大陸にて

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ビッグバン

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 紀伊国屋殺人事件があって、1カ月が過ぎようとしていた。
 新宿アルタ前にその高層ビルはあった。
 男と女が話していた。
 「料理は11時過ぎに作ってあげる」
 外に見える掲示板ニュースにある数字の羅列が走った。
 男が立った。
 「あんたはそんな風に髪をおろしていた方がいい。きれいに見える」
 男はレストランを出て、コインロッカーからゴルフ・バッグを取り出し、その多目的ビルの高速エレベーターに乗った。
 ライフル、ショット・ガン、手榴弾を一人きりのエレベータでゴルフバッバクから取り出して、装着した。万一人が入ってきた場合を考えて背中に銃は挟んだ、銃身の見えないように。手榴弾は足に。
 苦労した。長いあいだ、獄にいたものだ。
 むろん、エレベータには監視カメラがついている。しかし、警備員はこの時間帯だったら2,3人だ。
 この場合には、気づいたとしても、今乗ったとしても、ペントハウスが目的と思うだろう。
 3分はかかるだろう。33,34,ペントハウスは42だ。
 38階で降りた。
 赤い、いや赤黒い絨毯だ。その廊下はまるで、獄の廊下と違い過ぎて、かえって思いださせるほどだ。
 出てきた白い腕章の男の顔を、振り払うようにライフルで撃ち飛ばした。
 今度ははっきりした目的を持っていた。獄に入れられる偶発的な殺人と違い。
 所作は狂気だが、誰がターゲットで、誰がそれ以外かを、推理する一群を撹乱するためである、ということを男は知っていた。
 非常口まで遠くカーペットが敷き詰められている。その非常口近く、「新革命宣言宣言日講演会」と立札がある。
 ボディガードが数人走ってきた。ライフルで丹念に殺した。しかたない。
 音で、横のドアが開き、背広の男が出てきた。
 反射的に銃尻で男の顎を砕いた。
 前から走ってくるハンサムなボディガードは、右足首を軸に、左足を回せた。左手でライフルを上げようとした時に、足が当たり、ライフルは飛んだ。しようがない。日本のガードマンは武器の携帯を許されていない。
 左腕を振った。腕の付け根につけていたオートマが手のひらに収まり、引き金を引いた。若いガードマンは弾を胸に受けてすっ飛んだ。
 背中にしょっていたショット・ガンを降ろして持った。オートマはポケットに入れた。
 「何だ?」という顔で蝶ネクタイの男が顔を出した。トイレだ。その奥に、女の声が二つ、三つ聞こえた。嫌らしいやつらだ。
 男は蝶ネクタイの腹部にショット・ガンを撃ち込み、手榴弾のピンを抜いて中に転がし、足でドアを強くバタンと閉めた。変形したドアは開かなくなっていた。
 爆発の音と熱がどっと押し寄せてきても、振り返らなかった。
 額の皺が濃くなっただけだ。誰かが額の筋をつくったのだった。
 胸に血を噴き出しているさっきのガードマンが追いすがってきた。お互いの眼と眼が合った。
 「イヤー」と叫びながら、そのガードマンの胸にショット・ガンを撃ちつくすまで撃った。
 火が突然、下を張って燃え上がった。
 ドアをちょっと開けて慌てて閉める虫たち。彼女は言ったものだ。
 「下の人って虫にしか見えないわね。ミニ・クレーンでザーッといってて持ってきてまた落としたい」
 オートマを出した。
 後ろの左側に激しい光を感じた。
 ネクタイがナイフを刺しこんでいた。顎が打ち砕かれているので言うことが分からない。その手にオートマチックを当て引き金を引いた。手が吹き飛んだ。
 歩いて行った。誰もが火と煙と非常用のシャワーの水で逃げ惑う。
 男は皮ジャンバーで、シャツは白の幅広の襟で、首元を赤いスカーフで覆っていた。ライフルもショット・ガンも撃ちつくして、オートマも落としてきたので、他の者と変わりなく見えた。
 眼がつくなら左の背中に刺さったナイフ。男は悠然と歩いて行った。
 非常出口。
 その緑色は彼に遠い昔を思い出させた。あれらの日々ー輝き、真っ白の日。幼年時代、少年時代、それから、恋。結婚。
 男は熊本県菊池郡に生まれた。戦争に行くとそれまでの日々はすべて問題ですらなくなった。それらの日々、人を始めて殺した晩―目は虚ろになった。
 男は自分なりに解除をし遂げたと思っていた。
 だが背中を壁に凭れさせて、背中のナイフを抜き、赤いスカーフを傷口に押し当てて、そして「非常口」を見た時、緑が一瞬、赤に変わった。そしてあるパターンとともに点滅した。
 ニューロンがカチリといった。意識は冴えていた。しかし、励起したニューロンはドミノ現象を起こし、腕、腹、胸、足、手、すべての細胞組織を支配下にした、電神教のオーバーロードに。
 「新革命宣言宣言日講演会」のすべての関係者連中をオートマと手榴弾で殺し終え、講演者の腹の出た、思い身体を担いで、「非常口」にガムを使って張り付けた。おれは中国に戦争中いた。講演者と、指導者とか、一切、そんなものからはパスでいい。
 自らの左胸のポケットから計算機を出した。蓋を開けると、薄いプラスチック爆弾を出した。
 もがいている講演者に近づきながら、プラスチック爆弾の発火装置の紐を引いた。そこまではすべてニューロンのなせる技だった。しかし、引いた瞬間、発火しなかった。
 笑った。大声で笑った。安堵。ニューロンの電子、電神教から解放されたことに。
 カチッと発火した。
 高層ビルの上階の非常口が吹き飛び、爆発音とともに、赤い炎が100メートルほども、噴き出した。 女は微笑んだ。
 もう、黒の分厚いサングラスをつけ、髪は上げていた。
 「美しい」
 そう呟いた。
                                  (続く)  
 

 2
 涼子は受け持った本について考えるまま、周囲に目をくれないまま、歩く。便器に腰かけるときも、何か本を持ってしか入らない。それがいいか悪いかじゃない。本が好きだから。これだけの内容、人ひとりの例えば一生をかけた本さえある。
 しかも、それをいつも手元に置けば、どこででも読める。本ほど貴重なものはないという考え方だ。いろいろ言う前に、本が好きだということだ。
 それから意識は分散した。読んだ本は『坊ちゃん』で、バッグにある。ありふれたバッグだ。目の前を歩く赤いボディコンの女性―電飾みたいな、ビッグバンと呼ばれる大画面映像。少なくとも彼女の中で、一つ一つが輝いている。たまにしかこの感覚は来ない。この「多幸感」。 
 突然男―それも美しい―男が、くるくる舞うフィギャ・スケーターのように舞いながら、人を殺してい
った。
 涼子はただ唖然と見るだけだ。心の奥で「来たら逃げ出そう」という気がするくらいで、ただ立ちつくしていた。
 男は半裸になった。
 ちらっと眼が合う。次の瞬間、涼子は指を男の首に突き、穴が開いた。何か了解が生まれたように、男は日本刀をダラリと提げた。それからすぐに上げて、眼を真横に切って、鼻をそぎ落とした。その縦、横の動作を正確に、悲鳴一つあげず、そして最後に喉元に突き刺した。
 涼子は叫んでいた。遠く、大きく、古代の狼のように、ビッグバンに映し出されたフルムーンに。

 3
 気がついたときに、彼女はベッドに横たわっていた。「大丈夫ですか?」誰かが言っていた。女性が一人屈みこんでいて看護婦だった。弱々しく涼子は訊いた。
 「ここは?」
 「曽根崎警察署内。医務室です。心配しないでね。眠りたければ眠り続ければいいのです」
 「会社の方は?」
 婦人警官が現れ言った。
 「了承済みですよ」
 「すぐに帰ってもいいんですね?」と涼子は訊いた。
 「医師の診察を受けて、それからちょっとした質問をしたいんです」
 「ええ」
 20分後、医務室にいた。
 「あなたは健康そのものです。形式ですから気楽に」40代くらいの婦人警官だ。
 「一応目撃者ということですから。お名前は?」
 「神耳涼子です」
 「お住まいは?」
 「淀川区の404番地」
 「お家族は?」
 「小母が一人です」
 「その方の御名前は?」
 「神耳麗子」
 「お幾つ?」
 「―こんな事にも答えなきゃならないの?」
 「45歳です」
 「ところで、あなたは紀伊国屋書店にお勤めですね?」
 「ええ」
 「あの事件で詳しいことをお聞きしたいんです」
 「見てただけです」

 別の部屋で同僚のSはやはり質問を受けていた。
 「あの子が喉を突いたんだね?」
 「凄いスピードだし、よくわかんなかったんだけど、普段からちょっと違うフレッシュマンだし」
 「普段から?」
 刑事は訊いた。
 「本を浮かすんですよ」
 刑事はただ待った。
 「彼女が突いて、それからあの美しい男だと思うけど、あの人が自分でその喉を刺してそれから日本刀を飲みこんだ」
 「本当だね?」
 「本当か嘘か、ちょっと教えてもらったら、誓うわ」
 「何を?」古株の刑事はちょっと怯んだ。
 「むろん、切り傷で、彼女が突いたかどうかは分からない。目撃者―」
 「違うのよ。あの人、男だったの?」
 「そんなことはどうでもいい。あんたは証言さえしたらいいんだ」
 「むろん、突いてないわ。どう思うと思ったの? あんたは」
 刑事は鼻白んだ。
 涼子は警察署を出た時、自分があの股をぎこちなくしながら、歩いた時の木偶の坊みたいだった。
 星空は硬く晩冬の光る夜空に位置し、さすがにタフな彼女もその夜はタクシーを止めた。

 いつもの朝に目覚めるのは神耳涼子(きじりょうこ)にとって一番の楽しみだ。時折り、自分が階段の下にうずくまったり、押し入れの中に眠っているのに気づくことがあるからだ。
 割と大きい家で、ところどころにまだ全部を知らない場所がある、と、涼子は思っている。もう20年は住んでいるのに。生まれは東京だ。
 「開かずの間」があると思って探すことにしたが、ちっちゃい頃、おばさんの麗子からこっぴどく叱られて、やめにしている。今は自分の個室が何より大切だ。
 1970年生まれ、24歳、7月だから蟹座、血液型はBだ。だからちょっと人と変わっているのだろうか?
 「趣味は?」と聞かれても「ぼうっとしていること」と返事を返すぐらいしか、あまりそういった事にこだわらない。その日が美しければ、いやその一瞬一瞬が美しければそれでいい、とさえ思っている。
 大阪外国語大学、英米文学本科をそれほど悪くないクラスで卒業し、紀伊国屋書店のテナントである「自費出版コーナー」に就職した。できるだけ勉強した。
 本の見積もり―用紙の値段、印刷、製本の加工の各値段、その部数と字数とを加算して、依頼された本の見積もりをする。普通のA5の本で100部、約150ページで、50万円といったところだろうか。いわば外側の値段、つまり、ボックスの値段だ。問題は中身だろうが、ボックスだけの手配と納品、それに徹すべきだ、というのはようやく3カ月も過ぎたら飲み込めた。息を抜くことも、同僚を見て、その時に憶えた。
 彼女についてはいろいろ書ける。眼がハシバミ色で、バストはそれほど大きくない。ウエストは細く、彼女が考えているほどにはずんどうでない。ショート・カットだ。「エミリィ・ディッキンソンと脱出」が大学論文のテーマだが、もうそういうことを横において、ビジネスはビジネスだ、と思いながら、ツンと立った鼻をやや顎を上げ過ぎるくらいに上げて、自費出版の白いデスクに座って、足をもじもじさせながら、目の前をひっきりなしに歩く人の波を見ている。
 「できるだけ無表情」
 「顔を両手で拭うようなことはしないでください」
 「マニュアルを徹底的に読むように」
 この三つを入店早々、Kという上役に言われて、あとはもう最前線で3カ月があっという間に過ぎた。
 いろんな人がいるものだ。みな何かに取り付かれたみたいで、工学、船の底に着く錆を溶解する化学分子の発見を述べた、この原稿を本にしてくれと言って来た教授も、やや危なっかし気であった。『資本論』を超えるから、と言ってきた労働者、手帖にびっしりと文字が書いてあった。千部刷ってくれ、全国の大学に配るからといって、長居するので断りようがなくなってきたとき、隣の同僚のTが「一千万円はかかります」と言ったので、見る見るうちにしぼんで小さくなって消えていった。時折り、絵を描いているという「小父さん」が微醺を帯びて、やってきて、彼女にモーションをかけるのでもなく、ひとくさり何かを話して帰っていく――結局いい職場だった。
 別の会社が自費出版センターを紀伊国屋から借りて、その会社に彼女は所属している。彼女と同僚、Sが同性。その、女性二人と、もう一人が男性の同僚。主任はKといって仕事に恐ろしく厳しい。そこに男も女もないし、少なくともビジネスは心得ている。そのつもりである。
 いま、一人だ。涼子は向かいの「幸福の科学」を見ながら、幸福に科学なんてありっこないと思って、ちょっと、鼻をうごめかせた。本が、ほんの数ミリ、動いて棚から離れて、浮上した。

 多賀錠は景山誠の腿に手をそっとやり、肩を軽く叩いた。誠は茶色のタウンシューズを車から降ろし、そのまま振り返らずに歩いて行った。淀川を右に、十三大橋を過ぎ、すべてを無視していた。
 丸ビルの屋上の電光掲示板に、一瞬、文字列が走るのを見た。ニューロン(神経素子)が一つカチリと励起し、彼は太古の本能である闘争本能をよみがえらせた。
 雨が降りかかっていた。
 雲の上に、オーヴァーロードたちが戦っておられる。
 こちらには、闘うに値するものが何もない。
 向こうから黒いレインン・コートを着た女性が雨を避けて走ってくる。カチリと右脚を軸に、左足を女性の頭上の駐車禁止の札に打ち込む。二つに畳み込む。
 ガラス窓に指をまっすぐに打ち、一つ穴が開く。右足でガラス窓を四散させる。
 「ドイツ歌曲集」のテレホン営業のビルに来て入口のガラス戸を木端微塵にする。
 太融寺を横に「お兄さん」と声を掛けた茶色のベストのやくざに「今、そこのビルのガラスを粉みじんにしてきた。誰か来たら頼む」と言い放つ。
 男は苦笑しつつ呟く。
 「若いねえ」
 誠は阪急東通りに紛れ込み、出て、東映パラスに向かう歩道橋を渡り、北新地への一本道を歩く。
 BMW。
 雨に小走りに駆けていく者たちを押しのけて進んでくるそのエムブレムを押さえる。
 中から髪の長い女が喚く。
 「どけてよ!」
 誠はまだ手を離さない。
 「私を誰と思ってるの。ここのシマは私のものよ!」
 言うが終わらないうちにフロントガラスが粉々に砕ける。女の頭に一つ穴が開き、頭蓋が爆発する。
 姐ごをやったこの美しい男は誰だ、いったい?
 山花栄三はある女性を連れて来いと、親父片西に命令されて、姐ごと虎とで芦屋から出てきた。その女の名は真理、苗字はわからない。虎を張り込みに行かせて、そして自分は車から降りて、真理が人と会うというビルの真下の喫茶店に坐っていた。
 しかし恐ろしいくらい私服がいる。車の携帯電話に手を伸ばす。
 山花組行動隊長虎は、ビルの6階にいた。坐っている喫茶店から向かいの「タイムトンネル」というラウンジに、深紅のスーツを着た真理が入った。どこででも出くわさない種類の美貌だな。
 苦手なポケットベルが鳴る。昔はこんなものなかった。電話をかけると三代目から「すぐ来い」という知らせだ。ザ・バンドの曲が流れている喫茶店を後にして、エレベータに乗った。
 誠は片端から物を壊し、扉を蹴破り、ガラスを粉みじんにし、新地を抜ける。もう闇だ。アクティ大阪の道を車を無視して渡り、桜橋へ向かう。JRの裏道、構内に入り込む。向こうに毎日新聞社のビル、夜景、薄紫の空。
 虎は走り出す。振り返る誠は走り向かう。どちらも出会いざま一発で、ということを知っている。虎はドスを持っていてそちらに頭がいっている分負けていた。虎の左手が折れた。もぎ取れるところだった。右手のドスを虎は投げ捨てて向かった。突然意識が切れた。
 誠は構内から桜橋を右に曲がり、建築中のツィン21を遠景にJR構内を抜けるトンネルから出た。
 そして紀伊国屋書店前のビッグバンに着き、コインロッカーに無造作に置かれている紙包みから、日本刀を取り出す。
 にやけた若者を振り返りざま、斜めに肩から腰まで切り裂く。一緒の女の膝から上の部分を横ざまに水平に切る。若い男は死にきれず、誠のTシャツをつかみ、誠は脚でもぎ払う。
 Tシャツが脱げて、溢れる乳房をしっかりと晒しで巻いた上半身を現わす。
 若い女は、腿から下のないまま落ち、坐った状況になって、意識を失う。
 眼鏡をかけた中老の男を頭から真二つに切り降ろし、上半身が割れたまま、「ウォーオー」と叫んでやってくるが無視し、4人目を目指す。
 突然ニューロンに最終の励起を受けた。
 日本刀を顔に当てた。滅茶苦茶に切り裂いた。まだ死ねなかった。口の中に入れて下まですべて押しこんだ。それから廻した。
 (続く)

 女は眼鏡をかけ、色白の顔をヘルメットで覆い、赤いセーターを長く洗い晒しのGパンの上に垂らしていた。セーターの下にはTシャツで、ノーブラだった。
 大阪市西成区の下宿を出て、――小さく狭い部屋だった――岸の里の駅を天下茶屋に向かう南海電車の線路に向かっていた。
 夏は本当によかった。暑くて、何もかも忘れ去ることができた。Tシャツの下がノーブラであっても、誰もそんなことに構わなかった。女も男も。
 大学時代の頃を思い出していた。海のことや、あれらの日々の炎や、煙。
 ヘルメットは意思表示だ。
 月はちょうどハーフ・ムーン。
 白い街灯は通りを夢の町のように、どこにもない、例えば、地図にすら載っていない町、夢の中にいるようだった。
 雑貨店、牛乳屋、パン屋。すべてが海の上に建てられた彼女だけに作り出された町の中の店。海の上の娘。彼女は何度死のうとしたことか。だが、海は彼女を永久に生かし続ける。船乗りは気をつけなければ。
 なぜなら、彼女は船乗りの夢の中の娘、遭難して海の中に沈んだいたいけな娘たちを哀惜する船員の想像の中で作り出された娘なのだ。
 いつか気づいてくれますように。
 それはある特別な船乗りのためでもあり、さらにまた、すべての船乗りのための意志表示なのだ。
 このぼんやりした、身体の浮き上がるような感じ。これは多分、本当に私が海の上の少女であるからかもしれない。 
 ただ、狭い道の、軒の低い商店街の向こうのハーフ・ムーンとだけ彼女は追っかけっこしている。
 あれらの日々。あの時はさしづめ太陽、月。
 心はもう何処かへ彷徨い、ただ浮き上がり、そして海の泡に翻弄される。
 路地をいくつも抜けた。少しずつ、自分のスニーカーの音が気になる狭い家並み、軒の低い人家の路地にさまよいこみ始めた。
 月は私を見ている。
 血は騒がない。ちょうど月の蒼ざめた光のように冷静だ。
 神耳夏江は向こうから聞こえてくる南海電車の音をようやく聞いて、ヘルメットをもう一度押さえた。
 運転士は赤いヘルメットをかいま見た。しかし、もう遅かった。ガツンという音に彼は手、足、頭が四散し、血がべシャッと窓ガラスにうちつけられて、一面の視野が真っ赤になるのを感じた。
 
 1968年1月18日、南海電鉄天下茶屋駅構内で、春木発難波行き臨時急行電車が、天下茶屋発堺東行き回送電車と、午後5時15分正面衝突した。乗務員、乗客、約千人が重軽傷を負った。
 彼女はそこに含まれていた。
 
(続く)

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