大陸にて

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 疲れている。心が弱ってもいる。季節の変わり目はいつもこうだったのか定かでないが、気候に振り回されている。毛布を使って半袖で寝ても冬布団一つで寝ても寝汗をかいてしようがない。或る晩はとうとう眼が覚めてしまい、眠れずに5時間しか眠らず翌日は台無しだった。いまは暑い。雨戸を開ける気力もない。
 短歌でも手酷いしっぺ返しを受けた。今日始めたのだが、あんなにも意気込んでいた大道寺将司の『鴉の眼』が創作に役立つとはとうとう認められざることに気づいた。俳句の言葉がはねかえってくるのである。とてもじゃないが参考にならない。独立して読む以外ない。そしてその精神を吸収する以外ない。短歌創作とは無縁である。仕方なくまた元の態勢に戻った。自分の表現をとこころがけたが、散々だった。1時間あまりでほうほうのていで今朝の短歌を終わった。明日からは落ち着いて腰を据えて、もとのやり方で、かといって盗用をすることはなく、自分なりの短歌を追及していきたい。
 当然読書にも季節の変わり目で弱った心には影響する。『死と滅亡のパンセ』の再読が2日経っても果たせないのだ。初読の際、付箋紙を貼るということをしなかった。再読でと考えたからだ。
 言いかえれば付箋だらけになることを初読でいちいち、一行、一行反応し予感していた。これはしたり、これも言える、これもそうだ、なるほど、そうだ、そうだといちいち共感していた。
 2日経ってろくに再読もせずにいる自分に残ったのは、辺見庸氏の、震災後の言葉の問題だった。元々信じてはいなかったが、これほど言葉が空しいとはという嘆きだった。
 パラパラと読み返してみて、「破滅の渚のナマコたち」という章で目に止まった文章があった。引用してみる。
 (中略)大震災後ここまで言語世界というものが全体にパターン化し萎縮し収縮するのかと驚いたね。逆に、大きくならないほうがよい言葉がいきなり膨張して大手を振ってあるきだした。「国難」がそうだ。「震災詩」という呼称からして、ぼくには何か生理的に堪えがたい。戦前、戦中の翼賛詩、戦詩みたいなものを髣髴(ほうふつ)とさせるしね。語調や表現、創造の射程の短さ、単層のエモーションなど、こういっては何だけれど、反吐が出る。
 「国難」といえば戦時中にしきりに口に昇った言葉だ。うろ覚えだが、戦争がはじまったとき、読売新聞が佐々木幸綱(歌人)に頼んだ新聞の見出しが「国難来たる。大いなる国難来たる」ではなかったかしらん。
 一方の「震災詩」だが、例を挙げよう。『詩の礫』がベストセラーになって私も読んで感動したツィッタ―の詩だ。彼が新たに『ふたたびの春に』という詩集をまとめた。その中からまともに「震災」という詩。
    震災
 
 地図を 広げる
 じっと見ている
 使い古された一枚が
 私の机の上にある

 山々が並ぶ 雲に誘われる
 野道が続く 丘の先は海になる
 私は風になって ぐるり 旅をして回り
 また ここへと戻る 私という場所へ
 
 日本の地図を新しくしなくては
 いけないのか
 皺(しわ)や傷が ひどくて痛々しい
 裏返してみる
  
 この裏に 悲しくさらわれてしまった
 風になったまま
 戻ってはこない人々を想う
 探している 探している
 『詩の礫』のあの迫力からしたらずいぶんと整理されて、冷静で、大人しくこじんまりとしたものに変わったなあというのが一読後の印象だ。反吐までは出ないが、こんな詩にいったいどんな意味があるのだろう? 慰められる? こんな詩で慰められる御仁はよほどお人好しで、他人行儀なんだろう。ケッといってもっと激しいものを求める人間の方がよほど正常だ。
 (詩人は)悪い意味であまりにもナイーブで善意の人たちが多い。善意くらい厄介で手に負えないものはない。ファシズムの端緒には悪意があるのではないね。善意、至誠がある。善意の塊がファシズムを立ち上げる。
 教員に「君が代」斉唱を義務ずける条例案が大阪府で提出された。複数回違反すれば懲戒免職とするそうだ。
 うたいたくない者に直立不動でうたわせる社会はまっとうだろうか。石川淳はファシズムの季節の光と影のゆがみについて書いている。「人々の影はその在るべき位置からずれて動くのであろうか。この幻燈では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまう」問題はむろん、テレビが放(ひ)り出したガスのような大阪府知事ひとりにあるのではない。私たちひとりびとりの、あるべき位置のずれを、醒めて見つめるべきではないか。
 言葉の空白化とそれにあたかも乗じたかのようなファシズムの台頭。
 辺見庸氏は述べる。
 こうなったら、荒れすたれた外部に対し、新しい内部の可能性をあなぐる以外に生きのびるすべはあるまい。影絵のひとのようにさまよい、廃墟の瓦礫の中から、たわみ、壊れ、焼けただれた言葉の残骸をひとつひとつひろいあつめて、ていねいに洗いなおす。そうする徒労の長い道のりから新た内面をひらくほかにもう立つ瀬はないのだ。
 新しい言葉でファシズむにも抗していくこと。
 彼の内省のことばは深くて重い。
                                       (完)        
 
   
          
  

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お元気ですか?ご案内いただいた辺見庸氏のETV放映を見て、「死と滅亡のパンセ」を読みました。「棺一基 四顧 茫々と 霞みけり」(大道寺将司作)の作品に衝撃を覚えました。tairikuさまの論評は作者の意図を十分に汲んだものと感心しております。無理をせず創作にお励みください。新村猛

2012/5/2(水) 午後 10:21 [ pie**44 ] 返信する

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元気にやっております。辺見庸氏は唯一この日本で信用のおける人です。私たちもですが、辺見庸氏もまだ60代とはいえ70に近く健康を心配しています。倒れられたらどうしようと心配です。声が聞こえなくなるのが一番応えますから。ご自愛ください。

2012/5/5(土) 午前 9:45 [ tairiku ] 返信する

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