浪速学院がまだバンカラ高校と呼ばれていた頃の話です。
(浪速関係者の皆さん、今日はただの思い出話ですので、気楽に読んでください。)
昭和56年4月、ある人物が浪速の校長に就任なさいました。
その方は一之瀬博さん。
歴代の校長の中でも、もっとも伝説の多い方です。
私はまだ塾教師としては駆け出しで、10年も先生とは呼ばれていなかった頃です。
たまたま住吉地区教室の担当になった私はいろいろな会合に出かけてさまざまな先生とお会いしていました。
で、一度だけ一之瀬先生とお会いしたことがあるんです。
当時の私は青二才なわけですから、一ノ瀬校長先生の迫力というかオーラにおされ、あまりお話できなかったことを覚えています。
しかし、後に連れて行ってくださった塾長から「一之瀬先生がお前のことを気にしていたらしいぞ。」と聞かされて驚いたことがあるんです。
なんで若造の私のことなんか?
塾長曰く、「ワシがにらんで目を伏せなかった若造は久しぶりだ!」とおっしゃっていたと。
なんだ、ただ無礼なだけじゃん。(笑)
それから住吉区で教鞭をとることとなり、当時はまだ塾と私学との連携が強くなかった頃だったにもかかわらず、浪速高校からは矢継ぎ早に塾へと改革が知らされました。
中学部の復活。
制服の変更(詰襟からブレザーへ。)
当時はまだ発表されていなかったのですが、男女共学への転進も考えておられたとも聞きました。
まあ、「昔はよかった」派はあとから話に尾ひれをつけるものですから、ただの逸話かもしれませんけどね。
市ノ瀬校長については有名な逸話があります。
1996年の入学式だったでしょうか、校長がいきなり訓話前に大声を上げたのです。
「浪速高校に入学して、男をあげたい者、手を挙げろ!!!」
もちろん入学式のことですから、手を上げる子なんかいません。
すると、校長はこう叫ばれました。
「そんなヤツは帰れ!!!」
おずおずと全員の手が挙がるまでずっとにらみつけたままで、全員がしかたなく挙手すると満足げに「よし!」うなずいて講話を始められました。
ウソだと思うでしょ?
正真正銘の実話です。
信じられない方は、浪速の古い先生方に聞いてみてください。
中学部T校長先生やO副校長先生、高校部のM教頭先生などの古株の方々は覚えていらっしゃるはずです。
また卒業式ではこんなことがありました。
式の途中、壇上で感極まった一之瀬校長が「みんな、俺の所に来い!」と叫んだんです。
両手を広げて仁王立ちです。
当時バンカラだった健男児浪速の生徒さんたちは何も考えずにほぼ全員が壇上に殺到したんです。
このシーンは私も見てました。
しばらく壇上でもみくちゃにされていた一之瀬校長は、大きな破裂音とともに消えました。
しばらくしてホコリがおさまると、私の目に入ったのは生徒達と一緒に這い上がってくる砂まみれの市ノ瀬校長の姿でした。
あれはいい卒業式だったですねぇ…
この話もうそだと思うなら、古い先生に聞いてみてください。
きっと面白おかしく話してくださいますよ。
人間的魅力の多かったこの方も、決していいことばかりをしていたわけではありません。
威張っておられましたし、暴力もけっこう振るわれる方でした。
しかし、その人間的魅力でみんなをひっぱっていらっしゃったのは確かです。
卒業式の万歳三唱をアンコールされた校長は、あとにも先にもこの方だけではないですか?(笑)
いやはや、破天荒で豪放磊落、支離滅裂な一面も持った方でしたねぇ。
ですが、なんでも一人でおやりになるその性格は健康を次第に蝕んでいたのでしょう。
制服がブレザーに変わるはずだった平成6年、夏休みの終わったある日に一之瀬校長は急に倒れられ、帰らぬ人となりました。
その20日後、浪速の新制服のブレザーが発表されました。
デザイナーは胡麻稔雄氏。
浪速の旧体育館で新制服のファッションショーを行ったとき、私はその場にいました。
胡麻さんが「オヤジ校長、見ているか!」と泣きながら叫ばれていたのも覚えています。
今あなた方が着ている紺のブレザーにはそんな歴史があるんです。
胸を張って、先輩方の歴史を身に着けてください。
昨日、いろいろな方からいただいた昔の浪速の資料を見ていて、一ノ瀬校長のことを思い出し(朝日新聞の特集記事を見て)、つい思い出話を書きたくなったんです。
あの方は、今の浪速をどう見ていらっしゃるのでしょうか…。
http://www.geocities.jp/scole377/ こむりん先生の教育相談
一之瀬校長のお話をご存知の方は、教えていただけませんか?
私もあんまり知らないものですから。