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秋に予定がある結婚式の前に 留袖を広げて確認しています。
20年もの間 休憩していた和服です。
次女の結婚式のころを思い出しました。遠い昔です。
この時は、自分と義妹の二人分の 着付けもできたのですが、もう 気力が有りません。
地方によって しきたりはウンと違います。
名古屋も派手ですが、派手さも世間体も違います。
引き出物が多い(大きい?)土地柄のようで、お母様は カタログで選んでもらうのは反対で、せめて 色々の中に「お赤飯」は つけて欲しい・・と。
郡上からマイクロバスで大勢でいらっしゃっるので 荷物(お土産)が少ないのは 前例が無く、ご近所や親戚の手前 立場がなかったのでしょう。
末っ子の婿殿に懇願されましたが 却下
末っ子とはこんなものです(笑)赤飯を付けるくらいなら、参列者のお料理を格上げしたいと言うのが 理由でした。
式が終わっても まだ 残念だったようです。
今日はお盆 留袖とお赤飯が1対で 50代で亡くなられた次女の姑さまを 思い出します。
子供たちが小さいころから ず〜ッとメダカを飼っています。
今、産卵の時期で 別容器でも飼育中です。
もう 十分大きくなったのだけ、親元に返しました。
絶対食べられないと思ったのに 入れた途端 パクッ
ショックでした、お盆に殺生をしてしまった
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想い出
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子供のころは 毎年 サーカスを見に行っていました。
巨大テントの中では 綱渡りや 空中ブランコ 金属の球体の中ではオートバイの轟音にハラハラドキドキ
誰と行ったのか、どこにテントを張ってあったのかの記憶は有りません。
家庭を持って、子供たちを 私がサーカスに連れて行った記憶はありませんから、あれからサーカスとは無縁になったと思っていました。
それが、ドルフィンズアリーナの「ボリショイサーカス」に行ってきました。
昔は県体(愛知県体育館)と呼ばれていて 子供たちが小さいころは 名古屋市のママさんバレーの開会式はここでした。
サーカスに同行した友人も同じチームで 行進も一緒に経験しましたから サーカスより 話題は専らバレーボールでした。
金シャチ横丁
丁度宣伝隊の武将が現れました。
もちろん撮影禁止ですから 始まる前の様子です
独身最後に行ったのは高1のときでした。
叔父の会社の若いお兄さんが引率者(?)でした。
(きっと 社長に子守役を命ぜられてたのでしょう(笑))
幼稚だったのに、学生以外の男性に少々ときめいて テレたのが
サーカス最後の思い出として残っていました。
今回のサーカスは ショーを見ているような華やかさでした
![]() 猛暑も 運よく中休みの涼しい日でした。これが最後
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暑中お見舞い申し上げます
連日猛暑で、今は 38℃超えているでしょう。
何処にも出たくないけど 仕方なくスーパーへ向かいました
お店は特売で混んでいました。
お店の中の なんと涼しいこと! ずっと居たいくらい 冷えすぎ〜 私の好物「ところてん」も 買いました。
ところてんを食べると 必ず思い出す人がいます。
彼女は、幼稚園から高校まで毎日一緒に通った幼馴染。
商店街で、斜向かいのお茶卸問屋 の娘さんでした。
夏になると おばさんが「天突き」で突いて ガラスの器に入れて出してくれました。
味の記憶より、天突き器に魅力がありました。
その友人は覚えていないと言いましたが、私には記憶が鮮明で、幼いころの思い出です。
その彼女から「認知機能」が低下していると打ち明けられたのは 60代になってすぐの事でした。
賢く、プライドの高い彼女が よく打ち明けてくれた‥と、私はあれからずっとひとり 胸にしまったままです。進行は早かったようです。
結婚しても続いていたバースデイカードも届かなくなり
連絡が途絶えました。今では 私の事がわからないかも・・
誕生日が来ると 胸が痛みます。
そして、昨日は もうカードが届かない 私の誕生日でした。
![]() コーラスの仲間から 素敵な暑中見舞状が届きました。
彼女は、絵手紙、切り絵、手芸、・・と 万能選手です。
明日は 猛暑に負けず、一緒に歌ってきます。
(広げると マジックのような・・)
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毎週通っている教室の友達から 鹿児島のお土産をいただきました。
子どものころから食べていたボンタンアメ ざぼん 干物など。
九州発の頂き物は なぜか 数倍うれしい
![]() ![]() 「ざぼん」には 想い出があります。
里帰りした時 娘婿の実家にも 宅急便で送りました。たしか・・・ヤマト。
話が好きなお姑さんは、開けたら直ぐにお電話くださるのに
「・・・」
何か不都合があったのかと心配になり、婿殿に聞いた話では、
両親共に三重県人
親戚も全部三重
頂き物は手渡しできる距離
初めての宅急便のため 大変喜んでいただき 床の間に飾ってあったそうです。
食べると みんなに見せられない・・と聞き 爆笑しました。
当時に比べると、暮らしも味覚も贅沢になった今
子どもたちにも喜ばれないお菓子や果物も
想い出が調味料になってくれるから 自分には数倍おいしく感じられるのかもしれないと しんみりしました。
20年前のかわいいお姑さんも、今では小さく、もう ざぼんのことなど思い出せない年代です。
私のざぼんは、仏様とすぐに食べてしまいました。
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朝から お掃除を頑張っています。
新年に飾る 手製の押し花の額を探していたら 思いがけないものが出て来ました。
それは 昔、里帰りの際 書道を教えていた母に貰った「書道道具一式」
私は お習字が大嫌いで みんなが書いて居る時も ずっと墨をすり続けました。
チャイムが鳴るとその水を捨て サッと片付ける とんでもない子でした。
友達は誰も知らなかった・・という事は みんな一生懸命書いて居たからか?
理由は先生が苦手だったから。
理由になりません
当時そんな子はいなかったと思います。そんな私に 役に立つからと持たせてくれて そのまま押し入れに眠っていたお習字道具でした。
子供たちには付き添って通い 3人とも師範まで取りました。
硬筆の文字しかご覧になって居ない教室の先生は、筆遣いが上手だと勘違い。
一緒に学びませんか・・と。 とんでもない
。入社して 初めて依頼は 毛筆で「御中元」 畑違いの仕事です。
バランスが取れなくて難しい
なんで私が と思ったものです。今でも嫌いな文字 御中元
でも どうにかこの年まで潜り抜けてきました。
筆も 半紙もあるし 今夜書いてみるか!
昔の事情を知っている子供曰く
「高齢になったら 嫌いな事はやめた方がいいよ、ストレスたまるから」
「はいっ」
最後くらい 賢いブログにしたかったのですが、ムリ
![]() 来年もありのままで行きたいと思います。
1年間沢山のコメントありがとうございました
新年もコメントの往来を宜しくお願いいたします。
komyu
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末っ子とはこんなものです(笑)



当時そんな子はいなかったと思います。
なんで私が
と思ったものです。





