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同日 昼(同)
私は港から帰る電車に乗った。顔は真っ赤に日焼けして、腕も足もヒリヒリしていた。
ダーク・ブルーのポロシャツとGパン、白い運動靴、黒の大きいショルダー・バッグ。どこでも、電車の
中でも、駅の前でも、町の中でも、女たちは綺麗で、そして旅人を見る目で私を見た。目を逸らしたら、
もう私を忘れ去ってしまう眼で。
どこでも人が溢れ返っていた。島にさえ、六百人の人間がいたのだ。しかし、ここでは彼等が何千人も
いて、喋り、笑い、道に溢れ返ってせかせかと歩いていた。人、人、人、人。少しずつ、島で見て、聞い
て、立ち止った何かが、私から削げ落ちていく。人が私からそいつを奪い去っていくのだ。
私は耐えきれず何度も何度も路地に足を踏み入れた。小さな家の連なりが太陽の下で相変わらず喘いで
いた。私は逃げ出した。
それから、私は女の顔を追い求めた。私をひっとらえ、心臓を止めさせ、立ち尽くさせる女の顔を。気
品のある美しい顔があった。ルージュを厚く塗った異国の娼婦の顔があった。小鹿のような目をした若い
女の顔。細い、ほの白い、まだ女の顔になりきっていない少女の白皙の美しさ。
だが、すべてはあちら側だ。ただ、川面で、小石の間をすり抜ける蛇のように彼女たちは私をすり抜け
ていく。
そして、乗り換えで、また電車だ。
すでに中はすしづめで、大きいショルダーバッグを肩にかけて、座席に座れないまま、人,人、人の間
に立って、私は放心したように外を眺めた。中規模の都市の乗り換え駅で何十本もの列車が引っ切り無し
に入ってきて人を呑み込み、吐き出し、また出ていく。普通列車なのであらゆる人種が乗り込んでいた。
ネクタイで首を絞めつけたサラリーマン、老婆、若い女の子、若者、誰もが押し黙って、時折り若い娘た
ちの哄笑が聞こえるだけだ。私は浮いていた。顔は真っ赤に焼け、ショルダー・バッグは大きすぎて網棚
に乗せられず肩に掛けていた。旅人の姿だった、それも時代遅れの。同類はいたが、大概は二人連れだ
し、もっと軽装だった。眼をさ迷わせていたが、再び外を見た。
向かいに長距離を走る、比較的座席のゆったりとした列車が停まっている。当てもなく眼を動かした。
列車の中は熱が遮断されているようだった。クーラーが効いているのだ。しかし、私達との列車の間に、
ホームの庇に、むき出しの線路に、火はパチパチと弾けて溢れ返り、列車を灼き、大気を火ぶくれにし、
人々を打ちのめしていた。プラットホームに立つ誰もがばらばらに立って、顔を歪め、心なしか縮んでし
まって見えた。だが、向かいの列車には冷房が効いて、みな生き生きと見えた。カップルの笑顔、赤ちゃ
んを抱いた若い女性。サラリーマンが鞄の上で、広げた書類を一心に読んでいる。ビールを啜りながら。
ところがこちらの列車は扇風機しかなく、暑さのせいで誰もが額の汗を滲ませている始末だ。
数時間立ち尽くした後、またあの生活に戻るのだ。もう旅情なんて心のどこを探してもなかった。太陽
でなく、その思いと、どこへ行ってもけち臭い人の群れの思い出が私を打ちのめした。視線は思いにつれ
て人々にさ迷った。そしてどこに行っても固く跳ね返され、真正面に戻らざるを得なかった。
若い母親は赤ん坊と口で遊んでいた。口を合わせ、舌を赤ん坊の口の中に差し込み、赤ん坊の舌と絡ま
せていた。深く舌を突っ込み、何度も何度も顔を振りながら、ディープ・キッスを止めなかった。そして
こちらに目をやり、視線が合った。彼女は眼を逸らさなかった。赤ん坊と舌を絡ませるのは止めずに。そ
の視線は恐ろしく挑発的だった。私はひるんで眼を逸らした。だが、すぐに戻り、そして再び視線が合っ
た。私は眼を閉じた。
あの宇宙だ。
同日(同) 帰宅
ワン・ルーム・マンションに私は息も絶え絶えに戻りついた。バッグを放りやった。窓を大きく開け
た。ムッとする熱気が押し寄せた。しばらくして閉めた。
私はポロ・シャツを脱ぎ、Gパンを取り、ブラジャーを外し、下の薄物も脱ぐと、シャワーの下に立っ
た。冷たい水を激しく受けた。痛かった。私はもっと痛くなるようにコックを廻し、水を激しく、し続け
た。すべてを痛みの中に感じたかった。全部、すべてを。
(完)
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