大陸にて

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 ついさっき、教育テレビでやった00:50分から02:19分までの1時間半の、ETV特集を見たばかりだ。タイトルは『失われた言葉をさがして―辺見庸 ある死刑囚との対話」を見たばかりだ。
 衝撃は受けなかった。ただ粛然とした。しきりに粛然としたまま番組を見た。そして番組中私の頭にあったのは私の短歌だけであった。私を恥じ入らせる俳句がしきりに流れた。私はそのたびに私の短歌を想いただ恥じ入るばかりであった。
 ざっと内容を述べよう。
 三菱重工爆破を敢行した東アジア反日武装戦線’’狼’’の確定死刑囚の大道寺将司と辺見庸の関わりをつづったテレビである。それに3.11日の大震災もはさまれる。
 ‘狼‘は虹作戦と銘うって、天皇の乗った列車を爆破しようと企てた。その企てが直前で挫折し、その頃米軍に武器製造を協力していた三菱重工業の丸の内のビルの前に爆弾を仕掛けて、死者9人、負傷者多数を出したテロを行ったのである。
 大道寺は死刑確定後独房に入れられ、そこで母との手紙のやり取りの中で俳句を挟み、俳句を始める。
母の死後も休みなく俳句はつくられる。
 その俳句の慄然とした美よ! 私は私が垂れ流している短歌をしきりに思いながら、番組のなかでナレーションとともに映し出される俳句にただただ圧倒されていた。
 第1俳句集は買った。そして! 恥ずかしいことに金に困って古本屋に売ってしまった。いま金はないが、近日出版された彼の全句集『棺一基』は必ず買うつもりである。
 辺見庸はしきりに3.11に関しても、表現というものを一貫して番組のなかで追及した。抽象的でなく、大道寺の句を引用して、表現とその表現をしたひとの持つ誠実さを訴え続けた。
 あくまでも大道寺の句である。その素晴らしさと言えば語弊がある。その重さといっていいだろう。
 ノートを用意していなかったから、句を挙げることができないが、その句は全世界と対峙して、一歩もひるまず、同じ重量を有していた。(あらためて全句集を買ってからその句については一つ一つ丹念に跡づけるつもりである)
 私は粛然とした。
 大道寺に関してはかなり研究したが、彼はいま癌にかかり、その痛みで2メートル離れた便器に行くのにのたうちまわらなければなかった。辺見庸氏の手紙にそのことを書き同時に三菱重工の被害者の痛みをおもんばかる発言をしている。彼は二畳の独房で全世界の痛みを引き受けていると言って過言でない。
 だからこそ、そのようにして真っ白な良心で、26歳の時から、独房でひとりつくり続ける彼の俳句が、こちらを恥じ入らせるほど、美しいのは当然と言えば言える。
 私はちらちらと私の短歌をここしばらく、何週間というのでなく、何カ月あるいは一年、という単位で発表するのをやめようかとしきりに考えていた。
 事実をたんに述べた歌、気の効いたと言えば他人の歌集の言い回しを盗用してつくり続けられる私の短歌。大向こうを唸らせる表現を他人の歌集に漁る私。
 私は、他人の歌集を読みながら、自分の短歌をつくる。それも有名歌人の。
 自分自身の手でこれはと思う表現をつくりだしたことは10指に入らない。
 それほど堕落しきっているのである。
 このことについてはしばらく塾考するつもりである。
 そのため、しばらく発表を控えたいと思う。
 出来ている短歌は近日中に発表する。
 その後に控えたいと思っているのである。
 短歌はつくる。ただ発表を控えるということである。不思議なものでつくらないと短歌の腕は見る見るうちに下落する。秘かに朝早く短歌はつくるつもりである。つくり続けるつもりである。
 大道寺将司の句を想うと、粛然として、その次にそのような決意が出て来た。休みがちな私の詠作発表である。これを機に考え直したい。
 ここで一句だけ大道寺の句を挙げる。
  懐に出面ある夜のちんちろりん
 この句を引いて俳人、上野一行は延々4ページにもわたる評言をしている。そして「ちんちろりん」を引いてサイコロばくちのことだが松虫の意もある。サイコロばくちは季語ではない。「季語がないのは、一行の詩であるだけだ」と評す。
 彼なりの批評をして辺見庸は次のように述べる。
 詠み手は死刑判決が確定している獄中の俳人、大道寺将司であり、評者も俳人、上野一行である。まかりまちがえば明日絞首刑に処されるかもしれない死刑囚に、ちんちろりんは季語かどうかと問い詰めることの意味と無意味を、上野は百も承知していよう。そのうえで俳句をあくまで俳句として難じた評者の厳しい節操に舌をまく。30数年の独居生活でついに俳句に魂の居場所を見つけた大道寺将司の真剣とそれを表する上野の真剣。ことなった暗がりにいま生きてある両者の姿勢にはそれぞれに感じ入るべき何かがある。刑ではなく、一句に命を賭せ。評者は詠み手にそういっている。
                   (「ちんちろりんについて」辺見庸『水の透視画法』所収)
 これを読んでも恥じ入るばかりである。
 私は根本的に考え直さなければならない。
 同じような重みを感じて同じようにただ恥じ入るばかりの某ブロガー氏を私は知っている。彼は必ずこの番組を見ているはずだ。私のいい加減さでもう発言はあったのかもしれないが、彼ならこの番組をどう発言するだろう。興味のあるところだ。
 タイトルの『失われた言葉を探して』の通り、表現の問題を深く追求した好番組だった。
 短歌において、私も『失われた言葉を探』す旅に出なければならない。
 手元が危うくなってきた。私ももうあと2カ月で64歳だ。夜明けが近い。病もある。昼夜の逆転は医師から厳禁されている。今日は特別にお許しを得て、夜をふかした。
 終わろう。
 この稿を書くためにコンタクトレンズをはめたが、はめ辛くて目から涙がぽろぽろ出た。鼻水さえ出て来た。結局はめたのだが、私の涙顔はただ醜いだけだった。私は乾いた眼で番組を見た。
 大道寺将司の涙はそれに比べて高貴で、美しいものに違いない。
                                      (完)       








   










  

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