火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

千住真理子

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「大正11年(1922年)12月29日、その夫婦は北九州の門司港から榛名丸に乗船し40日かけてマルセイユへ。明治生まれの日本人が年越し欧州へ向かう船上、最も記憶に残ったことは、アインシュタインと乗り合わせたこと、そのアインシュタインの奏でる音色に魅せられたことだった、という。実際バイオリンが上手く、その柔らかな音色の『録音』を聴いた時には、私も驚いた」(「日経」コラム<あすへの話題>・12月27日)。筆者は千住真理子。タイトルは「船上のバイオリニスト」――。素晴らしい「書き出し」。仰天!

ドイツ生まれのユダヤ人。天才理論物理学者アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのは1905年。ナント26歳――。特殊相対性理論は量子力学と並ぶ「20世紀に於ける物理学史上の2大革命」といわれる。「以前から論理的に展開されていた相対性原理(アンリ・ポアンカレ、ジョゼフ・ラーモア、ヘンドリック・ローレンツなど)をもとに、ニュートン力学とマクスウェルの方程式を基礎とする物理学の体系を根本から再構成した」とインターネット情報。「船上のバイオリニスト」とは「戦場のピアニスト」に通じる。凄い!

千住真理子(1962年4月3日…)――。「1977年、15歳の時、第46回日本音楽コンクールを最年少で優勝した。1979年、17歳の時、第26回パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞した(第4位)」とウィキペディア――。「音大へは進学せず、慶應義塾大学文学部哲学科に進む。20歳の時には『天才少女』と呼ばれてきたストレスなどから、バイオリンから離れ、全く楽器に触れることもなかったが、2年後にはプロへの道を志した」と続く。

「愛器は1716年製ストラディバリウス。『デュランティ』の愛称で知られる。ストラディヴァリが製作してすぐにローマ教皇クレメンス14世に献上され、その後フランスのデュランティ家に約200年間所蔵されていた。次いでこの楽器はスイスの富豪の手に渡ったが、その約80年後の2002年にその富豪が演奏家のみを対象に売りに出した為、千住家が数億円で購入した。約300年間誰にも弾かれずに眠っていた幻の名器とされている」――。

「この300年は『城に隠され、演奏家“が”弾くことはなかった』と2011年NHKの番組『イタリア特集』…」――。この愛器を彼女が入手した直後、名機と彼女をコンサートのカブリツキから眺めた。ドキドキした。そして火山は彼女の大ファンに変身した。そして去る10月20日(日)、年一度の慶應の大同窓会「連合三田会」で再びカブリツキから千住真理子を眺め、愛器<デュランティ>の名演を聴いた。この日は兄<千住明>との共演――。

さて「戦場のピアニスト」(原題: The Pianist)は、第二次大戦のワルシャワを舞台としたフランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作映画。2002年公開――。ナチス・ドイツのポーランド侵攻以後、ワルシャワの廃墟の中を生き抜いたユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験が原点…。カンヌ映画祭では最高賞<パルムドール>を受賞。アメリカのアカデミー賞では7部門にノミネートされ、うち監督賞、脚本賞、主演男優賞の3部門で受賞。他にも各国で多くの賞を受賞」という<傑作>映画。

「夕暮れ時、アインシュタインは楽器を携え甲板に出た。波に大きく揺れる船上、身体を左右に揺らしドヴォルザークのユーモレスクを奏でた。その忘れ得ぬ想い出を、夫婦は後に孫達に話して聞かせた。孫の一人である私は、まだ物心つかぬ頃から、祖父母の夢を自分のものとして染み込ませていった。バイオリニストになって初めてクルーズ船に乗ったのは2年前。祖父母の想い出を胸にバイオリンを弾いた」と千住真理子のコラム「船上のバイオリニスト」は続く――。

ところでもう一方の「戦場のピアニスト」――。「監督はロマン・ポランスキー。アメリカに入国すると逮捕されるため、アカデミー賞の授賞式には出席しなかった。主演のエイドリアン・ブロディはこの作品でアカデミー主演男優賞を受賞した。映画の中でシュピルマンが弾き、象徴的に使われたショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調『遺作』がよく知られるようになった」とインターネット…。この「ノクターン<遺作>」――。何を隠そう、火山が<熱愛>してやまぬショパンの名曲。美女ピアニストがアンコールで弾き、火山、卒倒!

「特殊相対性理論では、質量、長さ、同時性といった概念は、観測者のいる慣性系によって異なる相対的なものであり、唯一不変なものは光速度cのみであるとした。特殊相対性理論は重力場のない状態での慣性系を取り扱った理論であるが、1915年〜1916年には、加速度運動と重力を取り込んだ一般相対性理論を発表した。一般相対性理論では重力場による時空の歪みをリーマン幾何学を用いて記述している」とインターネット情報は続く。

「大学の専攻は<理論経済学>。<簿記>の<ボ>の字も知りません。火山、28歳。結婚を目前にした人生の春に突然<雷>が落ちた。人事エリートのはずが人事部からの<追放>宣告――。<許嫁>に合わせる顔がない。「<生協>とは名前ばかり。<会社売店>の<経理>担当のご指名。早い話が<リストラ>だ。だが<理論>経済学の火山は、湯川秀樹と並ぶ物理学者・武谷三男の「物理学は世界をどのように変えたか」(講談社学術文庫)を愛読していた。だからアインシュタインも、相対性原理も、知っている。エッヘーン!

「先日、日本外航船協会よりクルーズアンバサダーを任命された。そうか、船上のロマン、人生の喜びをもっと多くの人々に知っていただかなければ。90年前の祖父母の夢を未来に繋げるために。だから私はバイオリン弾きになったんだ」――。千住真理子は結ぶ。意外な発見に火山、仰天。慶大<哲学科>卒の美女。文章もまた美しい。見事な<美文>だ。
(平成25年12月28日)

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「プラハの冬は厳しい。この季節になると、初めてチェコの地を踏んだあの日を想い出す。20代半ばだった私は挫折によるブランクから立ち上がろうと必死にもがいている時期でもあった。音楽は心を癒してくれるが、つらい思い出をも想起させる残酷な一面も持っている、と感じていた。幼い頃から弾き続けている全ての曲が、当時の私には傷をえぐる様に響いていたからだ」と「日経」コラム<あすへの話題>(11月29日)は始まる。

「灯の音」がタイトル。筆者はバイオリニスト・千住真理子――。<プラハ>!火山も8年前、訪れたことがある。「<今生>最後の<海外>旅行」!家内と長女の3人で参加した「東欧旅行」。ベルリンに始まってポツダム、ドレスデン、ウィーン、チェスキー・クルムロフ、プラハ、ブダペストの10日間。8月20日から8月29日まで。日本は夏の季節だが、緯度の高い<東欧>は既に<秋>!ウィーンは早くも「枯れ葉」が舞い始めていた。

「独りプラハの街を歩いた。古びた街並みはその佇まいだけで美しい。薄暗い灯がぼんやり優しく空気を包んでいて、空調はひと昔前のもの、人々は贅沢な暮らしをしてはおらず、身を寄せあい膝かけを譲り合う。人は必要最小限あれば生きていける――。いやむしろそのほうが人としての情感が育つのではないかと実感した。そんな人々が奏でる音、傷をえぐるはずのメロディがメランコリックに淡い灯を帯びて心に沁みた」と千住真理子――。   

                                          
<プラハ>で思い出すのはモーツアルト。ホテルの隣にモーツアルト記念館があった。「1787年1月8日、モーツアルトはコンスタンツェと共に、胸弾む思いでプラハに向けて旅立った。『フィガロの結婚』が空前の大当たりとなり、音楽愛好家の団体が作曲者のモーツアルトを招待してくれたのである」(田辺秀樹「モーツアルト」新潮文庫・120頁)――。モーツアルト31歳。『フィガロの結婚』は(ウィーンで)一応の成功を収めたとはいうものの、モーツアルトに社会的・経済的な成功をもたらしたわけではなかった」(115頁)。

「ウィーンでの行き詰まりを予感して現状の打開を図ろうとしたのだろうか、『フィガロ』の年(1786)の11月、妻同伴でロンドンへの演奏旅行が計画された。モーツアルトはザルツブルグの父に手紙を書き、3歳になる次男のカール・トーマスと、10月に生まれたばかりの3男ヨハン・トーマス・レオポルドを預かってもらえないかと頼んでみた」(115頁)。

だがこの依頼は父からあっさり断られ、実現しなかった。この頃、既にも―通アルトには大旅行を計画するほどの経済的余裕はなくなっていたのでは…」と田辺秀樹。それだけに翌年1月のプラハからの招待は、モーツアルトには<胸弾む>であったのだろう。

『フィガロ』の人気は聞きしに勝るものだった。「『何しろ当地では、話題といえばもっぱらフィガロ。弾くもの、吹くもの、歌うもの、それに口笛まで、何から何までフィガロだ。オペラはフィガロだけ、明けても暮れてもフィガロ。そりゃあぼくにとっても大いに名誉なことだ…』。このような広範で圧倒的な人気は初めて経験するものだった。プラハでは『フィガロ』の音楽が、まさに街頭の流行歌にまでなっていたのである」(120頁)――。これはモーツアルトが親しい友人に出した手紙の一節。モーツアルトの<喜び>が溢れている。

「音は建物にまで染み込むようだった。そうやって何百年もこの建造物は育ってきたに違いなかった。家や石や土さえも、息づいていることに心が震え、そんなプラハを愛しく感じた。この12月、そのプラハからスーク室内オーケストラがやってくる。一緒にクリスマス全国ツアーを行うためだ。音楽は凍える心を温めると彼らは教えてくれた。音楽は空腹も満たしてくれるのさ、音楽はエネルギーの源なんだ、と」――。千住真理子のプラハ。

「モーツアルトを愛し、またモーツアルトが愛した、ボヘミアの首都プラハ。街を流れる
ブルダバ(モルダウ)河にカレル橋が架かり、その後ろには壮麗なフラチャニ城と、その城内に立つ聖ビート教会が臨まれる。モーツアルトは1787年から死の年1791年にかけて、通算4回にわたってこの美しい街を訪れた。モーツアルトが死んだ時、真っ先に盛大な追悼ミサをあげたのも、プラハの人々だった」(田辺・124頁)――。

「麗しの東欧紀行」で(火山の)家内と娘が、あるご夫婦と親しくなった。何回もある会食。テーブルを同じくすると自然に会話が始まる。このご夫婦、実に楽しい。チェコのプラハのホテル。構内で無料のケーブルカーを運転、丘の上の展望台で夜景が見られる。食事を済ませ、したたか酔った火山(何しろ普通の3倍は飲む)、家内と娘とケーブルカーに乗り込んだ。後からドヤドヤと飛び込んできた一団。終点について皆が降りた。あったのは豪華なクラブ風の入口。展望台ではない。皆、ギョッとしてひるんだ。

盛装したウェイターが現われた。女性の一人が言った。「ビュー・オンリー…」。後ろで息を飲んだ火山、応対を見守った。ナントOK…。でも誰も進まない。別の女性の声がした。「私がいるから大丈夫。さあ行きましょう」――。火山たちもついて行った。

テラスがあり、そこから眺めたプラハ、素晴らしかった。気がついたら一組は家内と娘が<素敵なご夫婦>と言っていたK夫妻。もう一組は親子だ。Kさんが私たちの写真を撮ると言った。家内が「私たち仲が悪いから一緒に撮らないのですよ…」。彼氏、さっさと撮った。「メールで送ります。後でアドレスを教えてください」――。火山が「ご夫婦でお撮りしましょう」と買ってでた。奥さんがご主人に寄り添って言った。「ウチも仲が悪いの。写真を撮る時だけ、仲が良いのよ…」(爆笑)。プラハの楽しい思い出だ。
(平成25年12月1日)
                                                                                                           

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「私は旅行の荷物が、とても小さい。ステージドレス等すべて入っているのか、と関係者にビックリされる」と「日経」コラム<あすへの話題>(12月13日)は始まる――。タイトルは「宅配便」!ああ「ヒミツは宅配便か」と察しはつくが、これが半端じゃない。

「先日もスーツケースを4つ床に並べて支度をした。北海道方面、東北地方、関西方面、九州地方、と書いてメモを貼る。各々にドレス、ステージ靴、最小限の化粧道具と着替え、最後に『どこのホールを回るスーツケースか』を書いた紙を入れ、あとは宅急便で出す。
それぞれのスーツケースは『担当』の地区で行われるコンサートのホールを次々回る。私がコンサート会場に着くと、楽屋には見慣れたスーツケースがちょこんと待っていて微笑ましい。終演後は次のホールへ送り出す」とコラムにある。凄い!<超>売れっ子ぶり!

なぜ、こんなに「宅配便」を巧みに使いこなすようになったのか。千住真理子が<只者>ではないからだが、そこには<さすが>のエピソードが隠されている。そこが「日経」コラムの<あすへの話題>の「話題」たる所以であろう。実に痛快だ――。

千住真理子(1962年4月3日…)――。「1977年、15歳の時、第46回日本音楽コンクールを最年少で優勝した。1979年、17歳の時、第26回パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞した(第4位)」とウィキペディア――。「音大へは進学せず、慶應義塾大学文学部哲学科に進む。20歳の時には『天才少女』と呼ばれてきたストレスなどから、バイオリンから離れ、全く楽器に触れることもなかったが、2年後にはプロへの道を志した」と続く。

「愛器は1716年製ストラディバリウス。『デュランティ』の愛称で知られる。ストラディヴァリが製作してすぐにローマ教皇クレメンス14世に献上され、その後フランスのデュランティ家に約200年間所蔵されていた。次いでこの楽器はスイスの富豪の手に渡ったが、その約80年後の2002年にその富豪が演奏家のみを対象に売りに出した為、千住家が数億円で購入した。約300年間誰にも弾かれずに眠っていた幻の名器とされている」――。

「この300年は『城に隠され、演奏家“が”弾くことはなかった』と2011年NHKの番組『イタリア特集』…」――。この愛器を彼女が入手した直後、名機と彼女をコンサートのカブリツキから眺めた。ドキドキした。そして火山は彼女の大ファンに変身した。そして去る10月20日(日)、年一度の慶應の大同窓会「連合三田会」で再びカブリツキから千住真理子を眺め、愛器<デュランティ>の名演を聴いた。この日は兄<千住明>との共演――。

「兄に『女性なのだから着替えも靴も色々持て』と言われ、ある日素直に言うことを聞いたがため酷い目に逢った経験がある。乗った飛行機が遅れ、次の乗り換えのフライトまで時間がなく、海外の広い空港を疾走、片手に楽器、もう一方の手に重たくて大きなスーツケース、何とか間に合いはしたがグダグダに疲れた。それ以来、誰に何と言われようとが荷物は可能な限り小さくと、決めた。本当は楽器以外何も持ちたくない。楽器を守りたいからだ」――。コラム<宅配便>が「理由」を明かす。この楽器こそ<幻の名器>!

「国内の場合は便利な宅配便が活躍する。さすが、日本の誇る宅配便、時間に正確、場所も間違えず、確実に届けてくれる。だから国内での荷物は小さい必要もないのだが、小さくまとまると妙に嬉しい」と<美女>バイオリニスト・千住真理子は続ける――。
正直に打ち明けよう。彼女が名器ストラディバリウス<デュランティ>を手に入れたと「新聞」報道で知った火山。その<お披露目>のコンサート、「カブリツキ」の席を入手、ワクワクしながら出かけた。ウワサの<美女>!そしてウワサの<名器>だ。

まずビックリしたのが、ステージの両袖にモノモノしい<警備員>の姿が見えたこと。<数億円>という金額もさることながら初代の持ち主は<ローマ法王>!その後<弾き手>がなく、200年も秘蔵された。その<名器>に何か事故でもあれば、世界中から<非難>されかねない。それくらい<大切>な楽器という思いが、千住真理子を突き動かした。

さてその千住真理子。華やかで<可憐>!ウワサ通りの<美女>!さすがの火山も<一目惚れ>!若々しく<20代後半>に見えた。だが今夏<7月5日>から始まった金曜日夕刊のコラム。インターネットで検索して<驚嘆>した。<1962年4月3日>生まれ…。えっ、<51歳>!あの若やいだ<艶(あで)姿>は何だったのか。だが最近、少し安心した。彼女が<名器>を入手したのが<11年前>と判明。つまり、当時の彼女は<アラフォー>!
若やいで見えたって、不思議はない。アラフォーは2008年の<流行語大賞>にも輝いた。

だがコラムを毎週、待ち遠しく読み始めて気づいた。この<美女>!実に短気!しかも意外と<男>っぽい…。「走る」「待てない」「考えない」「銭湯」「泳ぐ」――。家内も毎週、コラムを読んでいるが、感想は同じ。<男っぽい>と決めつけた。2人で大笑い。「外国の広い空港を、大きなスーツケースを持って<疾走>した」――。モーレツだ。そして<割り切った>!「誰が何と言おうと、もう荷物は持たない」!

「終演後は次のホールへまた送り出す。一年中、常に数個のスーツケースが宅配業者の手によって行き交っている。宅配業者は、今や演奏家のパートナーだ」と千住真理子のコラム「宅配便」は終わる。素晴らしい!だが「<演奏家>のパートナー」とは言うが、この演奏家とは<男っぽく>て<短気>!即断即決が大好きな<千住真理子>以外ではありえない。火山、改めて、この美女バイオリニストが好きになった。もうメロメロだ。
(平成25年12月13日)

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「食材の偽装が問題になったが、その度『名器のニセ物』のことを思い出す。人はブランドを買いたいのか、中身を欲するのか。昔、ニセ名器の売買を巡って『売った方が悪いのか』の論争があった。楽器の場合、食材と違い試し弾きができる。自己の判断、決断を経て自己責任の上買う。名器には由緒ある老舗の鑑定書があり大丈夫と言われるが、それだって偽造可能ではないか。弾ける人なら鑑定書に頼らず、自分の耳で確かめればよいが、弾けない人は鑑定書等第三者を信じ、ブランドとしての価値を買ってしまうだろう」――。

これは「日経」コラム<あすへの話題>(12月6日)の書き出し部分。タイトルは「ブランド」。筆者は美女バイオリニストの<呼び声>が高い<千住真理子>――。大ファンの火山、毎週金曜日の彼女のコラムを楽しみに読んでいる。この美女、意外と<男っぽい>!「走る」「待てない」「考えない」――など<妙>に気になる<タイトル>が多い。

「11年前私はストラディバリウスを買った。ご承知の通り大変高額な楽器、実際に試奏するまで『そんな高価な買い物はしたくない』とその気はなかった。目前に現れこの腕で奏でた瞬間、生涯でただ一度の恋に落ちた。『音』に惚れ、『もう何も要らない』と天を仰いだ」と美女…。実は火山、この名機を彼女が手に入れた最初のリサイタルで演奏を聴いた。

「千住真理子(せんじゅ・まりこ、1962年4月3日…)は日本のバイオリニスト。ジャパン・アーツ所属。レコードレーベルは、EMIミュージック・ジャパン。慶應義塾大学文学部哲学科卒。A型」とインターネット情報。1962年生まれ!えっ、51歳――。

「愛器は1716年製ストラディバリウス。『デュランティ』の愛称で知られる。ストラディヴァリが製作してすぐにローマ教皇クレメンス14世に献上され、その後フランスのデュランティ家に約200年間所蔵されていた。次いでこの楽器はスイスの富豪の手に渡ったが、その約80年後の2002年にその富豪が演奏家のみを対象に売りに出した為、千住家が数億円で購入した。約300年間誰にも弾かれずに眠っていた幻の名器とされている――。

この300年は『城に隠され、演奏家“が”弾くことはなかった』と2011年NHKの番組『イタリア特集』…。11歳から江藤俊哉に師事。小学校低学年まではほとんど練習をせず、コンクールに出ることもなかったが、1972年、第26回全日本学生音楽コンクール東京大会小学生の部で第2位を受賞。翌1973年、同コンクール東京大会、全国大会小学生の部で第1位を受賞した。1975年、NHK交響楽団と共演、12歳でプロデビュー。1979年、17歳の時、第26回パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞」とインターネット情報――。

「11年前私はストラディバリウスを買った」――。彼女はアッサリ書く。だが火山、アッと思った。この<名機>を本邦<初公開>したリサイタルも<11年前>――。今でも<鮮明>に思い出すのは異常なまでの<厳重>警備…。ステージの<両袖>に制服姿の警備員が<物々しく>張り付いていた。<数億円>という価値もさることながら<歴史的>名器を<毀損>させたくない。事故を完全に回避したいというピーンとした緊張感があった。
そして彼女の何とまあ<若く><可憐>に見えたこと。まだ20歳後半と思った。

だから「日経」コラム<あすへの話題>で、この7月から「連載」が始まるとすぐ、彼女の履歴をインターネットで<検索>!<1962年>生まれ!51歳と知って仰天した――。
<企業戦士>時代の大半は<人事>マン。人事係長の実務含め、<老若男女>を併せ大勢の人物を鑑定してきた。「人を見る目」は…と思い上がっていた。その昔<若き血に燃え>た火山も慶應ボーイ。今秋も「連合三田会」出演の彼女をカブリツキで眺めたばかり…。

生き生きとした<挙措動作>!見事な<弓>捌き!とても<51歳>とは思えない――。だがストラディバリウス<デュランティ>を入手したのは<11年前>――。火山が初めて眺めた彼女は、まだ「華の<アラフォー>」だったのだ。だったら、ナントなく納得!
去る12月1日(日)に発表された<流行語大賞>――。今年は「おもてなし」「じぇじぇじぇ」「倍返し」「今でしょ」に決まったが、<アラフォー>は「2008年度」の流行語大賞。

2008年4〜6月に放映された天海祐希主演のドラマ「Around40」(TBS)のヒットが火をつけ、クルム伊達公子やエド・はるみなどの活躍もあり、流行語になった。ドラマのサブタイトルは「注文の多いオンナたち」。自立心が強く、またバブル絶頂期に青春を満喫したこともあり、購買欲・消費欲が強いのも、この世代の特徴」という――。

「(音に惚れ)この音と共に一生音楽を奏でる事ができるなら如何なる物も要りません、と誓い、だから神様お願い、と祈り願い、相棒となった。楽器の素性を知ったのは3ヵ月後だった。鑑定書に『1人目の所有者はローマ法王』とあり、腰が抜けるほどびっくりした。
2人目の所有者フランス貴族デュランティ家に200年隠されていたため『デュランティ』という名称が付き、舞台で一度も弾かれずにいたと知る。複雑な気持になった。愛した男性が突然、王子様だと知ったような――」。千住真理子は続ける。ウーン、分かる、分かる!

「『私は貴方の中身に惚れたのよ。素性なんて関係ない。たとえストラディバリウスでなくとも私は貴方を選んだ』。愛器を手にとり、そっと胸元に抱えながら私はそう呟いた」と<あすへの話題>「ブランド」は終わる――。いかがでしょうか、お立合い!さすが「哲学科」出身だけのことはある。「常識を疑う<哲学>精神」――。自分で<原理原則>に遡って考える。<鵜呑み><垂れ流し>を嫌う。<偽装>についても<暗>にコメント…。
(平成25年12月6日)

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「プラハの冬は厳しい。この季節になると、初めてチェコの地を踏んだあの日を想い出す。20代半ばだった私は挫折によるブランクから立ち上がろうと必死にもがいている時期でもあった。音楽は心を癒してくれるが、つらい思い出をも想起させる残酷な一面も持っている、と感じていた。幼い頃から弾き続けている全ての曲が、当時の私には傷をえぐる様に響いていたからだ」と「日経」コラム<あすへの話題>(11月29日)は始まる。

「灯の音」がタイトル。筆者はバイオリニスト・千住真理子――。<プラハ>!火山も8年前、訪れたことがある。「<今生>最後の<海外>旅行」!家内と長女の3人で参加した「東欧旅行」。ベルリンに始まってポツダム、ドレスデン、ウィーン、チェスキー・クルムロフ、プラハ、ブダペストの10日間。8月20日から8月29日まで。日本は夏の季節だが、緯度の高い<東欧>は既に<秋>!ウィーンは早くも「枯れ葉」が舞い始めていた。

「独りプラハの街を歩いた。古びた街並みはその佇まいだけで美しい。薄暗い灯がぼんやり優しく空気を包んでいて、空調はひと昔前のもの、人々は贅沢な暮らしをしてはおらず、身を寄せあい膝かけを譲り合う。人は必要最小限あれば生きていける――。いやむしろそのほうが人としての情感が育つのではないかと実感した。そんな人々が奏でる音、傷をえぐるはずのメロディがメランコリックに淡い灯を帯びて心に沁みた」と千住真理子――。   

                                          
<プラハ>で思い出すのはモーツアルト。ホテルの隣にモーツアルト記念館があった。「1787年1月8日、モーツアルトはコンスタンツェと共に、胸弾む思いでプラハに向けて旅立った。『フィガロの結婚』が空前の大当たりとなり、音楽愛好家の団体が作曲者のモーツアルトを招待してくれたのである」(田辺秀樹「モーツアルト」新潮文庫・120頁)――。モーツアルト31歳。『フィガロの結婚』は(ウィーンで)一応の成功を収めたとはいうものの、モーツアルトに社会的・経済的な成功をもたらしたわけではなかった」(115頁)。

「ウィーンでの行き詰まりを予感して現状の打開を図ろうとしたのだろうか、『フィガロ』の年(1786)の11月、妻同伴でロンドンへの演奏旅行が計画された。モーツアルトはザルツブルグの父に手紙を書き、3歳になる次男のカール・トーマスと、10月に生まれたばかりの3男ヨハン・トーマス・レオポルドを預かってもらえないかと頼んでみた」(115頁)。

だがこの依頼は父からあっさり断られ、実現しなかった。この頃、既にも―通アルトには大旅行を計画するほどの経済的余裕はなくなっていたのでは…」と田辺秀樹。それだけに翌年1月のプラハからの招待は、モーツアルトには<胸弾む>であったのだろう。

『フィガロ』の人気は聞きしに勝るものだった。「『何しろ当地では、話題といえばもっぱらフィガロ。弾くもの、吹くもの、歌うもの、それに口笛まで、何から何までフィガロだ。オペラはフィガロだけ、明けても暮れてもフィガロ。そりゃあぼくにとっても大いに名誉なことだ…』。このような広範で圧倒的な人気は初めて経験するものだった。プラハでは『フィガロ』の音楽が、まさに街頭の流行歌にまでなっていたのである」(120頁)――。これはモーツアルトが親しい友人に出した手紙の一節。モーツアルトの<喜び>が溢れている。

「音は建物にまで染み込むようだった。そうやって何百年もこの建造物は育ってきたに違いなかった。家や石や土さえも、息づいていることに心が震え、そんなプラハを愛しく感じた。この12月、そのプラハからスーク室内オーケストラがやってくる。一緒にクリスマス全国ツアーを行うためだ。音楽は凍える心を温めると彼らは教えてくれた。音楽は空腹も満たしてくれるのさ、音楽はエネルギーの源なんだ、と」――。千住真理子のプラハ。

「モーツアルトを愛し、またモーツアルトが愛した、ボヘミアの首都プラハ。街を流れる
ブルダバ(モルダウ)河にカレル橋が架かり、その後ろには壮麗なフラチャニ城と、その城内に立つ聖ビート教会が臨まれる。モーツアルトは1787年から死の年1791年にかけて、通算4回にわたってこの美しい街を訪れた。モーツアルトが死んだ時、真っ先に盛大な追悼ミサをあげたのも、プラハの人々だった」(田辺・124頁)――。

「麗しの東欧紀行」で(火山の)家内と娘が、あるご夫婦と親しくなった。何回もある会食。テーブルを同じくすると自然に会話が始まる。このご夫婦、実に楽しい。チェコのプラハのホテル。構内で無料のケーブルカーを運転、丘の上の展望台で夜景が見られる。食事を済ませ、したたか酔った火山(何しろ普通の3倍は飲む)、家内と娘とケーブルカーに乗り込んだ。後からドヤドヤと飛び込んできた一団。終点について皆が降りた。あったのは豪華なクラブ風の入口。展望台ではない。皆、ギョッとしてひるんだ。

盛装したウェイターが現われた。女性の一人が言った。「ビュー・オンリー…」。後ろで息を飲んだ火山、応対を見守った。ナントOK…。でも誰も進まない。別の女性の声がした。「私がいるから大丈夫。さあ行きましょう」――。火山たちもついて行った。

テラスがあり、そこから眺めたプラハ、素晴らしかった。気がついたら一組は家内と娘が<素敵なご夫婦>と言っていたK夫妻。もう一組は親子だ。Kさんが私たちの写真を撮ると言った。家内が「私たち仲が悪いから一緒に撮らないのですよ…」。彼氏、さっさと撮った。「メールで送ります。後でアドレスを教えてください」――。火山が「ご夫婦でお撮りしましょう」と買ってでた。奥さんがご主人に寄り添って言った。「ウチも仲が悪いの。写真を撮る時だけ、仲が良いのよ…」(爆笑)。プラハの楽しい思い出だ。
(平成25年12月1日)
                                                                                                           

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