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昨年行ってきた長野県の戸隠神社奥社です。 古くから遺る杉並木の参道を約40分歩いてのお参りです。 いかにも神が住んでいる光景に、 汗びっしょりになりながらも心豊かなお参りでした。 ▲参道入り口の看板 片道40分と書かれていても歩く準備万端です。全然ひるみません。 ▲参道入り口 帰ってくる人たちはみな、汗びっしょりです。 ▲随神門 参道を15分ほど歩いた中間地点。ここをくぐると見応え抜群のクマスギの並木です。 ▲奥社参道杉並木 〜現地解説板より 慶長17年(1612年)戸隠山顕光寺(現神社)は千石の朱印地を拝領した。以後顕光寺を中心として大門通りをつくり、坊はその道側に集め参道や境内には植樹し杉並木をつくり一山の威容を整えた。現在の杉並木はその時代に植樹され約400年である。 ▲奥社院坊跡 〜現地解説板より 奥社随神門(旧仁王門)の内側道側左右にある嘉祥3年(850年)以来戸隠権現に奉仕した院坊の跡である。 明治維新後神社となり国有境内地になった為にここにあった院坊は中社、宝光社に住居を移した。 ▲奥社手前の石段 この石段を登り切れば奥社です。 ▲戸隠神社・奥社 〜現地解説板より 御祭神 天手力雄命(あまのたちからおのみこと) 御由緒 御鎮座年代古く人皇第八代孝元天皇の五年(皇紀207)と云われ、神話に名高い天照皇大神が御弟神須佐之男命の、度重なる非行に天岩屋戸にお隠れになった時、天岩戸をお開きになった、神力無双の神で開運守護・五穀豊熟・家内安全・諸災消除の神として、国民の弥栄の上に高大な御神徳を恵み給う大神です。 ▲戸隠神社・九頭龍社 〜現地解説板より 御祭神 九頭龍大神 御由緒並びに御神徳 地主の神で御鎮座年代古く天岩戸が化成したと謂われる戸隠山の守護神にして神代の岩戸隠れの変に御功績を立てました本社の御祭神である天手力雄命を当山にお迎えした大神で水分神・水口神・五穀豊熟・魔除けの神・虫歯の神・縁結びの神として御霊験あらたかに国民の多幸弥栄の上に高大なる御神徳を恵み給う大神です。 ▲奥社の遠景 背後は神々しい戸隠山。二社のご朱印をいただきました。 ▲大講堂屋敷跡 〜現地解説板より 戸隠山は修験道の道場として鎌倉、室町時代は殷賑を極めました。 この大講堂は堀河天皇の承徳2年(1098)に建立されました。 間口24.3m・奥行き13.5m・礎石60個。 ▲オオシラヒゲソウ 草花はあまり詳しくないのですが珍しいのでしょうか。綺麗に撮れました。 ▲戸隠そば これ食べなかったら戸隠に来た意味がないですね。 ●長野県史跡 戸隠神社信仰遺跡
戸隠神社は、奥社・中社・宝光社の三社からなっている。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていた。 縁起によると学問行者が修験を始めた年代を嘉祥2年(849)頃としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源となったという。その後200余年を経て康平元年(1058)に宝光院が、さらに寛治元年(1087)に中院が開かれたという。明治の初めの、神仏分離により、寺を廃し、奥院・中院・宝光院をそれぞれ奥社・中社・宝光社と名称を改めた。 中世には、戸隠山は、武田、上杉の争乱に巻き込まれ、甲越両軍の戦略によって絶えず危機に脅かされたので、三院の衆徒らは、一時、大日方氏の領内水内郡小川の筏が峰(現小川村)に移り、約30年の歳月をここで送った後に戸隠山に帰った。 修験の山の旧態がなおよく保存されている奥社・中社・宝光社及び筏が峰三院跡(奥院跡・中院跡・宝光院跡)が史跡指定となっている。 なお、奥社・中社付近の考古学調査は、昭和38年(1963)から昭和40年(1965)にかけての戸隠総合学術調査の一環として行われ、講堂跡をはじめ数々の遺構などが明らかにされている。 |
神社仏閣
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歴史に残る有名な神社や仏閣もお参りしています。
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牛に引かれて善光寺参り 昨年9月にお参りした善光寺です。 真っ暗闇の中を約45m歩く「お戒壇めぐり」はご利益バッチリです。 ▲山門近くの土産屋さんにて ▲仁王門手前の参道 ▲仁王門 ▲仁王門を通過すると山門が見えてきます ▲善光寺山門 ▲山門に掲げられる看板 この看板に5羽の鳩と牛の顔が隠されています。 ▲善光寺本堂 ▲濡れ仏 ▲六地蔵 善光寺公式HP→ http://www.zenkoji.jp/ |
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(その4からの続き) パワースポット、家康公墓所をお参りします。 ここをお参りしたら必ず叶鈴をゲットしましょう。 唐門、拝殿、本殿は工事中でしたが、内覧はできました。 ▲重要文化財・鋳抜門(椎名伊豫作) 〜現地解説板より 慶安3年(1650)唐銅で屋根・柱・壁などを鋳造し、それを組み立てたものであり、鋳抜門と称する。 当時の豪華な作風を示すもので、色調は御宝塔にふさわしく荘厳の気があふれている。 ▲重要文化財・奥宮御宝塔(御墓所) 〜現地解説板より 御祭神家康公の神柩をおさめた宝塔である。八角九段の基盤の上にたち高さは5m。 当初は木造であったが、石造に改められた五代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製(金・銀・銅の合金)に改鋳された。 鋳工椎名伊豫の作。この神域は350年弐年大祭(昭和40年斎行)を記念して特別に公開されている。 ▲叶杉(樹齢約600年) 〜現地解説板より 諸々の願い事をこの杉のほこらに向かって唱えると願い事が叶うとされている。 ▲一本燈籠 〜現地解説板より 東福門院(将軍秀忠公の娘で御水尾天皇の中宮)の奉納されたものである。 ▲陽明門(裏側) 裏側も見事です! ▲神輿舎 〜現地解説板より 三基の神輿を収む中央が家康公、右側は秀吉公、左側は頼朝卿でありいずれも重さ1120kg、天上の絵は狩野了琢の筆による天女舞楽の図である。 ▲鼓楼 〜現地解説板より 櫓造で屋根は入母屋造、裾廻りは袴腰形という。 ▲釣燈籠 〜現地解説板より 寛永13年(1636)オランダ国より奉納されたもの。ローソクの火をつけて廻転するもので廻転燈籠ともいう。 ▲本地堂(鳴龍) ここでは天井に描かれた龍の鳴き声が聞けます。 (「日光東照宮」おわり) |
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(その3からの続き) 陽明門をくぐったら、まずは家康公墓所お参りに向かいます。 ▲神楽殿 〜現地解説板より 三室に分かれていて前は舞台、後は装束の間で春秋の大祭の時、八乙女が神楽を奏するところ。 ▲眠猫 〜現地解説板より 左甚五郎の作、牡丹の花咲く下に日の光を浴びて子猫が転た寝しているところで日光を現わす絶妙の奥義を極めている。 〜この眠り猫の裏側に猫が寝ているので安心して遊ぶ雀の絵があるのですが、見忘れてました…。 ▲坂下門 〜現地解説板より この門を潜り石段を約二百段登ると家康公の御墓所奥宮がある。 ▲石段と石柵 〜現地解説板より このあたりの長い石段は、東照宮の建築の見所の一つである。 石段は、一段毎に一枚石を用い、石柵は一本石をくりぬいて作ったものである。 ▲私の好きな家康公の御遺訓です ▲唐銅鳥居 〜現地解説板より 天和3年(1683)石鳥居を改めて唐銅鳥居を建てた。御神号勅額は後水尾天皇の宸筆である。 ▲御宝蔵 〜現地解説板より 承応3年(1654)創建。外部全体を青銅で包んである。この御宝蔵には朝廷から家康公並に東照宮におくられた官符宣命等の文書を収めたものである。 ▲狛犬 〜現地解説板より 松平右門大夫正綱、秋元但馬守泰朝両氏の寄進。二氏は家康公の遺臣であり、寛永年間当宮造営の功により特に奉納を許された。 ▲重要文化財・奥宮拝殿 〜現地解説板より 参拝をするための社殿で将軍でないと昇段参拝は許されなかった。建物全体が銅板で包まれており、その上に黒漆がぬられ奥宮らしく落着きを見せた社殿である。 (その5に続く) |
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(その2からの続き) 神厩舎を背にすると目の前に立派な陽明門。 何度見ても素晴らしい仕事です。 陽明門は別名を日暮門と言います。 日が暮れるまで見てても飽きないことから名づけられましたが、 ホント日が暮れるまで見ていたい美しさです。 ▲手水舎 〜現地解説板より 唐破風の屋形柱は花崗岩で腐らぬ工夫がされている。 水盤は元和4年(1618)鍋島勝茂候(35万石)奉納である。 ▲輪蔵 〜現地解説板より 天海版の一切経を収めた建物で経蔵という。内部には、輪蔵といわれる八角形の廻転式大書架がある。 ▲南蛮鉄燈籠 〜現地解説板より 伊達政宗候(62万石)の奉納でポルトガルから鉄を運んで鋳造したもの。境内燈籠の中で最も有名。 ▲鐘楼 〜現地解説板より 櫓造で屋根は入母屋造枡組の部分が龍頭になっているのが鼓楼と違うところ。 ▲陽明門 〜現地解説板より 御所十二門の内の名称を朝廷から賜ったもの。後水尾天皇の御宸筆による勅額があるので勅額門、あまり結構善美を尽くした門で見飽きないところから日暮門ともいわれる。 ▲陽明門 ▲これも陽明門 ▲またまた陽明門 ▲東照大権現 ご存知、家康が神格化された名前です。 (その4に続く) |



