火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

阿木耀子

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

「あ〜、楽しい。これはここ何年来の私の口癖だ。いや、口癖というのとは多少ニュアンスが違う。もう少し生理的、欠伸(あくび)やしゃっくりに近い。何かの折に、ルンルン気分(流行遅れな表現?)が、お腹の底から込み上げてきて、口を突いて出る。しかし、いつ出てくるかは予想がつかない。道を歩いている時、料理中、入浴している時と、何の脈絡もなく至福感が湧き上がってきて思わず、声になる」(「日経」コラム<あすへの話題>・6月28日)――。筆者は<美女>作詞家<阿木耀子>――。

「阿木耀子をテレビで発見、美女と思って<一目惚れ>したのはいつか、ハッキリしない。でも妖艶な<姿態>を求めてテレビ画面を<逍遥>した記憶は鮮やか。だが容易に発見できない!その<無念>をしたたか味わったことも確か。だが今年(2014年)新春早々、<1月4日・土>に「日経」夕刊で<ご尊名>を発見した。今後、毎週<土曜日>連載で<登場>という。嬉しくて舞い上がった。もっとも「日経」夕刊コラム、昨年7月から「金曜日」の連載だった<千住真理子>は「連載」終了、消えたのはショックだった。

でもいわば<代わり>に阿木耀子が現れた!<昔の恋人>に再会したような気分。さっそく「ウィキペディア」で<故事来歴>を調べた。でも仰天!ナヌッ!「1945年5月1日生まれ」…。<68歳>!――。「捜真女学校の小・中・高を卒業後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。作詞家としてのキャリアスタートは1969年、グループサウンズのジュリーとバロンのデビュー曲『ブルー・ロンサム・ドリーム』(作曲は宇崎竜童)」――。

えっ、<捜真>!ナントいう<運命>!「捜真」最寄駅は東横線<反町>!火山の「通学・通勤」最寄駅も反町!だから昭和27年(1952)から昭和50年(1975)まで毎朝<邂逅>を重ねてきたのだ。何を隠そう!火山の実家は東横線<反町>から徒歩5分の至近距離…。

「一緒に行動することが多いマネージャーは、私のこの声を聞くと年柄年中、そう言っている人って珍しいですよ、と言う。それに反応して私は、そうなの?でも本当に楽しいんだもの、と答える。そんな私がこの3週間、あ〜、楽しい、を忘れていた。路上で転び顔打って3日後に、気付いた。そう言えば、言わないなと。2度目の転倒後はいくつかの病院を廻り、レントゲンやMRIを撮り、その度に溜まるストレス――。

結果を聞く時の不安と緊張。そして、天気の良い日に散歩に出られない無念さと、好きな縫い物を集中できない苛立ちが、それに拍車をかける。しかし、ご安心あれ。あ〜、楽しい、が戻ってきた。骨折した足はまだ痛み、頬のアザも残ってはいるが、気分は上々。どうして復活したかは、自分でも理解不能だ。それこそ生理的な感じで、自然に口を突いて出てくる」――。これが<憧れのマドンナ>の文章。そしてその<転倒>話…。

「何たることか。また転倒した。私にとっては2週続きの魔の月曜日だ。今回は我が家の庭先である。植木に水を撒こうとして、僅かな段差を踏み損なった。ガクンと膝が折れて、そのまま起き上がれなかった」(6月14日)。タイトルは「魔の月曜日」…。では先週――。

「アッ、やったと思った直後、何とも言えない惨めな気持ちになった。通りすがりの人が『大丈夫ですか?』と声をかけてくるが、返事もできない。大袈裟な言い方だが、突如、地獄に突き落とされた感じ。何とも自分の姿が無惨に思える」――。「転倒」がタイトル。

「<憧れ>のマドンナ」――。火山の中の<阿木耀子>は若くてピチピチ。<転倒>などとは無縁。だが<2週連続>とは恐れ入る。まさに「何たることか。また転倒した」――。「その日は仕事があり、医者に行く暇がなかった。翌日、レントゲンを撮ると左足の甲が骨折していた。骨密度には自信があったのに、あ〜あ、残念」と続く。えっ、「骨密度に自信?」…。ホンマかいな。でも阿木耀子、若いどころか意外と<年寄り?>――。

阿木耀子が<68歳>と分かった時、火山、唖然!「信じられない」――。だが「文は人なり」。コラムを読むと嫌でも彼女の<加齢>を意識せざるを得ない――。「前回は心配してくれた友人が、杖をついている私を見て、笑いを堪えていた。唇にグッと力を入れ、笑うまいとしているのが見て取れた。当然だろう。当人の私でさえも、医者の診断を聞いた瞬間、吹き出しそうになったのだから」――。<杖>を意識しているが、必ずしも<違和感>を表現していない。むしろ<ありのまま>の自分を、受容しようとしている。可愛い。

そう!そういう<微妙>なお年頃――。「半年、楽しくエッセイを書かせていただきました。今回はアップデイトな話題をと思い、同時進行的な感じを試みました。拙文にお付き合い下さり、ありがとうございます。失礼ながら、あ〜、楽しかった!」と、阿木耀子は結ぶ。

先週(6月21日)のタイトルは「仲良し時間」!ピンと来た。彼女、<ラス前>を意識したのだ…。――「仲良し時間は死の間際に訪れる。その人の人生や周囲の人と和解をするための時間のことらしい。蝋燭(ろうそく)が燃え尽きる寸前、一瞬炎を高くするように、死に行く人が突然、生き生きとすることがあるという。元気そうに喋り、振る舞う。その時、その人はやり残したこと、言いそびれていたことを、周囲に伝える。大事なのは、その人の話に耳を傾け、ただそれを受け止めることだという」――。いかにも「ラス前」!

阿木耀子、やはり<文筆>の人だ。素晴らしい。「文は人なり」!火山、惚れ直した。
(平成26年6月28日)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

「82歳の今なお、聖心女子大のゼミを持ち、エッセイストであり、セラピストでもある鈴木秀子さんのお書きになった『死にゆく者からの言葉』に目を落としていた時のことだ。冒頭の部分に“仲良し時間”という言葉を見つけて、ドキッとした。例により私は熊のように部屋中をウロウロし、はやる胸の鼓動を静めた」と「日経」コラム<あすへの話題>(6月21日)。筆者は美女・作詞家<阿木耀子>――。

「阿木耀子をテレビで発見、美女と思って<一目惚れ>したのはいつか、ハッキリしない。でも妖艶な<姿態>を求めてテレビ画面を<逍遥>した記憶は鮮やか。だが容易に発見できない!その<無念>をしたたか味わったことも確か。だが今年(2014年)新春早々、<1月4日・土>に「日経」夕刊で<ご尊名>を発見した。今後、毎週<土曜日>連載で<登場>という。嬉しくて舞い上がった。もっとも「日経」夕刊コラム、昨年7月から「金曜日」の連載だった<千住真理子>は「連載」終了、消えたのはショックだった。

でもいわば<代わり>に阿木耀子が現れた!<昔の恋人>に再会したような気分――。さっそく「ウィキペディア」で<故事来歴>を調べた。でも仰天!ナ・ナヌッ!「1945年5月1日生まれ」…。<68歳>!げっ。ビックリ…。何ともはや、ウーン。だが…。

「捜真女学校の小・中・高を卒業後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。作詞家としてのキャリアスタートは1969年、グループサウンズのジュリーとバロンのデビュー曲『ブルー・ロンサム・ドリーム』(作曲は宇崎竜童)」――。えっ、<捜真>!ナントいう<運命>の出会い!「捜真」最寄駅は東横線<反町>!火山の「通学・通勤」最寄駅も反町!だから昭和27年(1952)から昭和50年(1975)まで毎朝<邂逅>を重ねてきたのだ。

「読書中、感動的な言葉に出会うと、私はページの端を折り曲げ、本を閉じる。そして部屋をグルグル歩き廻る。食べ物なら一時に、美味しい物を食べてはいけない、そんな気分だ」――。これが美女・作詞家<阿木耀子>のコラム「仲良し時間」の書き出し。

何を隠そう!火山の実家は東横線<反町>から徒歩5分の至近距離。<中2>(14歳)からの中区<吉浜橋>への通学。<高1>(16歳)から東横線「日吉」<慶應高校>への通学、大学もいわゆる<予科>は日吉。サラリーマンとなった<23歳>からも南武線の「武蔵新城」への通勤で<毎朝>「反町」駅まで歩く。嫌でも<捜真>の女学生らと顔を合わせていた。その中に<青春>真っ盛りの<阿木耀子>もいたはず。ウーン。知らなかった。

「<憧れ>のマドンナ」――。火山の中の<阿木耀子>は<溌溂>たる美女。若くてピチピチ。ところがナント、この美女が<転倒>したと告白、「日経」コラムに寄稿した。それが「<梅雨入り>宣言」直後の<6月7日>――。ビックリ、したが、ナント<翌週>の<6月14日>もまた<転倒>が話題…。<2週連続>とは恐れ入る。まさに「何たることか。また転倒した」と<美女>が書く…。えっ!

「アッ、やったと思った直後、何とも言えない惨めな気持ちになった。通りすがりの人が『大丈夫ですか?』と声をかけてくるが、返事もできない。大袈裟な言い方だが、突如、地獄に突き落とされた感じだ。何とも自分の姿が無惨に思える」――。これが「6月7日」。

「何たることか。また転倒した。私にとっては、2週続きの魔の月曜日だ。今回は我が家の庭先である。植木に水を撒こうとして、僅かな段差を踏み損なった。ガクンと膝が折れて、そのまま起き上がれなかった。顔やスカートに容赦なく水が掛かる。しかし、水栓を止めることができない」…。これが「6月14日」)――。タイトルは「魔の月曜日」!

「(エッセイスト、セラピスト・鈴木秀子さんの)著書によると、仲良し時間は死の間際に訪れる。その人の人生や、周囲の人と和解をするための時間のことらしい。蝋燭(ろうそく)が燃え尽きる寸前、一瞬炎を高くするように、死に行く人が突然、生き生きとすることがあるという。元気そうに喋り、振る舞う。その時、その人はやり残したこと、言いそびれていたことを、周囲に伝える。その時、大事なのは、その人の話に耳を傾け、ただそれを受け止めることだという」――。阿木耀子、やはり<文筆>の人だ。素晴らしい。

火山、この1月4日(土)から既に半年近く、彼女の文章を<味読>してきた。正直に言おう。詩人らしい文章と思ったことがない。深みがない。あまりに日常的に過ぎる。平凡なのだ。さらりと暮らしの断片を切り取っている、ともいえる。でも「感情移入」がしにくい。素直なのかも知れない。でも…。ところが今回は違う。そして来週は「最終回」のはず。するとこれ、今回のこれ、限りなく「仲良し時間」に近づいているのかも――。

「臨終間際、人は自分の死が近いことを悟ると、心に積もったチリを吐き出したいと願うもののようだ。それが出来た人は、安らかに旅立てる。逆に何かの理由で仲良し時間が持てなかった人は、心残りのままだ」と続く…。結構いいが、まさかこれ「請け売り」?

「聖心会のシスターでもある鈴木さんは、著書の中で何度となく、“聞く”という言葉を使っていらっしゃる。死に行く人の声を聞く。相手の話を聞く。自分の体の悲鳴を聞く。心の叫びを聞く。真に優しい人とは、話し上手であるより、聞く耳を持ち、準備が整った人なのかもしれない。そんなことを考えさせられる一冊だ」と彼女は結ぶ。
(平成26年6月23日)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

「何たることか。また転倒した。私にとっては、2週続きの魔の月曜日だ。今回は我が家の庭先である。植木に水を撒こうとして、僅かな段差を踏み損なった。ガクンと膝が折れて、そのまま起き上がれなかった。顔やスカートに容赦なく水が掛かる。しかし、水栓を止めることができない」(「日経」コラム<あすへの話題>6月14日)――。筆者は美女・作詞家<阿木耀子>!タイトルは「魔の月曜日」――。では先週6月7日は…。

「アッ、やったと思った直後、何とも言えない惨めな気持ちになった。通りすがりの人が『大丈夫ですか?』と声をかけてくるが、返事もできない。大袈裟な言い方だが、突如、地獄に突き落とされた感じ。何とも自分の姿が無惨に思える」――。「転倒」がタイトル。

「阿木耀子をテレビで発見、美女と思って<一目惚れ>したのはいつか、ハッキリしない。でも妖艶な<姿態>を求めてテレビ画面を<逍遥>した記憶は鮮やか。だが容易に発見できない!その<無念>をしたたか味わったことも確か。だが今年(2014年)新春早々、<1月4日・土>に「日経」夕刊で<ご尊名>を発見した。今後、毎週<土曜日>連載で<登場>という。嬉しくて舞い上がった。もっとも「日経」夕刊コラム、昨年7月から「金曜日」の連載だった<千住真理子>は「連載」終了、消えたのはショックだった。

でもいわば<代わり>に阿木耀子が現れた!<昔の恋人>に再会したような気分――。さっそく「ウィキペディア」で<故事来歴>を調べた。でも仰天!ナ・ナヌッ!「1945年5月1日生まれ」…。<68歳>!げっ。ビックリ…。何ともはや、ウーン。だが…。

「捜真女学校の小・中・高を卒業後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。作詞家としてのキャリアスタートは1969年、グループサウンズのジュリーとバロンのデビュー曲『ブルー・ロンサム・ドリーム』(作曲は宇崎竜童)」――。えっ、<捜真>!ナントいう<運命>の出会い!「捜真」最寄駅は東横線<反町>!火山の「通学・通勤」最寄駅も反町!だから昭和27年(1952)から昭和50年(1975)まで毎朝<邂逅>を重ねてきたのだ。

何を隠そう!火山の実家は東横線<反町>から徒歩5分の至近距離。<中2>(14歳)からの中区<吉浜橋>への通学。<高1>(16歳)から東横線「日吉」<慶應高校>への通学、大学もいわゆる<予科>は日吉。サラリーマンとなった<23歳>からも南武線の「武蔵新城」への通勤で<毎朝>「反町」駅まで歩く。嫌でも<捜真>の女学生らと顔を合わせていた。その中に<青春>真っ盛りの<阿木耀子>もいたはず。ウーン。知らなかった

「<憧れ>のマドンナ」――。火山の中の<阿木耀子>は<溌溂>たる美女。若くてピチピチ。颯爽として<転倒>などとは無縁…。だが<2週連続>とは恐れ入る。まさに「何たることか。また転倒した」――。「その日は地方で仕事があり、医者に行く暇がなかった。翌日、レントゲンを撮ると、左足の甲が骨折していた。医者は『いわゆる下駄(げた)骨折というやつで、3週間は安静にしていて下さい』といった。骨密度には自信があったのに、あ〜あ、残念」と続く。えっ、「骨密度に自信?」…。ホンマかいな。

最初にハッキリしておこう。阿木耀子のイメージが火山の中で大きく変わってきた。若いどころか意外な<年寄り>!しかも自ら<加齢>を意識、自認している。そこが痛快――。
「もともと私はよく転ぶ。しかし、2度も医者の世話になるほどの転び方をすると、これは一体、どういうことか、と思う。ただの偶然か、それとも何かのお知らせかと。前回は心配してくれた友人が、杖をついている私を見て、笑いを堪えていた。唇にグッと力を入れ、笑うまいとしているのが見て取れた」と続く。何か笑える。加齢に気づき、ギョッか。

阿木耀子が<68歳>と分かった時、火山、唖然!「信じられない」――。だが火山、もう長いこと阿木耀子を見ていない。テレビにも出てこないから…。だから浮かぶイメージは昔のまま。<加齢>した阿木耀子など想像もできない。だが「文は人なり」。コラムを読むと、嫌でも彼女の<加齢>を意識する――。「前回は心配してくれた友人が、杖をついている私を見て、笑いを堪えていた」…。彼女の文章、<杖>を意識はしているが、必ずしも<違和感>を表現していない。むしろ<ありのまま>の自分を受容している。可愛い。

<杖をつく>!火山は喜寿だが<転倒>経験は皆無。<杖>を使ったこともない。でも阿木耀子が<杖>を意識していることは分かる――。「(友人が)唇にグッと力を入れ、笑うまいとしているのが見て取れた。当然だろう。当人の私でさえも、医者の診断を聞いた瞬間、吹き出しそうになったのだから」と続く。まさに<意識>はしても素直に<受容>している。そして笑おうとしている。むしろそういう「<微妙>なお年頃」なのだ――。

「高校時代の友人が、会報誌に載せる原稿の催促の電話をかけてきた。締め切りはとうに過ぎている。言い訳がまし、骨折しちゃって、と私は告げた。友人から、こんなコメントが戻ってきた。『私も去年、冬の日に転んで骨折し、3ヵ月動けずにいたの。でも、それで良かったと思って。ウチに18才の老犬がいたんだけど、思う存分看病できたし、看取ってあげられたから。私、これって神様の御業(みわざ)の気がして……』。我が家にも18歳の老猫がいる。せいぜい大事にしてあげよう、と今はそんな気分でいる」とコラムは結ぶ。

笑ってください、お立合い!これ読むと火山、友人の声は<お婆ちゃん>に聞こえる。でも阿木耀子は若々しい…。ウーン、「神様の御業…」!捜真はやはりミッションスクールだ。
(平成26年6月16日)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

「アッ、やったと思った直後、何とも言えない惨めな気持ちになった。通りすがりの人が『大丈夫ですか?』と声をかけてくるが、返事もできない。大袈裟な言い方だが、突如、地獄に突き落とされた感じだ。何とも自分の姿が無惨に思える」と「日経」コラム<あすへの話題>(6月7日)――。筆者は火山が大好きな<美女>作詞家・阿木耀子。タイトルはナント<転倒>!彼女、どこかで<転んだ>のだろう。

「阿木耀子をテレビで発見、美女と思って<一目惚れ>したのはいつの頃か、ハッキリしない。でも妖艶な<姿態>を求めてテレビ画面を<逍遥>した記憶は鮮やか。だが容易に発見できない!その<無念>をしたたか味わったことも確か。だが今年(2014年)新春早々、<1月4日・土>に「日経」夕刊で<ご尊名>を発見した。今後、毎週<土曜日>連載で<登場>という。嬉しくて舞い上がった。もっとも「日経」夕刊コラム、昨年7月から「金曜日」の連載だった<千住真理子>は「連載」終了、消えたのはショックだった。

でもいわば<代わり>に阿木耀子が現れたのだ!<昔の恋人>に再会したような気分――。さっそく「ウィキペディア」で<故事来歴>を調べた。でも仰天!ナ・ナヌッ!「1945年5月1日生まれ」…。<68歳>!げっ。ビックリ…。何ともはや、ウーン。だが…。

「捜真女学校の小・中・高を卒業後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。作詞家としてのキャリアスタートは1969年、グループサウンズのジュリーとバロンのデビュー曲『ブルー・ロンサム・ドリーム』(作曲は宇崎竜童)」――。えっ、<捜真>!ナントいう<運命>の出会い!「捜真」最寄駅は東横線<反町>!火山の「通学・通勤」最寄駅も反町!だから昭和27年(1952)から昭和50年(1975)まで毎朝<邂逅>を重ねてきたのだ。

何を隠そう!火山の実家は東横線<反町>から徒歩5分の至近距離。<中2>(14歳)からの中区<吉浜橋>への通学。<高1>(16歳)から東横線「日吉」<慶應高校>への通学、大学もいわゆる<予科>は日吉。サラリーマンとなった<23歳>からも南武線の「武蔵新城」への通勤で<毎朝>「反町」駅まで歩く。嫌でも<捜真>の女学生らと顔を合わせていた。その中に<青春>真っ盛りの<阿木耀子>もいたはず。ウーン。知らなかった。

「1971年12月に宇崎と結婚。宇崎竜童が率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドに書いた『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は、1975年の大ヒット曲になった。その後、多くは宇崎が作曲し阿木が作詞するというコンビで多数のヒット曲を世に出す。特に山口百恵の全盛期から引退までのヒット曲の多くは、このコンビによるものである」――。へえ〜。これも知らなかった。でも<宇崎竜童>など、どうでもよい。クソクラエ、だ!

「今年こそ、と期するものがある。もう一度英会話を。長年のテーマだ。日常会話に支障を来たさない程度でいいと思いつつ、半世紀が経つ。教材、英会話学校とかなりお金もつぎ込んだ。しかしこの年齢になっても、その思いは果たせずにいる」と「日経」コラム<学びの心>(1月4日)は始まった。凄い!やっぱり<阿木耀子>は素敵…。ホレボレ!
「英語」は火山も大好き。だから益々気に入った次第。そこで6月7日のコラムです。

「つい1週間ほど前、エステティックサロンへ行く途中で転んだ。その日は快晴で、風が気持ち良さそうだったので歩くことにした。自宅からさほど遠くない距離だ。あと2,3分で目的地というところで足がもつれた。右膝がくずれ、誰かに足払いでもされたかのように、体が前のめりになった。瞬間、顔をガードしなければと思ったが、それも虚しく首が前に突き出してゆく。後から考えると、スローモーションビデオを見ているようだった。地面までの距離がいやに遠い。右側の頬が、ゆっくりアスファルトに近づいてゆく」――。

「転倒」というタイトルを見た瞬間、火山、ビックリした。阿木耀子!火山の中では若々しく<溌溂>とした女性。なのに<年寄り>っぽい!<転ぶ>なんて…。<加齢>!つまり<エイジング>を<自覚>しているから<書く>気にもなる。不思議な気がした。

「それでもノロノロと起き上がり、顔に手をやると掌に血が付いている。とりあえずそのままエステティックサロンに駆け込み、化粧室を借りることにした。『どうなさったんですか?』と驚く受付の女性の顔。この時も恥ずかしさが先に立って、満足な受け答えができなかった。平坦な道だった。何か障害物があったわけではない。誰かにぶつかったということでもない。それなのに、である。要は自分が思っているより、足が上がっていなかったんだろう。それがすごく悔しい」と続く。これを読むと彼女にとっても<予想外>――。

少し、ホッとした。やっぱり彼女は<若い>――。自分を<年寄り>と思っていたわけではない、らしい。何か嬉しくなる。不思議だ。でも今春<喜寿>77歳になった火山、68歳の彼女に比べ<転倒>の「経験」も「懸念」も持ち合わせがない。今後も変わらない――。
「形成外科の医者の話では、傷の跡が目立たなくなるまで暫くかかるという。加齢のせいにするのも癪だし、かといって、ちょっとした弾みというのも釈然としない。どうぞ、皆様も転倒には、くれぐれもご注意を」と彼女、コラムを結ぶ――。

東横線<反町>――。実は火山、去る5月14日(木)の午後、<阿木耀子>が小学1年から高校3年まで通った<捜真>の校舎と校庭を見てきた。通学路も歩いてみた。<一目ぼれ>も<半世紀>を超えた。彼女の<半生>の一部を<追体験>してきたのだ。ウーン!
(平成26年6月8日)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

「一昔前、いや二昔前。居酒屋はサラリーマンのオアシスだった。会社帰り、彼等は居酒屋に立ち寄り、上司の悪口や新入社員の品定めなどをして、憂さを晴らしていた。いつしか女性たちが足を踏み入れるようになった。初めの頃こそ、OLのおじさん化などと揶揄されたが、今や珍しいことではなくなっている。そして、ついに家族連れ。時代は変われば変わるものものだと思いつつも、この光景に私は少々違和感を感じる」と<美女>作詞家<阿木耀子>――。「日経」コラム<あすへの話題>(5月31日)だ。

「気になる<美女>が『日経』コラム<あすへの話題>に現れた。作詞家<阿木耀子>…。テレビで<一目惚れ>!妖艶の<姿態>を求めてテレビ画面を<逍遥>したが、容易に発見できない<無念>をしたたか味わった記憶がある。ところが昨<1月4日・土>!『日経』夕刊で<ご尊名>を発見した」――。これはナント、火山が2014年1月5日、我がブログに投稿した記事「<阿木耀子>が『学びの年』(「『日経』<あすへの話題>)登場!火山、カブリツキ志願だ」の<書き出し>――。

「<昔の恋人>に再会したような気分。さっそく『ウィキペディア』で<故事来歴>を調べた。でも仰天!ナ・ナヌッ!『1945年5月1日生まれ』…。<68歳>!げっ。ビックリ…。何ともはや、ウーン。だが…」と続く――。何が<だが…>か。

「捜真女学校の小・中・高を卒業後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。作詞家としてのキャリアスタートは1969年、グループサウンズのジュリーとバロンのデビュー曲『ブルー・ロンサム・ドリーム』(作曲は宇崎竜童)」――。えっ<捜真>!ナントいう「<運命>の出会い」!火山、昭和27年(1952)から昭和50年(1975)までほぼ毎朝<捜真>の女学生との<邂逅>を重ねてきた。なぜか…。<捜真>最寄駅は東横線「反町」――。

何を隠そう!火山の実家は東横線<反町>――。<中2>(14歳)の時、有名な中区本牧「三溪園」の近くから神奈川区反町へ引っ越した。でも中区<吉浜橋>の中学へ学区外通学。<高1>(16歳)から東横線「日吉」<慶應高校>への通学、大学もいわゆる<予科>は日吉。サラリーマンとなった<23歳>からも南武線「武蔵新城」への通勤で<毎朝>「反町」駅まで歩く。嫌でも<捜真>の女学生らと顔を合わせていた。その中に<青春>真っ盛りの<阿木耀子>もいた――。ウーン。知らなかった。

「1971年12月に宇崎と結婚。宇崎竜童が率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドに書いた『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』は1975年の大ヒット曲になった。その後、多くは宇崎が作曲し阿木が作詞するというコンビで多数のヒット曲を世に出す。特に山口百恵の全盛期から引退までのヒット曲の多くは、このコンビによるものである」――。ウーン!

「先日、テレビのニュース番組でこんな特集をやっていた。今、居酒屋を利用する家族連れが増えているという。その名も<いざか族>。画面では生ビールを美味しそうの飲み干す両親の横で、子供たちが無心にオムライスやポテトサラダを頬張っていた。親たち曰く、ここはメニューが豊富なので、いろいろ選べて助かると。子供たちも嬉しそうだ。居酒屋はいざか族たちにとって、居心地のいい場所らしい。店の方でも歓迎ムードで、あの手この手でサービスに努めている」と阿木耀子のコラム「少々の違和感」(5月31日)は続く。

「外食産業の売り上げが下降線を辿る中、思わぬところに、金脈を発見した感じなのだろうか」とコラムは続く――。それにしても<美女>阿木耀子が居酒屋<いざか族>とは…。
自慢じゃないが火山、<居酒屋>を利用できたのは<独身貴族>の時代だけ。結婚してからはずっと貧乏。もっぱら<立ち飲み>ばかり…。だが今や居酒屋は<OL>だけでなく、「新しい<金脈>の発見」と<阿木耀子>――。

「そして、ついに家族連れ。時代は変われば変わるものだなとおもいつつも、この光景に私は少々違和感を感じる。そもそも居酒屋のメニューは家庭料理が元になっている。肉じゃが、冷や奴、おひたし、煮物、コロッケなどなど。子供のうちはこういう料理は、家で食べてこそ、という気がする」と続く――。面白い!いや火山、ビックリ!さらにいえば<少々違和感>を覚えてしまう。ウーン、なぜか――。<古風>な感じ…。火山にとっての阿木耀子は、いわば<モガ>!ピチピチの<モガ>のはず、だが…。

<家庭料理>へのコダワリ…。きっと親密な<家族>関係の中で成長した。<捜真>を選んだのも、そんな<家庭>の延長なのかも知れない。母親手作りの<料理>…。ホカホカを満喫しながら、小学生から中学生、高校生に成長…。反町駅前を歩いていた。まだ<アラフォー>か、と思っていたが、とんでもない。実年齢を知って仰天した――。ただ面白いのが文章。<年齢>を感じさせる。<古風>なのだ。やっぱり<時代>は争えない。

たとえば上記の引用の<子供たち>――。火山なら<子ども>と書く。また彼女、先月までは<達>だった。現役時代、火山は「社内報」編集で<表記>に、ずいぶん気を使った。だから自分では<古風>ではなく<現代風>と信じている。でも<阿木耀子>…。作詞家だから<漢字仮名表記>には気を使っていると思っていたが、意外と<自由>!ビックリ。

そして今回、特に<愛らしい>と思ったのが、<家庭料理>へのこだわり。<いざか族>への関心は<モガ>!でも<料理>には育った<家庭>が見えるような気がした。ウーン。
(平成26年6月1日)

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
kom*_19*7
kom*_19*7
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
友だち(24)
  • けんた
  • MAX
  • aka12aya70
  • ★オオクワ★
  • 銀ちゃん
  • 竹田征司
友だち一覧

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事