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「排除の空気に唾を吐け」第5章に「私とおない年の死刑囚・造田博−90年代の永山則夫」がありますが、永山則夫も1968年に無差別殺人事件を起こし、当時を震撼させました。彼が造田博と違うのは獄中で小説を書き、その「木橋」で新日本文学賞を取るなど中卒にかかわらず獄中で次々と難解な書物を読破し、「無知と涙」を出し、評判になって、処刑されるまで、当時の知識人に論を書かせることを課すような存在だったことです。
ここでは知識人とは言わないまでも、ビートたけしがインタービューに応じたその文を挙げてみます。 タイトルは「永山則夫はひとりで叛乱をおこした」であり、永山が勤めていたビレッジ・バンカード(ジャズ喫茶)でたけしもボーイをしていたということです。 永山はみんなと口をきいたりしていなかった。マルクス、サルトル、コリン・ウィルソンなどが客の中で論じられたりしていたが、そういう会話の中にも入れなくて、もっと孤独感があったんじゃないかという気がする。学校も封鎖でジャズ喫茶でツルんで、哲学書を必死になって読むか、考えているふりをする、それで全共闘のヘルメットを横に置いたりなんかしてて、意味が分からないんだ。 永山則夫の事件を聞いたとき、「あ、目立った」「やってるな」というか…。永山に対して悪いやつという感想はないよね。要するに、おれらみたいのも警察に楯突いたり国に対して反乱をおこしていたんだけれども、永山則夫も何かで叛乱を起こしたという感じ。でも、永山の方がかっこいいというか、一人で叛乱を起こしたみたいな感じがあって…悪人とは全然思ってなかったんじゃないかな。 落ちこぼれた奴がジャズ喫茶でポツンとしてることで助けられてたところがあるんだよね。落ちこぼれたところにもロマンがあるんだよ。浅草の芸人には、落ちぶれてアル中になって死んでいったって「おれは浅草で死ねるんだ」というのがある。それと似てるんだよ。でも、永山は、それにも入れなかったんじゃないのかと思う。 落ちこぼれた世界もなくて、行き場所が全然なかったんじゃないかな。自分でも意識しないうちにじゃんじゃん犯罪の方に向かって行ったんじゃないかな。平岡正明氏の「犯罪と革命接近し白熱す」です。 永山則夫は現存在を生きている。闘っている。自分の犯罪の根拠へ、すなわち貧困へと彼の洞察が深まれば深まるほど、彼の根への求心は寸分の狂いもなく彼の社会認識の拡大と一致する。 彼は密航において国家を突破することはできなかった。しかし、牢獄において、国家の論理を、律義に、執拗に、ことごとく跳ね飛ばすことによって国家を突破しつつある(とおもう)。 国家の中心において、国家の中心であるがゆえに、国家の突破が可能な方向における永山則夫の存在において牢獄は学校である。 ある日の彼の詩の一冊――。 とある代のとある日の真夜中 西も東も分かんない馬鹿が 日本資本主義国家へ たった一人で宣戦布告した
自爆テロには思想がある。しかし今の「自爆」する若者には、ただただ貧困という、全共闘世代の頃の思いもつかない、空疎な日常しかない。だれか「思想的テロ」をこの日本に実行する若者はいないのか?
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