大陸にて

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風の吹くまま

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 4日前、ブックオフ江坂駅前店から出張買取りが来ました。金曜日ぴったし2時半です。氷のような青年で眼鏡をかけていました。わたしの本棚は2段詰めで第1段目を調べ抜き取り第2段目を査定しなければなりません。事前に言ったことは、安くてもいいからできるだけたくさん持っていってほしいこと、64の歳なので後片付けとなると大変なので抜きだした本で買わなかった本は元に戻しておいてほしいこと。前者はともかく、後者は守ってくれました。
 リビングは30度を超える暑さです。そこを査定しているのに立ちあって汗が噴き出てきました。作業はてきぱきとしてさすがにプロです。聞いた通り比較的きれいな本しかとらず内容は抜きでした。CD、ゲームは数が少ないですが高そうでした。途中で書斎に移り気の毒だからエアコンは24度に設定しました。
 2時半から5時取ってくれたのは内訳は、ゲーム10個、雑誌70冊、文庫166冊、新書15冊、単行本176冊その他でした。しめて444点、値段は7760円でした。蔵書家の者にとっては少ない数字なんでしょうが、多いのでしょうか、少ないのでしょうか。単行本の少なさはやはり汚い単行本が多かったのが影響しているのでしょう。値段には満足しました。
 確かに棚が空きが増えたのは確かです。それだけでも良しとしなければなりません。それから5日まだ10箱しか本詰めしていません。8月7日の資源ごみの日、あまり出すのもなんだし、それでもスパートをかけて箱詰めを続けなければなりません。置くスペースがないのがネックです。
 代理人が動いてくれています。9月末の引っ越しを考えているので8月後期には自分でも不動産会社を廻るつもりです。一見手ごろな物件が代理人が持ってきてくれたのですが、あまりにも、交通の便が不便なので断りました。駅から徒歩15分以内と条件をつけました。それから今住んでいる場所からあまり遠くないところ。一駅離れてもいいのです。掛かり付けの医者がいるし、近くにいく病院がかなり点在しているのです。
 ******
 ちょっと空いた時間、大道寺将司の『棺一基』をぽつぽつ拾い読みしています。辺見庸の序文は読んでいません。びっしりと書かれた文を読む心理的余裕がないのです。
 中で印象的だった句を二、三挙げます。
  二十数年ぶりのテレビ鑑賞
 春の闇目玉の痛むテレビかな
 唖然とする以外ありません。
  「これがまあつひの栖(すみか)か雪五尺」
 独房が終(つい)の住処(すみか)よ梅雨に入る
 いっそ引っ越しの準備でひいひい言っている身にとっては不謹慎ですが羨ましいくらいの覚悟です。
  東京拘置所で永山則夫君ら二名の処刑があった朝
 夏深し魂消(たまぎ)る声の残りけり
 たまげるという意をかけて心に悔いほどうまいと同時に、粛然とさせる句です。
 ****
 暑いですが、何とかやっています。8月から9月末、勝負です。それでも今日のなでしこジャパンの試合は見るつもりです。先ず本詰めです。はやく始末しなければなりません。
 何とかやっているので、ご心配なく。
 昼飯後、頓服リスパドールを1服飲む。恐ろしい脱力感。だって仕方ない昨日リスパドールを2服飲み、その後立て続けに4服飲んだのだから。
 *****
 弟へのメール。昨日昼間送った。
 「34000円は急ぎません。明日でもいいです。7月3日にはその6000円の借金返済だけであとは一切貸しません。もう疲れました。混乱とストレスで。自分の金で貸し借り無しで1月やらせて下さい。もう一銭も借りないのでそちらも1銭も借りないでください」
「リスパドール6服立て続けに飲んだ。かといって廃人が話しているわけではない。返す金は28000円でいい。やっていける。その代わり貸し借りはなしだ。もうこれ以上おれを苦しめるのはよしてくれ。おれは障害年金の金を普通にまっとうに使いたいだけだ。おまえがおれの家に転がり込む前の平和で平穏な生活を送りたいだけだ。寒い」
 「気分が悪いです。吐き気がします。菓子を1個食べたので。昼飯はあんパン一個でした。胃の薬を飲んでまだ収まらないならもう一回電話して下さいと病院は言っています。メールを読んで了解してくれましたか?」
「了解しました」(弟の返信)
 ******
しごとのために生きるようになる。しごとに支配されている。しごとがあるのは当然だと思っている。生きている日々の、あのゆったりしたリズムのなかにしごとを引きもどしてやることを忘れて、ひき返せないところまで踏みこむ。ことばで社会を批判しても、そこにくみこまれているのだ。批判を口にできるのもアウトサイダーにはゆるされなかった特権だった。
 そんな時だ。無視されたからだが、そこにあることも知らなかった器官から停止信号を送るのは。病気は警告でもあり、急速でもある。1息つく、そこに展望がひらける。それも錯覚かもしれないが。
  *****
  ゆれるな
                                平田俊子
  ゆれるね
  きょうもゆれてるね
  地球が荒いぶるゆりかごだったとは
  知らなかったよ
  おとなも子どもも眠らせない
  意地悪なゆりかごだったとは

  三月なんだよ 春なんだよ
  春眠あかつきを覚えない
  優しい季節のはずなのに

  今年の春は
  ひとをゆさぶり
  眠らせまいとする
  
  地球よ お前は
  いつの日も
  愉快にまわるだけでいい
  ゆれるのは
  風に吹かれる花や
  庭の洗濯ものにまかせて
  お前はいつも
  無邪気にまわれ

  地球をゆらすものは
  泡となって消えろ
  ゆれるな
  れるな
  るな
  な
  な
  な!
               (春風社刊・大竹昭子編『言葉のポトラック』・2011年発行)
 ***** 
  
  石牟礼 今のままだと、なんて言うのか、「死相を浮かべた国」というか、浮かべていく国というか、なりつつある。
  伊藤  なっているような気がします、おっしゃるとおりだわ。みんな、死ぬのを待っているんですよ。
  石牟礼 はい、待っている。
  伊藤  でも、死ねないでしょう。
  石牟礼 生きながら、「死相を浮かべている国」になっているんじゃないでしょうか。
   (平凡社新書・死を想う―われらも終には仏なり・石牟礼道子・伊藤比呂美・2007年発行)
   *****
 弱い雨が斜めに降っている。静かだ。キーボードをたたく音だけが響く。
 心屈したときは、中井久夫さんの精神医学関係の書をひもとく。
 今日できることは明日にまわした方がいい。き、といういろはがるたの文句だ。裏には「往々にしてうまく事がいくことになる場合が多い」とある。
 心を伸びやかにしてくれる。
 リスパドールは弟への強いメッセージに耐えきれず飲んだものだ。気が弱いのだ。夜は一も二もなく眠りに引きずりこまれた。9時まで眠った。再度リスパドールを飲むと倍に効く。
 今日は本を読み散らかした。
 その中から印象に残った文を断片的に挙げた。こころが適度に散らばって楽しい作業だった。                                             (完)      




















      















 
 気が重い。気が重いというより、抑うつ気味である。秋の憂愁とはこういうことを言うのだろうか。さっき食べたフレンチ・トーストがまだ胃にもたれているし。
 雨戸を開け、風通しを良くして、ジャージのズボンと半袖一枚である。風がいい塩梅に吹いている。風が吹くたびに風鈴の音がどこからか聞こえてくる。もともと静かな住宅地であるが、特に私のいる書斎は道からも遠く、ほとんど通らない車の音は遠いので潮騒のように聞こえる。唯一の例外は下校時の子供の歓声でこれも時間が限られている。
 しきりに西田(仮名)さんのことが想い起される。
 入院先で知り合った沖縄の人で文学好きでよく話した。いまは貯金も出来て余裕のある生活をしているらしいが、その頃はどん底に近い生活をしていた。
 西成に棲み、道路工事人を日払いの仕事でしていた。早い話があいりん地区の立ちん棒である。
 西成りの彼の家に遊びに行ったことがある。私がサラリーマンのときである。
 そのときの私の小説がある。一部引用する。
 中は暑かった。四畳半の部屋で流しが付き押入れが一つある。小さく汚れた冷蔵庫と、小型のテレビがあり、テレビの画面は埃がびっしりと付いて白と灰色でまだらだ。夏だが炬燵を置きっぱなしで布団も敷きっぱなし。洋服ダンスがないので一方の壁に洗濯紐を吊るして洋服が壁いっぱいに掛けられている。
 そのときの西田さんの部屋の様子だ。文学談をしようと行ったが、呂律が廻らず首を振って半眼である。
 「このスーツ7万円したんですわ」
 余計なこと言うな。友達を失くすぞ。
 とわたしは独白する。
 どうも様子がおかしく、結局強力な睡眠薬と酒を飲んでいたということがわかり、すみません、また来ますと言って部屋を辞する。
 ぼくは狭い部屋と湿った畳と埃のこびりついたテレビの画面を想い出しながら帰りの道を歩いた。想い出せないくらい職を変えて来た。変わる先、変わる先、労働条件がきつくなった。行き着く先が怖かった。ぼくはシンプルな、清潔な部屋が好きで、いまの部屋もそうしている。だがいずれそこも出なければならないだろう。もし、飲みだせば。もし、突っ走りすぎてポンとはじけたら。
 ぼくは西田さんの姿に自分を重ね合わせるべきなのか?
                        1992年2月28日(土)
 いま弟が来て、乏しい通帳から乏しい金額を借りてリビングで昼飯を食っている。もう預金通帳も零にひとしい。思えば住んでいるところは西田さんの家と似ても似つかぬそれなりの体裁をしているが、実情は当時の西田さんと内実変わりない。不安定でないところだけが取り柄だ。
 しかしそのことを言いたいわけではない。
 また小説から引く。西田さんから届いたこれは本物の文面の葉書だ。
 「退院して二、三カ月は充実感に満ちていて毎日楽しかったけど、今日今ごろは厭で時が早く過ぎたらいいと思っていたりする。いまの自分には何か欠けているけど、その欠けているのが見つからないのだ。メランコリーというか気分が沈んで馬鹿みたいに仕事を仕事を休んだ日などテレビを見たり煙草を吸ったりしてだらだらと過ごしている。人間四十五も過ぎたらもう自分の一生が見えてくる。そうすると若い時の情念など馬鹿らしくて、いや馬鹿らしいというより、人生を識らないと言った方がいいかもしれない。
人生とは鏡に映った影みたいなものだと思うようになって、いまでは確信さえ持つようになった。周囲の人のはつらつした人生を見ると芝居を見ているような心境だ」
 写していて暗い心境になってくる。もともと暗い手紙であるが、それより内容がつけのように自分にまわって来るのを感じるのだ。
 当時他人事のように使った手紙の内容が今の心境に似ていなくもない心に苛まれて、辛いのだ。
 神にすがるような気分だ。経済的なストレスの過半が私を「メランコリー」に陥れているのはわかるが、しかも弟がその原因の元凶だとはわかるが、弟は弟である。私を救う神はいないものか。しかしどうやら次のようなのだ。
 「神々、および神が去ったばかりでない。神性の輝きが世界史から消えてしまったのである。……世界にとっては基礎づけるものとしての根底が見出されなくなったのである」(ハイデッガー『乏しき時代の詩人』)
 いまは神性の輝きさえが消えてしまったのだ。私が最も見たい輝きというものが。
 よく見回せばくすんだ世であり、くすんだ人生を送る人の多さというものは歴史上これほどないと言っていいくらいである。せめて20年以上も前にこのいまを透視した西田さんの「メランコリー」に陥っている人がいるのは、教育テレビの8時台の番組「ハートランド(?)」で仄聞する人を見たりしている限り多いらしいのである。
 心が暗いように気候も暗い。重い鉛空である。
 積極的に行かざるを得ないコラム書きに備えて、しゃにむに進む以外ないが、心は空のように重い。
 せめて晴れていたら少しは気も晴れていたのに。
 いやな梅雨に近畿も仲間入りしたらしいのである。
 夏よ、ギラギラした太陽で挑戦して来い。いまはその気分である。それまでじっと堪える以外ないようである。
                                      (完)  


































 
 『西川徹郎青春歌集』を次の短歌誌のコラムにするつもりで読み上げたばかりだ(昨日だが)。
 この人は俳句にむしろ有名で文学館を持っていて、『無灯艦隊』が処女作で有名である。15万句の俳句を作り、『反結社、反季語、口語俳句』をモットーに制作をいまだに続けているとにかく現役で鼻息の荒い、あくの強い人である。それが短歌ではメロメロである。15歳から20歳までのひとりの初恋の人の交渉を描いた短歌ではあるが、前半では何とめそめそとしているものかとつい資料ノートに書き込んでしまった。困っているのは資料がないことで俳句では2冊見つけて取り寄せてもらい読むことにしているが、俳句を論ずるわけではないので、短歌集の資料書がないことに困っている。併載の解説書で間に合わす以外ないが、俳句の資料集を読むと詳しい生涯がわかるのでそれで補うつもりである。
 荒川洋治の『黙独の山』を拾い読みする。大概が2,3ページのエッセイになっていて読みやすい。この人は詩集出版社をやっていて(零細だが)自分で取次店に汽車を乗り継いで出来上がった本を持っていくような人である。詩人として有名で読んだことがあるが、よくわからなかった。辛口のところもあり、茨木のり子という大変老若男女に人気がある詩人の欠点をやんわりとしかし鋭く突いて同感の感動を覚えた。「依りかからず」という詩集についての指摘だと思う。依りかからず、の依が確か違うはずだが、今思いあたらない。
 どんな作品を書く人か、紹介した方がはやいだろう。
 「二人」というタイトルで世界文学で有名な、オブローモフについて書いた3ページほどの小文だ。
 青年オブローモフは怠け者の代名詞となっているほどの世界文学で紹介されている主人公で日がな一日ベッドで暮らしている。大地主の家の生まれだが、今は都会の片隅で暮らし、遠い田舎からの収入をあてにして、全く働かない。
 窓を閉め切り、寝てばかり。どんどん太る。家のなかでも動けないほど。それでも夜中に起きて台所でむしゃむしゃ食べる。見つけた老僕ザハ―ルに「それはいけません」ととがめられるが、オブローモフの怠惰な生活は一向に改善されない。
 知的な友人シュトリッツは努力するがうまくいかない。でもいいところを知っているので彼を支え続ける。
 オブローモフの、子供の時からの友達アレクセーエフが荒川氏には印象的だ。
 従順な聞き手であり、何にでも服従し、何にでも賛成。子供と子供の間に挟まるものはないほど二人はぴったりと寄り添い合っている。これから先もずっと何もない、といった感じで二人は結ばれているのである。えがたい。
 次の文章にオッと耳を傾けた。
 自分の意志を持って生きる、近代人の世界はここにはない。それとまったく反対の人生を生きる人の姿だ。アレクセーエフもまた、そのひとりである。でも彼らがときおり浮かべる穏やかで、素直な表情は、ぼくをつよくゆさぶる。そして、こんなことを思う。
 自分というものを持って生きようとすることは、ある意味でむなしいこと。もしかしたら徒労ではないか。自分というものを持って生きることよりも、それをもたないで、生きることの方に、しあわせがあるのではないかと。
 そうかもしれないと思う。
 対極にシベリアで自分を見失い、釈放後生涯自分というものを持つことにこだわった石原吉郎の姿。半ば自殺に近い死を選んだ彼を考えると、自分というものをもたないほうが確かにしあわせだ。
 私自身を考えても、自分というものをもたないで生きれたら、しあわせだと思う。
 自分はついてくる。どうしても。どんな場面にも。
 それを忘れるにはどうしたらいいか。
 音楽の忘我の域に入ること。本を耽読して自分自身をすっかり忘れること。
 考えて見れば、現代人は、みな同じ感想を抱いているのではなかろうか。
 自己責任論が流行ったり、心理学カウンセラーがもてはやされたり、世の中は自分を見つめようとする風潮が蔓延している。
 1日に何度でもと言わない。それにずっと続いてくれとは望まない。
 それでも、自分をもたないで生きることの生活に強い憧れを感ずる。
 荒川洋治はいつも短い文のなかで温かく、ほっとするアドバイスをしてくれる。
 だから新刊が出るたびについ読んでしまう作家のひとりなのである。 
                                        (完)
  
 自分の言葉でものを考える、ものを述べる、その習慣を失って久しい。読書日記は別として、『風の吹くまま』の自分の考えを述べるジャンルでも、本の影がちらついて、引用、その解釈に終始する。読み返してみて悪しき例を見い出して恥ずかしい思いをする。先だって書いた「せんなきかな、人生よ」も「形影相弔う」の孫引きで強引に話を持っていって、今読み返してみても苦い思いがする。
 ところが自分の言葉でものを論ずるということが難しいのである。広範な知識も教養もない器量でつい他者の言葉を援用せざるを得ないことになる。
 よく考えて見ればすぐわかることだが、文章を書くということは何らかの本、何らかの事件、何らかの心境の昂りなどから、材料がない限り成り立たないものである。
 このブログを立ち上げようと7,8冊の本を拾い読みした。こころに残るものはなかった。
 強いて言えば、石原吉郎の経験が残ったくらいか。
 コルホーズで強制労働している石原たちに食事の時間がやってくる。立ち働いていたおばさんたちが当たり前のように「食べましょう」と食事を進めてくれる。粗末な食事だったが、強制収容所の食事を食べている彼にとっては目の覚めるような美味でつい食らいつくように食べてしまう。お代わりもまるで飢えにさいなまれた(事実そうだったが)獣のようにあっという間に平らげてしまう。それを見ておばさんたちに沈黙がひろがり、目の前の老婆は涙をこぼすのである。
 それだけが印象にありありと残っている。だがそれだけである。
 もともと自分の言葉でものを述べるといってもことさら言うことはないのであるというのが身も蓋もない事実である。
 テレビ出身の大阪府知事には一行も割きたくない。少なくともいまは。時事問題に筆を及ばせる胆力も知識もない。他者の優れたブログを読むと固有名詞はバンバン出てくるわ、論理もしっかりしているわで、敵いやしない。5千万ヒットというブログは有料で読ませているが、確かにすごい。しかしどこかピントが外れている感がしなくもなく、滑稽にすら思ってしまう。
 ほとんど彩りのない生活。引きこもり同然の日々。生き生きとしたあの頃の知的好奇心はどこへ行ってしまったのだろう。
 知的好奇心は消えていない。図書館に行って本にかこまれるとめくるめく思いで興奮に誘われる。それを次々に片端から昇華し、かみ砕き、排せつする機能が弱まったのだ。
 全共闘。アントナン・アルト―、エコ・ロゴスなどを一生懸命追っていた時代が懐かしい。
 よく言えば、「枯れた」、悪く言えば「衰微した」自分がここにいる。
 ここまで読み返してみて、見事に何も言っていないのに改めて気付いた。
 ただ文章を書き流したい、浮遊したいという気持ちが文を紡がせている。
 いま図書館から借りている本はすべて返却するつもりである。そして心底に自分を啓発し、心を動かしてくれる書物を借りてくるつもりである。
 「読書新聞」が3週間分たまってしまった。そこで興味を持った本を今予約している。それ以外にも手帳にメモとして読むべき本として残した本を借り、なんとかせねばならない。
 すさみをなくさなければならない。下記で辺見庸氏が書いているように。(結局他者の文章を援用することになるが)
 
 私の場合、すさみはおそらく胸底の<断念の沼>からもやもやとガスのようにわいてきている。物事を突き詰めて考えることを徒労と感じさせる悪水が断念の沼にはとどこおっている。怒りの表明を<どうせ無意味さ>とせせら笑うカエルたちが断念の沼にはたくさん棲んでいる。考えを掘り下げ行動する経路を手もなく脱臼させ無力化させてしまう沼気が断念の沼からはたえずわき上っている。
                   「断念の沼のカエルたち」『水の透視図法』辺見庸所収
 
 あまりにも今の心境にぴったりなので引用した。あれも言っても同じ、これを主張しても同じ、そんな諦念に似た断念のこころがいま私を支配している。考えを掘り下げ行動する経路が絶たれてしまうような<断念の沼>、どちらでも同じさというあきらめに似た断念がいまの私にはある。
 それは何ものも生まない。それがすさみをわかせるもとである。
 だが向上心はある。短歌を休みっぱなしの1週間であったけれども。
 ものを述べるためにも本を貪欲に読みたいという意志はある。
 また辺見庸氏の文章を援用させてもらったが、見事に何も言っていない文になった。 
 明日あたり、コンピュータの図書館予約で、メモに書き留めた本を本当に最初の方から未読が多いから予約していこう。
 寒い。ヒーターをつけているのである。ああ、おいしいメロンパンが食べたい。
 かくも何も言うことがないと支離滅裂になってしまうのである。
 願わくは、読んでああよかったと読み手に感じ取ってもらえるような文を書くこと、それに尽きる。
 しかし<断念の沼>からは、それがどうしたというささやきが聞こえるのである。どうでもいいではないか。同じことだ、と。
 困ったことだ。
                                                (完)

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