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「永禄6年(1563年)、明智光秀と妻・煕子の間に三女として越前国で生まれる。天正6年(1578年)、15歳の時、父の主君<織田信長>の勧めで細川藤孝の嫡男・忠興に嫁いだ。珠は美女で忠興と仲のよい夫婦であり、天正7年(1579年)には長女が、同8年(1580年)には長男(細川忠隆、後の長岡休無)が2人の間に生まれた。明治期にキリスト教徒らが彼女を讃えて『細川ガラシャ』と呼ぶようになり、現在も広くこのように呼ばれる場合が多い」と「ウィキペディア」…。火山、3月25日(金)夜、TBSテレビ「歴史列伝」を観た――。 |
歴史に学ぶ
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素晴らしい講演を聞いた。「戦国武将の手紙を読み解く」…。紅葉坂を登った県立図書館。講師の岡田正人、織田信長研究では第一人者らしい。1992年(平成4年)、NHK大河ドラマ「信長」では時代考証を務めたという。火山、もちろんカブリツキ。戦国武将というから<信長>か<信玄>か…と期待していた。岡田氏、大徳寺で信長の妻<帰蝶>の墓を発見したというから相当な<凝り性>だ。講演も熱が入った。 |
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これは西軍が勝ちましたな」。明治政府が「富国強兵」にやっきの頃、作戦指導に来日したプロシャの名戦略家モルトケは、関が原に布陣した東西両軍の配置を見て、即座にこう断言したという。 |
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「(昭和11年・1936年)2月26日午前5時、決起部隊、のちに反乱部隊1483人が、それぞれ既に決められた襲撃目標に向かいました。機関銃、重機関銃、軽機関銃、小銃、拳銃など約10万発を越す弾薬を持ち、2月の寒さですから外套を着用し、背嚢を背負い、防毒マスクまで持っていくという完全武装でした。歩兵第一連隊、これは今の赤坂9丁目辺りにあったのですが、栗原安秀中尉、対馬勝雄中尉、林八郎少尉、池田俊彦少尉らが指揮して約300名が、首相官邸に岡田啓介首相を襲撃」(半藤一利「昭和史」講談社・152頁)――。 |
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大下英治「小泉純一郎最後の賭け」(河出書房新社)を平成15年6月に読んだ。「現代日本が生んだ奇異なる宰相<KOIZUMI>――その誕生は?行動は?多彩な人物へのインタビュー。入念な密着取材。現在を斬る政権ドキュメント」とラベルにあった。同じ大下英治の「小沢一郎の政権奪取戦略」(河出書房新社)を最近、読んだ。「国民不在の抗争を繰り広げる政治の闇。あるべき姿を模索する<小沢一郎>」とラベル。登場した民主党の衆院議員・原口一博(佐賀一区・45歳・松下政経塾)が小沢への期待を語る。 |








