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「安保粉砕」
なんて言葉ももはや何の意味もない。
あのころ僕らを追い立てたものに僕らは少なくとも反抗した。しかし今は忠実な僕(しもべ)となって
ついていこうと走っている。
階段をまた二段跳びで上がっていく。
「安・保・粉・砕。安・保・粉・砕!」
地上に出る。
速足で歩く。
「危ないわあの人」
僕は思わず振り返る。
若い女が二人いて背を見せて去っていく。
「飼い犬が!」
僕は立て看板を足で蹴る。布製のちゃちな作りの看板は真っ二つに割れる。
横に並んだ自転車を足で蹴り倒す。
旭屋書店の前を通る。
本なんて人から時間を奪い去る姑息な媒体に過ぎん。
真実から眼を逸らす。
「生き延びたよ」
向かいのサラリーマンの二人連れに言う。
「単にそれだけに過ぎんじゃないか」
脚がどんどん速くなる。
足立宝石店の前を通り、三和銀行を過ぎ、歩道橋にさしかかる。
そのまま上がっていって歩道橋の上に立つ。
みな残業しているのか、ここから見える駅前第三ビルの明かりはほとんどついている。
車が数十台も通り過ぎてゆく。
歩道橋の上で大声で叫ぶ。
「くそったれー!」
少し小さく
「気は狂ってないぞ」
手を振り上げて
「遺言執行人!」
歩道橋を降りてまた自転車が違法駐車しているので蹴り倒す。
「総括や」
「資本主義粉砕や」
「プチ=ブルども」
「ブルジョワども」
「暴動や」
「体制騒乱や」
次から次へと言葉が口をついて出る。
足はどんどん進む。
淀屋橋に出る。
そこでやっと足が止まる。
僕は欄干に体を預けて下の蒼黒い水をのぞき込む。
身体を乗り出してみる。
一ちょ、吉田君みたいに、この僕の息の根を止めてやろうか。
だが、水の流れを見るうちに、自然に僕の気持ちは落ち着いてくる。
水はゆったりと流れ、僕は目が離せない。こんな冷たい水の中に飛び込むのは御免だと思う。水は堂々
と流れている。ビルの明かりが映っている。さざ波が立ち、風があるのが分かる。
「おれはまだ大丈夫だ」
そっと呟いてみる。
「ただ疲れているだけだ」
中之島公園に降りていく。さすがに真冬なので、アベックは見当たらない。階段を降りたところにベン
チがあり、僕はそこに座る。
煙草を取り出して、火をつける。どうやら切り抜けられそうだ。おれは疲れ切っている、と僕は思う。
参りかけていたんだ。
気持ちがすっきりしているのが分かる。
僕は
「守ったぞ。守ったぞ」
と呟いている。
明日からまた戦場だ。
だがやっとそれに立ち向かう気力が湧いてくるのを感ずる。
気が狂うのは逃避なんだ。
恋人とでも会えばよかったのだが、僕にはいない。まったくの一人で、それで首尾一貫している。
僕は
「大丈夫だ。おれは守ったぞ。守ったぞ」
と、低く呟いていた。
夜はようやく、その優しく人を抱擁する貌を見せ始め、そしてゆっくりと更けていった。
(完)
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