大陸にて

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 とても学者にはなれなかっただろう。憧れていたに関わらずである。蔵書が簡単にどこかへ行ってしまう。あれほど敬愛している辺見庸氏も古本屋に打ったのか、それとも2段の本棚の片隅にかくれているのか、かろうじて残ったのは7,8冊に過ぎない。
 シモ―ヌ・ヴェイユは私にとって特別な響きを持った名前である。その特異な生涯。大学を出たに関わらず、工場に勤め労働者とつぶさに苦労を共にして、その恐ろしく詳細な記録を『工場生活の経験』にまとめている。『工場日記』というタイトルだったかと思っていたが違った。『重力と恩寵』は読んだが今残っているものはない。30数年前の青春の書である。例にもれず若気の至りで難解な名著を読むことに時間を費やした。あの時もっと深く、もっと広くあたう限りの力量で名著を読むことに時間を費やしたらよかった。カントにも手を出した。カントは難解だったが、デカルトはわかりやすかった。
 『重力と恩寵』の話だ。はっきりいってその2著作だけである。『根を持つこと』とか他にあるが、読んだのは二つだけである。解説書はかなり読んだ。分かったつもりになったのかもう遠い昔の話であるから覚えていない。
 神との神秘体験をしたり天啓を受けたりしたがそちらの方は理解の埒がいのまま、彼女が絶えず労働者の味方であったことに深い共感を覚えた。激しい頭痛持ちだったに関わらずまた小食のため体が思うように健康でなかったに関わらず、大学を確か首席で卒業し、すぐに工場に入った。共感を覚えず興味を引かれざるを得ないことがあろうか。
 「読書新聞」で現代詩手帖特集版『シモ―ヌ・ヴェイユ―詩を持つこと』を紹介していたので興味を引かれ、取り寄せてもらった。
 意外な事実が明らかになった。
 シモ―ヌ・ぺトルマンの証言では「あの人は何よりもまず、詩人でありたいと望んでいたと思います。あの人は、自分の書いた数篇の詩のためなら、全作品を捨て去ることも惜しいとは思わなかっただろうと信じています」というのだ。
 この本を責任編集した今村純子氏は言う。
 シモ―ヌ・ヴェイユ(1909〜43)は、一女工として工場で働く『工場生活の経験』(1934〜35)に象徴される数々の社会的実践を経て、労働者に必要なものは、パンでもバターでもなく美であり、詩であると述べている。
 絶望であれば絶望というそのリアリティをじっと見つめ、そのリアリティに対して「イエス」といい得るならば、すなわち、同意しうるならば、私たちは、それぞれの現場に根ざしつつ、「わたし」において「わたし」を離れ、それゆえにこそ「わたし」でありうる。このとき、もっとも自由で最も生き生きとした感情である「美の感情」がわたしたちのうちから溢れ出ている。このことを指してヴェイユは「詩を持つ」と述べるのであった。
 不幸の真っただ中で絶望する、そのことに対して「イエス」という。私たち自身の自性(じしょう)にかえるそのとき、絶望というリアリティに対して肯定したとき、詩が溢れる。

 生涯にヴェイユは9編の詩を書いた。哲学的断章のアンソロジーである『重力と恩寵』は詩的感性に満ちあふれていた。
 河津聖恵氏は「何よりもまず、詩人でありたい」という論考で、シモ―ヌ・ヴェイユが詩人であることについて次のように語る。
 詩とは、ヴェイユにとって、(いやだれしもにとって)世界から見捨てられ声を上げられない、傷ついた他者のために書かれるものである。本物の詩のことばは、祈るように他者の方へと注意をこらし、思考し尽くした果てにつかみ得る純白の高さから、降るように書かれるものだろう。
 (この考察の中で)、もっとも印象的なのは、「死者の山が築かれいるこの時代に、何かをつくりだすということ(あるいは、そのための準備をするということ)は、何というつぐないのわざになることでしょう。」という部分だろう。詩人が今このときに書く詩が、今このときに死にゆく人々の死をつぐない、あがなうという逆転の発想。それは、ひどく感動的ではないか。
 詩は、今死にゆく子どものために何も出来ないのではない。そうではなく、現実には何も出来ない詩は、誠実な非行為であれば、日々の無数の死者の死を「つぐない」「あがなう」ものでありうるのだ。
 それでは彼女の実際の詩はどうか。ヴァレリーに賞賛されたという「プロメテ」という大作を除き、比較的わかりやすく、主張通り苦しみと絶望にしいたげられた人々の「あがない」と「つぐない」を見事に表しているものになっている。少々長くなるが、「扉」という詩を引いて稿を終わりたい。
 さあ扉よ、開いてください、そうすれば私たちは果樹園を見るだろう
 月の傷が印された、凍える水を飲むだろう
 見知らぬものを憎しみ、燃え上がる長い道のり
 知らずにさまよい、どんな場所も見出せない

 花が見たい、渇きがのしかかる
 待ち望み、苦しみながら、わたしたちは扉の前にいる
 ならば一撃で、扉を壊しをもするものも
 押しても突いても、あまりにも壁は頑丈すぎる

 待ち焦がれ、虚しくじっと見つめなければならない
 これほど乞う視線にも、扉は閉じられたまま微動だにしない
 釘付けになり、苦しみの涙を流す
 じっと見つめ 時の重さに打ちのめされる

 扉は目の前にある。だがそれが何の役に立とう
 希望を捨て、立ち去るほうがましだ
 決して中に入れないだろう、扉を見ることに疲れてしまった
 と、そのとき扉が開き、多くの沈黙を招き入れた

 何ということ、果樹園も花もどこにもない
 光あふれる膨大な真空が
 突然あちこちにあらわれ、心を満たし
 盲(めし)いた目の塵を洗い流す
                                   (完)     


















































 





















 
   

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