最近の若者に共通する特徴の一つとして「枠にとらわれて役に立たないこと」があげられます。
例えば、
・言われたことやマニュアルに書いていることしか出来ない
・分からないことを質問できない
・目先の答えに飛びついて考えようとしない。
つまり、与えられないと動けない。
この様な若者を生み出した背景に試験制度の弊害が潜んでいます。
今回は試験制度の弊害について、考察し、日本のエリート官僚の問題点を探ってみたいと
思います。
家庭を聖域にしてはいけないより
■ 試験制度の問題点
試験制度の問題性を簡単にまとめると。
・試験制度では、設問も、答えも、予め用意されている。
・学校の試験は、一人で問題を解くのであるから、試験の結果に対しては、自分だけが責任を持つ
・学校では、試験中には設問以外、質問を受け付けてくれない。また、試験中に話をしてはならない
・試験では、一定の時間内に解答を出すことを要求される
・試験では、教わった範囲内、教科書に載っていないことは、出題されない。
・スポーツやクラブは、簡単なテストをするところもあるが、多くが、無審査か、実地テストである
・統一的試験制度のメリットは、管理しやすいという事にある
現実社会での仕事の場合、自ら問題の原因を探したり、その解決策を仲間達と相談し合ったり
しながら現実の課題を突破していきます。それに比べると、試験制度の非現実性が浮き彫りに
なります。
この様な現実の社会とは切り離された空間で小中高大学と計16年間も過ごせば、嫌でも
試験制度用の頭になってしまうのも必然だろう。
■ 試験制度による思考の短絡化
先を見通す力や、多数の情報を計画的に組み立てる能力が低下していく短絡脳化の現象は
学校制度(=試験制度)が導入により急速に進行していきます。
・役人の増大 ⇒ 学校制度の普及による短絡脳の進行明治以降の市場拡大に伴う役人階級の増加と、
学校制度の発足(明治5年学制発布→明治35年には就学率9割)によって、与えられた観念だけに
しか反応できない短絡脳化が進行していった。
・西洋文化は短絡脳の象徴
戦後の近代思想による学校教育は、脳が発育していく一番重要な時期に短酪思考を植え付けて
きたと総括できるのではないだろうか。
一方で、試験制度で勝ち抜いていったいわゆるエリートの多くは官僚になっていきます。
その官僚の世界で最も大事にされているものは席次という入省時の試験結果で、これによって
将来どのポストまで上がれるかが決定するという試験制度の極みです。
外圧は刻々と変わっていく。それに対して官僚は試験の成績とか、外圧と殆ど関係ないところで
優劣が決まり、一度決まるとその序列が変わることが無い。そして権力を持つとそれを維持する
ために無能化していく。あるいは、自己組織保存のために動くようになる。
■ 試験制度は現実の役に立たないだけでなく、社会をガタガタにする危険な制度!
改めて、我々は、私権時代の遺物である試験制度の恐ろしさを、もっと真剣に考える必要が
あるだろう。この目先の試験制度収束は、新たな学歴身分と格差の拡大を生み出し、特権階級を
暴走させただけではなく、ネットという闇空間での誹謗中傷や無差別殺人etc下層階級をも
暴走させてきたからである。
もはや試験制度が現実の役に立たないという問題だけでなく、子供達の心を壊し、家庭や国家
までをもガタガタにする社会閉塞の元凶であるという状況認識が必要なのです。
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こんにちは!仰る通りですね!先生と呼ばれる人は、その道を究めたと勘違いしている人が多かったりしますね。官僚ももはや学習完了とばかり、人の話しを聞く事すらなく、新たに学習することないですね。
利口と賢いとは、違いますね。
傑作です!
2011/9/18(日) 午後 1:16 [ スキッドセブン777 ]
コナンさんの意見に賛成です。官僚がくだらないのは高等文官試験以来の悪弊がそのまま戦後も残ったからと思います。マッカーサーは統治の必要のため旧内務省(早く言えば警察)を残しました。
真っ先に追放しなければならなかった大勲位中曽根を残したのです。
その内務省が今日の官僚の基礎を造りやっぱり敗戦前の状況になってしまいました。滅亡前夜です。すべて官僚のせいです。
日本再生を託し戦場に散って行かれた人々の思い、戦後の灰燼の中から復興のため立ち上がり、それぞれが一隅を照らし持ち場立場で必死の努力で復興を成し遂げた、わが父祖の遺産を20年に及ぶ団塊人の支配によリ、すべて烏有に帰しました。
誠に遺憾であります。
2011/9/18(日) 午後 1:40 [ やちよ27 ]
枠にとらわれて役に立たない…
確かにその通りだと思います。予想外のことが起こると上司に「こんなの聞いてません!」と逆ギレする者もいますよね><
でも、それ以上に役に立たないのは忍耐力のない者だと思いました。試験のために飽和状態になるまで暗記した者、レポートを提出期限に間に合わせるために徹夜を続けた者は枠にとらわれてても、追い詰められた時に逃げださない忍耐力を持っています。昔からあるはずの試験制度ですから、すべてが悪いわけではないのでしょうね。
2011/9/18(日) 午後 10:26
スキッドセブン777さん 傑作ポチありがとうございます。
今の日本の教育制度は、発展途上国が先進国に追いつくために考え出された教育制度です。もはや、先進国のトップを走る日本には、ふさわしくない教育制度であり、先進国としての教育制度に移行していかなければならない時期に来ているのだと思います。
2011/9/19(月) 午前 0:30
やちよ27さん ご意見ありがとうございます。
日本の教育制度は、明治時代、富国強兵を合言葉に、官僚による強い統制により国家産業を急いで育成するために、官僚育成のためのエリート教育をその発祥としています。
そろそろ、根本的な変革が必要になってきているのだと思います。
2011/9/19(月) 午前 0:34
殿様 受験競争が激しくなるとともに、本来の必要な教育が、なされなくなったのが大きいと思います。
大学合格実績だけで、親たちに評価されるのだとしたら、合格実績を上げるための教育に注力せざるをえません。
しかし、それは、単なる知識の詰め込み教育であり、新たな問題に直面したとき、役に立つものではありません。
2011/9/19(月) 午前 0:39
もともと日本の学力は瞬発力的な記憶力を試すものが多く、論理的な思考力が疎かにされている面がありました。ゆとり教育が始まってしばらくして、国家公務員I種レベルでも学力崩壊の兆候が出たそうです。今の学力崩壊はすざまじいものがあり、小学校の内容もよく分からない人が、小学校の先生をやる時代に突入しており、恐ろしい勢いで日本人が愚民化しているようです。
2011/9/19(月) 午前 9:56 [ オレンジトマト ]
香港フリーク マンマさん
日本の教育制度は、明治初期に作られました。
明治政府は、当時の列強諸国に早く追いつくために、英米の消費者選択自由型の産業ではなく、ドイツが採用していた官僚主導型の産業育成を目指しました。
その官僚育成のために作られたのが帝国大学であり、教育の骨子は、欧米のすすんだ技術を学び、日本国内に官僚主導の下、産業振興しようというものです。ですから、日本の教育に、そもそも、創造力という概念はなく、記憶力と取捨選択の能力だけを伸ばそうというものです。
日本は、教育の根本をつくりなおす必要があると思います。
2011/9/20(火) 午前 1:38