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法――精神分析の第四の誤推理:抑圧された者の移動、あるいは歪曲
私たちは、オイディプス三角形の形態、その再生産、その(形式上の)原因、その方式、その条件を分析しようとした。しかし、私たちは、この三角形を決定している現実的な力、現実的な原因の分析を後回しにしてきた。
それは社会的抑制であり、社会的抑制の諸力なのである。まず抑制と抑圧の固有の関係があり、もう一方に抑制――抑圧のシステムにおけるオイディプスの特殊な状況がある。
抑圧は、無意識の十全な表現としての、オイディプス・コンプレックスに対して働くのか。
オイディプスが欲望されるとすれば、まさにオイディプスに対して抑圧が働いているからである。
『なしくずしの死』(セリーヌ)の不死なる父は、こう叫んでいる。では、お前は私を死なせたいのだな。それがお前の望んでいることだ。さあ白状しろ。しかし私たちはそんなことは何も望まなかった。私たちは、ただ潔白と平和のみを欲し、私たちのちっぽけな機械を工作することを人が放っておいてくれることを欲していただけなのだ。
あたかも、抑圧から抑圧されるものの本性を、また同様に、禁止から禁止されるものの本性を直接に結論しうるかのように人は振る舞っているのだ。ここには、典型的な誤推理が、もう一つの、第4誤推理があるが、これを 置換と名付けるべきだろう。
市倉宏祐「現代フランス思想への誘い」
3.欲望する生産の構成
生産活動と生産物との一体化
生産活動と生産物とが一体であるということは、事物がここに識別される外延の世界にではなくて、いわば流動的な強度(内包)の世界にあるということである。欲望する諸機械は、自ら流動する質量エネルギーの活動であるとともに、絶えず循環するコミュニケーションのを通じて組み換え生産される生産物なのである。ドゥールズ=ガタリはこうした生産の過程を流れと切断の工作する関係として捉えている。
ドゥールズ=ガタリは、唯物論的精神医学psychiatorie materlisteを確立することを標榜しているが、ここでいうmatiereは端的に物質と訳するよりはむしろ質料と解する方が妥当であるように思われる。
唯物論と行った概念で理解すると、直ちに観念論に対立するものと解され、近代の認識論の中にとどまる感があるが、ドゥールズ=ガタリのマティエールはむしろ質量エネルギーとして一切の実在形象(形相)を支えるものなのである。
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