古村一雄の雑記帳

本音の議論をしない議会はいりません

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古村一雄の物語

 私は、1944(昭和19)年11月3日、大杉村(旧浪岡町)の高屋敷で、農家の二男坊として生まれました。
 小学時代は、運動会が大嫌いでした。いつもビリの私を、村の人たちがこぞって応援するからです。運動会の前日は、ケガ?、カゼ?と休む理由ばかり考えたものです。

 1963(昭和38)年、どうやら県立弘前高校を卒業しましたが、進学に失敗し、遊びほうけているうちにお金もないので、翌年、なんとなく浪岡町役場に就職しました。
 町立病院に配属されましたが、当時、給料はもちろんのこと町職員の地位は今とはくらべものにならないほど低く、また、大学をあきらめたコンプレックスもあったのでしょう、労働組合活動に熱が入り、とうとう自治労県本部書記長も経験しました。
 組合時代は、なぜかしら看護師さんや保母さんなど女性職場の労働問題解決に携わることになり、カミさんとのなれそめもその頃だったのです。

 1991(平成3)年、役場職員とは形ばかりになっていましたので退職し、県会議員選挙に社会党公認で立候補し、みごと落選の憂き目にあいました。

 1993(平成5)年、労働組合の集まりである連合青森の事務局長につきましたが、2期4年で辞め、殊勝にも年老いた両親が健在のうちに家を継いで農業をやろうと思い立ち、

 1998(平成10)年、1ヘクタールほどの畑でりんごとキヌサヤ栽培を手がけました。
犬や猫、ヤギやめん羊たちと暮らしたあの日々は、最高でした。
 しかし、農作業に不慣れな夫婦の2人3脚は、2年ほどで蓄えも底を突くほどでした。
 その頃、浪岡町長が同じ高屋敷の、父とは刎頚の友である加藤新吉氏となり、親しみやすい町政をなかば期待したのですが、粗暴な町政になって我慢できなくなり、

 1999(平成11)年、浪岡町会議員に挑戦し2期務めました。
 与野党の別なく伯仲の議論が活発な議会になりましたが、青森市との合併にあたっては、町長グループの横暴が目に余りました。

 2004(平成16)年、合併は住民投票で決めるべしと、住民投票を求める会(代表 海老名徳太郎氏)を立ち上げ、自ら事務局長につき奮闘したつもりですが、民意がまったく認められないまま合併手続きが進められ、とうとう堪忍袋の緒が切れ、町議を辞して抵抗しました。
 合併についての意見の違いから、長い付き合いの社民党からも離れることになりました。

 かくして、2004(平成16)年12月、町民は圧倒的な差で加藤町長をリコールしました。

 2005(平成17)年2月 余勢を駆って私は47日間の浪岡町長になりましたが、時すでに遅く、今日の有様となってしまったわけです。
 
 いつ頃からこうなったのでしょうか。権力の横暴を目にするとついつい腹が立ってしまうのです。胃を患ったこともあってわずか47キロの体ですが、ムラムラと訳もなく突き進んでしまうのです。

 これが、私のこれまでの物語です。
 これからの私の物語は、青森市民の審判をへて、県民の皆さまとともに進めたいと決意しました。

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はじめまして!
悪徳資本「大京」と闘っている非正規「大京労働組合」です。
巨大腐敗組織の「偽装請負」「給与天引」「サービス残業」コンプラ
違反三昧を公益通報として情報公開しています。
よろしくお願いします。
http://blogs.yahoo.co.jp/moon83362000/MYBLOG/write.html

2007/11/18(日) 午後 7:46 moo**336*000 返信する

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