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2010年5月に行ってきた富山城です。 整備工事中でしたが見所は見る事ができました。 工事完成が楽しみです。 博物館も営業していましたが、体調不良で残念ながら断念…。 戦国時代は佐々成政の居城として、 江戸時代には富山前田家の居城として富山藩政の中心であった城です。 100名城には入っていませんが、十分見応えのある遺構でした。 ▲二の丸からの眺め ▲本丸への土橋と鐡御門跡 ▲水濠に映える模擬天守 ▲富山城址案内図 ▲二の丸付近からの眺め ▲富山藩第二代藩主・前田正甫像 〜現地解説板より 富山藩第二代藩主。初代藩主である父利次の後をうけ、文武の振興を図り、新田開発や産業育成など、藩政の充実に力を注ぎました。正甫本人は古銭収集家という文化人としての性格も知られています。正甫は富山売薬の基礎を築いた人物としても有名です。それは「反魂丹伝説」という形で語り継がれています。元禄3(1690)年、正甫が参勤交代で江戸城に登城した折、とある大名が激しい腹痛を訴えました。そこで懐中に常備していた「反魂丹」をすすめたところ、たちどころに治りました。その様子をみた諸大名は「反魂丹」の効能に驚き、自分の領内での販売を求めるようになったため、正甫の命で諸国に行商させたのが富山売薬の始まりであるという伝説です。この伝説により、正甫は「富山売薬を広めたお殿様」として、いまでも市民の間から親しまれているのです。 この正甫像は、昭和29(1954)年に建てられました。原型は佐々木大樹、鋳造は高岡鋳芸社によるもので、台石を合わせて高さ約10mに及びます。 ▲千歳桜の碑石 〜現地解説板より 江戸時代、富山十代藩主前田利保が藩主の座を第六子利友にゆずったあと嘉永二年(1849年)5月28日新しく東出丸(現在の桜木町一帯)に千歳御殿を築城した。 利保は千歳御殿に移り、桜を多く植えて風致を添えたので千歳桜といった。 後代、桜が老化したので昭和9年風雅会が35周年を記念してこの碑を建て新しく松川の堤に桜の植樹をおこなったので県下でも有数の桜の名所になっている。 〜松川のまつのちとせをその名にてつつみのさくらとはにかをらむ〜田村直喜 ▲千歳御門 ▲武者走り ▲鉄御門付近の石垣 ●富山城 〜現地解説板より
昭和29年、富山城址一帯で富山産業大博覧会が開催されました。これは昭和20年8月2日未明の空襲によって、壊滅的な被害を受けた富山市街の復興事業完了を機に開催されたものです。その際、記念の恒久建築物として建設されたのが富山市郷土博物館(富山城)です。旧本丸鉄門跡の石垣上に建てられた、鉄筋コンクリート造りの建物で、望楼を乗せた三重四階の天守、二重二階の小天守など、城郭の意匠でまとめられて設計されており、戦後の天守閣建設のさきがけとなりました。博覧会の会期中は、「美の殿堂」として各種の展覧会が開催され、最上階からは富山市街のみならず立山連峰が一望できたため、多くの人で賑わいました。 会期終了後は郷土博物館として活用され、郷土のことを紹介する中心的な博物館であるとともに、中心市街地のランドマークとして広く市民に親しまれています。 平成15年からは約2年をかけて耐震改修工事を行うとともに、内装を一新し、より多くの人々が訪れやすいよう整備が行われました。 建設から半世紀を経た本建物は、富山市のシンボルとして、また、戦災復興期を代表する建築物として、平成16年に国の登録文化財として登録されました。 にほんブログ村 城・宮殿 ←クリック!城マニアのブログがいっぱい! にほんブログ村 戦国時代 ←クリック!戦国マニアのブログがいっぱい!
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TB有難うございました。
大分きれいになった感がありますね。
古い記事ですがTBさせていただきますね。
2011/8/23(火) 午前 0:26