ出す。東京文化会館の歴史的イベント。音楽監督・大友直人の力強い指揮だ。

<皇帝>は1809年、ナポレオン軍が占領するウィーンで作曲された。ナポレオンは有名なシェーンブルン宮殿に軍司令部を置いた。ウィーンは大砲の音が鳴り響き騒然としていた。
「貴族はみんな逃げてしまい、ついにはフランス軍に占領されてしまった。そんな時は誰もが音楽どころではない。そんな状況下でベートーヴェンはどんな音を心の中で聴いていたのか」。プログラムに「おれの人生はどうなるんだ」とベートーヴェンを書いた林田直樹。

ベートーヴェンは39歳。音楽家としての名声は頂点を迎えようとしていた。だがベートーヴェンには深刻な悩みがあった。難聴が進行、耳がほとんど聞こえない。
「初演は1811年にライプツィッヒ・ゲバントハウスで行われたが、この初演を担当したのは作曲者自身ではなく、同地の教会のオルガニストであったヨハン・フリードリヒ・シュナイダーであった。耳疾のために、自作品の独奏を諦めねばならぬところまで病勢は進行していたと見るべきだろう」―――。広瀬大介(一橋大大学院)の解説だ。

広瀬大介によればベートーヴェンが「ピアノ協奏曲」を書き始めたのは1786年、まだ16歳、ボンに住んでいた頃という。貴族の子弟たちにピアノを教え始めたベートーヴェンはブロイニング家の娘エレオノーレを弟子にした。このエレオノーレがベートーヴェンの初恋の相手。ベートーヴェンはこのブロイニング家で文学やラテン語への関心を深める。

ベートーヴェンはブロイニング家で大勢の名士と知り合うが、ウィーンの名門ヴァルトシュタイン伯爵ともここで出会う。伯爵は自らもピアノを弾き、作曲するほどの音楽愛好家。「伯はベートーヴェンの才能を賞賛し、当時、ボンに数台しかなかったアウグスブルクのJ・A・シュタイン製のピアノを贈ったのである。以後ボン時代のベートーヴェンの作品はすべてこのピアノから生まれている」(平野昭「ベートーヴェン」新潮文庫・26頁)。

1789年5月、ベートーヴェンはボン大学に入学する。7月14日、フランス人民がバスチーユを襲撃、革命に蜂起したと知ったベートーヴェンは、有名な啓蒙思想家オイロギウス・シュナイダー教授の革命思想についての熱のこもった講義を聞き、「自由・平等・博愛」という革命精神に大いに共鳴を覚えたらしい。手紙や友人の証言が残っている。

これがナポレオンを尊敬、交響曲<第3番>を献呈しようという動機になる。しかし、ナポレオンが<皇帝>になると知るや激怒、表紙に書いてあった<献辞>を抹消してしまう。
一昨年9月、ハイリゲンシュタットの「ベートーヴェンの家」を訪ねた火山、展示してあったこの表紙に気づかず、見ないまま帰国した。帰国後、案内書を読み、地団太踏んだが、<後の祭り>。最後の「ピアノ協奏曲」が<皇帝>ではベートーヴェンも不本意だろう。

「ベートーヴェンはあの肖像画からイメージされるような、深刻一辺倒だけの男でもなかった。パーティが大好きで、人々の注目を一身に集めなければ気がすまないところさえあった。本人も手紙の中で書いていたが、社交的で愉快な、冗談もよく飛ばす快活で機転が利くエネルギッシュな若者であった。もちろん恋もたくさんした」。なんと斬新で面白い話。だがそんなベートーヴェンが、耳が聞こえないばかりに偏屈な変人になっていく。

1810年、40歳のベートーヴェンが恋をし、真剣に結婚を考える。相手は友人のグライヒェンシュタインが訪れていたマルファッティ家の令嬢だった。ベートーヴェン40歳が求婚したのは、なんと18歳の娘。マルファッティは1808年以来のベートーヴェンの主治医だ。

友人は姉のアンナを見事に手に入れる。だがベートーヴェンは妹に失恋。日付のない多くの手紙がテレーゼ・マルファッティとの結婚の意志を物語っていると平野昭「ベートーヴェン」。テレーゼの姪の証言もある。「ベートーヴェンは叔母を愛していましたし、結婚も望んでいましたが、叔母の両親が許しませんでした」。ああ、哀れなベートーヴェン!!

耳が聞こえず、失恋もする。そんな状況の中で作曲され、初演されたのが<皇帝>だ。
5つのピアノ協奏曲の中で最も雄大な楽想を誇る。第1楽章はいきなりピアノの堂々たるカデンツァに始まる。第2楽章は切なく優しい幻想曲風。第3楽章へ切れ目なく続き、最後はピアノの和音とティンパニーのリズムが消え入りながら終わると思いきや、突如めまぐるしいピアノソロから終結へなだれ込む。迫力満点で終わった。

<ブラーヴァ>!70分の大休憩の間、上野公園でワンカップを飲んだ火山、絶叫した。開演から5時間30分、ピアノとオケと格闘した中村紘子に客席から盛大な拍手と声援が飛ぶ。
最高の敬意を表すスタンディング・オーべーション。あちこちで拍手しつつ立ち上がる。火山も最前列で立った。なんと中村紘子が火山にウインク。ブラーヴァに応えたのだ。
(平成19年6月18日)

「ピアノ協奏曲」第4番ト長調(作品58)は1805〜06年頃、作曲が始められた。それはナポレオンがオーストリア軍を破り、ウィーンを占領した時期に当たる。フランス軍はシェーンブルン宮殿に軍司令部を置いた。2年前の夏、東欧旅行をした火山、シェーンブルン宮殿を訪れた。3度目になる。<美しい泉>という意味のドイツ語。壮大・壮麗な宮殿だ。

70分の大休憩の後は<第4番>。火山夫婦は上野公園の散歩からカブリツキの席に戻った。ベンチに座って日本酒を飲んだ火山、ほろ酔いで隣席の上品な奥様に声をかけた。最初の<第1番>ハ長調(作品15)が終わった時、<凄い>とつぶやいた女性。連れはいない。

「あの〜、ベートーヴェンがお好きなのですか」―――。「中村紘子のファンです」。打てば響くようなお答え。「そうですか。ベートーヴェンのピアノ協奏曲<全曲>演奏会。音楽史に輝くビッグ・イベント。カブリツキを争った方がどんな方かと…」と火山。
大笑いになったが、彼女の位置なら中村紘子の全身が目の前。ステージがもう少し低ければ鍵盤や指使いまで見える。火山が欲しかった席。先を越されてしまった。

第4番の初演は1807年、ロプコヴィッツ侯爵(1772〜1816)の私邸で非公開に行われた。東京文化会館のプログラムだが、なかなかよくできている。
ロプコヴィッツ侯爵はベートーヴェンより2歳年下。ウィーン生まれの芸術愛好家。自ら巧みにヴァイオリンを弾いた。ベートーヴェンの才能を愛し、1809年からベートーヴェンが受け取った年金4000フローリン(4000万円)のうち700フローリンを分担した。ナポレオンへの献呈をやめた<英雄>交響曲はこのロプコヴィッツ侯爵に贈られている。

ロプコヴィッツ侯爵の私邸、実は今もウィーンに存在する。火山は初めてウィーンを訪問した1991年、<英雄>が初演されたという侯爵邸でウィンナ・ワルツの夕べを聴いた。
家内と2人。この時もカブリツキだったが、侯爵が聴いたのと同じフロアという。感激!

さてベートーヴェンだ。あるヴァイオリニストに「お前のそんなちっぽけな楽器で、おれの音楽が表現できるはずがない」と言ったという。N響の広報誌担当の林田直樹の解説。
「これはベートーヴェンの頭の中に鳴っていた音楽が楽器の可能性をはるかに越えた壮大なものだったことを示唆している。これはピアノ音楽に最もよくあてはまる。ピアノ・ソナタやピアノ協奏曲は当時の最新鋭だった鍵盤楽器の急発達と不可分の関係にあるといわれる。ベートーヴェンは目の前にあった楽器の響き以上のものを想像していた」と林田。

「それまでの3曲と第4・5番を截然と分ける要素はピアノ協奏曲に対するベートーヴェンなりの新たな<理念>の有無であろう。第3番までは、それまでの伝統的な語法を用いて作曲された。しかし第4番では、それまで比較的自由な演奏を許されていた演奏家に対して、自身の曲に与えた新しい<理念>を堂々と主張、それに従った演奏を強いるようになった。演奏家のために存在していた協奏曲というジャンルは作曲家主導で構成され、19世紀に隆盛を極める交響曲的なジャンルへ移行していく」(プログラム)―――。

火山、ちょっと違うことを連想した。この時期、ベートーヴェンの耳はますます不自由になって行った。音楽家としては致命的な難聴。自殺まで考え、1802年には「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた。第4番の作曲を始めたのは1805〜06年。ピアノ協奏曲を自身が弾くという想いが薄れ、作曲家への変身を加速させ始めていたのではないか。

「さらにはベートーヴェンの耳の病気の問題がある。ベートーヴェンは音の振動を少しは感じることはできたものの、いま目の前で鳴っている音を耳で聴くことは年を追うごとにますます困難になって行った。そうなると音を想像するより他にない。いや、できることならば耳がちゃんと聴こえている以上に、繊細でダイナミックな、空想上の素晴らしい音を想像しようとしたのではなかったろうか」―――。これも林田直樹だ。

<第5番>変ホ長調(作品73・皇帝)―――。純白のブラウスに黒のビロードをあしらった豪華な舞台衣装に身を包んだ中村紘子、こぼれんばかりの笑顔で現われた。控え目に大友直人が続く。いよいよ本日、最後の1曲だ。満場の客席から拍手と声援が飛ぶ。
若い頃から美貌の誉れ高い中村紘子、火山の目の前でピアノに向かった。実はお隣の奥様、火山にカブリツキを譲ってくれた。前半の第3番が終わったところで奥様の隣が空席になった。固辞したのだが、火山の意を察した奥様が1つズレてくれた。ご好意に甘えた。

家内もお隣の女性も1つずつ中央に詰めた。指揮台の大友直人、相変わらず足しか見えない。ピアノの音響板が邪魔なのだ。最後の1曲。客席の緊張感が高まる。火山も身構えた。

「第1楽章の冒頭にはいきなりピアノの堂々たるカデンツァが置かれている。第4番の冒頭カデンツァはひっそりと忍び込むように始まったのに対し、もはや伝統の束縛を断ち切ったかのように決然たる音楽」―――。
中村紘子の体が大きく踊った。猛烈なカデンツァ。1曲進むごとに進むごとにピアニッシモからフォルティッシモのダイナミック・レンジが広がる感じ。凄い。

期待の第2楽章が始まった。ロマン派の作曲家たちが次世代の音楽を先取りしたかのような幻想性を愛し、好んで演奏した第4番の第2楽章の雰囲気を再現したかのような美しく深い響き。そして第3楽章へ切れ目なく続く…。独奏ピアノとティンパニーの掛け合い。
(平成19年6月16日)

<おれの人生はどうなるんだ>―――。1799年、しつこい耳鳴りに襲われたベートーヴェン。<聾>(つんぼ)になるかもしれないという恐怖と戦う運命に思い悩み始めた。「耳が聞こえなくなる」―――。<耳が商売>の音楽家としては致命的なことだ。

「中村紘子のベートーヴェンピアノ協奏曲<全曲>演奏会」―――。東京文化会館の音楽監督の大友直人が創案。6月3日(日)に実現した。チケットは完売。この歴史的イベントに狂喜した火山、家内と2人で最前列中央のカブリツキを手に入れた。
オーケストラは東京都交響楽団。S席は9000円。でも惜しくない。普段は<麦飯>!貧乏に泣く火山だが、清水の舞台から飛び降りた。これを逃して何がクラシック・ファンだ。

29歳の時、ツンボになるかも…と戦慄したベートーヴェン。<おれの人生はどうなるんだ>と思ったことだろう。この言葉、ベートーヴェンの人物像をプログラムに書いた林田直樹のもの。調べて驚いた。<N響>の広報誌を手がける音楽評論家。筆が立って当然だ。

午後2時開演、途中3度の休憩を挟んで<第4番>ト長調(作品58)まで終わった。
「<腕立て伏せ>をして<体力>を養う」と宣言してこのコンサートに臨んだ中村紘子。若い頃から美貌で鳴らした日本屈指の名ピアニストだ。
指揮の大友直人は2004年から東京交響楽団の常任指揮者。桐朋学園在学中からNHK交響楽団の指揮研究員となり、22歳の若さで<N響>を指揮してデビューした。20歳の初レコーディング以来、数多くのCDをリリース。これも日本屈指の名指揮者。

名コンビの演奏は絢爛豪華。1曲終わる都度、盛大な拍手と声援。中村紘子も大友直人も何度もステージに呼び出され、会釈を繰り返した。お蔭で予定時間が大幅に遅れ、90分の<大休憩>予定が<70分>に短縮。でも火山夫婦は上野公園を散歩、気分を変えて<第4番>を聴いた。4番も素晴らしい。意外にも火山がよく聴き知った曲だった。

「冒頭の主題は当時のベートーヴェンが意識して多用した<運命の動機>と呼ばれる音型から派生しており、<交響曲第5番>の冒頭の旋律も同じスケッチブックに書かれた同じ音型から作られた。ただ与える印象は正反対。優しさと柔らかさに満ちている」と解説。

<おれの人生はどうなるんだ>―――。ベートーヴェンの時代、人類の歴史は「フランス革命」を経験した。1789年、ベートーヴェンは19歳、ボン大学の学生だった。<自由・平等・博愛>という革命の理念に若いベートーヴェンは興奮していたらしい。
革命後の共和制、フランス国民の熱狂的支持を受けて登場したのがナポレオン。ベートーヴェンがナポレオンを尊敬、交響曲第3番を献呈しようとしたことは有名な話だ。だがベートーヴェンはナポレオンが<帝位>につくと知ると、怒って<献辞>を抹消した。

だが運命の皮肉。ベートーヴェンが住んでいたウィーンは1805年、ナポレオンのフランス軍に占領されてしまう。ナポレオンはシェーンブルン宮殿に軍司令部を置いた。オーストリアの貴族や音楽愛好家は戦火を逃れ、皆、ウィーンを離れる。ウィーンに残ったベートーヴェンは別の意味でも<おれの人生はどうなるんだ>と考えたことだろう。

「ベートーヴェンの音楽を考える上でもう1つ大切なことがある。それは貴族階級の庇護のもとで作曲活動を行ったハイドン、恵まれた環境で成長したモーツアルトに比べてベートーヴェンははるかに庶民的だったという事実である。王侯貴族が専制的権力を持っていた時代、音楽家はそうした支配階級の愉しみのために奉仕するものであり、料理人と同等の下僕扱いであった。プライドの高かったモーツアルトでさえ、その地位に甘んじる屈辱を受けなければならなかった」―――。林田直樹の文章だ。

「ところがモーツアルトのわずか14歳年下のベートーヴェンの生きた時代のウィーン、状況が変わっていた。音楽家は<奉公人>ではなく<芸術家>として尊敬される存在になり始めていた。1809年まで長寿を全うしたハイドンは最初は下僕だったが、人生の最後の時期は全ヨーロッパから尊敬される芸術家としての栄光を手にすることができた」と続く。

ベートーヴェンの肖像画の<もじゃもじゃの髪>―――。「その方がお似合いです」という周囲の助言で保たれたという。ウィーンの街頭を稲妻のようにクルリと曲がる散歩中のベートーヴェンはしばしば市民の話題になった。「あれがベートーヴェンさ」。ベートーヴェンは変わり者と思われたが、ただ者ではない。芸術家として尊敬され始めていたという。

「ベートーヴェンはあの肖像画からイメージされるような、深刻一辺倒だけの男でもなかった。パーティが大好きで、人々の注目を一身に集めなければ気がすまないところさえあった。本人も手紙の中で書いていたが、社交的で愉快な、冗談もよく飛ばす快活で機転が利くエネルギッシュな若者であった。もちろん恋もたくさんした」―――。なんと斬新で面白い話だろう。火山、大いに気に入った。ベートーヴェン研究も<進化>したものだ。

ベートーヴェンはあるヴァイオリニストに言い放った。「お前のようなちっぽけな楽器で、おれの音楽が表現できるはずがない。おれの音楽はもっと凄いものなんだ」―――。ベートーヴェンの頭の中で鳴っていた音楽は楽器の可能性を大きく超えていた。ベートーヴェンのピアノ協奏曲は<急発達>していた<最新鋭>のピアノのために作曲された。そして<第4番>ト長調(作品58)はナポレオン占領下のウィーンで作曲されたもの。
(平成19年6月16日)

「夕闇迫る上野公園。日本酒を飲み、<皇帝>第2楽章を夢見た」―――。6月3日(日)午後2時開演。東京文化会館の「中村紘子のベートーヴェンピアノ協奏曲<全曲>演奏会」。
<大休憩>70分が終わった。ほろ酔いの火山。最前列中央<1列19番>の席に戻った。
<第1番>が終わった時、「凄い!」とつぶやいた上品な奥様。先に戻っていた。連れはいない。独りだ。火山、酔った勢いもあり、声をかけた。「ベートーヴェンがお好きなのですか」―――。実はこれ、2時間前から考えに考えたセリフ。これなら答えやすいはず。

「中村紘子さんのファンです」―――。思ったとおりの答えが返ってきた。奥様の席、ピアノの鍵盤が目の前、中村紘子に最も近い。「そうでしたか。ベートーヴェンのピアノ協奏曲の<全曲>演奏会。歴史に残るイベントです。私、本当はあなたの席が買いたかった。カブリツキを争った方がどんな方か知りたかったのです」(笑い)―――。
「あら、そうでしたか。私はもうちょっと左が欲しかったのです。それと、ここは見上げるので首が痛い。もう少し後ろでしたら、指も見えます。でも買えませんでした」。

中村紘子が純白に黒のビロードをあしらったブラウス、素敵な舞台衣装で現われた。前半のライトブルーから<お色直し>。そういえば開演前、家内がささやいた。「中村紘子のクルマを見たわ。彼女、スーツケースを二つ抱えて出てきたわよ」―――。
若い頃から美女の誉れ高い彼女、あでやかな姿に客席から盛大な拍手が起った。指揮の大友直人が控え目に続く。振り返って手を差し出す中村紘子とにこやかに握手、グランド・ピアノの音響板向こうの指揮台に立った。オーケストラに緊張が走った。

<第4番>ト長調(作品58)―――。ピアノがいきなり主題を提示。驚いた。<第3番>同様、このメロディも火山は知っている。いったい、いつ、どこで、聞き覚えたのだろう。
「冒頭の主題は当時のベートーヴェンが意識して多用した<運命の動機>と呼ばれる音型から派生しており、<交響曲第5番>の冒頭の旋律も同じスケッチブックに書かれた同じ音型から作られた。ただ与える印象は正反対。優しさと柔らかさに満ちている」―――。
広瀬大介の解説。モーツアルト研究で有名な田辺秀樹の弟子。火山、すっかり気に入った。

「それまでの3曲と第4・5番を截然と分ける要素はピアノ協奏曲に対するベートーヴェンなりの新たな<理念>の有無であろう。第3番までは、それまでの伝統的な語法を用いて作曲された。しかし第4番では、それまで比較的自由な演奏を許されていた演奏家に対して、自身の曲に与えた新しい<理念>を堂々と主張、それに従った演奏を強いるようになった。演奏家のために存在していた協奏曲というジャンルは作曲家主導で構成され、19世紀に隆盛を極める交響曲的なジャンルへ移行していく」―――。広瀬の解説が冴える。

だが火山、ちょっと違うことを連想した。この時期、ベートーヴェンの耳はますます不自由になって行った。音楽家としては致命的な難聴。自殺まで考え、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたのは1802年のこと。第4番の作曲を始めたのは1805〜06年の頃という。
ピアノ協奏曲を自身が弾くという想いが薄れ、作曲家への変身を加速させ始めたのではないか。もちろん芸術家としての成熟はあった。だがそれだけだろうか。

「それまでの協奏曲では第1楽章はオーケストラの序奏で始まるのが常だったが、この作品ではピアノの主題の提示で始まっている」―――。<演奏家>主体の協奏曲から<作曲家>主導の<交響曲>的な世界へ。これこそ「強烈な<理念>の発露であろう」と広瀬。

平野昭「ベートーヴェン」(新潮文庫)に次の言葉を発見した。「生命の危機の克服は、力強い劇的筋書きで貫かれ、ひとつの文学とも呼べる長大な<遺書>を認める。その瞬間であったかもしれない。自殺までほのめかす彼が、芸術家としての使命に目覚め、過酷な運命に挑み、演奏家としてではなく創作家として復活しようという」―――。

ベートーヴェンが<英雄交響曲>を完成させるのは、まさに<遺書>を書いた翌年の1803から04年にかけてであり、その後に続く「<運命交響曲>や第九交響曲などに現れる<闘争から勝利へ>というベートーヴェン独自の劇的構図も、この危機の克服と無関係ではないように思われる」(平野・68頁)。
「ベートーヴェンの音楽を考える上でもう一つ大切なことがある」とプログラム。もう1人、素敵な音楽評論家を発見した。林田直樹。N響の広報誌によく執筆しているという。

<おれの人生はどうなってるんだ>―――。「18世紀末から19世紀初頭のウィーンに暮らしていたベートーヴェンは、そんな不安を抱えて生きていたのではあるまいか」と始まる。
「当時、隣国の大国フランスでは数百年の伝統を誇り、未来永劫に続くと思われていた絶対王政が革命によってもろくも瓦解、1789年から1799年までの10年間に、約4万人が処刑された。その衝撃は当然、オーストリアにも伝わっていた。ベートーヴェンの手紙や友人たちの証言によれば、若きベートーヴェンはフランス革命に非常に興味をもっていた」。

林田直樹によれば「貴族階級の庇護のもと作曲活動を行ったハイドン、恵まれた環境で成長したモーツアルトに比べ、ベートーヴェンははるかに庶民的だった」という。
「王侯貴族が専制的権力を握っていた時代、音楽家はそうした支配階級の愉しみに奉仕するものであり、料理人と同等の下僕扱いだった。プライドの高いモーツアルトでさえ、屈辱を受けなければならなかった。だが僅か14歳年下のベートーヴェンが生きた時代、音楽家は<奉公人>ではなく<芸術家>として尊敬されるべき存在になり始めていた」―――。
(平成19年6月11日)

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「中村紘子のベートーヴェンピアノ協奏曲<全曲>演奏会」――。6月3日(日)午後2時開演。東京文化会館。3曲目は<第3番>ハ短調(作品37)だった。指揮は文化会館の音楽監督を務める大友直人。音楽史上に新たな1頁を添える<大企画>を発案した。筋肉質のスリムな体躯。キビキビした指揮ぶり。中村紘子との名コンビで<第1番><第2番><第3番>――と素晴らしいベートーヴェンを聴かせてくれた。

「ベートーヴェンが得意とした<ハ短調>。交響曲第5番<運命>。ピアノ・ソナタ第8番<悲愴>など、古典派の枠をはみ出す暗い情念が渦巻く曲想と、このハ短調の響きは非常に相性がよい。期待に違わず、第1楽章冒頭のオーケストラおよびピアノ独奏の開始部分でたたきつけられるように演奏されるモティーフの力強さこそ、聴き手に『これぞベートーヴェン!』と思わせるような音楽と言えるだろう。この楽章のカデンツァには新しいピアノでしか演奏できないような高い音も用いられた」――。

ベートーヴェンは1770年の生まれ。当時のピアノの音域は5オクターブ。それが進化して6オクターブに広がる。<第3番>の初演は1803年4月、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場。初演に先立つ前年に有名な<ハイリゲンシュタットの遺書>が書かれている。難聴が進行、生きることに絶望したベートーヴェンの苦悩が<ハ短調>に結晶したという。ベートーヴェンの<難聴>がどの程度のものだったか。1801年6月29日、幼友だちのゲルハルト・ウェーグラーに宛てた手紙がある。

「私の声誉の登りきったところで、妬み深い悪魔が私の健康を最悪の状態におとしいれた。私の聴覚は、この3年来目だって弱まってきた。劇場に行っても、舞台の声を聞きとるためにオーケストラの1列目に席を取って、やっと聞こえるほどになってしまった。少し離れて座ると、楽器の高い音も歌い声も聞こえないことが多い。人が話しかけてくる時、私に聞こえていないことに気づかない人が多いのが不思議なくらいだ。私がつねに物思いに沈んでいるからだと解釈してくれるからかもしれない。

時には人が話しているとのが低い声でも聞こえてくることがある。けれども話の言葉はほとんど聞き取れない。そのうちに相手がしびれを切らして大声で叫ぶようになると、私の忍耐は限度まできてしまう」――。
「人に気づかれずとも進行中の聾の悪化という絶望的な考えが、しばしば彼を自殺の決意にまで追いつめていたことは、後世の史家にとって、この時代の彼の心境を知る上に重要な材料になるであろう」(近衛秀麿「ベートーヴェンの人間像」音楽之友社・125頁)。

<忍耐の限界>まで追いつめられてもベートーヴェンは新しいピアノの研究を怠らない。「第1楽章のハ短調に対し、第2楽章のホ短調は非常に珍しく、作曲家の苦心の跡が窺える。穏やかな雰囲気の中、さざめくように演奏されるピアノは第1楽章とは対照的だが、こうした音楽にもベートーヴェンの当時の心情を感じるのは筆者の思い過ごしだろうか。第3楽章では終結部がハ短調からハ長調へと推移する。<運命>ほど明確ではないかもしれないが、この曲も<苦悩から歓喜へ>という枠組みを有しているのである」――。

プログラムの解説を担当した広瀬大介。モーツアルト研究で有名な田辺秀樹の愛弟子だ。一橋大大学院は不思議な専門家を育てている。「歌で楽しむドイツ語」というNHKラジオを講座。火山、3年前、田辺秀樹に大変お世話になった。1995年夏、火山、お蔭様でウィーン郊外のハイリゲンシュタットを訪ねた。<ベートーヴェンの散歩道>も<遺書の家>も見てきた。懐かしい思い出だ。

<第3番>が始まった途端、ビックリした。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲」は第5番<皇帝>以外は知らないと思い込んでいた。だが<第3番>!聴き慣れた曲だった。<いつ、どこ>で聴いていたのか、まるで印象に残っていない。だが親しい曲だった。
終演と同時にまたもや盛大な拍手と声援。<大友直人>大ファンの家内。中村紘子から一歩引いて控え目に会釈する大友に惜しみない拍手。いつもなら<ブラーヴァ!>とか<ブラヴォー>と絶叫する火山だが、今日は目下シラフ。イマイチ熱狂できない。

ところが、これから70分の休憩。<2時>開演で2時間22分が過ぎた。今日1日でベートーヴェン「ピアノ協奏曲」<全5曲>を聴く。本来<90分>の<大休憩>のはずだったが、盛大な拍手、声援。何回も中村紘子と大友直人を呼び出す。1曲終わるごとに繰り返され、次第に盛り上がってきた。終演は7時15分の予定だが、既に20分近く遅れている。

時計を見たら4時25分。上野公園を散歩しよう。思い切ってリフレッシュ。新たな気持ちで残り2曲を聴きたい。特に<第5番>の<第2楽章>のアダージョ――。「弱音器つきのヴァイオリンが静かに主題を奏で、続いてピアノが得もいわれぬ切なさと優しさで、装飾的なフレーズを歌う」――。4月18日、横浜みなとみらいホールで小山実稚恵のピアノと神奈川フィルで聴いたばかり。でも楽しみだ。

今夜はコンサートが跳ねてから、ちょっと豪華な夕食を家内と楽しむつもり。散歩しながら心当たりの和食レストランを探した。不忍池を眺めながらお座敷で…。だがどういうわけか発見できない。足を痛めている家内。ムリはできない。仕方なくベンチに腰掛け、ペットボトルの日本酒を飲んだ。夕闇が忍び寄る上野公園。陶然となってきた。さあ、これから再びベートーヴェン。カブリツキの特等席が待っている。
(平成19年6月10日)

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