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宇部市市小野(いちおの)・平原と山口市嘉川を結ぶかつての生活道。 現在では地元の人か山歩きをする人くらいしか通らないこの道に、塩見峠という峠があります。 今回はそのご紹介を。 嘉川の北西部、東本郷という集落から山へ入ります。(写真右側の道です) 道なりに進むと道は徐々に本格的な山道になってきます。 道中このような石橋が何箇所かありました。 昨夏の集中豪雨の影響か、道が深くえぐられ、大きな石がごろごろしている所もあります。 倒木を越えたり、くぐったりしながらようやく塩見峠に到着。 生活道としていつ頃整備され、またいつ頃まで利用されていたのか判りませんが、切り通しの両側にはきれいに 石垣が積まれています。 峠の頂から北側(市小野・平原方面)を見たところ。 所々崩落している箇所もあります。 今来た道を振り返ります。(嘉川方面) 土砂や落ち葉などが堆積して道は嵩上げされていますが、それでもこの切り通しは結構深い。 切り通しを抜けた辺りに何故かカエルが。 冬眠中じゃないの? ここから平原岳(かつての宇部市最高峰)へも行けますよ。 ※『塩見峠』はここです。
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史跡
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宇部市二俣瀬の車地というところにある『えんこ塚』です。 「えんこ」とは「かっぱ」のことですね。 この写真左側、山へ少し入るとビオトープもありますよ。 むかし、厚東川に「ションヶ瀬」という急流があったらしく、ここに子供が一人で泳ぎに来ると”えんこが引く”と 言われていたそうです。 その「えんこ」が捕らえられ、埋められたのがここなんですと。 この塚に関してもう少し違う話も聞いた(読んだ)ような記憶があるのですが、確証がないのでまたの機会に しましょう。 ◆参考文献 ・二俣瀬史跡伝説案内(平成18年) ※『えんこ塚』はここです。
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宇部市の東部、山口市(旧阿知須町)と境を接する東岐波地区は昭和29年(1954年)10月1日、合併に より宇部市の一部となりました。 この石碑は東岐波の磯地という所に建てられています。国道190号線のすぐ脇(西福寺の向かい)なんですが、 こんな所に村役場はあったんですね。今の様子からは想像出来ません。 不思議なことに、役場があったのは昭和26年(1951年)8月までと記されています。 この後、合併までの3年間は別の場所に役場が存在したのでしょうか?新たな謎が生まれました。 やっぱり、この石碑が無かったらここに村役場があったなんて判りっこないですね。 東岐波郷土誌研究会の皆さん、ありがとうございました。 ※『吉敷郡東岐波村役場跡』はここです。
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阿武郡阿東町徳佐中の中市に残る旧椿家の門です。 立派な門ですが、近付いて見ると相当傷んでいます。 椿家は江戸時代に代々大庄屋を務めた家で、徳佐村に3軒あった本陣の内のひとつです。 毛利家6代藩主宗広、7代藩主重就が椿家に宿泊したこともあったらしいですよ。 (「歴史の道調査報告書5 石州街道」より)
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宇部市中山の『乱刀ヶ鼻』です。 これだけでは何なのか判りませんよね。 もう一寸寄ってみます。 実はこういう謂れのある所だったんです。 物部守屋を祖とする長門国の名族厚東(ことう)氏は南北朝〜室町前期の長門国守護で、宇部市厚東の棚井を 本拠地としていました。 ここに書かれている義武公(17代)が記録に残っている最後の当主です。 同じく名前が挙げられている厚東伯耆守武倫は義武公の従兄弟と書かれていますが、 残念ながら系図にはその名がありません。 一寸離れた所から見てみるとこんな感じ。 すぐ前を通る道は県道342号線です。 上の写真のさらに右(東)の方を見るとこうなっています。 現在は向こう側が山、手前に田んぼが広がっています。 地名から察するに、当時は手前側(田んぼ/低い所)が海(入江)だったのではないでしょうか? 『乱刀ヶ鼻』の「鼻」は岬のことだと思われます。(他にも「鼻」の付く地名はあり、やはり岬になっています) もしかするとここから船で落ち延びようとしたのかも知れませんが、残念ながら推測の域を出ません。 ※『乱刀ヶ鼻』はここです。
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