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一代の<英傑>不比等は「日本書紀」が完成した養老4年(720年)、この世を去った。 |
新編「聖徳太子は実在しない」
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不比等は怒涛のように日本に流れ込んでくる中国思想の中で、日本にも儒教・仏教など中国理解に強い聖天子が実在、今日の繁栄をもたらしたと内外に誇示しようとした。それが「日本書紀」の編纂。政界のトップ・不比等にはもう一つの悲願があった。早世した |
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不比等は「大宝令」を制定、天皇を中心とした<法と制度>の<律令国家>を築き、しかもその天皇を<象徴化>して<宗教的>存在に祭りあげ、自分が専制を振るえる体制を整えた。古代史<最大の政治家>と言われるのは当然だ。 |
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元明<女帝>は和銅8年(715年)9月2日、譲位の<詔>で「神器を皇太子に譲らむとすれども、年歯幼稚にして未だ深宮を離れず」と15歳の<首(おびと)>を決め付け、不比等の願いを一蹴。娘の氷高内親王に皇位を譲る。同日、<元正>女帝の即位。もちろん<長屋王>の意向だ。不比等は敗れた。 |
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不比等は古代史最大の政治家。巨大な権力を振るって「大宝令」を定め、天皇を象徴化、宗教的存在に祭り上げた。実権は自分が握った。しかし、不比等にも自分が操れる天皇の存在は必要だった。だから<個性と実力>のある長屋王を拒否、草壁の正妻を<元明>女帝として擁立した。 |






