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主任の笑顔が目の前にあった。 【大成功だ! プラスも戻り、しかも、すっかり回復している】 私は力ない笑みを浮かべた。 【薬の影響が心配だから君たちを内科でみてもらう】 私は彼女の方を見た。眼をうっすらと開けようとしている。飛んでいって、頬ずりして、帰還を喜びたい衝動が私をとらえた。代わりに私は言った。 【プラスをよろしく頼みます。私は大丈夫だから】 看護婦が私の手枷と足枷を取った。同じようにプラスの物も取った。プラスはまだぼんやりしているように見えた。 主任は報告は後で聞く、君の成功は素晴らしいと言って去った。看護婦は私に待ってくれるように言い、プラスを立たせた。足がおぼつかない。 扉まで行って、ゆっくりプラスは振り返った。そして私の顔を見た。誰か、肉親とか、大切な人を見たかのように、顔がなごんだ。 【私たちの過去はまやかしだけど、あの過去は本当ね?】 彼女が心の中の言葉で言った。 私は何を言われたのか見当がつかなかった。 彼女は看護婦の手をゆっくり振りほどき、横たわっている私の所へ来た。 彼女の顔が近づき、私の唇にそっと彼女の唇が触れた。 【これ。遠い過去は忘れ、近い過去から始めましょう】 内科の診察を終えて家に帰ったのは、朝の六時半だった。母が朝の支度に立ち働いていたが、私を見て「おはよう。泊まりの勤務も大変ね」といい、「まあ」と私はいい、私の部屋へ入った。いつものたたずまい。
私は精も根も尽き果てていたが、眠る前にやらなければならないことがあった。 私はいままで書き続けていた小説『神々の糧』の分厚い原稿を束ね、部屋を出て、ガレージに入った。少しだけガソリンをかけた。ポッと火が点くと、私の無は、炭素の散らばった塊になった。 朝飯を取ると部屋に戻って、私はベッドに身体を投げ出し、眠りこんだ。 やがて夕暮れと大地の風が私を起こした。風は私のこめかみを爽やかにした。 本当に、本当に、その、風が吹き過ぎていく瞬間にはじめて、あの記憶以来初めて、私は私が許されていることを感じた。 誰もが許されている。 娘の自殺を見なければならなかったダガー氏も。生まれ出る生命を葬ったプラスも。そして私も。 この、憂愁に満ちた大地の夕暮れの中で、私は私が解放されているのを感じた。 私は日記を出した。 いつもの通り、私は「今日も何もなかった」と書きだそうとした。 その代りに私は書いていた。 「短く書くことにする。 今日は何かがあった。何かはよく分からないが。 世界の向こうに光が見える。 そして、もし、神がいるならば、私たちに微笑んでほしい」
(完)
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