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紅葉がとにかく素晴らしかったです。 ▲唐沢山城址の紅葉1 ▲唐沢山城址の紅葉2 ▲唐沢山城址の紅葉3 ▲唐沢山城遠景 ▲天狗岩 〜現地案内板より 物見櫓のあったとこで南面に出た岩がちょど天狗の鼻の様であったためこの名がある。 なお、天狗岩のたもとが大手で枡形になっていました。 ▲唐澤山城址の案内図 かなり広い山城です。北城方面および根小屋神社方面は行けてません。 ▲大炊の井 〜現地案内板より 築城のさい厳島大明神に祈請をしその悪霊により掘ると水がこんこんと湧き出たとのことである深さ9米直径8米あり今日まで水がかれたことがない。 ▲神橋 〜現地案内板より 旧名曳橋といい四ツ目堀堀切に架けられた吊橋にて架撤自在のものなりと伝えられる。大正15年皇太子殿下御成婚記念として地元高齢者の寄進による。 ▲四つ目堀 〜現地案内板より 神橋の下の堀をいう。水のない「から堀」で当時もっと深かったと思われる。なお神橋も当時は外敵にそなえ使わない時は引きあげてしまう曳橋であった。 ▲さくらの馬場 〜現地案内板より 昔武士が馬を訓練した処でさくらが多いところからこの名がある。 ▲唐沢山神社への参道の様子 ▲南城跡 〜現地案内板より 本丸より南方向にある所から南城と呼ばれる。城はいくつかの曲輪(一定の地域を限り、その周囲と区別する為に設けた囲い)により構成されています。その呼び名には一般的に人名、方向等によって呼ばれることが多い。この南城跡は南北18m、東西36mあり、周囲は石垣をめぐらし東側には堀を設けてあります。 天気のよい時には、ここから東京の高層ビルが眺められます。 ▲引局跡 ▲神社の門に映えるもみじ ▲唐沢山神社 〜現地案内板より 当神社は御祭神秀郷公により平安時代中頃に築城された本丸跡に建てられております。「むかで退治」の伝説や「天慶の乱」の鎮定等から武勇に勝れていたことが知られています。又この乱の鎮定の功により鎮守府将軍に任ぜられました。その後七百年の間多少の変遷はありましたが江戸時代初期の山城禁止令により廃城となりました。明治16年一族旧臣等が公の遺徳を偲び唐沢山神社を建てました。 ▲二の丸跡 〜現地案内板より 奥御殿直番の詰所のあったところで武者詰ともいわれた。 ▲二の丸址から望む本丸 石垣がしっかり残されていて見応えあります。 ▲三の丸跡 〜現地案内板より 賓客の応接間のあったところ ●唐澤山城 〜現地案内板より
唐澤山城は、佐野市の北、高さ240メートルの山全体をいい、往時の広さ550町歩といわれ、周囲を急崖にかこまれ、眺望は、関東平野を一望に、遠く北より日光連山、西に群馬連山、秩父、南アルプス、秀峰冨士、東に筑波と、まことに自然の要塞である。 当社御祭神(藤原)秀郷公により1千年前の延長年間築城とされ、公はこの城を中心に、天慶の乱を鎮定し大功をたてられ、その功により鎮守府将軍として、関東はもとより奥州方面にまで威勢を張られた。その後700年間多少の変遷はあったが、公の子孫佐野家代々の居城として16世紀中ごろに現在の形を整えたとされている。関東7名城の1つに数えられ、中世山城の典型としての旧態をよく今に残し、代々の変遷の跡も見られ近世初期にまで下る整備の跡もうかがわれる。 江戸初期、山城禁止令により、佐野市の城山公園の地に城換となって、唐澤山城の歴史が終わるが、明治になり唐澤山神社が建てられると全山境内地となり、県立自然公園にも指定され四季折々の風景の中に、秀郷公以来の歴史が偲ばれる。 にほんブログ村 城・宮殿 ←城ブログがいっぱい! にほんブログ村 戦国時代 ←戦国ブログがいっぱい!
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毎度のTB、ありがとうございます。
こちらも逆TBします。
2011/9/21(水) 午後 11:58