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10月5日月曜日
結果を聞きに行く日、夏の名残を感じた前日までとは打って変わって、すっかり秋の空気の気温の低い晴れた朝でした。
さすがに朝は食欲もなく、ヨーグルトくらいでいいかなと思っていたら、母がすでにしっかりと用意してくれてあり、無理やり食べれるだけ食べました。
何気に見た今日の占い。かに座はなかなかいい運勢。ラッキーカラーは赤。赤いハンカチを選んで、バックに入れました。「よし!」とつぶやいてから、家を出ました。
叔母に車でむかえにきてもらい、病院に向かいました。病院まで車で5分くらい。
受付をして、診察室前まで歩いていく間に、一歩ずつ緊張していく感じ。胃がキューっとなり、朝食を食べてきたことを後悔しましたが、なんとか耐えて、診察室前の長椅子に座る。予約は9時。まだ診察は始まっていませんでした。
待っている間、叔母と世間話などをしていましたが、緊張のためか、声がいつもより大きくなります。抑えよう抑えようとしても、二人、変なテンションでしゃべっていました。
気温の低さだけでなく、緊張で指先が冷たくなっていました。
途中で
「やっぱり、緊張するね。」
と叔母に言うと、
「当たり前でしょ〜〜〜う。」と言われる。
診察が始まり、1番の人が呼ばれます。私は2番目でした。
「あの人が出てきたら、私の番だ。」と思いながら、診察室のドアを見つめながら、黙っていられず、叔母と色々なおしゃべりを少し上の空で続けていました。
ネットで経験者の方の言葉の中に、結果待ちの時、何か心のよりどころになるようなものを持っていくといいとかいてあったので、私のスマホの画面には、甥っ子二人の画像。直前に会ったときに写した画像は、シラスが赤いポロシャツを着ていました。
心の中で何度も何度も「大丈夫。大丈夫。」とつぶやきます。
ついに診察室のドアが開きました。呼び出しの番号が表示され、「よし!」ともう一度つぶやいてから、診察室にはいりました。叔母が遅れて入ってきます。
「小夏さん、良性でしたよ。心配ありません。」
先生の言葉に一気に力が抜けます。
「良かったぁ。」
と私。叔母も「あぁ。良かった。良かったねぇ。」と。
「僕は大丈夫だと思っていましたけどね。」
と、先生。・・・・・・・。
で、結局、何だったかと言うと、『硬化性腺症』という診断でした。
年齢経過により、固くなっているしこり。ってこと?
よっぽど大きくなって機能に問題が出ない限り、そのまま放置でいいとのこと。
半年後の予約をとって、終了。
たぶん、5分かかったか、かからなかったか。そのくらいでした。
会計待ちの間に
「やっと、血が巡ってきた感じ〜。」
と私が言うと、叔母が
「小夏も人の子だったか。」
とふざけ気味に言いました。
どうも、私の顔や態度には、あまり緊張感や不安感は出ていなかったようです。
という、叔母も、後から聞いた話ですが、相当な緊張感があったようで、診察室に入るときに足が震えていたんだそうです。どうりで入ってくるのが遅かったわけです。
そこまで心配してくれる人が親兄弟以外にもいてくれることに、心の底からありがたいと思いました。親にもずいぶん心配をかけたことと思いますが、今では母親もすっかり元気を取り戻しています。
その日の夜は、本当にぐっすり眠れました。
それまでの期間は、眠ってはいても、浅い眠りでした。
まるで、止まっていた時間が一気に流れ出したように、その日から色々な予定を入れ、今にいたっています。
過ぎてしまえば、「取越し苦労だった」ということになるのでしょうが、その期間は、本当に苦しく、先の見えない、私の人生の中で、おそらく一番、暗い気持ちで過ごした10日間でした。
次回、書き残したこと、感じたことや思ったことなどをまとめて、乳がん疑惑の記事を締めくくりたいと思います。
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乳がん疑惑
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針生検を受けた後、注意事項の書かれた紙をもらったのですが、その一番下に
「検査の結果によっては、今後の治療のことなど詳しい説明がされますので、ご家族や同席される方と一緒にご来院ください。」
とありました。
ワタシ風に読み替えると
「悪性だった場合、ひとりじゃ動揺しすぎるから、誰か連れてくるように」
って感じました。
普段の私だったら、一人で行ったと思いますが、今回ばかりは、「その時」の自分がどうなってしまうか想像つかず、自信もなかったので、誰かにはついてきてもらおう。とは考えました。
まず、母…。は、無理。
伝えればついてきたいと言うでしょうが、隣で落ち着かず、そわそわウロウロされてると、私も落ち着かないだろうし、何より、母を気遣う余裕が私にはないだろうと思いました。
次、父…。は、ないかなぁ。
70代の父。乳腺外科はほぼ女性。いたたまれないですよね。
他は…。叔母。
私が小学1年生まで一緒に住んでいて、今では一緒に作品展をしている、このブログではお馴染み?のサザエさんです。
一番の候補でした。
が、その時、叔母は久しぶりの海外旅行に出かけていました。結果の出る前には帰ってくる予定でしたが、楽しい旅行の直後に嫌な話を聞かせちゃうのが申し訳ない気がします。
実際、帰国後お土産を持ってきてくれたとき、楽しそうに旅行の話をする姿に、「やっぱり、今日は話さずにいよう。直前に話して、予定がつかなかったら、一人で行こう。」と思っていました。
が、叔母の方から、「ねーちゃん(私の母のこと)、電話で話したとき、すごく暗い感じだったけど、今度は何悩んでるの?」と話があり、「実は…。」と切り出すことができました。
運良く、普段忙しい叔母の予定が空いていて、「ついていこうか?」と言ってくれたので、それで決まりました。
本当に心強く感じました。
疑陽性判定を受けて、不思議に感じた事というか、変わったことのひとつに、「癌」という言葉を自分の口から発することができなくなった。というのがありました。
いままで、いかに何の意識もなく、自分も、周りも使っていたかということを感じました。
特に、この時期、北斗晶さんの件と、川島なお美さんの件があったので、テレビでもネットでも通常より頻繁に聞き、目にしていて、より敏感になっていたこともありましたし。
私自身「もし万が一悪いものだったら」とか別の言葉で言い換えて話していました。
一言の単語ですが、こんなに重く感じることがあるという体験をしました。
もうひとつは先の約束ができなくなったということ。
結果次第では、入院手術とかになるわけですから、はっきりするまでは何も先の約束ができないわけです。
こんな私でも、すでに決まっている予定がこの秋、この冬、来年の春、来年の冬まで、何件かありました。当たり前にこなせると考えていた予定も場合によっては…。ということも考えました。
病気ひとつで、先の予定がガラッと変わってしまう可能性があるってこと。考えさせられました。実際、北斗晶さんなどは、そうせざるを得ない状況になっています。
食欲は常になかったですが、疑陽性判定を受けた翌日すでに、下を向くとクラクラするという状態だった(もともと鉄の少ない体質なので常時貧血なんですが)ので、このままだと結果が出る前に途中で倒れると感じたので、食べられるものをできるだけ食べるようにしていました。
朝は本当に食欲がなかったので、野菜ジュースとかヨーグルトとかフルーツとかその程度でしたが、何かは口にするようにしました。
お昼はその時食べたいと感じたものを。
夜は家族で食卓を囲むので、普通に。親に心配かけないようにということもあって、頑張って食べてました。朝とお昼が軽いので、夜はそんなに無理にということもなく、食べれてました。
私は普段から夜、アルコールを飲むので、その助けもあったかもしれません。この期間はそんなに飲みたい気分ではなかったですけど、アルコールを飲むことによって、気分もあがるし、眠気も出るので、私には良かったみたいです。
飲める人は、少しアルコールの力を借りるのも一つの手かもしれません。もちろん、飲み過ぎはダメですし、飲んで気分の下がる人も良くないと思いますが…。
私の場合、夜眠れないということはなかったです。というか、無理に眠ろうとはしなかったです。眠くなるまで、テレビを見たり、本を読んだりしていました。不思議なことに、夜は気分が落ち着いていたので、暗い考えになることはなかったです。
そのかわり、朝は落ちていて、食欲もなかったし、考えも悪いほうへ悪いほうへと向かっていました。午後から夜に向かって気分が上がっていくことが多かったです。
私は、バーナー作業は、基本的に午後からはじめるのですが、バーナー作業に集中していると、余計なことを考えずにすみましたし、不思議と気持ちも安定してきました。
集中しないと失敗するタイプのものを作るようにしていました。この時期はちょうどおかめひょっとこの納品依頼を受けていたのですが、おかめが最適でした。おかめは左右の眉、目、頬の位置などを合わせるときにぐっと集中しないと、福笑いみたいな顔になっちゃいますから。
もうひとつは音楽でした。私の場合はB’z。
学生時代、ネガティブだった私を徐々にポジティブ思考に洗脳していってくれたのがB’zでした。
B’zを聞きながら、口ずさみながら、おかめを作る。これが私の精神安定剤でした。
じっとしていると、どうしても考えがそちらのほうへ引きずられていきますので、なんでもいい、自分が集中できるものをやった方がいいと思います。それは仕事だったり、趣味のことだったり、掃除だったり、人それぞれだと思いますが、目の前のことだけ考えるようにするしかないと感じました。
それでも、どうしても、気分があがらない、深い穴から抜け出せないような時もありました。
そういう時は、もう、「自分の人生を左右する重大な局面なんだから、不安になって当たり前だ。こんな時に悩まないでいつ悩むの。」と考えて、自然に気分が落ち着くまで耐えました。
少しだけ、前向きな気持ちを持てているときには、良性だった場合にやることを考えてました。
このブログを書くこともその中のひとつです。
不安な気持ちを紛らわすようについついネットで検索してしまうというのは、以前にも書きましたが、そんななかで、やはり、「針生検までしたけど、良性だった。」という記事を見ると、少し安心していました。そこのページをブックマークして、不安になると何度も読んだりしていました。
なので、そんな私のような人がいたら、少しは安心してもらえるのではないかと、私なりにちゃんと記事にしようと考えていました。
その他にも何個かやることを考えていました。
それは、こういう体験をしなければ、ずるずると先延ばしにしたり、思いつきもしなかったことです。「この体験は、私を成長させるためのものだ!」と考えていました。
そう思いこもうとしていただけなのかもしれませんが。
結果を聞く日までの1週間。こんな感じでじりじりじりじり過ごしていました。
つづく。
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<バネ式針生検>
超音波でしこりの位置を確認しながら、細胞診より太めの針をしこりの部分に刺し、しこりの一部を、バネ式で取り出します。 <マンモトーム生検> 局所麻酔をして、ステレオ撮影をし、画像を見ながら、直径3mm程度の針を刺します。刺している針の方向を変えながら、組織を自動的に吸引してきます。
(ネットより抜粋) 9月28日月曜日
針生検当日の朝、予約は13時半でしたので、ゆっくりしながら、出かける準備をしました。
午後の診察となると、午前の患者さんが押し気味だと待つかなぁ。と読みかけの本をバックにいれて、出かけました。落ち着きながらも、うっすらと緊張をずっとしていました。
診察室の前につくと、私以外に待っている方はふたり。
診察はお昼休憩中らしく、呼び出しの画面には『午後の診察までしばらくお待ちください。』の表示が。
本でも読んでいようと、バックから本を取り出し、読みだそうとすると、なんか変。
読みかけの本ではなく、その次の巻を持ってきてました!落ち着いているつもりが、やはり微妙に集中力が落ちていたみたいです。
午後の診察がはじまり、私の前におひとり呼ばれました。そして、私。
針生検については、ざっくりとネットで調べていましたが、いつもと同じ診察室脇のベッドで行うようで、少し安心しました。別の特別な?部屋に行くのかと思っていたので。
ベッドに横になると、ドラマとかでたまに見る、ブルーの処置部だけがひらく覆いのようなものを被されました。頭の上まで。様子が目視できません…。
先生に「何か処置するときは必ず声かけてからやりますからね」と言われる。
ベットに横になってから、先生と看護師さん、あと検査の時にくる技師?の方、3人でごにょごにょ話しています。どうも使おうとした機器が不具合らしく。「刺してから動かないじゃシャレにならないからね」とか言ってます。確かに。
「機械を使ったマンモトーム生検を行う予定でしたが、ちょっと不具合がありまして、手動(バネ式針生検)で行います」と言われる。「はい。」と私。もう、まな板の上の鯉です。
「消毒します」と、言われた後、「あれ?この痕はこの間針刺したところですか?」と聞かれる。前回の細胞診の時の跡がまだ色が変わっている状態でした。
先生「何日前にしましたっけ?」
私「えーと、18日の金曜日です。」
先生「10日前か…。」
今更、後日って言われたらヤダなぁ。でもちゃんと結果が出なきゃ意味ないしなぁ。とぼんやり考えてると、
先生「大丈夫でしょう。」と結論。それはそれで微妙に不安な気分になる。
「麻酔しますね。」と言われた後、チクッと針の刺さる感覚がする。そのあと少しして、「痛いですか?」と確認された後、本格的な検査のための針が刺さる感覚。刺さっていく感覚はあるものの、痛みはない状態でした。「ちょっと音がしますよ。」と言われた後、バチン!という音。この時に細胞をとっているようです。その後もう一回バチン!として、終わり。「きれいにしてから、止血しますね。」と言われ、かなり圧迫された状態の止血をされ、覆いをやっと外してもらいました。
ベッドから降りるときにちょっと私がよろけたのか、よっぽど情けない顔をしていたのか、
「大丈夫ですか?」と先生に声をかけられました。
言ってもしょうがないとは思いつつも
「だいぶ、…不安になってしまって…。」と言ってみる。
「…。そうですね…。みなさん、不安になりますね。1週間はもう、何も考えないようにして。」と先生。
「はい。」と言いつつ。無理だし。と心の中でつぶやく。
そのあとしばらくして、止血の様子を看護師さんに確認され、注意事項などの書かれた紙などを渡される。
「心配になって、1週間、食べられなくなっちゃう人や、眠れなくなっちゃう方もいるんですが、あんまり考えすぎないようにしてくださいね。」と言われる。
「はい。」と言いつつ、そりゃ、そうなるよ。と心の中でつぶやく。
会計待ちの間に、トイレに行ったのですが、鏡を見ると服がなんか変。前後ろに着てました。検査があるからとゆったりとしたかぶるタイプの服を着ていたので、まぁ、あまり他の人にはわからなかったと思いますが、ここでも「あぁ、私、動揺しているんだな。」と思いました。
戻ると、会計番号が出ていたので、自動会計機で精算しようとすると、何と2万円越え!!え!?と再度金額確認するも、2万円越え…。持ち合わせがなかったので、クレジットカード払いにしましたが、驚きました。
細胞診の時は3千円ちょっとだったので、あまりの差に…。
そんなに差があるってことは、検査の精度が格段に違うってことか…。と、そんなところでも不安になりました。そこまで調べる必要があるってことに。
麻酔が切れると、痛みがでるかもしれないということで、痛み止めの薬が出ました。
看護師さんに「痛みが出てから飲むのでは遅いので、痛くなりそうな気配がしたら、飲んでおくといいですよ。」と言われ、自宅に戻ってから、様子を見ていましたが、結局は飲まずに済みました。
検査自体で言うと、細胞診の方がよっぽど痛かったです。
針生険は部分麻酔をするので、痛みはほぼなし。圧迫止血をしている部分は翌日まで取らないでくださいと言われるので、少々苦しいですが。
ここから検査結果を聞きに行くまで、1週間。
長くて苦しくて、色んなことを考えた日々でした。
つづく。
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細胞診の診断には5段階あります。
classⅠ良性 classⅡほぼ良性 classⅢ疑陽性 classⅣほぼ悪性 classⅤ悪性
classⅢには良性よりのaと悪性よりのbに分ける病院もあるようですが、私は疑陽性としか言われなかったので、「もしかしてbだけど不安になる過ぎるから、わざと言わないの?」とか余計なことも考えました。
疑陽性と告げた時の先生の感じとかも、どうしても悪いようにとらえてしまったり。
後から考えれば、なんてことないんですが、すべてが不安要素になっていました。
疑陽性の判定は、その時点の私の感覚で言うと、まさにハーフハーフでした。
次に私が考えたことは、親にどう報告するかということでした。
前回の2月3月の細胞診の時は、検査結果が出るまで、誰にも言いませんでした。
ほぼ大丈夫と思えていたし、余計な心配かけることはないなと考えていましたから。
しかし今回は、細胞診を受けることも知っていたし、結果が出る日も教えていました。前回同様大丈夫だろうという、思いもありましたし。
私の母は60代前半なのですが、極度の心配性です。時々安定剤を服用することもあるほどの。
悩みつつ、一部は正直に、再検査になったことは話しました。その途端に母の様子がかわりました。一瞬で、心配モードにはいりました。話したこと自体を後悔しましたが、もう遅い。
金曜日に結果が出て、月曜日に針生検の予約をとったのですが、
「再検査までが早すぎるってことは、急ぐ必要があるってことだ」
とか言い始めました。違います。
担当の先生が月曜と金曜が診察の日で、金曜日でも良かったのですが、私自身が、早いほうが悩む時間が少なくていいと思ったのと、別の予定との兼ね合いがあってのことです。その旨はきちんと母に説明しました。
が、一部嘘をつきました。
「しこりがちょっと大きくなってるから、大丈夫だと思うけど、念のため、良性であることを確認しといた方がいいから、ちゃんと検査しておきましょうってことだからね。心配ないんだよ。」
と。本当にそうだったらいいなぁと内心思いつつ。
「疑陽性判定が出た」とはとても言えませんでした。
それでも心配モードに入ってしまった母は、落ち着きません。よって、私は逆にいつも通りの平気なふりをして、過ごすごとになります。ため息ひとつつかないように気をつけました。
そんなこともあって、その日の夜のうちは、割と自分自身は落ち着いてました。
…と、思っていました。
しかし、その晩、スプラッタな悪夢を見ました。夢の中で私は大泣き。起きて、夢でよかったと思いましたが、朝の気分は最悪。
食べ物も無理やり食べている感じで、全く味も感じないし、入っていかない。胃が働いていないような感覚がしました。ずっと鉛を飲み込んだようなっていうのは、こういう気分のことなんだな。と実感するようなくらーい精神状態でした。ずっと考えが同じところから離れません。
最終的に考えると、一番メンタルが落ちたのが、私の場合は、この疑陽性と告げられた次の日と、針生検の検査結果の出る前々日の昼間でした。
それ以外の日も落ちたり上がったりジェットコースターのような精神状態でしたが、この2日間ほどではなかったように感じます。
ネットでの検索は、しても無駄だとわかっていても、時間があくとすぐスマホで調べてました。
何回も調べてるので、キーワードを変えてもほとんどが同じ記事に行き当たります。
それでも、何にもしないではいられない。そんな気分でした。
何はともあれ、まずは針生検をおえないことには、ここから抜け出せないんだと(ジタバタしても意味がないと)自分で本当の意味で理解できたとき、少しだけ安定しました。
いざ鎌倉ならぬ、いざ針生検!でした。
つづく。
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2015年9月25日金曜日
「ちょっと気になるところがあるので、前回より太い針で刺して、細胞とってくる検査しましょう。」
先生の言葉に頭が真っ白になる。
細胞診の検査結果が『疑陽性』。
上の空で検査の予約を取り、会計へ。
疑陽性?疑陽性って癌が疑われるってこと??会計待ちをしながら、頭がぐるぐるし始める。会計して、もう一度待合室の椅子に座って落ち着こうとつとめる。
いけないと思いながら、スマホで調べ始めてしまう。
キーワードは「乳がん」「針生検」「疑陽性」「良性」「確率」。
安心できる材料を探そうとしてるんだけど、不安になる記事ばかりが目につく。
ここからかなりきつい10日間がはじまることになる。
ことの始まりは、今年の2月末。
市の健康診断の一環で、初めて乳がん検診を受けました。触診で左胸にしこりを発見される。「悪いものではないと思いますが、念のため精密検査にまわしますね。」と言われる。
怖くなって、精密検査の予約をとるために話をしていた看護師さんに「精密検査になる人って多いんですか?」と聞いてしまう。「けっこういますよ〜。」という軽い返事。精密検査の予約も「急がなくても大丈夫ですよ〜。」なんて言ってた。そんなことで、ちょっと安心する。
マンモグラフィーの結果が出るまでに2週間かかるということで、そのあとに近くの市民病院の乳腺外科に予約を入れてもらう。
2週間後、マンモの結果が郵送で届くも、異常なしの結果。ちょっと安心する。
精密検査のため、私の住む街では2番目に大きい病院の乳腺外科で診察。
「マンモ見ましたけど、問題ないですね〜。」と言われる。エコーをすると、やはり、左胸の乳首左下あたりにしこりがあるという。「しこりが悪いものでないか、針刺して細胞をとって、検査してみましょう」と、細胞診をされる。
これが、痛かった!私は持病をもっていて、採血にもなれているし、点滴も数え切れないほどしたことがあり、しかも、血管が細いらしく、刺してから探すみたいなこともされることも多々あるのですが、比較にならないほど痛かった!涙がにじみました。
終わって次の結果を聞く日の予約を取りながら、先生に「悪いものではないと思いますよ」と言われる。
これで、だいぶ安心しました。何かっていうと訴えられる昨今、病院の先生っていうのは、うかつなことを言わないものだと思っていたので。
それでも、結果が出るまでの1週間は不安ではありました。「万が一ってことがあるんじゃないか?」「良さそうなものでも悪性ということもある」ってネットに書いてあったし。とか。
そして、結果。「classⅠ良性」。
先生にも「癌っていうのはできる場所があって、小夏さんの場合は、場所が違いますし、心配ないでしょう。」と言われる。「念のため、半年後もう一度エコーをして、問題なければ、また普通の市の健診に戻しますから」ということになった。
半年後の9月18日金曜日。
エコーすると、「ちょっと大きくなってるかなぁ。細胞診しときましょう。」と言われ、心の中で「エコーだけじゃすまなかったかぁ、細胞診痛いんだよなぁ」と思う。そして、再び、涙にじむ。
今回も先生に「悪いものじゃないと思いますよ〜。」と言われ、すっかり安心する。
この結果待ちの間の9月23日に北斗晶さんの乳がん右乳房全摘手術報道が出る。
他人ごとでした…。「検診してたのに、見つからないで全摘なんて!大変だなぁ。」「私は大丈夫って言われてるし、良かった。」みたいな感じ。のんきなものです。
9月25日。細胞診の結果を聞きに病院へ。この日は病院が混んでいて、かなり待たされる。少しはドキドキはしつつも、近くにお気に入りのカフェがあって、「ランチ時間まにあうかな?食べて帰れるかなぁ?」なんて考えてました。のんきなものです。
そして、冒頭へ。結果「classⅢ疑陽性」。
なんで?なんで?前回良性だって。できる場所が違うって。今回細胞診のときだって、悪いものじゃないと思うって言ったよね…。どういうこと?心の中でぐるぐるするも言葉にならない。
先生がポツリと「よくあることですからね。」と言う。どういう意味?頭が真っ白で考えられない。
この、前回良性だったのに、今回疑陽性だった。という事実が、猛烈に私を不安にさせました。
前回の結果が間違っていたってことはないのか?
前回見落としていたってことは、ちょっと大きくなっているっていうのは進行している可能性が?
ネットでみると、細胞診の結果は、針の刺さった場所によって、結果が変わったりするとか、採れていない場合もあるなど書いてあり。
さらに、身内に乳がんをはじめ、婦人科系がんにかかった人いないという、今まで安心事項だったことは、北斗晶さんの事例であまり関係ないと、テレビで連日報道されて、不安をあおられることになります。
つづく。
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