|
▲下乗橋から望む現存天守 定番の眺めです! 現存12天守の1つ、弘前城。 2010年8月に念願の登城を果たした時の写真です。 天守だけでなく5つの門と3つの櫓も重文としてしっかり残され見応え抜群! その1では、 一陽橋口の駐車場に車を停め、四の丸、三の丸、南内門から二の丸へ入ります。 ▲四の丸護国神社 一陽橋を渡ってすぐのところにあります。 ▲重要文化財 四の丸北門(亀甲門) 〜現地看板より 弘前城には、現在5棟の城門が残されているが、この北門は、これらの中でも特に規模が大きく、また形状も異なり最古の形式を呈する城門である。 北門は、もと大光寺城(現在の南津軽郡平賀町)の城門を慶長16年二代藩主信枚が築城にあたり弘前城追手門として移築再建したもので、昭和33年の保存修理工事に当たって、柱などから多数の矢傷跡が発見されている。 弘前城は、移築以来実戦の経験がないため、この北門が城郭内で唯一の実戦の痕跡をとどめる貴重な城門である。 また、棟の両端にある鯱も他の門のものより古い形式のものである点、矢狭間、鉄砲狭間のない点など、見るべきところが多い門である。 ▲四の丸 ▲賀田御門跡 〜現地看板より 築城当初は北門が表玄関で、ここにあった賀田門は、三の丸の北門として旧賀田城(岩城町大浦城)の大手門を移築したと伝えられる。門の内外は直進できないように折れ曲がった枡形が造られていて、堅固な備えを見せている。 ▲重要文化財 東門 賀田門を入らずに丑寅櫓を右手に見ながら三の丸へ抜けて… ▲津軽為信公像 東門の外、弘前文化センターにしっかり立ってます。 ▲重要文化財 三の丸追手門 〜現地看板より 弘前城には、築城当初十棟の城門があったとされているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の五棟が残されている。 弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた二層の櫓門であるが、門の前面に特別の門(高麗門)などを設けていないことや、一層目の屋根を特に高く配し全体を簡素な素木造りとしていることなどから、全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。 ▲杉の大橋 〜現地看板より 南内門外の大橋に当たり、名称は杉材を用いた橋ということから付けられたといわれる。文政4年(1821)に濠の両側が石垣となるとともに、桧材によって掛替えされた際に欄干・擬宝珠がつけられたものである。 ▲重要文化財 南内門 ▲重要文化財 二の丸未申櫓 〜現地看板より 城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られたもので、防弾・防火のために土蔵造りとなっている。現存する3つの櫓はいずれも三層建てで同じような姿であるが窓の形など細部の造作に違いが見られる。櫓の方角を十二支で示したもので、未申は南西に当たる。 ▲時太鼓櫓跡 〜現地看板より 城内で時間を知らせるために太鼓を打ち出した場所で、貞享3年(1686)に始められた。時太鼓は、まず数十回捨て打ちして明け六つ(午前6時の前後2時間)を打ち、他の時刻は3回捨て打ちしてから打つという。明治4年(1871)の廃藩置県後に三の丸にあった稽古館とともに、最初に解体された。 (その2に続く) ●史跡 津軽氏城跡 弘前城 〜現地看板より
弘前城は、津軽藩主代々の居城で慶長16年(1611)に二代藩主津軽信枚によって築かれた城である。 面積約49万2千平方メートル(約14万9千坪)を有し、本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の六郭よりなり三重の濠と土塁でめぐらされた城郭である。 現在城跡には、天守閣をはじめ隅櫓3棟、城門5棟の建造物が残されており、いずれも重要文化財に指定されている。 |
全体表示
[ リスト ]




はじめまして。
私も先日から日本百名城めぐりを始めました。
すでに行った事がある城も再度チャレンジします。
弘前城には10年近く前の桜の季節に行ったことがありますよ。
2011/9/13(火) 午前 1:22 [ Omoni ]
Omoniさん、コメントありがとうございました。
桜の弘前城を見たのですか。うらやましい限りです。
2011/9/17(土) 午後 10:54
TB有難うございました。
逆TBいたします。
よかったらまたご訪問下さい。
2011/9/18(日) 午後 11:26